瀕死の海から証言

(2001/6/23)

緊急シンポジウム「瀕死の海から証言」傍聴記

21世紀の幕開けとなる元日、衝撃的な映像がTVから飛び込んできた。

「宝の海を返せ!諫早湾の水門を開放しろ!」

全国の海苔の生産高中4割を生み出していた有明海、宝の海が、壊滅的な打撃を受けたのだ。佐賀、福岡、熊本の有明海で海苔の養殖を営む漁師たちが、大船団を組んで諫早湾干拓のために締め切られた水門につめよった光景は、いまだ記憶に新しい。

というようりも、有明海の状況は、なんら変わっていないどころか、現在も悪くなる一方だ。

その原因が締め切られた諫早湾にあるという科学的なデータが多く報告されている。ところが、農林水産省は第三者委員会を今年になってようやく組織し、あげくのはてに調製池に海水を導入しないままで1年間調査するとの決断を下した。

海水は導入しないものの、調製池の富栄養化した水は毎日、干潮時に海へ放流され続けている。対策の先延ばしどころか、今も、有明海の海を虫食み続けているのだ。

第三者委員会の下した決定は、

「もう一年、不漁をがまんしなさい」

つまり、

「飢え死にしろ、借金地獄に落ちろ!」

と漁師たちにのたまっているのに他ならない。

諫早湾、有明海、不知火海、そして川辺川。蹂躙されゆく宝の海の現状を訴えにきた漁師たちが一同に邂すイベント、緊急シンポジウム「瀕死の海から証言」が 6月23日、白金の明治学院大学で行われた。

船団の先頭を切って突っ込んでいった福岡県大牟田の海苔漁師、松藤文豪さんは若い衆の親分格だ。

「気のつよかもんは、水門壊しにいけー、ゆーて、 弱かモンは首、くくるっきゃない。 半端モンは、当たり屋しか生きる路が無か!」

自嘲を浮かべて言葉を吐き捨てた。有明海の漁師は収入の大きか分だけ投資も大きい。海から宝が消えた今、投資した借金の返済に何を当てればいいのか?

「あーん、やるけんね!7月にまたいくよー! こんどはハコブネ水門にくくりつけるけんねー」

でも、われらがブンちゃんは、いたずらするガキ大将のように目がキラキラ輝いている。

森 文義さんは、諫早の水門で分断され、干上がった生き物たちの墓場と、ヘドロで死の海とかした両方を魚場としていた小長井町の元タイラギ漁師だ。現在は、生活のため、組合員のため、海を捨て、干拓の工事に従事している。

「水門を開けるな!腐敗した水で、 かろうじて生き残った海が駄目になる!」

諫早の水門に反対し続けた、命懸けのタイラギ漁の「潜水師」は、板挟みの複雑な立場にありながらも、訴訟を起こそうとしている。 今の第3者委員会の決定を、指を咥えて見逃すことは、森さんたちが被った悲劇の繰り返しになるからだ。

行政側は、御用学者を使って大丈夫と嘘をつき、漁場を失い収入の糧を失い借金の返済に困った漁師達に、融資を斡旋する。泣く泣く借りてしまった漁師たちも、借り主には、当初の怒りをぶちまけづらくなっていく。泣き寝入りするしかない。 そんな生き地獄のような体験を、他の漁師には、させたくない。そんな想いから複雑な立場にあるにもかかわらす訴訟に踏み出そうとしている儀の漢(おとこ)なのだ。

TVのニュースで目にした闘う男たち、苦悩する男たちが、僕の目前に居る。

有明海は、海苔、タイラギ、アサリの他にも、えび、たこ、ヒラメなど、多種多様な魚の宝庫だったが、その水揚げ高も1/3に激減している。諫早湾の周辺を漁場としてきた長崎県の漁師、 橋本 誠さんの悲痛な訴えが胸を突く。

「わしらー、もう。。。年金を切り崩し、保険を 解約し。。これ以上、どうし・・・」

つまる言葉、こらえる涙。会場が水を打ったように静まり返った。

八代で代々、青海苔の養殖を営む平田 剛さんは、球磨川と不知火海と眺めつづけてきたご自身の体験をもとに、川の大切さを語ってくださった。生きた川から生きた流れを得ないことには、干潟や藻場は生育しない。海と山をつなぐ川は人間にたとえるなら血管そのもの。ダムや水門で流れを分断すれば、水は汚れ、川も海も駄目になる。川辺川ダムは確実に不知火海を虫食むと警告する。

そして球磨川の川漁師4代目の吉村勝徳さん。

「話には聞いていましたが、ここまで海(の漁師)が 惨めなことになっとったとは。。。明日は 我が身という言葉が、これほど身にしみたこと はありません」

鮎と急流で有名な球磨川。その水を支える最大の支流、川辺川。吉村さんは、不要なダムでこれ以上川を壊さないために、結成された漁民有志の会の代表を務める。

今までの何度か吉村さんの話を聞いたことがある。時には、とつとつと流れるように語り、時には、まったく逆の切り口でハッとさせられ、時には腹がねじれるくらい笑わせてくれた。そして、鋭い刃物のように、凝り固まった僕の中の偏見や、絶望感をスパっと一刀両断にしてくれたものだ。

いつも勇気を与えてくれた吉村さんも、川辺川ダムの問題で、ほんとうに途方に暮れた時期があったという。

「大丈夫。ハンコさえ押さなければダムは造れません!」

吉村さんの目からうろこが落ちたという、この言葉は、明治学院大学の熊本一規先生から発せられたモノ。先生は、「漁業権」「入会権」「水利権」の専門家でゴミ問題にも詳しい。熊本一規先生のわかりやすく漁業権のミニ講義をしてくださった。先生の話を聞いてとんびあがって帰ったという吉村さんの姿が目に浮かぶようでした。

最後は、水俣病をはじめ、環境問題を研究する原田正純 先生の登場。海や自然を理解しない科学者に対する提言が、清々しい。

お二人の学者という立場からのコメントは、

「海のことは漁師が専門家だ。なぜか? 生活が懸かっているからだ。 毎日毎日海を眺めて暮らしてきたからだ。 観察者としてその中に 身を置く者、 一番正しいのは漁師だ」

エセ科学を標榜する御用学者には耳が痛いことだろう。

わずか4時間とは思えない密度の濃いシンポジウムだった。これからの方向、可能性が示された。魂を揺さ振られました。

現地に足を運んでみて、そして渦中の人の声を聞かない限り、伝わるものは少ないのだ。。距離が、対岸の火事という無関心を形作ってしまう。

ところがその対岸の炎は確実にわが身にふりかかってくる。有明海全体にとっての諫早湾、川辺川での五木村の歴史がその証拠だ。火中の地元で反対している時には、その関連性、重大性に気づけなかった。でも今なら、もう気づいてしまったのだ。生き物も、海も山も川もめぐりめぐっていることに。

安藤さんの、セリフが頭に浮かんだ。 「ダメって気づいた時に、ダメっていえばいい」

いつまでも綺麗な川で遊びたいそんな単純な理由のためにやらなければならないことの大変さ。でも、この国を変えなければ、実現しないのだ。

森 文義さんの言葉が力強い。

「われわれは、いままで狭い世界で闘ってきた。 これからは有明海の漁師たちと連携して 第四者委員会を発足させたいと思います!」

拍手喝采。

こんな凄いシンポジウムを開催してくださった高橋ユリカさん、諫早東京の陣内さん、川辺川東京の渡辺さん、ほんとうにありがとうございました。有明海の今までと現状を写真で丁寧に説明してくださったWWFの花輪さん、そして遠いところから足を運んでくださった漁師の方々、ボランティア・スタッフの青年たち、みんなありがとう!

現地に足を運べなかった人も、この熱い気持ちが、岩波ブックレットの「よみがえれ、宝の海!」を読めば共有できます。今回のキャストはフル登場。買って読むべし!

蘇った宝の海の美味しい魚介に舌鼓を打ち、漁師さんたちと飲み明かす日まで、できることをやるぞお!

山下弘文さんのよーに、背筋をシャンと伸ばして、元気全開でいくぞお!