恋愛告白手記 (紫の上物語)







第七章
「謎のハワイ旅行」





入院してる間、ひで君が家のほうに訪ねて来たらしい。
お母さんは結婚する気がないんだったら、
そっとしてあげて欲しいと言った。
ひで君は「結婚します。卒業したら」と答えた。

彼が本気で言ったかどうかわからないけれど、
わたしは未練でまた電話をかけてしまった。
馬鹿げてる。愛情もないのに。
想い出を甦らせたい一心で、というより
惰性で、自分の生活がちゃんとしていないから
暇つぶしみたいに、茶番の引き延ばしをしたわけだ。

知らぬ間に季節は冬になっていた。
ひで君と出会って一年も経っていたなんて。
あまりにめまぐるしい一年だった。
大学に入ってから、わたしは急いでいた。
人生のすべてを二十歳までに吸収したいと
生き急いでいた。

いつものスナックに行くとママが
「さとこちゃん、久しぶり。どうしてたの?」
わたしは苦笑した。
「彼と旅行でも行ってたんでしょ?」
わたしが「彼、暇がないから旅行なんて。営業だもん」
「彼、二十九歳だったよね。お似合いね」
すると横から年輩の男性が
「わたしなら君と旅行できるなら、今すぐにも予約とるな。
仕事なんかキャンセルだ」

わたしが、またいつものことだといったふうに
「みんなそう言うの。本気で行く気もないくせに馬鹿にしないで」
「行くよ。でも、君はおじさんなんか嫌いだよね」

ものすごく上品な人だった。
声は少しうわずっていて緊張が感じられた。
年輩の男性が二十歳そこいらの娘に緊張するなんて
不思議な気がした。
着物のセンスがいいと思った。ブランドだった。
ぜんぶブランドだった。時計、バッグ、タイピン、
ライター。それらは換金性があるとふと思った。

「おじさんが嫌いと言うより結婚してる人が嫌い。
伴侶がありながら別の女性とつきあおうって考えが嫌い。
わたし嫉妬深いから、そういうの理解できないの」

年輩は苦笑した。
「わたしは独身だよ。一度も結婚したことない」

年輩と話してみると、けっこう面白いと思った。
この頃、わたしは恩師を病気で亡くしていたから、
よけいそう感じられたと思う。
恩師とは、わたしに文学論を教えた古典の先生のこと。
わたしを洗脳した教授のこと。
この先わたしがどう進んでいこうと先生に批評してもらえないのが残念だ。
一番批評してもらいたい人にしてもらえないのだから。
“文学をやる人間にプライバシーなんてない”と先生はおっしゃられた。
“文学をやる人間は、家族、親戚を巻き込んでいくんだ”と。

二人で店を出て、南のカフェに飲みに行くことにした。
彼は身長は普通だったが少し太っていた。
車はワーゲンだった。くしくもワーゲン。
わたしはワーゲンによほど縁があるようだ。

彼は実業家で文房具の卸をしていると言った。
携帯電話も取り扱っているから安くわけてあげるとも言った。
長い間年上の女性と暮らしていて、結婚を迷っていたら、
その女性に別の人との結婚が決まったからと
言われたという。それで婚期を逃したと。

ひで君と同じでヘビースモーカーでもあった。

「親を早く安心させたいんだ。さとこちゃんが
結婚してくれたらいいんだけどね」
わたしは微笑。
「じゃ、婚約指輪ちょうだい」
「ああいいよ、買いに行こう」
本気で言っているような気がしたからわたしが
「やっぱり指輪いらない。実用的なのがいい。
毛皮のコートないわ。それがいい」

実は、わたしは動物愛好家で毛皮のコートを軽蔑していた。
それなのにこんなことを言ってしまったのだ。
それはわたしを象徴していた。
わたしは時として矛盾したことを口にする。
矛盾したことが頭から離れない時がある。
それがわたしを苦しめてきた。

その晩、わたしは五十万円のミンクのコートを
手に入れた。
黒ミンクのつややかな、けなしようのないもの。
しっとり手にまつわりつくようだった。
ずっしり重いと感じた。
自分でも信じられない気がした。
それは今でも洋服ダンスにある。

年輩はM・・と言う名前だった。

この時は、その場のいきおいに押されたように
M氏を愛していると感じていた。
わたしはM氏に特別な好感を持ったことは確かだが、
それは高価なものをプレゼントされたからでなく、
気持ちが嬉しかったからで、
といってもM氏を愛していると言えるだろうか?
わたしより二十三歳も年上なのだし。

今想えば、ひで君の嫉妬心をかき立てたいという
浅はかな女心だったとしか思えない。
すでに、ひで君の心は離れていて、取り返しようもないものだったのに
一縷の望みにすがりたいわたしがいた。

予約を取ったからパスポートを取るようにと言われた。
間もなくしてハワイ旅行へ出かけた。
年輩の男性と行ったというのは、わたしの母親しか知らない。

じつは、出発の日の午前。
ほんとうに言いにくいことではあるのだが、
とある教会で式を挙げていた。
わたしは二十歳でバージンロードを歩いたのだった。










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