実は、中学校入学当初は別のスポーツをやるつもりだった。
が、野球部顧問の先生のキャラクターに惹かれて結局野球部に入部。
リトルではオチこぼれだったが、同学年に経験者が少なかったことと、一つ上の先輩が実質2人しかいないかったこともあり、1年生の秋にはサードのレギュラーとなった。
だが、2年生時に入部のきっかけになった顧問の先生が転任。しかも、後任候補がいないという理由で野球部が廃部になってしまった。
友人の誘いなどもあってやむなく軟式テニス部に1年間所属。
3年生時に日体大野球部出身の体育講師の非常勤先生が顧問を引き受けてくれて野球部が再度設立。同時に野球部に復帰した。
しかし、3年から学級委員となっていた関係で練習に出たくても出ることができない。当時、私の学年の学級委員は世田谷区の瀬田中から赴任してきたおっかない先生が各クラスの学級委員を召集し、学年目標や学年内イベントの計画、運営などの話し合いなど、放課後はほとんど毎日活動していたからだった。
3年生になった4月から6月頃の最後の試合までに、自分が練習に参加することができたのはなんとたったの2回。
そのうち1回は新顧問の先生に半ばテストされるかのような個人ノック。2回目の練習のときには、セカンドのシートにつくよう指示されてセカンドでノックを受けた。
そして、試合当日になると、それが何とショートに変わっていた。
所詮その程度のチームであったとしか言いようがないのだが、結局、その試合はボロボロに負けてしまい、数少なかった私の中学野球は幕を閉じたのである。