箱の中の愛 純潔






第六章
「自分の命より大切なもの」






リナの帰りを待っていた。
しかし、リナは帰ってこなかった。

リナは思い詰めて死んでしまうかもしれない。
少年は、いたたまれなくなった。
カーディガンを羽織ったままの姿で、サンダル履きでリナを捜しに出た。

粉雪が少年の頬に落ちてきた。
こんな寒空の中、リナはいるのか。
自分のせいだ。自分のせいなんだ。
自分のことが悔やまれた。

少年は、リナがいなくなった生活のことを思い描いてみた。
殺伐とした風景、砂漠よりもっと乾燥した、すさんだ風景が浮かんだ。
それは、少年が日頃から感じてきた劣等感に通じるものがあった。
少年はやっぱり劣等感に苦しんできた。
自分の中で唯我独尊の考えを推し進めていても、そういうことを考えること自体、
劣等感の産物だった。
劣等感から逃れたくて、彼の自我が独りでに構築した幻想だった。
それは少年の責任のようでそうでない。
本人の責任とかそういうものを越えたものだった。

本来は母親思いのやさしい少年。
今、少年は本来の姿を取り戻していた。
苦労し通しのお母さんをしあわせにしたくて、
お母さんの言うとおり一流大学に入って立派な職業について
楽させてあげたいと思っていたが、自分は勉強ができない。
お母さんが希望するレールに乗れる自信はなかった。
でも、お母さんを幸福にするにはそれしかない。
子ども心に長い間ジレンマに苦しんできた。

そこへリナが来た。
リナは唯一の日だまりだった。
同じ母親、同じ父親から生まれたきょうだいは、一番遺伝子が近いと言う。
万博会場の展望台で彼女をはじめて見た時、運命的なものを感じた。
自分と繋がっている何かを感じた。
それを言葉に表現しようとすると、魂の伴侶のような、
血の濃さから来る引力のようなものを感じた。
父親のいない家庭だから自分が父親にならなくてはいけないと決意した。
リナの保護者になっていこうと。
それなのに自分がしたことは・・

あれだけ頭の回転が速くて器量よしの娘だから、リナなら幸せになれる。
いや、なってもらわないと困る。
お世辞にもちゃんとした家庭と言えないこんな家庭に生まれて、
そのために一生足枷をひきずって生きて行かなくてはならないなんて可哀想だ。
どういった家庭に生まれるかは子どもに選択できないのに。
生まれた家庭によって一生を左右されるなんて可哀想だ。
自分は頭の働きが鈍いから時世に乗っていけない。きっと負け犬だろう。
でも、リナにはしあわせになってもらいたい。
リナがしあわせになるためならどんなことでもしよう。

リナは兄を軽蔑してるだろう。一生兄を許さないだろう。
それでもいい。リナがしあわせになるための礎になろう。
自分の命なんてなくなったっていい。

リナが死んだら自分も死のう。
リナには長生きしてもらいたい。どんな汚い手を使っても生き延びて欲しい。

「リナー。リナー」
少年は声をかぎりに叫び続けた。
少年の痩せぎすの体が小刻みに震えて痛々しかった。
朝の四時まで捜し歩いた。
憐れな少年、心やさしい少年。
こんなに兄に愛されて、リナはしあわせな娘だった。









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