八ヶ岳・広河原沢、3ルンゼ

(2001.01.06)

正月の山の天候は大荒れ。 豪雪に閉じ込められて身動きできなくなったパーティの遭難のニュースが、TVで毎日のように報じられていた。

アルパイン・クライマーのU氏と僕は、正月明けに、天気の回復を狙って南アルプス・千丈岳へ突き上げるビッグ・ルート、岳沢の氷(アイス)に挑む予定を立ていた。

結婚を機に足を洗った冬山の世界に、子供が生まれてから再び足を踏み入れるとは、僕はなんて大馬鹿野郎なんだろう。 だけど、心の奥底からあふれ出る衝動、此処ではない何処かへ、今の自分ではない、新しい自分へ、何かを得る為に挑戦したいという欲望を抑えることができないでいた。

久々のアルパイン・クライミングへの復帰。しかし、本チャン(本番の登攀のこと)前に一度も練習ができない状況、トレーニング不足と悪天候、さまざまな理由が重なり、モチベーションが上がらない。パートナーのU氏と相談して、予定期間の3日をすべて練習に振り替えることにした。これで、危険度はかなり下がる。久々に蘇ってきた緊張感が、ふっと緩んだ。

正月に奥様の里帰りで横須賀に来ていたU氏の車に同乗して信州の諏訪へ向かった。

4日は、八ヶ岳の南沢に入り小滝の氷爆にトップ・ロープ(あらかじめ登攀する上部に支点をとってロープで確保する登り方。落ちる距離も短く危険も少ない)を張って久々に氷の感触を楽しみ、


南沢の小滝でトレーニング

5日には、休養がてら南アルプスの戸台川を氷瀑を探して遡行した。

暗くなるまで遊んだ後は、温泉に漬かり、U氏宅で美味しい夕食と温かい布団に包まれて眠る天国のような夜。厳しい雪山での野営生活とは雲泥の差だ。

たまにはこういう極楽山行もいいだろう。最終日の6日も、八ヶ岳の広河原沢にある、まるで氷のクリスマス・ツリーのような階段状のクリスマス・ルンゼ(山の沢状に窪んだ部分、反対に尾根をリッジと呼ぶ)で遊ぼうと、ピクニック気分でU氏宅を出立した。

八ヶ岳の阿弥陀岳(2805m)の南稜と御小屋尾根に挟まれた広河原沢は、アプローチの短さもあって最近人気急上昇のアイス・クライミング・エリアだ。

クリスマス・ルンゼのある右沢と、本沢との分岐に1時間ほどで到着。予定通り、右沢に足を踏み入れたところで、はたと足が止まってしまった。 どんどん青空が広がり視界が開けていく。風もほとんど無い。 昨日までの天候が嘘のような絶好のクライミング日和だった。 練習で終えるには、今日はあまりにも天気が良すぎるのだ。

右沢でなく、本沢をつめれば、広河原沢で人気No1の3ルンゼに通じる。 3ルンゼはそれほど困難な氷瀑はないが、連続する氷瀑、阿弥陀岳南稜に突き上げる上流域の開けた山容が、アルピニストの登攀欲を掻き立てる好ルートだ。 遅めの入山なのに、その3ルンゼに今日はまだ他のパーティが入った形跡が無かった。

急遽、予定を変更して人気のルート、3ルンゼへ入ることにした。 そう、練習ではない本チャンだ!

トップ・ロープ用の長いロープや、不要なギアをデポ(置いていくこと、後で回収する)し、気合いを入れて本沢へ飛び込んだ。

ゴルジュ(峡谷)状のナメ滝をフリー・ソロ(ロープで確保せずに登ること。滑れば当然落ちるところまで落ちる)で登り、ガンガン高度をかせぐ。

ルートを間違えたかなと心配になったころに、ようやく3ルンゼの分岐に突き当たった。ゆるい雪壁をつめて高度を稼ぐと、すぐに2段30Mの氷瀑が待ち構えていた。垂直部で4級、緩いところをえらべば3級の難度だ。立体的な造詣が大変美しい氷の滝だ。

氷瀑の背後には阿弥陀岳南稜のごつごつした先鋒群が聳え立ち、氷の滝を囲む木々が雪化粧を纏っている。幻想的な美しさに包まれた不思議な空間。カメラを持ってこなかったのが、つくづく悔やまれる。まあ、いいさ。頭の中のフィルムにしっかり焼き付けておけばいい。

ロープを出して、U氏がリード(支点を取りながら登る方法。落ちる距離、衝撃とも大きい)で抜けた後、セカンドでフォローした。セカンドは基本的にトップ・ロープと同じだから、精神的に楽だ。3ルンゼのメインイベントになるこの氷瀑は、難しさはそれほどでもないが、切れ落ちた谷へどこまでも落ちていきそうで恐い。此処を、なんなく越えたU氏に恐れ入りながら、バイルを氷に叩き込んだ。


3ルンゼの写真が無いのが惜しい。

安全をとって、今度は、僕がリードして1ピッチ伸ばすが、時間がかかりすぎる。 ロープを外してフリー・ソロで、3ルンゼをぐいぐい詰めた。

目の前には巨大な南稜のP3峰が聳え立ち大迫力だ。 この高度感。そして、そしてこの高揚感。 エンドルフィンとアドレナリンが体内を駆け巡る。 アルパイン・クライミングの醍醐味を味わえる瞬間。

もうすでに、3時を回っていた。出発時間の出遅れが響き、時間が残されていない。 左沢を詰めずに、右沢へ回り込んでP3峰の基部に突き上げ阿弥陀岳南稜に合流。

遠く西の空に、荒天続きの北アルプス稜線がばっちり顔を出していた。

「今日は、ヘリ、飛べたろうなあ。。。」

と北アルプスで大雪に閉じ込められている数パーティの救出を確信し、U氏とふたりほっと胸をなで下ろす。

南稜には、大所帯のパーテイのお陰で、トレースがバリバリに付いている。 富士山、南アルプス、中央アルプス、御岳、北アルプスの大パノラマを視界に下降路を飛ばした。

青ナギから、最後の斜面をスキーよろしく滑り降りて取り付きに戻った頃には、谷底は薄暗くなっていた。

南稜の峰々が夕焼けに照らされて真っ赤に輝く。 息を呑む美しさとはこういう光景を言うのだろう。 しばらく見ていないせいちゃんと、ミースケの顔が、頭に浮かぶ。 愛情パワーで駐車場所まで、一気に駆け下りた。

U氏とがっちり握手を交わす。 素人に毛の生えたような僕がこんな経験をできるのも、この山の先輩のお陰に他ならない。

結婚して、約束していた山行をすべて反古にした僕に、文句を言うどころか笑って祝福してくれた。厳しい山行の最後には、U氏の優しい照れ笑いがいつも待っていたっけ。ありがとう!

振り返ると月のスポット・ライトを浴びた阿弥陀岳が、夜空をバックに浮かび上がって息を呑むほど美しい。

「はやく、家族に会いに行きなよ。 けど、また戻っておいで!」

山が、語り掛けてくれたような気がした。

会心のクライミング。最高の天気。そして、最良のパートナー。 素敵な素敵な1日でした。