No.2 網走監獄博物館〜網走湖荘へ 宿へ荷物を取りに行って、栄浦バス停から1時28分発の網走行きバスに乗る。 バスの両側に広がるすばらしい景色に見とれるばかり。 ずっと先まで何にもない草原や畑が続いていて、ところどころに樹が並んで立っている。 点在する家は緑の中で白く光っていたり、赤い屋根がついていたりで絵本のようだ。 一時間足らずで網走駅に到着。 駅のコインロッカーに荷物を預けて、タクシーで網走監獄博物館(HPへ飛べます)へ向かう。 ハスの花がきれいに咲いているのを見ながら橋を渡る。 「鏡橋」は「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢を拭い目的の岸に渡るように」と名づけられたという。 そしてこの網走刑務所は、自給自足による農業監獄を目指して開墾されたのだそうだ。 ということは、最初は何もないところから厳しい気候の中で作業が進められたわけだ。 広い敷地に点在する施設を見学しながら、昔ここにいた人たちのことを考えると非現実的な気がする。現代の感覚からすると、厳しい極寒の地にあっておもちゃのように、模型のように見える建物。昔、こんな北の果てに送られる囚人は、きっとそれ相応の罪を犯したのだろうが、冬の網走は想像するだけでも身震いが出そうな気がする。 たいした防寒具もない時代、どうやって寒さをしのいだのか、とすごく気になった。 そもそもは時代の大きく揺れ動いた明治初め、国賊と呼ばれる罪人が大量に出て、監獄を作る必要があったという。そのころ開拓の遅れていたエゾ地に囚人を送り込んで労働力として使うことで、財政節約と開拓と監獄の増設というのを一挙に解決したという。 広い敷地内に点在する施設を順番に見て回る。 当時の建物が復元されているが、監獄とあって正門や独居房などは頑丈なつくりになっているが、作業場や浴場などは木造で冬は寒かろうと思われた。 ところどころに像や人形や説明板があって、当時の様子を解説している。多数の犠牲者を出したと想像されるが、それにしてもよく明治時代にこの地にこれだけのものができたと感心するばかりだった。怖いもの見たさも手伝って、二時間ほどかかって全部回る。 外に出て駅に戻ろうとしたら、路線バスはすでになくなっていた。まだ五時を少し過ぎただけというのに・・・(- -;) 駐車場にタクシーがいたが、みんな予約車だというので、仕方なく運転手に頼んでよんでもらう。 駅に着いてロッカーから荷物を出して、ホテルに電話するとバスがタクシーで来てくれという。 うーん、ちょっとサービスが悪いな・・・と憮然。 北海道ってやはり車社会なのかな。車がないと動けないというのもわかる気がしてきた。 そういえば、北海道へ行ったら、レンタカーを借りて回るといいという話しを聞いたことがあるなような・・・ 又タクシーを拾ってホテルへ。なんだかさっき通った道を戻っているような気がしたが、あとで地図を見ると途中まで戻っていた(- -;) でも荷物は駅に預けていたから仕方ないのだが・・・ 6時ごろにホテルに到着。増築したばかりのようなきれいなホテルで、通された部屋はすごく豪華! 10畳の和室と、ツインベッドがゆったり入った洋間付き。ベッドがもう二つでも入りそうなほどスペースがある。これでは二人ではもったいないほどの広い部屋だった。 おまけに窓は網走湖に面していて、すばらしい景色が目の前に広がる。 とりあえず先にお風呂に入って汗を流す。泉質はナトリウムー塩化物泉。 7時40分ごろから夕食をいただく。これがまた豪華な殿様料理のよう!またまたメニューを所望すると、今回はわざわざ書いて来てくれた。 サービスビールがワイングラスで来て、あとは好きなお酒をいただく。 さまざまな趣向を凝らしたお料理が次から次へと出てくる。みんな食べているとすぐにお腹がいっぱいになってくる。ゆっくり食べていると、食堂の中はわたしたちだけになってしまった。 部屋に帰り、知床でゲットしたこくわ酒とワインを飲みながら、北海道最後の夜をすごす。 目いっぱい充実した日が続いて、少し疲れが出たのか、アルコールのせいか・・・ 話しながら、二人ともとろとろで順番にうとうとしているのだった!! このページのトップへ Rittyanの「北海道花紀行」へ
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