箱の中の愛 純潔






第三章
「メルモちゃん」






少年は振り向いた。
いつものようにリナが勉強机に向かって
マンガをかいているのを見て安心した。

リナたちの暮らすアパートは、台所と六畳間が二つある一階の真ん中の部屋。
兄が奥の間を使っていた。
手前の間には大きな黒檀のお膳が置いてあるので
リナの勉強机を置く場所はなく、台所にリナの机はあった。
少年が自分の席から振り向くと、ちょうどリナの美しい後ろ姿が見えた。
リナの角度によっては、少し横顔をのぞかせた。

「なんて美しい娘だろう」
少年は見るたびに思った。
学校に美少女はいくらでもいるが、こんな美しい娘は見たことがなかった。
こんな美しい横顔をした娘は。
美男子の父親の顔立ちをそっくり受け継いだ顔。
眠り姫のように白く、彫りがあってちょっと日本人離れしていた。
髪は染めていないのに淡い栗色をしていた。淡い髪をセミロングにして前髪を垂らしていた。
日本人離れしているように見せていたのは高い身長とその首にあった。
首は背の高い人によくある繊細な雰囲気をもっていた。
首も透き通るように白かった。

リナは誰かに似ている。そうだ、マンガのメルモちゃんに似ている。そっくりだ。
リナは学校でもてるんだろうな。勉強もできるし。

優秀で美しい妹を持った誇りと劣等感を感じた。
少年はお世辞にもかっこいいとは言えない。勉強もクラスで下から二番目。
運動神経はにぶいし、気が弱いし上がり症だし、話は面白くないし、歯は黄色いし、
およそ男としてのマイナスの条件をすべて満たしていた。
これだけ憐れむべき少年はめったにいない。
少年の母親はなかなかの教育ママで、勉強のできない息子に過度の期待をかけて、
京都大学に進んで立派な社会人になることを強要していた。
それがいっそう少年の劣等感に油をそそいだ。

「お父さんのようになってはだめ。あんな義務教育しか出ていない人、世間では通用しない」
これが母親の口癖だった。

自分のことはあるが、実の妹を美しいと思うのは変だ。
そう思った。
純情な少年は、そういった心の動きがなんであるかを理解できなかった。
なぜリナのことがこんなに気になるのか。
その一挙手一投足に感動したり、そんな言葉使いはリナに似合わないと思ったり、
テレビを見ていてこんな洋服を着せてあげたいと思ったり。
テレビで女性人気歌手が出てくると「リナのほうが可愛いや」って思ったり。
リナが来てから食事の支度はリナがしていた。
リナの作ったものは母親の料理に比べたら料理になっていないが、
なぜか少年はリナの作ったほうを食べたがった。
リナが母親に殴られているのを見ると、大好きなはずの母親が夜叉のように見えた。
ぶっ殺してやりたいと思うときもあった。

もんもんとした中で数ケ月が過ぎていった。
いつものように夜になって母親が帰ってくるまでマンガをかいていた。
二人きりでマンガをかいて発表しあう、それが二人の唯一の楽しみ。
妹はマイペースでかいたが、少年は妹に負けまいと必死でかいた。
リナは少年雑誌に出てくる数頁にわたるギャグマンガをかけるようになっていた。
もう季節は初冬。リナがここに来て初めての冬。

リナが発表している時、少年はリナの背中に寄り添っていた。
いつものように寄り添った。少年はつらいと思った。
今まではそうでもなかったが、この時にかぎってつらいと思った。
少年はリナの発表を聴いていなかった。

リナのかぐわしい髪の匂いをかぎながら思ったことは。
リナはいつかこの家を出ていく。
結婚してしまうんだ。
結婚して子どもをたくさん生んだら僕のことなんか忘れるだろう。
自慢にもならない兄貴のことなんか、クラスメートのことより早く忘れるに決まっている。
つらすぎる。僕のリナが永遠に他の人のものになるなんて。
リナのことを一番思っているのは自分なのに。

少年が少し動けば、美しいリナの頬にキスすることができた。
頬でなくても髪にキスすることもできた。
だが、理性が邪魔してできなかった。
視線はバラの唇にくぎ付けになっていたが。

「大人になったら僕と結婚するんだ」って言ったらリナはどんな顔するだろう?
そんなこと言えるはずない。妹だもの。
でも、リナはどうして自分をこんなにも惹きつけるのだろう。
どうしてこんなにいい匂いを発散しているんだろう。

事実、リナは本人が気づいていないだけで全身で異性を誘っていた。
早熟な彼女の体は大人の女性の体へと向かっていた。

リナのことを一番思っているのは自分なのに。

「お兄さん、面白かった?」
リナは尋ねた。

いつか誰かがリナを汚す。
これだけ美しい娘だから、その時期は早いかもしれない。

「お兄さん聴いてるの?わたしのマンガ面白かった?」

誰かに汚される前に自分が汚そう。
なるべく早いうちに。









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