洋(うみ)からの便り

−ある漁撈長の航跡− (2001.03.13)

えひめ丸の海難事故のニュースを聞いたり目にしたりする度に、なんともいえない暗い気持ちになる。可哀相とか、許せないとか思うよりも、まっ暗で冷たい奈落のような海底が脳裏に浮かび、吐きそうになってしまうのだ。残された遺族を悼む気持ちよりも、海の底に沈んだ人々の想いに感情移入してしまうようだ。

そんな海難事故のニュースが飛び交う時、友人からある本を手渡された。

「洋(ひろし)からの便り?」

「ちがうちがう。洋(うみ)、うみって読むんです」

まあ、読んでみて、と渡された本を持ち帰って開いてみて驚いた。 本の中の写真に、その友人の幼少の写真が載っていたのだ。そこには友人の父親の文章が、愛する家族へ向けた手紙が綴られていた。

手紙のなかで、友人の父親は、「うみ」を「洋」と書いていた。遥か、赤道を越え、果ては遠く大西洋まで航海するマグロ漁師にとって、海(うみ)と洋(うみ)は似ているが、全然異なるものだ。

「洋(うみ)からの便り」

手紙の中で、呼ばれる洋(うみ)は、荒れる大海原を、360度見渡す限りなにもない大洋を生活の場にしていた友人の親父さんだからこそ、自然とでたコトバだろう。他にも、生き生きとしたコトバが紙面でキラキラ輝いていた。

昭和38年から49年にかけて、受験で揺れる娘たちや、まだ幼い長男の友人、そして妻にむけて綴った手紙の数々。そして家族からの返事。

200海里問題で、ますます状勢が厳しくなる遠洋漁業の状勢。不漁の重圧。そんな時代のまっただなかで、過酷なはえ縄漁業を続けていた漁撈長として、船員達にはもらせない苦しみ、責任感に揺れる想いが綴られていた。これからの世界や日本のあり方、そして人間の生き方。本当の幸福とは、何なんだろう?と自問していた。

いくつかの答は、この便りの中にあるような気がした。文章のひとつひとつが重く、意味深い。そして真実を突いていた。

そして、遠く日本に暮らす家族へむける優しい気持ち。珠玉の言葉達。 距離が離れれば離れるほど、人の気持ちが一層大きく伝わることがある。

そんな友人の父親が漁撈長として乗船していたマグロ船は、新しい魚場を求め初めて出漁した遥か大西洋沖で、他の貨物船に衝突されて沈んでしまう。霧深い黎明、昭和49年5月1日の出来事だった。

4500mの深海に横たわるその船内に友人の父親、故 松風恒之氏は閉じ込められているかもしれないのだ。

「オレにとって、あの(えひめ丸の)事故は人事ではないんすよ」

そう漏らす、友人にかける声があるのだろうか?

今回のえひめ丸の事故はあきらかにとアメリカの原潜による人災だ。防ごうと思えば防げるモノ、そういう考え方が普通だろう。でも、何か目にみえない大きな力で、どうしようもなかった出来事のように思えてならない。

この世の中は僕らの人知を越えたところで、偶然が偶然を呼んで、いろんな事象がかさなりあい、運命という糸で、歴史という布を織っていく。

いかに優れた車ができようとも交通事故は無くならないし、海難事故、航空事故も無くならないのかもしれない。

数年前、大好きな友が、南の海でサメに襲われ消息を絶った。 21世紀を迎えた新年にも友人の一人が逝ってしまった。一月間、誰にも気づかれることなく車の中で冷たくなっていたとの知らせ。

親しい人や友人を亡くす度、身が切られるような思いにかられる。しばらくは、何もやる気力が起きず、体に力がまったく入らなくなる。 事ある毎に泣き、わめき、のたうち苦しむ日々が続く。

そのうちに、僕はまだ、生きていて、仲間たちが生きていたという事実、思い出が、僕の中で一人歩きをはじめていく。

人は、命あるものはいつか死んでいく。でも、その想いは、残された人の中できちんと生きているのだ、めぐりめぐって受け継がれていく。親から子供へ。友から友へ。けっしてゼロに帰るわけではないのだ。

ある人の死がきっかけとなって、残された者の生き方が変わったとしたら、それこそが、良くも悪くも、故人がくれた贈り物だろう。この胸の痛み。それすら、人の身になって、思いやる気持ちを与えてくれたことに他ならない。

僕は、先に逝った仲間に胸を脹れる生き方を模索していくつもりだ。時々、思い出して「ばか話」を他の仲間にしてやろう。その時に、友は蘇るのだから。。。

「オレ、まだ、読んでないんすよ」

本を返し礼を言うと、友人がつぶやいた。痛すぎて読めないという。小さかったので父親の記憶もはっきりしないらしい。

「今のオレを見たら、オヤジ、怒りますよ。きっと」

と自嘲する友人に、機会を見て、薦めてみるつもりだ。

「怒ったりなぞ、せえへんわ。

想い悩んじょる、おまはんを見て、いっしょんなって悩んでくれよる」

人の心の痛みが分かる海の男だもの。漁撈長を長年つてめた男の中の男だもの。

此処(本の中)に、君のオヤジさんは生きているから、まあ会いに行ってごらん。

痛みが忘却というオブラートにくるまれ、その思いが温かさに変わるまで、がんばって生きていこうぜ。手の届く範囲でかんまんけん!(構わないから)

「いいなあ。。。。まっつんのトウチャン。

ええなあ。まっつんのカアちゃん、ねえちゃんたち。まっつんが、優しい男になったのが良く分かる。

くやしいなあ。。。。でも、まっつんの中で、あの、とうちゃんが生きているから、まいっか」

「洋(うみ)からの便り−ある漁撈長の航跡− 」

松風ひとみ編/四六・240頁・900円/ISBN4-303-63053-5 海文堂出版株式会社

将来への不安と遠洋漁業に従事する船員の哀しみ、家族への郷愁がつづられた書簡集。遠く故国を離れ、遠洋にマグロを追いつづけた 故 松風恒之氏の生活と、家族との愛情が描かれている。