恋愛告白手記 (紫の上物語)







第四章
「土下座ポーズ」







真実の愛と思ったものが、まやかしであったと気づいた時の
おそろしさといったら、経験した者にしかわからない。

わたしは暗い表情で成人式を迎えた。

わたしは彼の彼女と別れるという言葉を信じるしかなかった。
その言葉が嘘だったと気づくのにそんなに時間はかからなかった。

それはこうだった。二時限目の授業のおわりを知らせるチャイムを
聞いた時だった。お節介やきの同級生が走って来て、わたしの肘を
つかんだ。わたしは彼以外の人に触られるのは嫌いだったから、
不快にゆがむ顔を我慢しようと努力していると、
「昨日見たわよ、さとこの彼。日本橋のあたりでね。女の人と車に乗ってたよ。
さとこによく似た感じだった。間違いなく彼よ。だって顔に特徴あるもの」

それは食欲をなくさせるに充分だった。わたしは青ざめた。
わたしは一口も昼食を口にすることができなかった。
けげんそうに見つめる友達に「朝食べ過ぎて食欲ないの」と言い訳した。
彼のいない友達は無邪気でとてもしあわせそうに見えた。

その夜は彼と南港に行く予定になっていた。
わたしは行きの車の中で、同級生の話をした。すると、彼女が別れてくれないと言う。
わたしは悲しいというより悔しくて涙があふれてきた。言葉もなかった。
歳の離れた人とつきあって、こんな惨めな思いをさせられるなんて思ってもみない
ことだった。不当すぎると思った。
わなわな震える唇でようやく言った。
「別れると言ったくせに・・」
「責めるなよ。しつこい女なんだよ!」

また、心臓がおかしくなるのを感じた。手の平がしびれてきた。肩までしびれを
感じた。わたしを強引に言いくるめる能力がありながら別れられないとは、
どう考えても理解に苦しんだ。
「あなたは別れる気がないのよ!人を馬鹿にして!」
わたしは彼の前で初めて罵声を吐いた。
これ以上大きい声は出せないというくらいの声で。
わたしは車のスペアを持っていた。それで左手首を突き刺した。少ししか入らなかった。
彼が右腕で制御したから車が蛇行して前の車に追突しそうになった。
「おろして!」と言ってドアをあけようとした。殴られた。

こんな修羅場がありながらよりを戻したのは、
やはり彼の詭弁だろう。
彼は、わたしの体にもやさしさにも慣れてわたしに興味はなく、
暴君と化していた。
わたしたちは兄弟のようになっていた。

彼は酔っぱらって帰ってきて、わたしの膝枕で寝ることがよくあった。
こんな日もあった。
「さとこ、ここにいてくれ。帰らないでくれ」
わたしは悲しげに、
「じゃ、学校やめたらいいの?」
「いや、女房になる女は出てもらわないとな」
「じゃ、帰るしかない。中退できない」
わたしの話を聴く耳はもっていなかった。
彼はいつも一方的にしゃべり、一方的に話をやめた。
女はみんな低脳だから話す理由はないと思っていた。
そんな時、彼が眠りにつくのを見はからって帰宅した。

それから間もなくして、こんな電話を聴いた。
「宮本です」
前の女性の声がした。
「あなたね・・・あなた、勝ち誇ったように思ってるでしょうね。
こんど捨てられるのはあなたの番よ。水子霊の話のつづきしてあげる・・
彼、土下座して頼んだんですって。涙ながらに、堕ろしてほしいって」
電話が切れた。

わたしはまた、心臓がおかしくなるのを止めることはできなかった。













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