紫の上読書感想文











一、「五体不満足」を読んで

平成11年3月5日









『洋匡(ひろただ)』という名前をつけてくれたのも父だ。
「太平洋のような広い心で、世のなかを匡(ただ)す(正す)」という意味がある。
さらに、「国」という字は囲いのなかに王がいるが、「匡」という字は一辺が開いている。
それは、自由に移動でき、行動力のある王を表すという意味もあるそうだ。
・・(中略)・・
確かに、多くの人々の愛情に恵まれて、ここまで育ってきた。
ボクは、この名前を誇りに思う。





この一節が、乙武洋匡(おとたけ ひろただ)という人物を、
この本のすべてを物語っていると思います。

本人も言われていることですが。
「ボクは21世紀の社会を変えていきたいと思っているんだ。
バリアフリーの社会を創っていきたいんだ」と。
みんなの心の王として生まれてきた人です。

「太平洋のような広い心」
読み進んでいくうちに、それがひしひしと伝わってきます。
強固な父性愛、人類愛がなければ人を惹きつけることはできません。
彼にはそれがあります。
三国志の劉備玄徳を思い出させました。

参考に劉備の言葉を載せておきます。
「そもそも大事を成し遂げるためには、人間を基本としなければならない。
いま人々が私に身を寄せてくれているのだ。私は見棄てて去るに忍びない」



わたしが一番感動で嗚咽したのは、
『2001年への挑戦』というシンポジウムの実行委員長をした彼が、
閉幕した舞台会場の袖で事務局長に声をかけられ涙する場面です。

 いつもの笑顔に、緊張の糸がプツリと切れた。ボクも、笑顔で「お疲れ様でした」と
応えるべきだったのだろう。しかし、代わりに返事をしたのは涙だった。
・・(中略)・・
 子どものように、いつまでも泣きじゃくっていた。
・・・(略)・・・
 社会の流れは、確実に変わってきている。今こそ、手を取り合って動く時だ。
我々が、よりアンテナを高くし、各地におけるさまざまな取り組みを学び、
情報の共有化を図れば、確実に世の中を変えていける。




彼のような気丈な人でも泣くことはあるんですね。
驚きと親近感をおぼえました。

彼の言葉を聴いていると、わたしのような取るに足りない人間でも
社会を変えるために何かしなければという勇気がわいてきます。
“自分たちが頑張れば社会を変えることができる”という実感です。
それはきれい事でなく、心の奥底から沸き上がってくる想いです。

乙武さんに焚き付けられました。







障害を持った人間しか持っていないものというのが必ずあるはずだ。
そして、ボクは、そのことを成し遂げていくために、このような身体に
生まれたのではないかと考えるようになった。・・(中略)・・
ただ、障害を持っているというだけではダメだ。それでは、お門違いの特権意識になってしまう。
・・(略)・・

ボクが、バリアフリーを目指す活動を始めるようになったのは、
「ボクには、ボクにしかできないことがある」という想いからだった。
しかし、それはボクだけに課せられたものではない。
誰にも、「その人にしかできないこと」があるはずなのだ。
「自分の役割」・・・(中略)・・・
ボクらは、もっと自分自身を大切にしなければならない。誇りを持たなければならない。
・・(略)・・
もしも彼らが、自分はひとりしかいない、かけがえのない存在なんだと、
自分を誇りに思えるようになれば、「どうせ自分なんて」という
自ら人生をつまらなくするような言葉は口にしなくなるだろう。
 そして、自分の存在を認められるようになれば、自然に、目の前にいる相手の「相手らしさ」も
認めることができるようになるはずだ。自分も、たったひとりの自分であるように、この人も、
たったひとりしかいない、大切な存在なんだと。





そうです。自分の役割にみんなが気づけば、子どもたちの「いじめ」「自殺」がなくなるんです。

わたしにはどんな役割が与えられているのでしょうか。
わたしは文学しかわかりません。
大学に入るまで電車の切符の買い方も知りませんでした。
わたしは鬱病です。
医者がそう言っているからそうだと思います。
大の文学好きで鬱病。
わたしの役割とは、“精神科病棟に入院している人たちの心の襞をえがくこと”
ではないでしょうか。
わたしが実際に精神疾患の人と接してお話した印象では、みなさん普通の人たちです。
わたしが接した中では話の通じない人というのはいませんでした。
ただ、それぞれに事情があって、社会に出ていくことはできないのです。

話が通じる通じないは意味がないと思います。
誰でも追いつめられれば話が通じなくなるほど心を病むことはあるんですから。
誰でもいつそういう状態になるかもしれません。

わたしが今、連載している『箱の中の愛〜純潔』はそのような作品です。

よく世間の人たちで、学校に通っているから、働いているから、アルバイトをしているから
精神疾患ではないと言う人がいます。
どんな病気でもそうですが、必要に迫られてそうしている場合がほとんどなんです。
起きることもできないほどの重病人でないかぎり、経済的事情によって仕事にも行かないと
いけないんです。
扶養人の意向で学校にも行かないといけない場合もあります。

わたしが受けてきた心の傷。
それは一言では言い表せません。

わたしのお母さんは、わたしが四歳の時に商売を始め、夫と二人の子どもを食べさせてきました。
すごい女性だと思います。
尊敬しているし、感謝もしています。
彼女がいなければ、路頭に迷っていたわたしを生かしてくれたのです。

仕事に忙殺され、お母さんは子どもをほったらかしにしました。
子どもにお金さえ与えていればいいと思ったのかもしれません。
わたしは家庭と学校のストレスと変質者の脅威によって失語症になり、
十四歳までしゃべることができませんでした。
今でも夢に出てきて、うなされます。
でも、本当のことを言えば、悲惨な体験なんてどうでもいいことなんです。
本当につらかったことは、そのことをお母さんに言っても信じてもらえなかったことです。
それが一番つらかったです。
一番信じてもらいたい人に信じてもらえなかったんですから。

母は言いました。わたしを責めました。
「しゃべれないのは単なる甘え」「お母さんは片輪の子を産んだ覚えはないの」

最近になってお母さんは、
「仕事が忙しくて子どもをほったらかしにしてきたことを申し訳ないと思っている。
自分がしあわせな子ども時代を送ったから、そういうことはわからなかった」
と言っています。
今謝ってもらったら済むことでしょうか。
わたしの子ども時代を取り戻すことはできないのに。

でも、自分のことはもういいんです。
たくさんの人たちが応援してくれているし、わたしには文学があります。
これから生まれてくる子どもたち、これから育ってゆく子どもたちが安心して暮らせる社会を
築くお手伝いをしていきたいです。

差別のない明るい社会を創っていきたいです。

この世の中のすべての子どもは、理解される権利があり、庇護される権利があり、愛される権利があります。



わたしは乙武さんと正反対の生活を送ってきた人間。
それは乙武さんのような幸福な家庭で育った人には想像もできないこと。
でも、人に対する考え方は同じです。
わたしだけでなく、乙武さんと考えを同じくする人たちは無数にいます。
彼のカリスマ性が人心を一つにしていくことでしょう。
社会にまとまりを与えているのです。

くしくも同い年の指導者────










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