紅葉の大楠山登山

(2000.11.23)

勤労感謝の日。天気予報はくもり時々雨。しかし、昼にはお日様が顔出した。

まるで太陽を運んできたかのように、オラオラ隊のBOYとハツキーニョのバカップルがやってきた。長女の海音(みお)が生まれてから、すでに3度目の訪問になる。せっかくだから、大楠山に登ることにする。夏に引っ越した借家は海にも近いが、山にだって近いのである。

子供が生まれて以来、遊びに行こうとすると、せいちゃんの頭から尖ったものがニョキニョキ生えてくるので、こういう絶好の機会を逃す手はない。訪ねてくれた友人をもてなすのも、一家の長の大切な仕事なのだ。(実際は、この二人の訪問でストレスの貯まりはじめてオレは救われている)

三浦富士として親しまれている大楠山は三浦半島のど真ん中に位地し、標高242mと高さこそ低いが、東京湾、相模湾を一望できる絶好のビュー・ポイントだ。相模湾からの登山道は、前田橋ルートと芦名口ルートふたつがあって、どちらも1時間少々で、頂上に到着することができる。

我が家から徒歩で、出発して前田橋ルートを登ることにした。この行程は、車で頂上近くまでいける芦名口ルートと異なり、山道を尾根沿いに登ることになるので、ちょっとした登山を楽しめるし、日帰りで行ける関東のハイキングコースとしても人気だ。

こうして、あほばかとうちゃんと、三十路直前どうすんのよカップルというヘンテコ・パーティはえっちら、おっちら、大楠山へと登りはじめるのであった。

実は、数年前、この前田橋ルートを夜な夜な20キロの荷物を背負って駆け上がっては駆け下りていたことがある。気合いが入っている時には2往復もしたっけ。足には、使い古したアイゼン、背中には、悪書をつめたフレーム・ザック。目を吊り上げ、汗を滴らせ、あえぎながら登った道だが、夜間だったため、景色の記憶はまったくない。ただルートの起伏を足が覚えていた。

すり鉢状の登り坂を踏みながら、あの頃の記憶に思いを馳せる。ちょうど、6年前、僕が冬山をやりはじめた秋だ。正月山行に備えてのトレーニング。足を前に出しながら、さまざまな山の思い出が蘇てくる。

あの頃、仕事に嫌気が差し、生きていく意味さえもあやふやになってしまい、鬱屈した日々を過していた僕を救ってくれたのは厳しい雪山登山と、アルパイン・クライミングに精通した先輩の存在だった。

敗退してしまった南米のアルパマヨや、チョピカルキ。夢を馳せたヒマラヤ。そしてビッグ・ウオール。僕の一時代は、魅力的な山々と、山屋の輝きを放つ先輩のおかげで、救われた気がする。本当に大切なモノは何なのか?その答ももらった気がする。

もう、今では、答も進む道も見えている。このぬるま湯のような生活から一歩を出せないでいるのは、単に、勇気がないからだ。

一番大切なのは、勇気だ。勇気こそ人を分ける。

登山道のあちこちで、不思議なモノを見つけてくるBOY。 やつの好奇心は子供のソレとおなじだ。自分との視点の違いに驚かされる。

初めて出会ったのはもう9年も前だ。 ヤツが自転車で、日本一周をしている最中に出会ったのだ。ニカニカ笑いの青年も30歳を前にして、すっかり男の顔になった。ネパールや北極圏、そしてパタゴニアと厳しい土地を自転車で、旅している。南米での旅は少年から青年にその眼差しを変えさせたようだ。 目下、自分探しの真っ只中にいる。

その恋人、ハツキーニョは空間インテリア、芸術を生業にする素敵な女性だ。付き合い始めてから、BOYの超極貧旅行や、自転車小旅行に、弱音を吐きながらも、しっかりついていっているようだ。

二人の会話を聞いていると、いつも軍配はハツキーニョに挙がる。あの、オラオラ隊きっての元気青年BOYが押され気味、いやタジタジなのである。

微笑ましいカップルだが、そろそろ結婚・出産を考えてやまない女性と、旅道具以外は気持ちよいくらい何ももっていない無職の青年との恋のゆくえをハラハラしながら見守っているオジさんとしては、どちらの気持ちも痛いくらいよくわかるので、本当に切なくなってしまう時がある。

「アフリカに行って何がみつかるなら、私が旅費くらい出すから行ってきなさいよ!勝負してきなさいよ」

ハツキーニョは、人生の目的を見つけようと苦悶するBOYにこう言切ったらしい。めざす土地がアフリカ。しかし、BOYには旅行資金さえなかった。南米の旅から帰った後、それまでの積極的に働いて資金を貯めることもせす暮らしているBOYへの精いっぱいのハッパだ。そう聞いておりゃあ、シビレました。

こんな女性にはそうそうお目にかかれるもんじゃない。

彼女を失うと、BOYは人生の意味を見つけるどころか、立ち直れなくなってしまうかもしれない。

息詰まった時は、具体的に行動することだ。きちんと何かを習得して、自らの地と肉にするためには、歯を食いしばり、集中しなければならない。しっかりしたもの、絶対の目的なぞというものは、ありっこない。その場その場で、真剣に生きて、選択していくしかないのだ。

三浦半島が一望できる山頂の展望台で、夕日に赤く染まり始めた青年の横顔に、何を語ればいいのか?

僕が悩み苦しんでいたとき、いろいろな救いの手がさしのべられた。自分で人生を切り開いているなんと口がさけても言えない。だが、あの氷壁や断崖で、格闘した経験と自信。何ものにも代え難い信頼感。

何度も救ってもらった。助けてもらった。今、目の前の男は救いを求めているんじゃないか?

人は自分で、答を出して落ち着くところへ落ち着くものだよ。そんな陳腐な台詞では、意味を成さないような気がした。

友よ、俺に何ができるのだろうか…

穏やかな秋の夕暮れ。尾花(すすき)を手にしたハツキーニョが首を振り振り歩いていく。 猫じゃらしで、遊ぶ猫のように。

落陽に向かいながら坂を下って行った。 秋風が頬に冷たかった。