恋愛告白手記 (紫の上物語)







第三章
「たった二カ月」







わたしの母親は反対していた。
そんな一人息子の人と結婚してもうまくいかないと。
うまくいかないとみすみすわかってるんだったら、
つき合わない方がいいと。
けれども、変わり者の娘に何を言っても無駄だろう、
ほっとくより他はあるまいとあきらめていた。
「あんたが考えてるほど甘い男なんてこの世にいないよ」

また、うちの娘には営業職は派手すぎる、
公務員のほうが合っていると思っていた。

わたしの方は、有頂天になっていた。
この幸せが永久に続くと錯覚していた。
前世で決められた運命の恋人どうしだから、
当然つづいていくんだと。
恋愛の幸福など、二人の努力によってしか培われないものとは
夢にも想っていなかった。

わたしは元々引っ込み思案で、外出するのが嫌いだったが、
愛を知ることで弾みがついてコンパ、ねるとん、バイトの
飲み会に頻繁に顔を出すようになっていった。
この時、恋人とつきあうとはどういうことか、あまり
わかっていなかった。やさしい彼に甘えて、男友達は
何人いてもいいと思っていた。
そんな夢のような信じられない生活に暗雲が立ちこめる
事件が待ち受けていようとは。

わたしは彼の部屋のスペアを与えられていた。
仕事の不規則な彼は、遅い時は夜中の一時まで帰らない
日もあった。わたしは一人で小説を読んだり、
ドイツ語の和訳をしたりするのが日課になっていた。
電話が鳴った。とうぜん、わたしが出た。
「宮本です」
不思議な沈黙があったのち、
「あなた・・・結婚しても子どもできないわよ・・・」

わたしは何のことかわからなかった。
だから、答えようなかった。しかし、若い女性の声。
なんとなくいわんとすることがわかった。
「・・・彼には、水子霊の怨霊がついているから、
できても丈夫な子じゃないわ」
そう言って電話が切れた。

わたしは呆然とした。話は本人に聞かないと何も
判断できないと思ったし、実際そうだった。
わたしは心配で、小説の文字を見ているだけで
頁が進まなかった。大好きな小説がどうでもいいと思えた。

それから彼が帰って来た。いつものように少し酔っていた。
わたしはおずおずと事情を話した。電話の女性は以前から
つきあっていた女性で結婚を迫られているという。
それで嫌がらせの電話をしてきたのだというのが
彼の釈明だった。
わたしが水子霊とはどういうことかと言うと彼は答えなかった。
疲れているから今日はやめてくれと言った。
わたしが悲しげに、これを聞かないと今日は眠れないと詰め寄ると、
彼は言った。
あれは一生の不覚だったと。忘れたいことだと。
四年前二十歳の女性と結婚を前提につきあったが、性格の不一致を
感じて別れたと。その時、彼女は妊娠していた。
当然の結果として子どもは流したと。

わたしは目の前が真っ暗になった。
わたしの人生を暗示していた。
この時、わたしは自分の心臓がおかしくなるのを感じた。
不整脈。
それは今よく起こる。遺伝的なこともあるかもしれないが、
わたしは自分の神経が他人のそれより数倍細いことを知った。

「アンティックドールのお話知ってる?
ご主人様は飽きたら人形を捨てるのよ」
わたしはいつもより一層低音で言ったような気がする。
彼はソファーに深く掛けて、いらいらしながら、
「なにが言いたいんだ。彼女はミーハーで経済観念が
なかった。そんな人と結婚したら大変なことになるだろ。
男にとって結婚は、女以上に重大なことなんだぜ」
そう言ってすぐに、それに早く気づかなかったのは
自分の責任だとも付け加えた。

「過ぎたことは、もういいわ。でも、二股かける人とは
つきあえないわ。わたしはスぺアだった」
「カヨのことは気にするな。単なる遊び相手だよ。
元ホステスだ」
そして、別れようと思っていたところだと付け加えた。

わたしは泣いた。自分が卒業するまでにひで君の心変わりが
あると泣いた。その前に死ぬほどつらいことではあるが、自分のほうから
別れた方がいいと泣いた。出て行こうとした。
彼はわたしの腕をつかんで、絶対帰すまいと
するように引きずってベッドの上に突き飛ばした。
彼は土下座した。涙ぐんで謝った。
「心変わりなんてありえないよ!神に誓って。
お前は他の女とはぜんぜん違うんだ」

わたしは許すことしかできなかった。
きっと、子どもを流した女性もそうだったろう。
世間は愚かな女と笑うだろうが、悪い男にかかったら
女にどんな判断ができるだろうか。

出会ってたった二ケ月目の出来事だった。
たったの二ケ月しかうまくいかなかったことになる。
このあと、坂道を転がり落ちるように、
愛の地獄へ堕ちていくとは想像だにできなかった。
彼の、彼女と別れると言う言葉にすがり
たかったわたしだった。









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