恋愛告白手記 (紫の上物語)






第五章
「泣きわめき、アルコール、電話攻撃」





わたしは二十歳前にして古女房のような扱いを受けていた。
それは当時、わたしの理想とする恋人関係ではなかった。
わたしにはストーカーをする人の気持ちがわかる。

わたしは心配になって、五分置きに彼の携帯へかけた。
電源が切れていた。留守電に入れた。
それが終わるとすぐポケットベルに打電。
それが日課になっていた。
ストーカーをする人は、相手に非があると思っているから、
自分の行動はいたって正当なのだ。
この時の精神状態を今思い返せば、文字どうり“まとも”でなかった。
この頃から不眠症がはじまった。

わたしは手記を書いてよかったと思う。
過去は振り向くなと言うけれど、自分のしてきたことがわかるから。
わたしは一方的に、彼に落ち度があって別れが来たと
思っていたが、あの男にこの女ありというのがよくわかる。
自分の悲しみゆえにわかる。

ある意味で、彼も被害者かもしれない。
わたしという激しい性格の女とかかわったことで
失ったものもあるんじゃ?

高慢な彼も弱みを見せる瞬間があった。
自分は落伍者だと言った。
医学部出身でありながら、免許がないのはその証拠だと。
わたしが医師になる気がなかったんだから、
それでいいじゃないのと言ってもきかなかった。
国立を出ていないから一生出世できないとも言った。
また、ノルマを達成できないと悩み、上司はアホばかりだとうそぶいた。
確かに、彼という男は女性を口説くために生まれて来たような男で、
他に取り柄もないように思われた。

わたしは世間の愚かな女同様、彼の哀しみを知っているのは
自分だけだと得意がった。それはきわめて愚かなことだった。
誰でも哀しみはあるし、それを知っているからといって
特別なことではないのだ。ましてや、腐れ縁でもない。

わたしは相変わらず、彼の嫉妬心をそそるように、コンパ、ねるとん、
飲み会は頻繁だった。とうとうアルコール中毒といって言いくらいになった。
飲むと気が大きくなって、親の付けでスナックへ飲みに行ったりした。
彼が言った。
「お前は、まともなことが出来ない女だな」
彼は、一人で飲みに行くような女性は嫌いだった。

彼の女癖は、やむことはなかった。
彼は酔っぱらって帰って来るとベラベラしゃべった。
お客さんの年輩の奥様とベッドインしたとか、会社の打ち上げで
上司の彼女であるOLとしけこんだとか。

二人の楽しいはずのドライブは修羅場と化した。
最悪と言っていいほどのものだった。
女好きの彼は、グラマーが横を通ると目をやった。
わたしはそのたびに大声をはりあげた。
「わたしが横にいるっていうのに!馬鹿にしてるの!?」

まともでないわたしは、疲れていた。
疲れていたのは心だが、きっと体も疲れていたのだろう。
初めての恋に破れたことに感づき始めていた。
初恋に破れるというのは、わたしの子どもの頃からの価値観から言えば
落伍者。生きる資格のない女。わけのわからない生き物。
まさか自分は、そうはなるまい。なってはならないのだ。これは何かの間違いだ。
わたしは何度も否定した。
これは何かの間違いだ。ひで君は、元のやさしい人に戻ってくれるはず。
戻ってくれるはずだ、きっと。それは間違いのないこと。
けれども、何度否定しても、心のどこかには感づき始めていた。事実に。
事実を否定できるはずはない。
現実的なわたしが気づかないはずがない。
どんな残酷な現実でも受け入れてきたわたしだ。子どもの頃からずっと。

わたしは初恋に破れたのだ。

その日、ひで君は、家まで車で送ってくれなかった。
「最寄り駅まで送るから電車で帰って」と言った。
わたしは愕然とした。車の中で。
今まで家まで送ってくれたひで君。いつも喜んで送ってくれたひで君。
その彼が、電車で帰ってとは・・。
あの時のショックは経験した者にしかわからないだろう。
男ってこんなもんなんだろうか。
気持ちの離れた男って、こんなに冷たいものなんだろうか。
あれほどまでにわたしを追いかけてくれた人なのに。
あれほどまでに、狂おしいほどにわたしを追いかけてくれた人なのに・・。

わたしは悲しすぎて泣き言をいう気力もなかった。
悲しすぎて、むなしすぎて。言葉にできない苦しさが。
彼も仕事のことで悩んでいる。これ以上、彼を苦しめるのも嫌だ。
でも、言った。
子どもの頃からわたしの心の奥底に存在し続けた、あの阿鼻叫喚が言わせた。
「わたしなんか生まれなければよかった・・」
長い沈黙。
そして、つぶやいた。
「わたしと一緒に死んで。二人で何もない世界に行きましょう」

ひで君は、わたしの顔を見やった。
右手の拳骨でわたしの頭を殴った。
「ばかたれ。生きていればいいことあるだろ」



それから幾日も経たないある日、彼が言った。
「今日は看護学校とコンパ。そのメンバーの一人と妙に気が合ってさ、
モーテル行ったんだよ。よかったね。肉感的というか、
グラマーで実によかった。やはり女性は、あれぐらい胸がほしいね」

わたしは言葉もなかった。
半年間、彼の凱旋馬車の激しい揺れに耐えてきた身だった。
わたしは飛び降りることも許されなかった。
疲れ切った頭が見いだしたものとは、
自らの命を絶つことだった。

その夜、わたしはハルシオンを五十錠飲んだ。









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