紫の上日記
平成11年
10月10日日曜日 今日は、ウッディ・アレンに似た同級生と枚方パーク行って来ましたぁぁぁ
いい気分転換なって、よかったで〜す。

車の免許を取ってから女の子を乗せて運転するのは初めてだったそうです。
そりゃそうだ、わたししか女友達いないんだから(笑)
車は彼のではなく、お母さんの車です。
マーチです・・(笑)
ものすごく傲慢な言い方ですが、こういう小さい車に乗るのはあまり好きではありません(^_^;)
わたしは、スポーツカーか左ハンドルが好きです。
なに偉そうなこと言ってるんでしょうね、わたしは(笑)

でも、マーチは軽とは違ってクッションがいいみたいで、乗り心地よかったです(^_^)
やっぱり男の子ですね、わたしより運転上手です・・(笑)

枚方パークにおいしいオムライスのお店『ポムの樹』があると聴いていたので、
そこへ行きました。そこに行くために枚方パークに行ったんですが(笑)
休日で家族連れが多く、行列ができてたので、彼が隣のイタ・レストランに入ろうとしましたが、
わたしが「せっかく『ポムの樹』のために来たのに〜」と止めました。
男の子は待つの嫌いかもしれませんね(^_^;)

食事中ウッディさんは、卒業後、自分とこの大学の中性子研究所で働けたらいいな〜と、
わけのわからない話をしていました。
きっと東海村の臨界事故に触発されたのでしょう(^_^;)

わたしが怖い乗り物が嫌いだから相手も乗らずじまいで、
垂直落下とかの乗り物にみんなが乗ってるのを見物してるだけの二人でした(笑)

彼は元が無口で、気の利いた会話のできる人でないし、同伴者を楽しませようと努力する人でないし、
無言のままというのが多いですね(笑)
もうそれが普通になってるという感じです。
七年も友人関係が続くと、特別話したいこともないし、特別何かしたいということもないし、
惰性で時が過ぎていくという感じです。
たぶん女同士なら、こういうのは苦痛以外の何ものでもありません。
疑心暗鬼に落ちると思います。
異性間の友人関係て、そういうの便利ですね。
もしかしたら、オタクで超変わり者の彼とわたしだからかもしれませんが・・(笑)

見物だけしてるのも退屈すぎる、飽きっぽいわたしは
そのうち餌をついばむ鳩の相手するようになりました。
彼は、同伴者を楽しませなければいけないことに気づいたのか、辺りを見回しました。
お化け屋敷は幼稚っぽい、この歳で「おとぎの国のサーカス」もね〜。

三軒のゲームセンターをはしごすることにしました。
パチンコとか桶入れとかいろいろしてる間もほぼ無言・・・(笑)
いつもは彼が取った景品の縫いぐるみをわたしにくれるのですが、今日はくれませんでした。
誰かあげる子がいるんでしょう。誰にあげたってかまやしない。
わたしは友人の行動を制限したいと思ったこともありません。

彼は今年、わたしの誕生日を忘れていて何もくれませんでした。
彼は、ものすごく親切でいい人だけれど、わたしの家族以上にわたしのことを
想ってくれてるわけではありません。
当たり前のことですが(笑)、友人なんだから(^▽^)

センター内は、香ばしいポップコーンの匂いがほわ〜んと漂っていて、
ポップコーンの匂いだけが印象的でした(^_^)

かくて、『ポムの樹』と見物とゲームセンターの一日は終わりを告げました(笑)

10月 9日土曜日 励ましメール、励ましのお言葉をくださったみなさん、ありがとうございます。
深謝いたします。m(_ _)m

おかげさまで、だいぶ落ち着きました(^_^)
もう大丈夫です。
彼との半年間の楽しかったことを想い出すと、涙がこみ上げて来ますが、
それも過ぎたるは及ばざるがごとしで、目減りしていくと思います。
彼は今、最高にしあわせなんですから、わたしもしあわせです(^_^)

ネット歴一年七ケ月を振り返って、文学的には上達したように思いますよ。
でも、わたしは人間関係は、あいかわらずですね〜
わたしには学習機能あるのか〜?てマジで思う。
波瀾づくめの一年七ケ月でした。

ネット初日に極度の落ち込み状態にあって、度外れなことしてしまったしな〜
それからずっとですものね。波瀾万丈(^_^;)
まあ、それはそれでいいでしょう。
こういう人間がネットに数人いてもどうってことないでしょう。(と、正当化〜)

わたしは自分では、スキがあるとは思っていないのですが、
ネットフレンドの男の子に聞くと
「めちゃくちゃスキあるやんー!誘ったらついて来そう」と言われました。 ・・・(笑)


表紙をネットアイドルぽく変えました。
わたしって激落ち込みの時でさえ、自己顕示欲強いな〜(苦笑!!)
そういうのは、自分でも感心します。
自分の得になることは対応早いです(笑)
自己顕示の固まりみたいな人間ですから〜f(^^;

本当に女優になりたいと思ってたんですよ。
容姿にいまいち自信ないのと、やっぱ女優はグラミストでないとね・・(苦笑)

10月 8日金曜日 みなさんに心配していただけて、うれしいです。ありがとうございます。
同時に申し訳ない思いもあります。
すみません。

ショックでバイトを休んでしまいました。
わたしは責任感ない人間ですね(^_^;)
バイトは週三日しかないのだから、普通の感覚では無理してでも頑張りますよね。
こんな人間が就職しても会社に迷惑をかけるだけ、就職しなくてよかったです。

今日、ウッディ・アレンに似た同級生が車の免許を取ったので、
車で会いに来てくれました。
でも、わたしは「生理痛が重いから誰にも会いたくないの!」と
玄関にも出ませんでした。
鬱がひどくなると人間と顔を合わせるのが苦痛になるんです。
寝てるのが精一杯という状態になって、口にしたいと思うのはアルコールだけ。
にしても、車の免許を取ってうきうきしてる旧友におめでとうの一言も言えないのかと、
忸怩(じくじ)たる思いあります。
人間としてのモラル以前の問題ですね。

今回のことは、ネットに入って一番悲しい出来事でした。
わたしの家庭内の問題はいろいろありますが、家庭のことよりも悲しかったです。

まあ、彼とわたしは似た者どうしだったのかもしれません。
なんとなくそう思います。
相手がしあわせでいてくれたら、わたしもしあわせなんですけどね。

別れはつらいけれど、でも、彼と出逢う前の生活というのがあったわけだし、
ホームページを持ってみなさんと出逢えた光栄に浴するという幸運を与えられてるわけですが、
それでもホームページを持つ前も生活してたわけだし。
別れても生活していけないということはないのです。
言い古された言葉ですが、しあわせって失わないと気づかないものですね。

単純に知的な人が好きって思っていましたが、
知的な人は今でも好きですよ。好きは好き。
でも、知的でない○○君が一番好きだな〜
今回のことで、そのことに気づきました。
なんか、また泣けてくる。
わたしって結局そういう種類の女だったんです。
知的な人を好きになることで、自分が知的になったような得意げな気分に浸って来ましたが、
ごく普通の女性だったんです。

と言っても、わたしが勝手に作り上げた○○君のイメージが好きなだけで、
実際の彼とは、また違うと思います(笑)

インターネットで一番好きだった人です。さようなら。

10月 7日木曜日 わたしを好きと言ってくれた年下の彼が、
本命の彼女と半同棲のような状態になったようです。
いくらネットの中だけとはいえ、彼と恋愛をしていくのはモラルに反すると思われますので、
彼とは決別することにしました。

ですから、彼はもう童貞ではありません。
彼との関係は、彼が童貞でないと続けられないように感じていました。

十代の年下の子を好きになっても共通の未来はないし、
相手が本気で好きと言ってるとは思えない、わたしも本気にしないと割り切っていましたが、
こんなに悲しいということは、
やっぱり自分の中で本気になっていた部分があったからと思います。
もしかしたら?という甘い考えがあったからと思います。

甘い考え、どうしようもなく本気になってしまう、
それはわたしの場合、一種の病気みたいなものです。
きっと大人の女性から見れば、無知の愚かしい女に映ることでしょう。

ネットの中だけと割り切っていたのに、なんでこんなに涙が流れるのかわからない。
今回のことで、相手に非がないのに自分から切らねばならないつらさを知りました。
本当は、こんな事実を書くのもつらいことではあるのですが、
わたしの中でこう叫ぶ声があるんです。
“書きなさいよ。あなた、小説家になりたいんでしょ。
子どもの頃からなりたいって言ってたじゃない。”
“あなた、恩師の言葉を忘れたの?
「文学をやる人間にプライバシーはない。人生そのものが文学になっていくんだ」という言葉を”

PHSの登録と履歴をオールクリアしました。
メールボックスの中味も全消去し、アドレスも削除しました。
icqも番号を変えるつもりです。
今はつらいけれど、きっと立ち直れると思います。

わたしは、早く結婚して子どもが欲しいです。
もっと言えば、結婚できなくてもいいから子どもが欲しいです。
早くそういう生活したいです。
十代の子とは、初めから何の未来もありませんでした。
一晩中泣いたら涙は枯れるでしょう。
新しいわたしを見つけるはず。さようなら、すべての自分。つまらない自分。


彼に最後に送ったメールを載せておきます。

○○君へ

○○君のことは、ネットの想い出として一生忘れません。
どこにいても幸福を祈っています。
さようなら
                   さとこより

10月 6日水曜日 昨日の日記のことで叱咤激励してくださる方がいらっして、眼が覚めました。
そうでした。国内の一地域さえ我慢すればいい問題ではなかったです。
視野が狭すぎました。
今回のことでチェルノブイリ級の事故が起こる可能性があるとはっきりわかりました。
放射能の恐ろしさを一番知ってる日本人が、アクションを起こすのは当然なんですよね。

大阪にも原発があって、昔から反対運動してる人たちがいます。
小さいことしかできませんが、署名をして、集会とかに出席しようと思います。
地元の原発を考えることが第一歩ですから(^_^)
ありがとうございます。教えてくれて。


わたしのファンの方から、うれしいメールが届きました(*^^*)
本文の一部を掲載したいと思います。
いくら名前を伏せるとはいえ、本人の承諾無しでこういうことをするのはネチケット違反ですが、
うれしいので敢えて載せます(笑)


貴女の作品を読まなくては話にならぬと「恋愛告白手記」を読ませていただきました。
読み始めるとどんどん魂が引きこまれていく感じで、一挙に読んでしまいました。
こんな事は何年振りかの経験です。
無駄がなく、くせがなく、ボキャブラリーも豊富で読みやすく、作者は切れるなぁ、
と感じさせて、途中で止める事ができない興味深い内容、
素晴らしい才能だと思いました。

ヤクザ映画顔負けの、可憐な乙女の壮絶な体験。
私の魂が、あの手記の中に埋没したようで、今日は一日中頭から離れませんでした。
今でもまだおかしいです。
「姫(さとこさん)、おいたわしや。」というのが読後すぐの感想だったのですが、
前記のように(よい映画を見た後、感動が持続するように。)一日中、読後の状態が
続いて

・・(中略)・・

「箱の中の愛」も一気に読んでしまいたくなりますね。
あなたの文章はなぜ読む人の魂を引き込む力があるのか、考えてみたのですが
文章にあなたの念というか魂が入っているのではないでしょうか。
この小説もかなりインパクトが強かったです。

長くなったので最後に
姫、貴女の文章は読者の魂を突き動かすものがあると私は思います。
時が来れば、陽の目をみるのではないでしょうか。              >


(*^^*)(*^∇^*)(*^∇^*)(*^^*)(*^∇^*)(*^^*)(*^^*)(*^^*)(*^∇^*)
うれしい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

10月 5日火曜日 東海村の臨界事故は、薬害エイズのことを思い出しました。
監督指導する立場の官僚、政治家が、お金儲けのためだけに仕事をしていると露呈させた事件を。
実際、被爆されたかもしれない近隣住民の方にとっては、どんな議論も空しいだけです。

怖いのは、カルト教団も怖いと思います。
そういう団体が自分の近隣に来たら、安心して眠れる夜を奪われるでしょう。
某カルト教団にかんして、
週刊誌に書かれてることくらいしか情報源がないわけですが、
週刊誌に書かれてることが事実であるとするならば、本当に恐ろしいです。
いまだに拉致監禁が行われているのですから。

『年下物語』
わたしが
     「東京が電気を使っているのに茨城県が犠牲になったのよ。ひどいね・・」
「茨城も使ってるじゃん」
     「人口比は歴然としてる。福島原発の度重なる事故で、福島の人も怒ってたよ。
      電気は東京に送ってるのに我々が捨て石になってるって」
「じゃあ、都の電力は都で作れって言うの?そんなこと言ったら、
 最低でも発電所が47個になるじゃん」
     「自分とこで使うのは自分とこで作ってと福島の人は言ってました。正論だよ!!
      なんで田舎の人間が犠牲にならないといけないの。
      福島原発の近隣住民は生きた心地しないそうです」
「田舎は地震が起きずらいから(笑)日本は40%原子力なんだし。
 じゃあ、電気エネルギー変換率100%の発電施設つくってよ」
     「国が作るべきでしょ。何でも被害者の立場で政治家は考えてほしいね」
「じゃあ、あれだよ。もし、東京で今以上の事故が起きたら、大阪だってどこにだって影響するよ。
 ネットできなくなるよ」
     「仕方ない」
「国会がなくなったら戦争起きるよ」
     「起きたらいい。田舎が犠牲にならなければいけないくらいなら」
「そう・・」
     「沖縄が犠牲になって福島が犠牲になって茨城が犠牲になって、
      薬害で血友病患者が犠牲になって。この国は何でも許されるんですね」
「別に世界的にもそういうことがあったって、おかしくないはずだぞ。
 じゃあ、日本がこれだけ平和なのにアフリカとか東南アジアは貧困だってのを、
 完璧に助けなくていいのか?という問題にだってなるし」
     「最初の一歩は国内から。自国民を幸福にできなくて他国民に何もできないよ」
「じゃあ、できないでしょうな。そうしたいなら日本人口をあと3分の2くらいは減らさないと」
     「そう・・やっぱり犠牲は存続されるのね・・」
「そういうこと。文句言うなら、そこに住まなければいい。それしかないんだし」
     「そう・・」
「原子力に文句があるなら、安全なしかも高エネルギーの物質を探さないと無理」
     「そう・・そういう詭弁が犠牲を存続させる。
      ようは弱者は放擲してもかまわないという人ごとね・・・」
「おう。人ごとだよ。身近じゃないもん。じゃあ、さとこは全部の問題を把握してるの?」
     「ぜんぶを把握はしてないけど、大阪にも原発あるし人ごとじゃない。
      弱者のこと考えられない人間なるくらいなら死んだほうがまし」
「まぁ。考えるのは、いいことだからね。その心は大切」
     「ありがとう・・・・」

10月 4日月曜日 テレビを見ないわたしでも見ている「愛する二人別れる二人」という番組があります。

ご主人が生活費を入れてくれなくて浮気をしていて暴力を振るうから、
奥さんが愛人を作る場合が多いですね。
わたしは子どものころ、母親に植えつけられた話を思い出しました。
「どんな種類の旦那であっても、女房が浮気をするということは絶対してはいけない。
そんなことをすれば家庭がめちゃくちゃになるから。
世の中、離婚する家庭ばっかりになってしまうよ。母子家庭ばっかりになってしまう。
女房の浮気は、何代にも続いて災いを招くことになる。

だいたい、暴力はさておいても、旦那が“生活費を入れてくれない”“愛人がいる”という理由では、
離婚していい理由にはならない。
生活費を入れてくれなければ女房がかせいでくればいいのよ。
旦那の欠けた部分を女房がぜんぶ補えばいいのよ。

それをしないで悲劇のヒロインぶって、めそめそして子ども連れて実家に帰るとか、
腹いせに愛人つくるとか、女の風上にもおけない。母親の資格ない」

わたしの母親は男みたいな人ですから、かなり偏った性格です。
これを読んで気を悪くされた方がいれば、ごめんなさい。
実際上、生活費を入れてくれなければ女房がかせいでくればいいということを
したくても能力的、時間的にできないというのがほとんどだと知っています。わたしは。

それぞれの家庭には、それぞれの悩みがあり、ワンパターンの打開策なんてありません。
わたしの母の言う根性論は万能ではないのです。
でも、奥さんが愛人を作ったところで、みんなが不幸になるだけというのはわかります。
そんなことをする前に、するべきことはたくさんあるはずです。
ご主人によって付けられた傷を他の男性で癒そうとしても、
癒されるはずはありません。

修羅の道を歩むだけ。

人倫に反したことをすれば、
ダイアナ妃のお母さんが愛人に捨てられたように、いづれ愛人に捨てられる日が来ます。
人の親であるってことは、どういうことか考えて欲しいです。
自分の欲望優先の生活をしてはいけないということです。

10月 3日日曜日 わたしのファンの方が、さとこの別名として
「マリア観音」という名前をつけてくださいました(^_^)


正に天才的な才能の持ち主と思っていましたが、
マリヤ様を讃える歌〜マザ〜は涙なしではよめませんでした。そして確信しました。

「マリア観音」と私は感じました。
ご存知かもしれませんが、「マリア観音」は隠れキリシタンが信仰を続けるため、
聖母マリア像を観音像の中に隠して拝んだもので、マリア様と思って信じる人には
神の愛を、観音菩薩と信じて拝む人には、仏の慈悲を与えてくださったようです。
さとこさん、「マリア観音」で如何ですか。                     >

謹んでお受けいたしました(*^^*)


わたしは、「紫の上」とか「現代の額田王」とか「マリア観音」とかの
博愛主義、才媛のすっごくいい名前をもらってるので、
こそばゆいです(笑)
うれぴっぴ〜♪★♪☆♪★♪☆'.・*.・:

10月 2日土曜日 わたしのポエム「マザー」に感動したというメールをよくいただきます(^_^)

文学をやる人間として、この上ない光栄です。
もしかしたら、恋愛告白手記より評判がいいかもしれません。
手記の方は、恋愛に肯定的な人にしか読んでもらえない内容ですから。
いぜん、熟年世代の方に
「若い人のお話ですね。ちょっと我々には読みにくいです」と
言われたことがあります(笑)

母なるものに対する憧憬を、形に現す気持ちにいたったことがすごく嬉しいです。
それだけ自分が成長してきたように思われますから。
ポエムは中学生のとき少し書いただけで、ホームページをやるまでは
書きたいと思ったこともありませんでした。
ホームページを持って、みんなに応援されて行く中で、
わたしの文学魂が触発され、刺激を受け、爛熟してきたのかもしれません。

文学をとおして、こんなにみんなに愛されて、
わたしは何てしあわせな人間なんでしょう。

10月 1日金曜日 今日は書くことがないので、
だいぶ前に自分の掲示板に書いた返答を載せておきます。

わたしも科学信奉の現代に生きていますから、
心の底から神の存在を信じてはいません。
でも、サドが言ったように
「どんなに汚辱にまみれた社会にも道徳的な人間はいる。
 道徳的な人間は悪党の餌食になって死ぬだけの存在」

わたしは、どんな社会にも生まれてくる道徳的な人間の存在そのものが
神の証拠と思っています。そう思いたいです。


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