恋愛告白手記 (紫の上物語)







第十三章
「ひで君、激白」





ひで君とは二週間に一度くらいの割で逢っていた。
呼び出しは大抵こんな感じだった。
「今かかわってるおばさんだけど、しつこくてさ。ありゃ、相当の好き者だ。
体がいくつあっても足りないよ。角の立たないかわし方ないかな」
「上司がこんな言いがかりつけて来たんだけど参るよ。俺にどうしろっていうんだ」

わたしは今日こそは別れ話を切り出そうと、ひで君を新居の方に呼んだ。
台風の切れた穏やかな中秋。今と違って、その頃はお父さんがいた。
お父さんは二階のキッチンでテレビを見ていた。もう一人の家族もそばにいた。
ひで君をわたしの三階の和室に招き入れた。わたしは鏡台の椅子に座っていた。
彼はコートをハンガーにかけただけで座ろうとしなかった。
立ったまま腕を組んで入り口付近の柱にもたれていらだっていた。

「わたしたち、もう別れたほうがいいと思うの」とわたしが言うと。

しばらく黙っていた。ひで君の長身がいらだっているのが感じられた。
いらだちは頂点に達しようとしていた。
「お前いい加減にしろよ・・・。
女達の望むことは一つ。愛を愛を。それが叶えられないと“別れたほうがお互いのため”、
お互いのためなんてあるものか、自分のためだ。それだけだ。自分の保身のために
“別れたほうがいいの”だ!
愛を愛をと望む女達の何割がそれ相応の資格を持ってるというんだ。
俺の認識では皆無。自分の自尊心の満足のためだけに男とつきあって、自尊心が
傷つけられると美しい捨てぜりふを残してポイッ。女の常套。それしかないのか!
愛を売り物に結婚を迫る女達。飽き飽きしたぜ!
俺は別れない。一生つきまとってやる!」

わたしは、ひで君にもわたしと同じ狂的な血が流れていることを感じていた。
それがわたしを捕らえ、わたしを離れなくしてきた。
ひで君は深層心理の中に女性を憎んでいるのだ。それはひで君のお母さんに
原因があったのかもしれない。今となってはそれはわからない。
ひで君は女性を信じていない。信じることができた唯一の女性は、亡くなった妹さんだけだと思う。
無意識のうちに女性を虐待することで幼児期の復讐をしているのかもしれない。

「お前は自分が女優志望だとほざいてきた。本人だけが、たいした容姿だと大袈裟に騒いできた。
この二年間、お前が言ったりしてきたことはお芝居。不幸芝居をしてきたんだよ。
観客は俺一人。お前はクレイジーだ。
なんで、そんな女と連れ添いたいかって?俺も歳だしね、誰かと結婚しないといけないのさ。
すねに傷持つ身としては贅沢言えない。お互いの両親に挨拶してるし今更ね。
経済観念があって、まともに子供を育てられる女なら
それでいいんだ。だから、お前でいいんだ。お前はそれ以上でも以下でも」

ひで君の饒舌は天性のものだった。ひで君の饒舌を止めることはできない。
彼は仕事を取るために男娼のようなことをしていた。おばさんたちに体を提供していた。
エリート意識と劣等感で押しつぶされそうになっていた。

「お前は自分が聖女かなんかだと思いたいらしいが、そんなもの、この世の中に
いるもんか。いたら生きていけるはずはない。しかも、お前は俺に道徳を強要する。
道徳なんかあったらこの仕事はつとまらないね。女達は体を要求してくる。
俺はそれに答えるまで。それで仕事になる。“需要と供給の大原則に従ってる”だけだ。
それが悪か?」

おばさんは女の縮図。これが彼の口癖だった。誰でもおばさんになると言った。
どんな可愛い少女もおばさんの素質を生まれながらに持っているし、そうなっていくと。

「不幸な子供時代、不幸な家庭環境、不幸な学校生活、不幸な恋愛、愛犬の死。
無理矢理に不幸を想い出しては涙ぐむ。嗚咽する。一種の趣味だね。不幸癖と言うか。
悲劇のヒロイン病。女にありがちの病だ。お前は、それにかけては天下一品!
誇張して不幸を話さずにいられないんだ。
ああっ、そうだ。不幸な小学校時代の自殺未遂もあった」

わたしは、きつい煙草の煙を吸った時のような気が遠くなるような感覚を覚えた。
わたしは鏡台に両手をついて体を支えた。鏡台がなかったら前のめりになっていたろう。

「三文女優としては成功してきたね。小銭を持ってる中年をたぶらかしたんだから」

違う。わたしはM氏を愛していた。それはM氏もわかっている。
わたしがどれほど彼を想いやったか。彼がわたしにどれだけ同情してきたか。
わたしに同情したから別れを決めたのだ。
当事者だけがわかること。
他人に知ってもらいたいとは思わない。

「お金のための可哀想な結婚。お前がしていない不幸は、残すは、妊娠中絶だけか」

“妊娠中絶だけか”
それはわたしの頭を何度も晩鐘した。
わたしの中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。
この目の前にいる男は、わたしの愛した男でない。わたしが抜け殻になったように、
この男も抜け殻なんだ。綺麗な顔をした冷血漢。もうその顔も、三十路のしわを
浮かび上がらせていた。女性遍歴と共に刻んだしわ。たくさんの女性たちがその顔を
通り過ぎてきた。

「あんたなんか死ねばいいのよ。ここでわたしと死ぬ気がないなら、出ていって!」
わたしは飛びかかって殴ろうとした。彼は鉄拳をくだした。
わたしは二メーターくらい飛ばされた。
わたしは上体を起こしてにらみつけた。

お父さんが騒ぎを聞いて上にあがって来た。
ひで君はコートを取って帰路についた。無言で。

それが、ひで君がこの家に来た最後だった。
ちょうど一年前、ひで君はここにいたのだ。
今、わたしは一人ぼっちになったが、一年前ひで君はここにいた。
この通路をキッチンを通って帰ったのだ。










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