恋愛告白手記 (紫の上物語)







第十二章
「さようなら、お母さん」





三ケ月が過ぎるとじょじょにではあるが元気を取り戻していった。
わたしは体重が七キロも減って月のものもなかった。
しかし、薬があれば何とかやっていけるように思えた。

家庭内に不穏な空気が立ちこめていた。
両親はある所に念願の家を購入したが、
そこに移ったのは父だけだった。

M氏は、あいかわらずやさしかった。
わたしを自分のほんとうの娘のように可愛がってくれた。
わたしはM氏を甘えられる人と認識して、甘え放題でした。
M氏のマンションで彼を待っている時間に深酒することが多かったです。
M氏がわたしの言いなりになってくれないと、わめき散らしました。
わたしは幼い時、誰にも甘えられなかったトラウマがそうさせたのだと思います。
こう言った時もあります。
キッチンから出刃包丁を取り出して「わたしが首の動脈を切って死んだらいいのよ!」
M氏は、この上なく不快な表情で包丁を取り上げました。
部屋にある刃物を全部隠しました。
また、ある時わたしが「部屋を血の海にしてやる!」とか、
「死んで刑務所に送り込んでやる!」と騒いだこともあります。
もちろん、泥酔している時のことです。

わたしがこんな我が儘になったのには理由があります。
M氏と同棲して間もない頃、わたしにしては珍しく料理を作って待っていたのですが、
その日、彼は接待で深夜に酔っぱらって帰って来ました。
わたしが話しかけても聴いてくれませんでした。
わたしはキッチンの椅子に座って号泣しました。すると、M氏がやって来て、
わたしの肩を抱いてものすごくやさしい口調で言いました。
「何でも言うこときくから。さとこの奴隷になるから」

わたしは本当に奴隷になってくれるものと解釈しました。
それでああいった言動になったのです。

M氏は、わたしにはもったいないくらい寛大な人でした。
でも、人間のことですから、一緒に暮らしていると嫌な面も多々見えてきます。
わたしがM氏に気持ちが冷めていった原因の一つは、
数回にわたってレイプに近い行為があったことです。
個人的すぎることなので、ここに書くのは非常識と言わざるを得ません。


今でも時々ですが、M氏と同棲していた頃の夢を見ます。
初恋の人ひで君の夢は、一度しか見たことがありませんが。

M氏とつきあっていた時、彼は、わたしが若い男とつきあっていると
邪推することがよくありました。
わたしは同棲している人がいるのに、他の人と性的関係を持つような女性ではありませんから、
絶対にそういうことはないのですが、彼はよく邪推しました。

一緒に暮らしていた頃に見た夢にこういうのがありました。
夢の中でわたしは誰かと浮気をしてしまい、M氏が怒って部屋に入れてくれないんです。
いくら頼んでも。泣きながら頼んでも。
すると、次の瞬間にわたしはマンションの二階にいるんです。
彼の部屋は三階だったのですが、階段が崩れて三階に上がることができないんです。
わたしは泣いて這い上がろうとするけれども上がれない。
M氏は助けに来てくれない。わたしが過ちを犯したから。


彼は、わたしが両親にされたこともないやさしさをくれた。
けれど、あだ花は散らさねばならなかった。
M氏といればそれはしあわせだろうし、M氏の資産の皮算用するのも楽しかったが、
それだけだった。わたしは自分の人生を最大限にまで押し上げてくれる人が必要だった。
それはM氏ではない。M氏は地方の小実業家にすぎない。

わたしはM氏を愛していた。
ハワイ旅行以外でも多くの旅行に連れて行ってくれた。
文字通り夢生活だった。
ある日、学校帰りにM氏のマンションに立ち寄ると、
風よけのコートを着たままのかっこうで、深くソファーに腰掛けているM氏を見た。
テレビを見ている様子もなく画面を見つめていた。
わたしが愛犬を失った悲しみから立ち直っていく様子を見て、
若い男にはかなわないと思ったのか、この娘は結婚相手として申し分ないとは
思えないと感じたのかはわからないが、疲れたといったふうにソファーにうなだれていた。
涙ぐんでいた。
キッチンのテーブルの下にはボストンバッグが置かれている。
テーブルには貯金通帳が一通。
通帳の中には、けして少ないとは言えない金額が入っていた。

わたしは悟った。
わたしに出ていって欲しいのだと。
わたしは今まで生きて来て、これほどまでに男らしい人を見たことがない。
以後、M氏のマンションを訪れることはなかった。

M氏は別れても、別れる前と同じ生活を続けていく。毎朝、仕事に出かける。
終われば例のスナックか北のバーへ。若い女性をナンパすることもある。
第二第三のさとこに逢えるだろう。時々は想い出すに違いない。
昔、変わり者の娘がいたな、何ていう名前だったかな。もう想い出せない。
想い出してくれたら嬉しいと思う。わたしは。
さようなら。
しあわせになって下さい。祈っています。

あとでわかったことだが、わたしのお母さんが別れてくれるように頼んだらしかった。

M氏とは終わった。それは、ひで君との再出発ではない。
ひで君は、わたしが歳の離れた人と式を挙げたことを大笑いし、
「お前らしい。お前は、まともなことのできない女だからな」と言ったが、
その頃、お客さんの高校生の娘さんと親しい関係にあった。
映画「卒業」のようなことをしていた。

ひで君との別れ。
それは想像するだけでも身を切られるようだった。
想像したくなかった。
けれども、別れるだろう。
わたしには停滞している状態というのはありえないのだから。

お母さんが、わたしの机の引き出しから安定剤を発見した。
わたしが神経科に通っているのを知ったのだ。
それは激怒という表現はあてはまらない。
お母さんにとっては信じがたいこと。ありうべからざること。
自分のお腹を痛めた子が神経科に通っているなんて。
そんな専門科は、よその世界のことだったから。
ここの家からは、そういう患者は断じて出ないと思っていた。

「あんたは病気ではないのよ!自分に甘えてるだけよ!」
わたしが生理が五ケ月もないと言うと
「どこまで親に恥をかかせたら気がすむの。出ていって・・。
年寄りのところでもどこでも行ってちょうだい!」
お母さんは口癖のように、子ども達に裏切られたと言っていた。
子どものためだけに生きてきたのに全く報われていないと。
それどころか手を噛まれ続けてきたと。

この家でやさしいのはJ君だけだとも言った。
事実そうだった。
お母さんは、一人で重荷を背負って苦労してきたのだ。

「二度とこの家の敷居をまたがないでね!」

お母さんにとって、最優先されるべきものは世間体だった。
世間体という実体のないものに動かされ、苛酷な状況を持ちこたえてきた女性
であるだけに神経科通いなど認めるわけにいかなかった。

お母さんは、こどものわたしに八つ当たりし、踏みつけ、わたしの神経を
ずたずたにして来た。くだらない夫にそっくりな娘を虐待することで
夫に復讐したのだ。
それでも大好きなお母さんと別れる時が来たのはつらいことだった。
ほんとうにつらいことだった。

二度目の家出。
お母さんはM氏のところに行ったと思ったに違いない。
しかし、わたしはM氏のマンションには行かなかった。
父親のいる家に行った。
勇断だった。










シャガール ホーム シャガール目次