第3章 恋の行方

『でもね...ちょっと....! もう、いい! 私、誰かを好きになって苦しい想いをするより、私のことをいっぱいいっぱい好きでいてくれる人といっしょにいる方がいいんだ。 うん、ズルイと思う。だけどもうあんなに傷つくのはやなんだ。あんなふうに毎日泣いて暮らしたくないよ....』


だめだ。もう胸がいっぱいだ。言葉につまる。
いつもの調子をとりもどしたBOYがニカニカして姐サンの問いにハキハキ答える。
アネゴがだまったままの俺に気付いて声をかけた。

『たいちょう、どうしたの?なんだか元気ないね』

『そうなんスよ。アネサン。たいちょー、ちょっと体調よくないんスよ』

と心配顔のBOY。
あせりながら

『大丈夫、そうじゃないんだ。元気になったよ。大丈夫!』

ぎこちなく答えた。感激のあまり言葉をなくしていたなんてちょっと恥ずかしくていえないな。なんということだ。緊張している。この俺が!
原因ははっきりしている。この女性(ひと)のせいだ。

『ウイ〜ッス!!!』

BOYがどこからともなくビールを取り出して配る。

『へへへっ、3本だけとっといたんスよ』

乾杯。それぞれ、旅の話や近況を話し始める。そのうち緊張もとれてきた。
しかし、旅の達人ともいうき二人の話は本当におもしろい。
BOYが俺にはあまりしてくれないネパールでの話をはじめる。
別にけちっていたわけではない。ブッキラボーなBOYは話すのが苦手なのだ。アネゴがすばらしい聞き上手だというのも大きな理由だ。
海外での暮らしが長く旅での共通体験が豊富なこともあるのだろうが、この女性にはすべてを話さずにはいられない。それはこの女性が、まず自分の恥ずかしい話をド〜ンと暴露してこっち笑わせておいて、

『ねえ!それで?それで?ねえねえ、はなしてよ〜!ききた〜い』

とカワイイ声で聞いてくるからなのだ。
まったく始末におえない。それにお話をねだる小さな子供のようにその目が期待感にみちあふれてキラキラしているのなんかもよろしくない。

こんなにもワクワクされてはねえ、やっぱりねえ...話さないでいろっていう方が無理だ。照れながらも知らず知らずのうちにポツリポツリとやってしまう。
さらに話がオゲレツ(H)になればなるほど喜んでくれるというのも泣かせるじゃないか!どんなシャイなヤツだってもうだめさ!この女性(ひと)にかかるとね。 まったく、なんて素敵な女性なんだ(笑)!
BOYがネパールへ行くときに乗った飛行機の話で盛り上がる。
△ー○×航空というのがあるらしいのだが、その航空運賃はヒジョーに安い。だからアジア方面をめざす節約旅行者(もちろんBOYも含まれる)がよく利用するらしいのだが、ヒコーキがこれまたイジョーにボロっちいのだそうだ。 BOY、アネゴともに大変な恐怖を味わったようだ。
『いや、もう部品が天井からバラバラおっこってくるんすよ。 まったくビックラこきましたよ』

とBOY。

『やっぱり、△ー○×は安いのよ。でも、それで行くかっていうとねえ、やっぱ、やめとくな。わたしは』

とアネゴ。とまあ凄い航空会社なんだそうな。(関係者は読んでねえよな、このハナシ)
雨は、ほとんど上がりかけていた。
アネゴの荷物、焚き火用の薪を3人で運びながら河原におりる。
セイゾーさんの残してくれたタープがありがたい。
おき火にしておいた焚き火をBOYが手ぎわよく立派な炎に変える。
焚き火を囲んで談笑が再開。
オーストラリア、ニュージーランド、トンガ、フィジー、インドネシア、タイ、ミャンマーと環太平洋の国々をバイクとバックパックで旅したアネゴのおもしろい話が聞けるのかとワクワクしていたら、いきなり恋の悩みの話になった。
アネゴと何度か手紙でやりとりした俺は、この女性が7年間付き合っていた男性と別れてしまったことは聞いていた。何ヵ月も泣いて暮らしたことも。 いたたまれずハゲマシの手紙をかいた。その返事にはこう綴ってあった。

『今回のことはとても悲しいことだったけど、今思えばよかったと思えることも、たくさん発見できた。まず自分はこれだけ人を好きになったこと、強そうに見えるらしいが中身はふつーの女の子だってつくづく自分でわかったし、回りの人にも知ってもらえた。

忙しい中でもいろんな人が話を聞いてくれたり、自分の時の話をしてもら えたり、電話くれたり、手紙くれたり...そのあたたかみ、やさしさに触れることができた。何より、やっぱ人生には(せっかく生きてきたんだから)こういうことがあるというのも知った方がいいのだと今は思える。このまま結婚してたらこんなつらいことも、こんな気分、絶対わかりっこないもんね。人生ドラマチックに生きなくちゃ。

本当に何もしたくない期間がひと月位あって、考えてるか泣いているかの毎日だったけど、そんなんじゃ一歩も進まない。そんな時間にだれかとの出合いもあるだろうし、新しい発見があるのを逃してしまうかもしれない。これだけの悲しみ、苦しみがあったんだから、何かいいことのひとつもなきゃ悲しみ損だ〜という持ち前の気力(power) がもどってきたんだ。
( 肝っ玉姉ちゃんちょっとお休みいただいてたの、ほほほ) 自分で言うのもなんだけど女にみがきがかかった気さえしてるんだ。
まずはG.W. ツーリングにでかける。久し振りに一人で国内の旅というものをしてくるつもりだ。 隊長やBOYとの出合いのようないいものが見つかるといいな...』

国内旅行どころかそのまま韓国まで足を延ばしたと聞いていたので、すっかり立ち直ったとばかり思っていたのだが...
どうやら、想いは断ち切れてはいないみたいだ。
おいおい、どうしちまったんだアネゴ?と思いながらも独白に引き込まれていく。
そんな自分をどうすることもできない。
アネゴの話し方には飾りやてらいは一切ない。
ストレートに自分をぶつけてくる。
この女性(ひと)を見ていると胸がしめつけられそうになる。
なぜだかキュンとするんだ。思わず抱き締めたくなる。
どうしてなんだろう?
あんなにしっかりしていて力強い女性(ひと)なのに。
不思議だ....寂しがりやの小さな女の子をみているようだ。
俺もBOYも3年前、テントの中での酒盛りの時、彼女のノロケバナシを無理やり聞かされたことがある。どんなにアネゴがその相手を好きだったかはわかる。

『私さあ、けっこうあっちこっちいったのよ。その先々でいろんな男性(ひと)と出会って、けっこういいなあと思える男性と行動をともにしたりしたんだけど.... やっぱり、続かないのよねえ。だめなんだ。あたしは。ずーといっしょでいられる人じゃないと...今度のオーストラリア一周が終わったら、うん、納得すると思うんだ。そうすれば、今つきあっている人と結婚するんだろうな..うん。絶対、結婚するな』

と語っていたっけ。そのとき俺はああこんな素晴らしい女性が惚れたのなら、それは素敵なヤツなんだなあ。幸せになるといいなあと思っていた。

BOYもそんな話を聞いてしまったもんだから、悶々としながらも後の十八番(おはこ)となるテント夜這いをかけれなかったんだろう。
なのに....
今、俺の前にいるアネゴは何故、だめになったんだろう、自分のどこがいけなかったんだろうと真剣に悩んでいた。

『私、もうおんなじ失敗はしたくないんだ。あんなに泣いて落ち込むのはもう嫌だよ』

時には泣きそうになりながら、時には笑いとばしながら語るこの女性に魅了されずにはいられない。

『ねえ、ねえねえ〜、なんでなのかな〜?私のどこがいけないのかな〜?』

と聞かれてても俺もBOYもこんな素敵な女性を手放すなんてその男性は気がふれたたか魔がさしたとしか考えられないのでほとほと困ってしまう。それでも

『ドコ?ドコ?どこがダメなのかなあ〜?』

と色っぽく執拗に追求してくるアネゴに

『そうだなあ〜、アネゴはしっかりしてるっていうか...その...ちょっと重いのかなあ?』

としょうがなく答えた。すると、

『う〜ん。重いのかあ〜?う〜ん。わかんないなア。ねえ、隊長、重いってどういう意味?』

と聞き返してくる。うげげ!藪蛇だあ!

う〜ん、困ってこちらが首をひねっていると

『男には、女の人がうざったくなる時があるんスよ。アネサン。特に長い間付き合ってるとね、わけもなく独りになりたいときがあったりするんスよ..』

とBOYが助け舟を出してくれた。

『ええっ〜。そうかなあ〜。私はないな。そんなの。ふ〜ん。そうなのか〜』

BOYと顔を見合わしてとりあえずホッとする。

『そうッスよ、アネサン...だから、ただ、待ってればいいんじゃないスかね』

とBOY。

『そうかあ〜、待ってればよかったのか。ふ〜ん。でも、もういいや!私、新しい彼氏ができたんだ!!』

『でええええ!』

『どええええ!』

俺とBOYがそろってずっこけた。

『あのねえ〜、あたし、やっぱり旅したいんだ。外国にいるとなにかと元気になるでしょう? 前はオーストラリア廻れればいいやって思ってたけど、ホラ、こんなことになっちゃったしね...アフリカもいいけどその前にシルクロードを走りたいんだ。でもね...もう...私...一人で旅するのは嫌なんだ。 で..一緒に走ろうという男性がいてね...そいつ凄いいいやつなんだ。前から友達だったし...、わたしが前の彼氏のことで落ち込んでいる時もずっと慰めてくれてたし...』

アネゴは膝を抱えてあごをその上におき、炎を見つめていた。
瞳の中で写った炎が揺れる。

『その男性(ひと)にもう友達じゃいられない。はっきりしてほしいっていわれちゃったんだ。そいつシルクロードを一緒に走ろうって言ってくれて.... いいよ!一緒に行くよって言っちゃったんだ。一緒に行くってことは長い旅だから、いろいろあるだろうし..

彼氏になるって事だもんね、うん。やっぱりそうなんだろうな』

言葉にすることで自分に納得させようとしているみたいだ。

『でもね...ちょっと....! もう、いい! 私、誰かを好きになって苦しい想いをするより、私のことをいっぱいいっぱい好きでいてくれる人といっしょにいる方がいいんだ。
うん、ズルイと思う。だけどもうあんなに傷つくのはやなんだ。あんなふうに毎日泣いて暮らしたくないよ....』

胸がじーんと熱くなる。だめだよアネゴ。そんなのまちがっているよと言う言葉をやっとの事でのみこんだ。この女性を好きになっちゃだめだ。だって友達だから…。

けれど、込み上げてくる想いをどうすればいいんだ。ただだまって聞いているだけで精一杯だ。

『あ〜、もういい!本当は旅なんかどうでもいいんだ。あ〜でも、わたし本当はただ結婚したいだけなのかもしれない。あ〜!結婚したい!結婚したい!!結婚したいよ〜!!!』

そう叫びながらサーマレストのエアマットに頬をスリスリさせながら足をパカパカしはじめた。うー、うー、うー、なんという女性(ひと)だ!

思わずBOYと二人で腹を抱えて喜んでしまう。

が、しかし....

『ねえー、そういうあんた達はどうなよ〜?ええ〜?BOY〜、言いなさいよ〜』

逆にからみはじめた。BOYは八重山諸島をいっしょにまわった彼女の事を、オイラは、G.W.に尋ねた南の島の女性の事を根掘り葉掘り、聞き出されてしまう。あいやー。

『ふーん。そうなんだ。ふたりとも、けっこううまくやってんだ。ふ〜ん。いいね』

目が座っている。駄目だ。完璧な絡み酒のようだ。

『で、隊長はどうなの?○△×島のおねーちゃんだっけ? その女性(ひと)と結婚するの?あんまり、気を持たせると、あとが恐ろしいよ』

あたしは女性の味方なんだかんねっと睨まれてしまう。

もう、オイラの年齢ぐらいになると、付き合っている女性がいれば結婚を意識していない、といえば嘘になる。けれど、やりたいことが、まだまだ一杯あって、それをやりとげない限りは踏ん切りがつかないのだ。今だって、アルパインクライミングの世界に漬かり始めたばかりだし、次々に目標が生まれてくる。ちょっとそういう気にはなれない。

『俺は無理だよ。アネゴ。たぶんフられるよ。絶対、無理だけどやりたいことがあるんだ。それを終えない限りはまあ、無理だよ』

『なに、なに、なんなのよ〜、ソレ?』

『カヌーで太平洋を横断したいんだ』

『なに?ソレ?... そんなのできるの?』

『100%無理だろうな。でもやりたいんだ。今から準備とトレーニングはじめてまあ、35歳までになんとかってところかな』

『ふうーん。そうなんだ。ふーん。まあ、いいや。それ終わったら結婚するんだ?』

あいまいに頷いた。

『じゃあさ、ソレから隊長が帰ってきて、私がまだ独りだったら結婚してもらおっ! うん、そうしよう。たのむねっ、隊長!』

立ち上がりながら、後ろの闇へ消えていく。

石になってしまった。
へっ?アネゴと結婚?そんな事できっこない。
心臓が爆発しそうになる。なんたって憧れの女性なのだ。
けれど、その光景を頭に浮かべてしまわずにはいられない。
その瞬間、僕の頭から、太平洋も氷の頂きもブっ飛んでしまった。
なんということだ!!!!

戻ってきたアネゴはエアマットに頬をうずめて、

『う〜ん』

と可愛い声を上げ、幸せそうに目をとじた。
静かになったと思ったらスー、スーという寝息が聞こえてきた。
BOYと目が会う。BOYの目が笑っている。
今の動揺をBOYに悟られただろうか?

と...

『グガガッガガ、グゴゴゴゴゴオ!!!』

という地鳴りのようなイビキが聞こえてきた。
見合わせたBOYの微笑みが強張ったものになる。震源地は可愛い天使のお口からだ。
しばらく茫然と聞き惚れる。
ほっぺがピンク色に染まって可愛い寝顔だ。
トクンと鼓動がひとつ。
BOYに視線をもどすと焚き火を見つめて複雑な表情をしている。
目と目があった。どちらともなく笑い合う。
豪快なイビキをたてはじめたアネゴの方に優しい顔を向けたBOYが弾けたように照れ笑い。ぶっきらぼうに切り出した。

『いやあ〜...参りましたね....』

うん、本当に参ったな。

『そうだな』

頷いた。

『そうですよ!またっく....』

おもむろに小さな枝を炎に投げ入れ、また炎を見つめる。
時折、薪が爆ぜる音が響く。

『しかし、しょっぱなから自分の恋愛話を始められた時にはびっくりしたけど..さすが...アネゴだなあ』

とオレ。

『そうっスね...自分も最初は何言いだすんだこの女!って思ったんスけど』

『なあ...』

『ハイ...』

BOYはアネゴに当てられっぱなしで、すっかり毒気を抜かれたしまっようだ。

『はぁ』

『ハァ』

『ねるかあ〜?』

『そうっスねっ、!?、大丈夫ですか?隊長?』

いかん。いかん。まただるさと悪寒が襲ってきた。フラフラする。

『隊長、どうぞ!』

とBOYが自分のダウンシュラフを貸してくれる。
BOYは外で眠るとのこと、アネゴの傍らで焚き火の番をするのだろう。
シュラフカバーにくるまってよこたわった。
代わりに穴の開いたモンベルシュラフをアネゴにかけてテントに潜りこんだ。
BOYシュラフがあたたかい。
BOYの優しさ。
アネゴの台詞。
そして、心の動揺。
いろんな想いに包まれていつしか深い眠りに落ちた。