情報科学のあれこれ(20) 

複雑系(その2) 新しいパラダイムとしての複雑現象研究(1)

3.複雑現象における新しい発見
(1)情報科学における複雑現象研究の位置づけ
      「情報科学のあれこれ」でなぜ複雑現象を取り上げるのかという疑問を持たれる方
    もおられるのではないかと思われるが、情報科学における複雑現象研究の位置づけに
    ついては、私の共著の「情報科学−ヒューマン編」の第2章「自然情報への回帰−知
    性/感性/柔軟性/複雑性」の中の“カオスとフラクタル”の項や、第3章「社会情
    報科学の展開」の中の“社会情報科学の試み−複雑適応系モデル”の項の中で説明し
    てきた。
      現在我々は地球上の世界という64億人の人間が構築する社会の中に生きている。こ
    れらの人々はそれぞれ異なる国・民族、異なる宗教の各自の意思を持っており、それ
    に従って行動している。このように考えただけでも複雑な世界に生きていることが分
    かるが、現実には複雑さに悩まされて頭をパンクさせることもなく、あまり複雑さを
    意識しないで生活している。これは複雑さの全部を個々に細かく見ているのではなく、
    全体をカバーする傾向の中で、必要な部分のみを細かく見るようにしているからであ
    ろう。我々は無意識的にでも複雑さに対処する知恵を持っているが、情報科学の世界
    ではこのようなことをどう取り扱っているのだろうか。必要な細かい部分を効率的に
    理解するには、これらの仕組みを十分知った上で対処することが望ましい。
      この第20編では、そのための基礎知識として複雑現象研究中の複雑系科学の概要を
    説明する。そして続く第21編において、実社会における複雑系について考察し、読者
    の皆さんのご参考に供したい。
      コンピュータの発達により、ニュートン力学では解明できなかった自然現象の中に
    ある複雑現象の解明ができるようになった。コンピュータを使った新しい解析法のパ
    ラダイムが打ち立てられ、それを利用した複雑現象研究によって、カオスやフラクタ
    ルなどの新しい事象が発見されるという、画期的な成果が得られた。これによって複
    雑現象研究が情報科学において確固たる地位を確立したと言える。
      なお以後の複雑現象研究の説明ではできるだけ初歩から丁寧に記述するつもりであ
    るが、紙面の関係から、前述の「情報科学−ヒューマン編」の内容程度のことを、読
    者の皆様が知っておられることを期待して書く部分もあろうかと思われる。それでこ
    の第20編以降だけ読んで頂いても、何故かなどという裏づけ面は分かりづらいところ
    もあるかも知れませんがご容赦願いたい。

(2)発見された新しい複雑現象
    1)カオスの発見
        100年位前から、世の中の物理現象には線形の世界を取り扱うニュートン力学で
      は説明できないものがあることが判明し、非線形の世界の現象を解明することが求
      められるようになった。そもそも力学における線形、非線形という考え方は、物体
      の運動という物理現象を数学的に解析する際の区分けとして用いられたもので、従
      って線形、非線形という術語は数学用語を適用したものである。非線形の現象の性
      質などについては改めて詳述するが、今後複雑系の考察においてこの非線形という
      言葉が再々出てくるので、すこし細かい話になるが数学的な非線形とはおおよそど
      のようなものであるかを先ず説明しよう。
        非線形と反対の線形の現象は数学の一次式で表されるようなものを言う。例えば
      Aを毎時何キロメートル歩くかという歩行速度とし、Bキロ先から歩き始めt時間
      後に到達した場所が何キロメートル先かをX(t)として計算する式は@式のようにな
      るがこれは一次方程式である。
      
        歩行速度Aが一定であるならば、この式はtを横軸にX(t)を縦軸としてグラフに書
      くと直線になることから線形方程式と呼ばれ、歩いた距離{X(t)−B}とtが比例関
      係にあることを表している。
        Aは速度であるから、dX(t)/dtというX(t)の一階の導関数で表わすと、@式は次の
      ような形でも書くことができる。(一階というのはX(t)をtで一度微分したという意
      味である)
      
        これは@式を微分したもので、一階線形微分方程式といわれるものの最も簡単な
      例である。
        これとは別に放射性元素の原子核崩壊を考えてみよう。原子核の数をX(t)と置く
      と崩壊する原子核の数はX(t)に比例する。これはA式のAの代わりにX(t)について
      の1次式で最も簡単な−C・X(t)と置いた次のB式のような関係である。(Cは正の
      値)即ち、元々の原子核の減る割合が、原子核の数に比例するということである。
      この式を不定積分するとC式が得られる。
     
        ここでDはt=0のときのX(0)の値である。C式はX(t)とtが指数関係にあることを
      示しており、この曲線は@式の直線状のグラフに対して第14図のようになり、その
      ままでは直線ではないが単調な減少曲線となる。
     
          第14図 一階線形微分方程式での指数関係
    
        この曲線の隠れた性質を調べるため、C式の両辺の対数をとるとD式のようにな
      り、それを片対数のグラフに書くと@式と同じく直線となり線形を示すことが判る。
     
      このことから前述のB式も一階線形微分方程式と言われる。
        この辺で線形微分方程式の数学的な定義をしておこう。n階線形微分方程式はn
      階以降のXの導関数に関して1次式であるE式のようなものである。(Xは0階の導
      関数)
      
        従って次のような式は全て非線形微分方程式である。
     
        前述のB式はE式においてPn-1(t)=1とおき、Pn=Cとおき、Q(t)=0とおいた
      場合に当たり、一階線形微分方程式である。
        以後の考察で使う線形理論では、線形微分方程式の中の一階以下の導関数をもつ
      AB式で表わされようなモデルを線形モデルとして取り扱う。
        @式とC式ではモデルの示す複雑さが若干異なり、片対数のグラフが直線になる
      C式のモデルの方が複雑系に近い。と言うのは、後に述べるように両対数のグラフ
      が直線になるようなモデルは複雑系となることからである。
        コンピュータが発達し、非線形微分方程式で表される現象も数値解析で解明でき
      るようになると、今までニュートン力学では解が求められなかった色々の現象を非
      線形微分方程式で表し、その解をコンピュータによる数値解析で求めることが行わ
      れた。この非線形の現象を解析する過程で新しい複雑現象が発見されたのである。
      後にカオスと呼ばれるこの現象は、気象の変化を抽象的に表わすF式のような非線
      形微分方程式(式中にXYの項やXZの項がある)を数値解析中に偶然に発見されたが、
      これが第15図に示すようなローレンツ・アトラクタである。(論文の刊行は1963年)
     
         
          第15図 ローレンツ・アトラクタ

        ローレンツはこの式のパラメータをσ=10、γ=28、B=8/3として数値計算で解
      く過程でカオスを発見したのである。
        アトラクタ(attractor)とは引き付けるものという意味で、散逸系(系外とのエ
      ネルギーのやり取りがある系)の運動における運動の終期の状態をいう。散逸系と
      いう言葉は1977年にノーベル化学賞を受賞したプリゴジンがとなえたもので、動的
      なプロセスにおいて内部でエネルギーを消費(散逸)させながら動いている系に対
      して名づけたものである。この散逸系に対するものはエネルギーの保存系である。
      カオスの場合のアトラクタはストレンジ・アトラクタ(奇妙な引き付けるもの)で、
      軌道が永久に同じ点を通らずに続くというものである。このカオスの発見は日本の
      上田皖亮先生がアナログコンピュータを使って1961年に発見されたジャパニーズ・
      アトラクタが最も早いと言われているが、ここでは通説に従って説明を進める。
        このローレンツ・アトラクタは決して交わることなく永遠に軌跡を画き続ける。
      この軌跡は、初期値を僅かに変えると時間の経過とともに結果が大きく変ってしま
      う。この初期値に対する鋭敏な依存性がカオスの最大の特徴である。カオスは日本
      語で混沌と訳されることがあり、混沌というと全くでたらめなことを言うようであ
      るが、カオスはそうではなくあるルールに従った決定論的なものであり、初期値の
      違いによりそれぞれ複雑な挙動をとるものである。
        このカオスは次に示すロジスティック差分方程式でも見ることができる。
     
          Aはコントロールパラメータと呼ばれ、0以上4未満の値をとる。
          初期値のX0は0以上1未満である。
        これをExcellで初期値を僅かに変えてnを次々と大きくして逐次計算すると、第
      4表のような結果が得られる。

      第4表 ロジステック差分方程式の計算例    
     
                                      第16図 左表に表われるカオス
        
        第4表の結果をグラフ化したものが第16図であるが、これを見て分かるように図
      のX13を過ぎる当たりから結果が相当異なってくる。このように非線形微分方程式
      でなくても差分方程式でカオスが見られるのは、式がXnの二次式になっていること
      によるものである。これの一般的証明は参考文献19)に記載されているので関心の
      ある方はご覧頂きたい。
        人工生命やライフゲームでは色々なセル・オートマトンを使って研究が行われて
      いるが、カオスの性質を調べるために色々なセル・オートマトンを使ってみよう。
      セル・オートマトンとは、自動販売機のような論理的な動作をする順序機械の数学
      モデル(オートマトン)を将棋盤のようなセルに縦横に並べて表示したもので、簡
      単な複雑現象を示すことができるものである。
        このうちの1次元セル・オートマトンは第17図のようにセルを一次元、即ち横一
      列に並べたもので、各セルは決められたいくつかの状態のうち、1つの状態をもっ
      ている。このセルの行は一定のルールに従って変化し、次々と自動的に新しいセル
      の行を生み出して行き、作りだされた行を順番に縦に並べることで、全体の変化を
      一目で見ることができるようになっている。第17図は状態に0と1があり、自身と
      左隣が同じ状態であれば直下のセルを0とし、異なれば1の状態とする規則と、一
      番左側は常に1の状態とする規則に従って変化していく1次元セル・オートマトン
      である。
     
          第17図 1次元セルオートマトンの例

        この第17図は後述するフラクタル図形となっている。
        セルの状態や変化のルールは自由に決めることができるが、ウルフラムは最も簡
      単な2状態3近傍のものをとりあげその挙動を調べている。これはセルの状態とし
      て白(0)と黒(1)の2つをとるものとし、変化のルールとしては当該セルの状
      態は直前のセルの行における直上のセルとその左右のセルの状態で決まるとするも
      のである。3近傍のセルの状態は2の3乗の8通りあり、その変化のルールは1組
      3個のセルの状態に対して白になるか黒になるかの2通りがあるので、8通りある
      3近傍のセルでは2の8乗の256通りの遷移規則ができることとなる。これらを10
      進数で示すと、第18図のように初めの0〜7の8通りに対し、でき上がるセルの状
      態を2進数とみなしてこれを10進数で呼ぶと、全部でルール0からルール255の
      256個の遷移規則となる。例に示した第18図の(a)はルール90であり、第18図の(b)
      はルール0である。
     
          第18図 2状態3近傍の1次元セルオートマトンの遷移規則の例
 
        2状態3近傍に限らず1次元セル・オートマトンは遷移規則によって単純な挙動
      を示すものから、複雑な挙動をとるものまで色々と現れるが、各セルの挙動を調べ
      ると第19図ような4通りがあることが判った。
         
          第19図 1次元セルオートマトンの挙動の類型(注:参考文献17)より引用)

          クラスT 真っ黒か真っ白になる
          クラスU ある周期に落ち着く
          クラスV 白黒がいつまでもバラバラに現れる
          クラスW 以上のどれにも分類できない挙動をとる
        クリストファー・ラングトンはこのセル・オートマトンの挙動から “カオスの
      縁(フチ)”ということを最初に言い出した。クラスT、クラスUが秩序に当たる
      ものであり、クラスVがカオスに当たるものである。カオスの縁とはクラスT、ク
      ラスUの秩序とクラスVのカオスとの境にあるもので、ラングトンはこのカオスの
      縁を、固定されておらずかつバラバラにもならない柔軟な組織を維持するための重
      要な領域であると考えたのである。
        このカオスの縁を定量化するため、ラングトンは1次元オートマトンにおいてλ
      パラメータというものを導入した。λは、セルが変化する割合の確率である。即ち
      同じ状態にならない確率である。例えば最初の状態が全部白であり、白3個のセル
      の場合に次の行の真ん中のセルも白になるというルールでは、2番目のセルも全部
      白となる。このような場合は、λは0である。逆に黒になるというルールでは全部
      が黒となり1つも前の状態と同じにならない。この場合は、λは1である。λは最初
      の状態と遷移規則によって色々変るが、0や1になるのは特別の場合で、一般には
      この中間の状態にある。色々な場合についてλを計算し、λを横軸にとり縦軸に複雑
      さをとってグラフを書くと、第20図のように前述のクラスTからWが位置づけされ
      る。クラスWのカオスの縁におけるλの値はおよそ0.273であった。
         
          第20図 λパラメータと複雑さの関係

        このカオスの縁は勿論カオスそのものではないが、複雑系にはこのカオスの縁も
      含まれると一般的に考えられている。このカオスの縁の実世界における意味づけは、
      第21編の「4.複雑系の諸特性と実世界との結びつき」において説明する。

    2)フラクタルの複雑性
        フラクタルは、コッホ曲線といわれる第21図(a)のような拡大しても元と同じよ
      うに見える自己相似性をもつ図形などをいう。このような図形はユークリッド幾何
      学では取り扱うことができず、またフラクタル図形そのものを画くことも、幾何学
      的な簡単なもの以外はコンピュータ・グラフィックスが発達するまでは困難であっ
      た。このフラクタルという名称は、マンデルブロらが英国の海岸線の形状と測定方
      法による長さの違いの関係や市場価格の変動のグラフにおける複雑さの解析で発見
      した現象につけたものである。
     
          第21図  コッホ曲線

        このフラクタル図形を特徴づけるものにフラクタル次元がある。これは数学の世
      界では相似性次元として100年以上前(1890年)から研究されてきたもので、これ
      をマンデルブロらが自然現象にも適用して拡張したのである。フラクタル図形が、
      全体を1/aに縮小した相似図形b個によって全体が構成されているとき、その図形の
      フラクタル次元Dは次の公式によって与えられる。
     
        例えば、平面上の四角形を4等分した場合、1/2に縮小した四角形が4つできる
      ので、
     
      で四角形は2次元となり、ユークリッド幾何学での次元と一致する。これに対して
      第21図(b)のようにコッホ曲線は1/3に縮小した図形4つで構成されているので、
     
      でフラクタル次元は非整数となる。このようにフラクタル図形は非整数の次元をも
      つという特徴がある。
        フラクタル図形のもう一つの特異な性質として、線で面を覆いつくすことができ
      ることがある。例えば第22図のペアノ曲線は1本の連続した線によって作られたフ
      ラクタル図形であるが、これを細かくしていくと平面上のどのような点でもペアノ
      曲線上の座標として指定することができる。即ち、面上のすべての点は2次元座標
      ではなく1次元座標で指定することができる。
         
          第22図 ペアノ曲線

        このフラクタルは主として空間的な複雑性を表すものであり、これに対してカオ
      スは時間的な複雑性を表すものである。またカオスはフラクタル構造を含んでいる。
      これはカオスのアトラクタの軌跡の断面が相似構造をもっていることによるもので
      ある。このような理由からカオスとフラクタルは、共に複雑現象解明のきっかけに
      なった代表的なものとして紹介されることが多い。
        実世界にあるフラクタルには厳密なフラクタル次元ではなく、統計的なフラクタ
      ル次元をもつ自己相似形を示すものが多い。リアス式の海岸や尖った山脈や入道雲
      の形状などがその例である。

    3)ゆらぎの中にひそむ複雑現象
        複雑現象の1つとしてゆらぎがある。学術書などには“ゆらぎ”という言葉は自
      明なものとして出てくることが多いが、日本語にはよく似た“ゆれ”という言葉が
      あり、混乱することがある。英語ではゆらぎはfluctuationであり、ゆれは
      vibrationという全く違った言葉である。例えば、陽炎は熱せられた空気を通して
      見た物体が不規則に動揺して見える現象であるが、「陽炎がゆれている」と言った
      場合、陽炎は空気のゆれ(動き)であることを表現していると思われるが、「陽炎
      がゆらいでいる」と言った場合は、陽炎は空気の密度の分布の変化であるというこ
      とを表現していると思われる。ではどちらの言い方が正しいのであろうか。そこで
      この違いを確認することから始めよう。
        理化学辞典ではゆらぎは(抄録)「@ 統計現象でのゆらぎは、巨視的には同一
      条件が保たれている場合に、個々の観測値が平均の近くで変動する現象である。
      A 熱運動のエネルギーが物質の一部の自由度に集中すると、巨視的に観測可能な
      運動を生ずる。これが巨視的状態量のゆらぎとなる。臨界状態では巨視的変化に成
      長しやすい。B 微視的変化が巨視的変化に成長する種類の現象として、電気火花
      の放電電圧固体の破壊強度、割れ目発生時間のおくれなどについても、それぞれ特
      有のゆらぎが認められる。」と説明されている。これを簡単に言えば、ゆらぎとは
      要素の空間的または時間的な特性の繰り返される周期的な動き(ゆれ)が変動する
      状態をいい、一言で言えば不規則なゆれである。
        このゆらぎは色々な場面で現れ、例えば我々が見たり感じたりするものとして、
      緊張したときに心臓がドキドキする鼓動の変化や乗り物のゆれの変動、風のざわめ
      き、経済現象としては為替や株価の動きの変動、目に見えないものとしては熱の本
      質である分子や原子の運動の変動など多岐にわたっている。ゆらぎの性質も色々あ
      り、雑音のような不愉快なものから、例えば乗り物のゆれのように大小のゆれが不
      規則に襲うが、このゆれの変動即ちゆらぎは人に眠気を誘うような心地よいもので
      ある。
        ここで注意しなければならないのは、情報を伝達する信号にのる雑音と言われる
      ゆらぎである。信号自体のゆらぎと雑音のゆらぎとからなる全体のゆらぎの中から、
      規則的な変動である信号を検出することも、ゆらぎの研究における重要な課題であ
      るが、これについてはこの編では触れない。
        ゆらぎについての物理学的な最初の研究は、アインシュタインによるブラウン運
      動に関するものであり、1905年に論文が発表された。ブラウン運動は、1827年に植
      物学者ブラウンが顕微鏡で花粉の中の微粒子を見ていたとき絶えずピクピク動いて
      いるのを発見した現象である。この微粒子の大きさは数ミクロンであり、この大き
      さの微粒子は水分子の熱運動による衝突の不均衡によって顕微鏡で見られるような
      動きをする。アインシュタインはこの現象から熱が分子の運動であることを理論的
      に証明し、前記の理化学辞典のAの説明に相当するゆらぎがあることを発見した。
        ゆらぎを波動という物理現象としてとらえて、その特性を抽出すると振幅と周期
      と位相になる。このうち位相はある瞬間の状態を表わすもので、ゆらぎの性質を表
      わすものではない。従ってゆらぎには振幅のゆらぎと周期のゆらぎがあることにな
      る。
        ゆらぎを科学的に分析する手法に周波数分析がある。これは波動のゆらぎが時間
      の経過につれてどのように現れるかという動的な特性を解明するものである。どの
      ような波形でも、単純な波形で周期(T)が規則的に違うT、T/2、T/3、T/4、・・
      ・・T/nの波形を、重みをつけて合成することにより表わすことができる。このこ
      とから、単純な波形としてサイン波、コサイン波を用い、任意の波形に前述の諸周
      期のサイン波、コサイン波がどのような重み付けで含まれているかを、フーリエ解
      析という手法によって調べることができる。これが周波数分析である。周波数分析
      では、周期の逆数の周波数を横軸に対数メモリでとり、周波数分析で得られた各周
      波数のパワースペクトル密度(パワースペクトルと略称されることが多い)を対数
      メモリで縦軸にとって、その関係を求める。このパワーは同じ周波数のサイン波と
      コサイン波のそれぞれの重み付けを2乗して加えたものである。周波数分析では振
      幅の絶対値や位相に相当するデータはないので、元の波形を復元することはできな
      いが、波形の性質を表わすことができるので、ゆらぎの性質をこれによって調べる
      ことができる。
        自然界のゆらぎの場合は、パワースペクトルは低周波数から高周波数に進むに従
      い両対数グラフ上でほぼ直線的に減少している。即ち、低周波数の周期の長い大き
      な波に高周波数の周期の短い小さな波が重畳している。これは株価などが細かい上
      下を繰り返しながら月間規模や年間規模で大きく値上がりしたり、値下がりしたり
      していることからも実感できるであろう。ゆらぎの性質を表わす周波数分析でのパ
      ワースペクトルの線は、必ずしも直線にはならないが直線に近いことが多く、ゆら
      ぎの性質はこの直線の角度によって変ってくる。第23図のように単振動に相当する
      縦の直線状のゆらぎ(ゆらぎとは言えないが)から、白色雑音といわれる横の直線
      状のゆらぎまで、色々なゆらぎがあり、前述した心地よいゆらぎは1/f (fは周波
      数)に比例して減少している。これはfのマイナス1乗に比例するということであ
      る。
     
          第23図 ゆらぎの周波数分析例
 
        空間的ゆらぎの例として、第24図の(a)の模様のような好ましく感じられるもの
      では、個々の模様(要素)は前後の模様と関連して画かれ、ある範囲内で何らかの
      規則に従って個々に振舞っている。これを周波数分析すると第24図の(b)のようで
      あり、ほぼ直線の近くに分布していることが分かる。
     
          第24図 空間的ゆらぎの例 (参考文献 12より引用)

        ここでアラン分散というものを定義する。これは平均値間の分散で、一般に10秒
      間の平均値を何回もとったときの分散と、100秒間の平均値を何回もとったときの
      分散は異なるので、平均値の分散を、平均をとる時間の関数として求めることがで
      きる。これがアラン分散である。完全にランダムなゆらぎである白色ゆらぎ(白色
      雑音)では、平均をとる時間を長くする程平均値間のバラツキが少なくなるという
      ことは直感的にも理解されるであろう。しかし、ゆらぎのうちの1/fゆらぎはアラ
      ン分散が平均をとる時間に関係しないという特殊な性質をもち、スケールに関係せ
      ず同じようであるという時間的なフラクタルとなっている。このように単振動から
      白色雑音までの幅広いゆらぎのうち、1/fゆらぎは非常に特殊な性質を持っている。

(3)複雑現象の分類
      今までは複雑現象などという言葉を余り厳密に考えず使ってきたが、ここで一応定
    義しておこう。但し、中には一般的な定義が確定していないものもあり、その場合は
    出所を明らかにして用いることにする。またこの「情報科学のあれこれ」の中でのみ
    定めたものもある。
      複雑現象とは複雑な現象全般を指し、複雑系と確率系の複雑現象がある。しかし全
    くでたらめな混沌とは異なり、そこには確率的にしろ何らかのきまりがある。この複
    雑現象は第25図のように要素間の相互作用の有無により分けられ、さらに要素間に相
    互作用があるものは力学的カオスと力学的カオス以外に分けることができる。即ち、
    複雑系はこの両者を合わせた要素間に相互作用のある複雑現象である。複雑系は純確
    率的ではない何らかのルールをもった複雑現象で、それぞれシステムを構築している。
      力学的カオスの複雑系とは数学的に定義されたカオスを引き起こすものである。こ
    の力学的カオスは主として物理学や化学などの分野で認められる。それに対して、力
    学的カオス以外の複雑系は主として生物学や経済学などの分野で認められる。

     

        注1:「情報科学―ヒューマン編」の“カオスとフラクタル”の項では力学的
              カオスとせず、単にカオス的と表現しているが、これではカオスの表現
              を広義にとった場合混乱する恐れがあるので、ここでは力学的という言
              葉をつけて広義のカオスの中で限定した用語を使用した。
        注2:前述の“カオスとフラクタル”の項では、確率系複雑現象とせず確率論
              的複雑現象としているが、ここでは世界で最初にカオスを発見されたと
              言われる上田v亮先生の第26図のような“カオスの所在”の説明に従い、
              確率系複雑現象という表現を用いた。(参考文献18)
        注3:図の複雑系をカオス(広義)と表現する場合があるようであるが、その
              場合はフラクタルやゆらぎの一部などがどこに属するのかが疑問となり、
              混乱するので、ここでは複雑系という言葉とカオスという言葉を使い分
              けることにした。

        第25図 複雑現象の分類

       
 
        注1:カオスとは、振動でいえば確定的システムに生ずるランダムな非線形の
              振動現象をいう。(上田先生の説明より引用)
        注2:確率論が不規則振動のみならずカオス振動にも関係しているのは次のよ
              うなことを意味していると思われる。
              ・カオス振動は確定系の皮としてひっついているようなもので、ランダ
                ム現象としては最も簡単なものであろう。(上田先生の説明より引用)
              ・カオス振動の軌跡も、ストレンジ・アトラクタの束の中のどこかに入
                っており、その意味でカオス振動も確率論的に密なところや疎なとこ
                ろがあるからであろう。(坪野の解釈)
  
        第26図 上田皖亮先生の説明によるカオス振動の位置づけ

      力学的カオス以外の複雑系も参考文献18)の稲垣耕作先生(筆名 逢沢明)の説を
    参考に、第27図のように複雑適応系と複雑計算系を含めたその他の複雑系に分ける。


     

        第27図 力学的カオス以外の複雑系の分類

      この複雑適応系は次のような特徴を備えているものである。
      @ 要素を結ぶネットワークが存在すること。
      A 要素を規定する単位と、それらがネットワークで結ばれてまとまっている集団
          があり、例えば個人と家族と○○市民や、細胞と組織と脳や手足の器官のよう
          に、複数の層になっていること。
      B システムは変化するが、要素を分析してその変化からシステムの変化を求める
          要素還元的手法では説明できないこと。
      これらの特徴を持っているものとしては、生物や知能や社会や経済などにおける複
    雑系があり、この複雑適応系は第21編で述べる自己組織化の機能を持っているという
    共通性がある。そしてこれらのシステム中の要素は、相互に影響を及ぼし合いながら
    お互いに適応しょうとする性質を持っている。
      その他の複雑系には複雑計算系も含まれるが、これはコンピュータ科学で「計算の
    複雑さ」と呼びならわされてきたもので、人工知能の基礎理論をなすものでもある。
    また「情報科学のあれこれ」ではフラクタルやカオスの縁もその他の複雑系に含まれ
    るものとする。複雑系は力学的カオスの複雑系と、複雑適応系およびその他の複雑系
    をまとめたものであるが、これらはシステムであるとともにネットワークという性格
    を持っている。
  
(4)複雑さをもたらす非線形性とゆらぎ
      複雑系はカオスやフラクタルだけではなく、その他生物や社会などに色々存在する
    が、これらの現象はすべて非線形である。今までは線形理論の概念を拡張して“非線
    形とは線形でないものである”と説明してきたが、具体的にその特徴を見てみよう。
      非線形と反対の線形とは次のような特徴をもつものである。
      @ 重ね合わせの原理が成り立つ。即ち、部分の総和で全体が成り立つ。
      A 初期条件を決めてやると、ある時刻のシステムの状態が1つに決まる。
      B 初期条件に少しだけ差があると、ある時刻のシステムの状態にも少しだけ差が
          出る。
      従ってこれらの条件のいずれかを満たさないものが非線形ということになる。この
    非線形のもつ性質として特に注目すべきものは、@については、全体が部分の総和で
    はなく、そこに何らかの性質が加えられること、これは足し合わせた時に新しい価値
    が生ずるということである。またBについても、経過後のシステムの状態に大きな差
    が出るときや、時によっては非常に接近するなど色々な状況をとることである。
      今までに力学的カオス、力学的カオス以外の複雑系、フラクタル、ゆらぎと複雑現
    象を示す用語が多くでてきたが、これらがどのような非線形性をもつているかを見て
    みよう。
      先ず、非線形微分方程式で現わすことのできる力学的カオスの複雑系であるが、非
    線形微分方程式ではパラメータがある範囲にあると、解がストレンジ・アトラクタの
    ような複雑な振る舞いをするカオスになる。しかし、非線形微分方程式の解がすべて
    カオスになるわけではなく、前述のローレンツのアトラクタを示すF式の非線形微分
    方程式も、γパラメータが24.74を越えるとその解がカオスになる。ローレンツはこの
    値を28として計算してカオスを発見した。
      次に非線形微分方程式で表わせない力学的カオス以外の複雑系であるが、世の中に
    はこのような複雑系もたくさんある。例えば、生物や知能や社会や経済などのように
    非線形微分方程式で表わせない複雑系は複雑適応系の性質を備えており、それらはす
    べて何らかの非線形性を持っている。またカオスの縁のようなカオスと秩序の境にあ
    る複雑系もある。
      フラクタルとは、自己相似性をもつ現象で、非整数のフラクタル次元をもっている
    ものであるが、この中には線が面の性質を持つなど全体が部分の総和と異なる非線形
    性をもっているものがある。またカオスもフラクタル性を備えるなど、複雑系とは切
    っても切れない関係がある。しかし実世界にあるのは統計的なフラクタル次元をもつ
    拡張されたフラクタルが多い。
      ゆらぎは変化が不規則な状態であり、極限状態では第23図での縦線状の単振動のよ
    うな不規則性のない状態(ゆらぎとは言えないが)となったり、横線状のすべての変
    化がランダムに起こる白色雑音になったりする。このようにゆらぎには色々なものが
    含まれており、ゆらぎが全て複雑系であると言うことではない。しかし、ゆらぎの中
    で時間的な1/fゆらぎは、株価の変動のようにヒストグラムで表わすと、その変動が
    フラクタル図形を示すというものである。最近は実世界にある各種の複雑系に存在す
    るゆらぎをとらえて、複雑系に共通した特性として解明する研究が進んでいる。
      以上のような意味で非線形性とゆらぎが複雑系の基本的な特性であるということが
    できるのではないだろうかと私は考えている。
      以上説明してきたのが複雑系科学の入門である。更に高度の内容については、ゆら
    ぎを中心とした最近までの複雑系の研究成果を解説した、参考文献24)の“ゆらぎの
    科学と技術(東北大学出版会)”にも説明されている。そこでは“1/fゆらぎが起こ
    るのは、古典的統計力学におけるエネルギー等分配法則に支配されないからである”
    ということや、実世界における各種のゆらぎについての研究などが記載されている。
    これらの内容の紹介は、“情報科学のあれこれ”で説明するレベルを超えているので
    行わないが、興味をお持ちの方は次編の第21編と共にご一読されることをお奨めする。

参考文献
1)白田耕作、CGへの招待、日本電気文化センター、1989
2)木田重雄、流体方程式の解き方入門、共立出版、2004
3)矢川元基、パソコンで見る流れの科学、講談社、2001
4)増田直紀他、複雑ネットワークの科学、産業図書、2005
5)バラバシ、ボナボー、スケールフリーネットワーク 日経サイエンス383号、
                      日本経済新聞社、2003.09
6)ダンカン・ワッツ著、辻竜平他訳、スモールワールド・ネットワーク、
                      阪急コミュニケーションズ、2005
7)マーク・ブキャナン著、阪本芳久訳、複雑な世界・単純な法則、草思社、2005
8)アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳、新ネットワーク思考、NHK出版、2005
9)スティーヴン・ストロガッツ著、藤本由紀監修、長尾力訳、SYNC、早川書房、2005
10)鹿児島誠一、振動・波動入門、サイエンス社、2000
11)Stern,K. and McClintok,M.K. (1998) Nature 392,177-179
12)中易秀敏、坪野博宣他、情報科学−ヒューマン編、共立出版、2004
13)小寺平治、なっとくする微分方程式、講談社、2004
14)吉田善章、非線形科学入門、岩波書店、1998
15)ジェィムス・グリック著、大貫昌子訳、カオス、新潮社、1992
16)ミッチェル・ワールドロップ著、田中三彦、遠山峻征訳、複雑系、新潮社、1996
17)井庭崇他、複雑系入門、NTT出版、1998
18)上田皖亮他、複雑系を超えて、筑摩書房、1999
19)山口昌哉、カオス入門、朝倉書店、1998
20)高安秀樹、フラクタル、朝倉書店、1996
21)武者利光、ゆらぎの世界、講談社、1994
22)高安秀樹、経済・情報・生命の臨界ゆらぎ、ダイヤモンド社、2000
23)都甲潔他、自己組織化とは何か、講談社、1999
24)山本光璋、鷹野致和編、ゆらぎの科学と技術、東北大学出版会、2004
25)吉田善章、集団現象の数理、岩波書店、1995

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