北紀行で川三昧

(2001.06.05)

北紀行という言葉がある。 失恋したり、人生の目的を見失ったりしたとき、ある種の人間は北を目指して旅に出る。此処ではでない何処か、北の大地へ。

今までの自分ではない、新しい自分を発見するために。

北米大陸のカナダ北西部やアラスカの川への「北紀行」は、川旅を好むパドラーにとって、特別な意味を持つ。

未だ彼の地の川をヤったことのない者は、憧憬の念をかきたてられ、極北の川で流離旅に身を置いた者は、恍惚の表情を浮かべて北の風景に心を馳せることになる。

「あれこそが、川だ」

僕が初めて、北の川を身近に感じたのは、もう10数年以上も前のことだ。野田知佑氏の名著、 「北極海へ」 が最初の出会いだった。カナダのノースウエスト・テリトリーズを北流するマッケンジー川を下った紀行記で、野田さんを文章を通してみるノースの光景は鮮烈だった。読み終えた時、興奮で体の震えがとまらなかったのを今でも覚えている。

そのころの僕は、自分の存在に価値を見出すことができす、鬱屈した日々を送っていた。一人ぼっちで自分の殻に閉じこもり、内なる世界に逃避してばかりいたのだ。

そんなどん底の青年期に邂逅した一冊の本。単独行の旅。ときめく出会いと染み入るような別れ。自分の力で、 自分の人生を切り開いていく野田さんの力強い生き様。胸の透く思いがした。ああ、こんな世界があるんだ。こんな風に他の人と交流することができるんだ。決して面白いと思えなかった世界が、人生が、違ったものに見え始めた。まるで、朝靄がさーっと開けて、陽光が差してくるかの様に。

僕の中でスイッチが切り替わった音を聞いた。きっかけは、いろいろあるだろうが、自分自身でスイッチを入れない限り「引きこもり」からは脱出できない。

要は、やりたいことをやるにはどうすればいいのかを、主体的になって考えるか否かの問題なのだ。

以来、僕の人生は大変興味深いモノになる。自分をとりまく地球に、生き物に、そして人間に興味を持ちはじめたからだ。いつもうつむいていた顔を上げ、まっすぐ前を見て、楽しいことを探しはじめたのだ。

残高ゼロの預金通帳は放り投げたままにして、日本中の川や海で遊びはじめた。もちろん、うまくいくことばかりはなく、失敗も多かったが、悲しみや苦しみがあるからこそ、喜びが大きくなることに気づいていった。

数年前、なんとか休みをやりくりして、ようやく北の川を旅することができた。休みの日数や予算の都合から、自然、ユーコンテリトリーのユーコン川に場所が限定されてしまったのだが、かなり密度の高い旅ができたと自負している。

これまでの川旅の中でどれが一番心に残るのか?と、問われれば、迷うことなくユーコンの漂流を挙げる。以来、夏がくる度、あの極北の澄んだ空と広い自由空間を求めて北紀行を繰り返すのが恒例となってしまった位だからね。

そんな会心の川旅にも心残りは多い。 始めと終わりの日が決められたタイトなスケジュールが原因だ。 なぜ、気に入った場所で停滞できなかったのか? 知り合った人とゆっくり語り明かさなかったのか? 体が川旅になじんだと頃には、終わりを意識せなばならぬこと。。。 駆け足で回らざるを得なかったため、大切なものを指の隙間からいっぱい 落としてしまったような、、、、後悔の想いがあるのだ。

そんな時、あるWebに出会った。

「川三昧」

トップページ。僕の友人にそっくりの青年がファルトボートに乗っている写真。そのバックはユーコンの光景じゃないか!NZ帰りで、名をトモというところまで 友人にそっくりだった。マッケンジー川とユーコン川本流、ポーキュパイン川 を下った紀行がUPされている。

さっそく読み進んでみた。 期待どおり、いや、期待以上の面白さだった。 主人公「トモ」の視点からみた川 の風景が瞼に浮かんでくる。 まるで、本当に川を下っているような錯覚にとらわれた。野田さんの「北極海へ」を初めて読んだ時のトキメキが、ユーコンを初めて旅した時の体験が、僕の中に蘇ってきのだ。

初めて野田ブンガクに触れた時から、もう十数年の月日が経ち、気づけば、結婚し、愛娘にも恵まれて、一家のとうちゃんになっていた。キャンプ道具とファルトボートしか持っていなかった僕の持ち物は、驚くぐらい増えてしまった。そして、世のしがらみにどっぷり首までつかり、忙しさに心を亡くす日々の真っ只中にいる。

やりたいことがやれないことに、言い訳ばかり探していた僕の頬を、ノースを旅したトモのメッセージが、ひっぱたいた。藤田に気合を入れる猪木の張り手のような、心地良い一発だった。

「川三昧」の中の旅人、トモと川の流域に暮らす人々との心の交流がいい。長い道の途上にある人生をあがきながら、それでも歩いていく人々。そして、人生という川の流れの中で、自分のある場所を、自分の流れを求めて、時には流れに逆らってでも、背筋を伸ばしてて漕ぐトモの真摯な姿。手放しで応援してしまう。

旅の中のトモは、ライターになることが、夢のひとつだった。変りつつある世界で、失ってはならない大切な何かを継承してきた人の物語を綴りたいようだった。

紀行文の中で、日本から来た年下のライターの青年に、トモが嫉妬を感じる場面が出てくる。 正直、同じような気持ちを、トモに抱いている自分に気づいた。最初は、長い期間を自由に旅できることに。そして、旅での出会いにたいして。

妬み?人間としての魅力に対するヤキモチ?そして、川旅をもうひとつ旅へ、物語として蘇らしてしまう筆力へか?人を羨ましく思うことは、めったにない僕だけど、に思わず、嫉妬してしまいそうになる。

でも、この気持ちのあったかさはどういうことだろう。読後感の清清しさは何故なんだろう。ドロドロした気持ちはあっというまに霧散し、後には爽快感だけが残った。

それは、トモが、物語の中で、ゆれる自分の正直な気持ちを、読者に語りかけているからに他ならない。そして、自分の「夢」にむかってまっすぐに進もうとする、凛とした姿勢に共感してしまうからだろう。

今年はいろんな要因が重なって、恒例の北紀行を取りやめた。自分で納得して下した判断とはいえ、心の奥底では納得していない部分があるのも事実だ。

心かき乱される日々の中に、出会った北紀行の光景。自分と等身大の旅人。しばらくは、息がつけそうな気がする。このもうひとつの旅を道連れに、なんとかこの夏を乗り切るつもりだ。そして、間違いなく、この夏、僕は次の一歩を踏み出すことになるだろう。

虹の向こうに、カーマックスの橋が見えた、あの時の、ぐいぐい力をこめてパドル漕いだあの高揚感。

そのとき、僕は、自分の夢が何なのかをはっきりつかんでいたのを思い出したのだ。そう、進む道は決まっている。まわりみち、寄り道は、充分やってきたハズだ。もう言い訳探しは止めにして、僕も夢へ向かって歩むとしよう。

トモ、ありがとう。熱い気持ちを蘇らせてくれて。

ありがとう!素敵な旅の物語と旅心のプレゼントを。

いつか、北の川で逢おう!