第4章 相川にて…

赤いハテルマ島Tシャツをはためかせアネゴ艇の方へ泳ぎ始めたBOY。いいぞ!いけえ〜!
『あねさあ〜〜ん、気持ちいいッスよ〜!!!』
とニカニカしながらにじりよって行く。
『こらっ!やめろ!わたしは着替え、持ってきてないんだかんね〜!も〜う 』


1994年6月27日(月)
モンベルムーンライト・のモスグリーンの布地を通して明るい光が差し込んでくる。
なにやら外で話声がする。時折笑い声が混ざる。
あれ?何処かで聞いた声だぞ。
そうだ。BOYとアネゴの声だ。
夢じゃないか...
現実と夢の狭間を行ったり来たりしている。
ん?
確かにBOYの元気な声だ!
おっ?
アネゴのハギレのよい喋り声も聞こえる!
ガバッとシュラフのまま身を起こす。
ちょっとフラフラするが6割方復活したぞ。
テントから飛び出した。
昨日の雨が嘘のようにあがって爽やかな青空が広がっている。
川面を薄く朝靄が撫でていく。
よろけながら二人の方へ、光の中を歩いていった。

素晴らしい朝だ。平日のキャンプ場には、俺達の他には誰一人いない。あんなに混雑していたキャンプサイトが嘘のように静かだ。目の前を流れる那珂川にはもう3、4人の釣り人が入っていた。長い竿を手に鮎をねらっている。
コーヒーを沸かし、談笑。
ちょっと照れ合った3人ははらぺこなのに気付き、てばやくラーメンを作るのであった。

『いやああ、昨日はすまんねえ。なんか私の話ばっかでさあ』

とポリポリ頭をかきながらアネゴ。

『まあ、この3人っていいねえ。なんだか、3年もあってなかったなんて信じられないよ。ずーっと前からの友達みたいだねえ』

いつもの元気なアネゴにもどったので、俺もBOYもニコニコだった。
ラーメンを食べ終わる頃には太陽がどんどん高くなり、急激に暑くなりはじめた。
さっそく、那珂川に流れ込む支流の相川を堰き止めて作った天然のプールにBOYのパジャンカ(ファルトボート)とヤングブラッズ号(ゴムカヌー)を浮かべる。
あの朝、釧路川の流れ出しで、そうしたようにアネゴをBOYのパジャンカに乗せて川面に押し出した。

澄み切った水にパジャンカのオレンジが映えて写りこむ。

『おっ、とおっ、あれえ?!』

とパドルととっくみあっているアネゴを深い方へ引いていった。
すかさずBOYと二人でヤングブラッズに飛び乗って追いかける。
静かな川面の真ん中にでた。
なぜか顔を見合わせてだまってしまう。
なんだかおひさまの下にいるのが照れくさかったんだ。
照れかくしにBOYにパドルで水をかける。

『あっつああああああ!』

ずぶぬれになったBOYのびっくり顔がニヤアァとした顔にかわった。

『わちょおおおおお!』

狂ったように反撃してくる。たちまち水しぶきで視界が消えた。
うひいーちべてええ!
盛大な水の掛け合いがはじまった。

『それ〜え!』

『うしょおお〜』

『おらおらおらあ!』

『う〜、ちべてええ!』

もう2人とも子供のまんまだ。それを笑いながら

『もー、子供なんだから〜』

とあきれるアネゴ。何発かとばっちりをくらって髪が濡れている。
パドルを止めて濡れ鼠になった俺たちの笑い声がこだまする。
水面(みなも)に目を落とすと、緑色とした深い淵を大きなウグイがすぃ〜っと横切った。バシャバシャをやめてしばらく我を忘れてしまう。
朝の静まり返った水中はにごりひとつなくカキーンと澄み切っている。
波紋が消え静まった水面はまるで鏡のようだ。
遠くの方は空が写りこみ澄んだ青空色。
僕は、初めてこの相川を訪れたときから、はまりこんでしまった。
何度この天然のプールにフネを浮かべたことだろう。
何人の子供を乗せていっしょに遊んだのだろう。
そんな僕のとっておきの場所に、とっておきの仲間達がいる。
なんて素敵なことなんだろう!!!!
ミサイルのように船底をオイカワの群れが横切った。
いてもたってもいられず水に飛び込む。
風邪?疲労?もういいや!明日のことなんか!今だけもてばいい!

『うっはああ〜!!』

歓声をあげるBOY。
フネからマスク、シュノーケル、フィンをとって身につけた。
ジャックナイフで水底(みなぞこ)まで一気にダイブ。
川底で光の加減でできた波紋の影がゆらゆらする。暖かなグリーンの世界で魚たちが乱舞する。浮上してシュノーケルの水を吹き上げた。
身体をのばし浮かぶ。自分の影が川底の玉砂利に浮かびあがって空を飛んでいるような不思議な感覚。
もう一度潜水して魚たちを追いかけ回した後、アネゴのフネの傍に浮上した。

『冷たくないの?たいちょー?』

笑顔でアネゴが聞いてくる。
ヘンテコな帽子をかぶった姿が可愛い。

『つっっつめたい!!でも、気持ちE〜よっ!!!』

本当に冷たい。歯がガチガチ鳴る。震えがくる。
でも、気持ちいいのも本当だ。

『よし!たいちょおおう、自分もいきます!』

ドパアアーン!
BOYもフネからゴーカイに飛び込んだ。
悠々と泳ぐ。タッパがあり手足の長いBOYが泳ぐとなんとも優雅だ。
水泳をやっていたBOYの泳ぎはダイナミックだった。
冷たさに負けてヤングブラッズに這い上がった俺に

『じゃあ、隊長、いってきまあす!』

と赤いハテルマ島Tシャツをはためかせアネゴ艇の方へ泳ぎ始めた。
よ〜し!BOYいいぞ!いけえ〜!
『あねさあ〜〜ん、気持ちいいッスよ〜!!!』
とニカニカしながらにじりよって行く。
『こらっ!やめろ!わたしは着替え、持ってきてないんだかんね〜!も〜う 』
とニンバスのダブルパドルで迎え撃つアネゴ。
BOY VS アネゴ
しばらくおもしろい戦いが続く。
あれれ?なんかよく似たことが前にもあったな、たしか...(笑)
しかし、さすがのBOYも今日はシラフなのでかよわいアネサンを本気で水に引きずり込もうとはせずにヤングブラッズ号の方へ引き返してきた。と...アネゴが水面を見つめながらなにかを思い詰めた表情を浮かべている。

『あ〜、もうっ! わかったわよ!!! こうなると私もゼったいに飛び込まなきゃいけないシュチュエーションよね!』

俺たちの期待の目に勝てずなんと自分でひっくり返ってしまった。
ザバアアーン。

『わああ〜、きゃあ〜!!』

とアネゴ。
『おおおおお!!!!』

パチパチパチ。
とオレ&BOY。
『ちょっとおおお、やっぱり冷たいじゃ...まあそうでもないか!』

こっちの方へ泳いできて、BOYの横につかまった。
『でへへへへっ』

『がはははっ!』

とBOYとアネゴが笑う。 ちくしょう、いいなあ! 俺も飛び込んだ。

3人でしばらく水と戯れる。
泳いでいると、浅瀬で立っているアネゴの足がみえた。
それをめがけてダイブ。
両足首をグッと掴む。
つかんだその足が驚くほど細い。
持ち上げてひっくりかえした。
そういや、小学校のころ好きだった女の子によくこうしてイタズラしたっけ。
なんか、ぜんぜん成長しとらんな、ワシは。

『もう〜、たいちょおおはあ〜』

そのうち3人とも冷たさにまけてヤングブラッズ号に這い上がった。
プカプカ漂いながら日向ぼっこ。
太陽の光が暖かい。
俺が真ん中に横向きに寝そべって、左にアネゴ、右にBOY。
アネゴの足が俺にふれている。
わずかな温もりが伝わってくる。。
歌が聞こえてきた。
口ずさんでいるのはアネゴだった。
何の歌だか知らないが懐かしいメロディーだった。
ぽかんとみつめてしまう。

『ごめんね〜。古い歌しか知らないんだ』

うひゃあ〜とはにかみながら答える。

『古い歌かあ、ふ〜ん。じゃあアネゴこんな歌知ってる?』

とその時ふと頭に浮かんだ歌を口づさんだ。

人は誰もただ一人 旅に出て..

人は誰も 故郷を 振りかえる...

たしか”風”という歌だ。

『あっ、知ってるよ!』
アネゴがハモってくる。

人は誰もただ一人 旅に出て 人は誰も 故郷を 振りかえる

ちょぴり寂しくって振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ

人は誰も 人生につまずいて 人は誰も 夢破れ振りかえる

プラタナスの枯葉舞う冬の道で プラタナスの散る音に振りかえる

帰っておいでよと振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ

人は誰も 恋をした切なさに 人はだれも耐え切れず振りかえる

何かをもめて 振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ

振りかえらず ただ一人一歩ずつ

振りかえらず 泣かないで歩くんだ

何かをもめて 振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ

アネゴの澄んだ声が高くのびる。
BOYが静かに耳を傾けていた。
時よ...止まれ....

眩しい日差しが濡れた身体に心地よい。風に運ばれるまま水面(みなも)を漂う。

『ねえ、隊長の育ったところってどんなとこ?』

とアネゴが聞いてきた。

『う〜ん。そうだなあ..近くに泳げる大きな川があって、俺んちのすぐ後ろは山だったんだ。その山を越えていくと海にでるんだ。 なんか、がきの心にもくるものがあったね。 まあ、山川海と遊び場にゃあ不自由しなかったなあ…』

と答えた。
『ふ〜ん、そうなんだ』

言葉はそれで途切れて静かに時間だけが流れた。
刻刻と別れの時が近づいてくる。この心のトキメキが終わっていこうとしている。
BOYは明日成田からカナダへ出発する。チケットを今日、旅行会社に取りにいくので、正午には帰らなくてはならない。

最後にもう一度水中へダイブ。水からあがると心配そうなアネゴの顔があった。
すいこまれそうな美しい瞳が濡れた前髪の向こうで光っている。
悪いことをした子供をしかるみたいに、ちょっと口をへの字にして、

『なんか、隊長、むきになって遊んでるみたい....』

と、もらした。

『え...?....そんなことないよ、アネゴ』

とあわてて否定したけど、本当はアネゴの言葉に動揺していた。
あねご...好きなんだ...
胸にまで出かかった言葉を飲み込むのが僕にできる精一杯の友情の証だった。