以下の文章は所謂「女性向け」ファンフィクションです。やおい、BLといった分野に興味のない方の閲覧はお止め下さい。

  



落 星



 

 ふと気が付くと、メガトロンは高いビルに囲まれた薄暗い街路に立っていた。

 彼はすぐにそれが夢だとわかった。ビルの向こうの夜空に、二つの月が見えた。夜半を過ぎれば、もう一つが地平線の際に姿を現すだろう。彼はこの街を知っている。自分が生まれた街を忘れるはずがない。彼が生まれた当時の――今はもう失われた姿だ。

 彼が仰ぎ見たその遥か上空で、一瞬何かがきらりと月の光を反射した。何かが急速に近付いて、否、落ちてくる。メガトロンは咄嗟に落下地点から身をかわしたが、その落下物の正体を光学センサーの視界に捉えると、思わず驚愕の呟きを漏らした。もしも落下してくるそれが見た目通りの物だとすれば、落下速度と重量から計算した衝撃のエネルギーは、まともに受ければ下手な怪我では済まない大きさだ。しかし彼は迷わなかった。

 彼はそれが地面に激突する前に、再び両者の間に飛び込んだ。リミッターを解除して全身の出力を倍増し、全神経を集中して衝撃の一瞬に備える。周囲の空気を揺るがす轟音と共に、激しい衝突が起こった。大きな衝撃を吸収しきれず、足元の金属製の地面が破断して砕け、周囲に破片を撒き散らしながらすり鉢状に大きく陥没した。

 仰向けに倒れたメガトロンの体は半分瓦礫に埋もれていた。数秒の間途切れた意識を回復した彼がその腕の中に改めて見出したのは、全身に酷い傷を負い、動かないスタースクリームだった。





 最初、メガトロンはスタースクリームが死んでいるのだと思った。しかし密着した体を通して感じるエネルギーの循環、内部機構の発する微かな駆動音と振動が、彼に命のあることを知らしめた。右脚は腿の辺りでちぎれかけ、大きく開いた傷口からめちゃくちゃになった内部組織が覗いている。寸断された種々のパイプからはじくじくと循環液が流れ出し、地面にゆっくりと水溜りを広げていく。メガトロンはそれを見て少しの希望を抱いた。まだ流出するだけのそれが体の中に残っているということだ。今ならまだ間に合う。

 彼はスタースクリームを抱え、強引に立ち上がった。途端に酷く痛めつけられた全身の関節が抗議の声を上げたが、彼はその訴えを無視した。激痛を訴えて破損を知らせる背中の痛覚センサーを切断して黙らせ、よろめきそうになるのをなんとか堪える。歪んで変形した右腕の感覚は既になく、動かないそれを左手でスタースクリームの軽い体に固く捲き付けた。

 急ぎ足で進む彼の背後から、微かな足音が追って来るのに彼は気付いた。頭の中で慎重に距離を測り、振り返りざま蹴りを繰り出す。耳障りな悲鳴を上げて、小柄な多脚の獣が金属の地面を転がった。スタースクリームの体から滴り落ちるオイルの匂いを嗅ぎつけてやってきた死体喰いだ。巨大な都市の浄化になくてはならない彼らの存在をメガトロンは疎んじてはいなかったが、今は忌々しさしか感じない。

「まだお前達の出る幕ではないぞ。失せろ。」

 メガトロンの鋭い威嚇に獣達は怯んだ。尚も唸りを上げて飛び掛ろうとするものもあったが、一瞬早くレーザーの一撃を見舞われて慌てて飛び退いた。一匹が逃げ出すと、他のものもそれに遅れまいとして走り出す。獣達の姿はあっという間に暗闇に消えて行った。

 その時、スタースクリームが意識を取り戻した。彼ははっとしてメガトロンを見上げた。その驚き、怯えた表情にメガトロンは気付いたが、重大な怪我と墜落のショックのためだろうと思った。あるいは彼も驚いているのかもしれない。あるはずのない場所で、あるはずのない再会を果たしたこの状況を。

 何かを喋ろうとして喉がごぼごぼと音を立て、スタースクリームは激しく咳き込んだ。潤滑油と循環液の混ざった匂いが立ち込めた。喉の配管が根こそぎ破れているに違いない。メガトロンは感じた深刻さを表情や声に出さないよう、注意深く平静を装った。

「喋るな。直に手当てをする。」

 メガトロンはスタースクリームの反応を見ないまま、再び早足で歩き出した。もしもここがあの街だとすれば…僅か数分の距離が、嫌になる程遠く感じられた。

 漸く目指す区画に辿り着き、建物の一角にある大きなドアを押し開ける。作業者風のロボットが振り向いた。「おや、お客さんかな」

「ここはまだレンジの修理屋か?」

「そうですよ。昔からずっと変わりゃせんです。」

「有り難い。連れが酷い怪我をした。応急処置を頼みたい。」

「そいつは大変だ…って、その声、やっぱり、メガトロン殿!」

「久しいな、レンジ。」

「い、一体今までどこに行ってらしたんです! あたしゃてっきり…」

「その話は後でも構わんだろう。まずは、こいつを診てやってくれ。」

「ええ、そう、そうでした、勿論ですとも。」彼はメガトロンの腕に抱えられたスタースクリームを覗き込み、うーんと唸り声を上げた。「こいつは酷い。さあ早く、階上へどうぞ。」

 スタースクリームが不安げに周囲を見回すのに、メガトロンは努めて穏やかに言った。

「古い知り合いだ、心配はいらん。」





 小一時間が過ぎた頃、作業を終えた修理屋が別室で待つメガトロンを呼びにやって来た。

「断線の類は全部きれいに繋ぎましたよ。エネルギーの流出も止まったし、ひとまず心配ないす。」

「そうか、よくやってくれた。」

「右脚の外装は再形成しなきゃならんですが、欠けてなくなっちまってる分が多いんで、今ここではできないす。とりあえず内側に補強層を貼り付けましたんで、歩くぐらいは問題ないす。ただ…」

「何か?」

「喉は発声機構の元の方に損傷があるようで、喋ることはできないす。」

「今のところは構わん。命に別状がなければな。」

 メガトロンは安堵して息を吐いた。先程までスタースクリームが晒されていた生命の危険を思えば、些細な問題だ。話をする手段は肉声つまり音だけに限らず、他にいくらでもある。

「中央の医療センターか、研究所か、どこかちゃんとした設備のあるとこで診てもらった方が良いすよ。」

「そうするとしよう。」

 メガトロンが部屋に入ると、スタースクリームは医療台の上の端に座っていた。大きな傷が手当てされ、汚れを拭われて、先程までとは見違えるようだ。体の一部は欠けたままだったが、部品がないのだから仕方がない。

「スタースクリーム。気分はどうだ?」声をかけると同時に、メガトロンは遠隔通信用の無線周波数で情報のみを遣り取りするための、暗号通信のチャンネルで呼びかけた。

 スタースクリームは戸惑うように視線を彷徨わせた。電波での返答はない。彼はメガトロンの顔を見、自分の体を見回し、喉に手をやって、メガトロンに向かって頭を下げた。

「うん? 礼などいらん、お前が無事ならな。」

 他人行儀な彼の仕草に、メガトロンは苦笑した。彼の肩に手をやって顔を上げさせたが、自分に向けられる視線が、その後に立つ修理屋に向けられるそれと同じことに気付いた。まさかと思って、彼は訊いてみた。

「スタースクリーム。儂が分かるか?」

 彼は視線を逸らし、済まなさそうに首を左右に振った。

「では、先程怪我をしたことは? それまでどこで何をしていたか覚えているか。」

 彼は再び首を振った。

「そうか…」

 レンジがメガトロンの脇に立って覗き込んだ。

「怪我のせいで、表層のデータが消えちまったんじゃないすか。でなきゃ、記憶野ごとぶっ飛んじまったか…」

「その判断は後でも良かろう。」メガトロンは気軽に捲し立てる修理屋の言葉を静かに遮った。「念の為にもう一つ、大事なことを確認しておかねばな。自分の名前は覚えているか?」

 スタースクリームは暫く逡巡した後、頷いた。

 メガトロンはレンジを振り返った。「済まぬが、データパッドを貸してくれ。」

「どうぞ」

 手渡されたパッドに、スタースクリームは右手で文字を打った。

『I_』

( “私”…?)

 メガトロンが遠目に見守る内に、スタースクリームは短い記述を終えた。

 手渡されたそれを見て、メガトロンは驚きを顔に出すまいと努めた。そこにはこう記してあった。

『IRONHIDE_』

「それがお前の名前か?」

 スタースクリームは頷いた。

 これは一体どんな悪夢だろうかとメガトロンは思った。あるはずのない昔のままの故郷、アイアンハイドと名乗る記憶喪失のスタースクリーム。彼らは一体何を見せるために現れたのだろうか。いや、そもそもこれは夢なのだろうか? この夢を作り出しているのが他ならぬ自分自身であるならば、自分が認識し、あるいは心に望む世界とは、そしてあるとすれば、この夢の結末は一体どんなものだろうか。

 そこまで考えて、彼は自嘲した。心のどんな奥深くを探しても、何も望む物などありはしない。疲れ果てて望みを失くし、自ら信じる全てを投げ捨てたこの自分が、今になって求める物など何もありはしない。

 メガトロンが想いに沈んでいたのは僅かな間だったが、無言で自分を見詰める視線に居心地の悪さを感じてスタースクリームは身じろぎした。自分より二回り以上も大きな、それも見知らぬロボットに無表情で見下ろされれば無理もないことだ。メガトロンは口元に笑みを作って言った。

「アイアンハイドか…儂の知るお前の名とは違うが、それがお前の名だと言うのなら、お前のことはそう呼ぶとしよう。」

 スタースクリームがいかにもほっとしたように頷くのを見て、メガトロンの顔に作り物でない微笑が浮かんだ。これが夢だろうが幻だろうが構いはしない。

「まずは、お前の体を完治せねばな。お前は儂を覚えておらぬと言ったが、儂はお前のことをよく知っている。長い付き合いだ。儂はお前のそのような痛ましい姿を見るのは忍びない。儂と一緒に来てくれるな?」

 スタースクリームは頷いた。





 ガレージに先に降りて待っていたスタースクリームに、後から降りてきたメガトロンは小さなデータチップを手渡した。

「無線暗号通信のセットアップチップだ。お前の喉が治るまで、これで会話すれば不自由ないだろう。他の者には聞こえない。」

 スタースクリームは受け取って、システムに組み込んだ。直に、メガトロンの感覚に第一報が届いた。

『どうもありがとう。あなたに助けて貰わなかったら、どうなっていたか。』

「礼などいらぬ。水臭い奴だ。」

『修理代は? あなたに返さないと…』

「怪我人がそんなことを気にするな、馬鹿者。」

『すみません。でも私は金銭らしきものを何も持っていないようなのです。』

「稼ぎの当てなどいくらでもある。大体、お前が金の出所など気にする柄か。」

『えっ』

「冗談だ。」

 メガトロンは声を立てて鷹揚に笑った。スタースクリームは最初きょとんとしていたが、自分がからかわれたのがわかると不安に曇っていた表情がぱっと輝いた。

『か、からかわないでください。』

「すまぬな。」メガトロンは笑いを収めた。

 実際、デストロンにいた頃のスタースクリームには、経済観念など皆無だったに違いない。デストロンは必要な物資の全てを自前で賄っていた訳ではなく、その不足分は外部から調達していたのだが、巨大な組織の運用に必要な莫大な資金がどこでどう調達され、動かされていたかなど、最前線での戦闘しか知らない彼には想像もできない事だったろうし、またそれを知る必要もなかったのだ。

 嘘にはならないだろうと思いながら、メガトロンは言った。「お前の金は儂が儂の分と一緒に管理している。今までもそうだった。だから心配はいらん。」

『わかりました、ええと…』言いかけて、スタースクリームは口篭った。『私はあなたのことを、何と呼んでいましたか?』

 ほんの一瞬考えて、メガトロンは言った。「メガトロン、と。」

『また同じように呼んでも?』

「無論だ。」

『…メガトロン。』

「ああ。」

『ご免なさい…あなたのことを、その…覚えていなくて。あなたはこんなに私を心配してくれているのに。』

「焦ることはない。まずは体を治すことだ。」

 スタースクリームは頷いた。『すみません。』





「医療センターの前に寄る所がある。」

 次に向かった先はメガトロンがかつて住んでいた住宅地の一角だった。広大な敷地の中に点在するそれぞれの屋敷の前を過ぎ、やがて目の前に現れた、小さく佇む管理棟のベルを鳴らす。窓の向こうからメガトロンの姿を目にしたロボットが、大慌てで飛び出して来て彼を出迎えた。

「これは、メガトロン殿! ご無事でしたか!」

「バンガード。儂の部屋はまだあるか?」

「勿論です! いつあなたが帰られてもいいように、毎日手入れをさせて頂いていました。」

「それは有り難い。またしばらく厄介になるぞ。」

「しばらくなんて言わずに、ずっといて下さい。」社交辞令ではない本音で言いながら、彼はメガトロンにキーを手渡した。

「そのつもりだ。」と、メガトロンは入り口で立ち止まっていたスタースクリームを手招きした。「これは儂の友人、アイアンハイドだ。よくしてやってくれ。」

「ようこそいらっしゃいました。メガトロン殿の滞在中のお世話をさせて頂いています、バンガードです。」

 にっこりと笑いかけた彼に、スタースクリームはちょっとおじぎした。メガトロンが言い添えて、「事故に遭って、今は声が出ない。」

「それは大変だ、不便でしょうに。」

「彼の体を修理するために、これから中央へ行って来る。車はあるか?」
「あなたのガレージにちゃんとありますよ。」

「有り難い。一度部屋に戻ったらすぐに出かける。」

「そうして差し上げて下さい。」バンガードは心配そうに言った。それからちょっと声の調子を戻して、「それにしても、よくぞお戻り下さいました。近頃はこの辺りも随分物騒になって…でもあなたさえいてくれれば安心です。」

「それはいかんな。ついでに街の様子も少し探ってくるとしよう。」

「お願いします。」バンガードは向きを変えて歩き出したメガトロンの背を見送って言った。「また、あなたの声を聴かせて頂けるんでしょう?」

 メガトロンは軽く片手を上げて応えた。「いずれな。」





 キーを使って開錠し、厚いドアを潜ると同時に、自動的に照明が灯された。幾部屋かが続きになったフロアは広く、がらんとしていた。家財と言うほどには物がないが、一通りはきちんとしたものが揃えられているのがスタースクリームにもわかった。管理人が言った通り、手入れが行き届いて、長い間その主人が不在だったようには見えなかった。

「ここへ戻るのは久し振りだ。」メガトロンはエントランスを横切りながら、スタースクリームに説明するように言った。

『久し振り?』

「ああ。長い間、別の土地で過ごしていたからな。」

『そっちに住んでいたんですか?』

「似たようなものだ。」

『そうですか。』ちょっと間があった。『私も、あなたと一緒に?』

「そうだ、ずっと一緒だった。」メガトロンは言った。「儂はお前と別の場所で出会った。お前がこの街…いや、この星に来たのは初めてだ。」

『どうして帰って来たんですか?』

 メガトロンはしばらく考え、言った。「区切りがついたからだな。」

『区切り?』

「終わったのだ、全部」

『…それで、あなたは故郷に帰って来たんですね。』

「そういうことだ。」

 メガトロンは壁の一角を占めるモニターに近付き、端末を起動した。

 スタースクリームはまだ聞きたいことがある様子だった。彼にしてみれば、一番肝心なことを聞いていない。メガトロンはそれに気付かない振りをして話を打ち切った。質問の内容には察しがついていたが、それに何と応えるべきか、彼はまだ決めかねていた。

「少し調べることがある。適当に掛けて待っていてくれ。」

 メガトロンは複数ある銀行口座の預金残高をそれぞれ確かめた。この地域で流通している通貨とは長年縁がなかったが、平和な都市で日常的な活動を行うには欠かせない。

 同時に、彼は短時間でできる限りの情報収集を行った。年号に始まり、政治情勢、経済、工業技術の発展状況まで…それは彼が感じていた通り、彼が以前こうしてこの街にいた当時と全く同じだった。つまり「今」は、この記憶を持つ自分から見れば、実に一千万年以上も前ということになる。

 この街、いや惑星そのものが、既にこの世には存在しない筈の物だ。これは夢だ。そして自分はこの夢の続きを、この自分へとつながる未来を知っている。だが彼の知る世界とは一つ決定的な違いがあった。それはスタースクリームの存在だった。この時代、彼はまだ生まれてもいないはずだ。

 メガトロンは考えを打ち切った。「出掛けるとしよう、アイアンハイド。」

 今はこの目の前に居るスタースクリームを五体満足に戻してやることが重要だ。ただ待っているだけでは、壊れた体は直りはしないのだから。





 かつてメガトロンが生まれたのは、技術や産業、経済、そして文化の発展が頭打ちになって久しい、重い絶望もない代わりに弾けるような希望もない、平和で停滞した世界だった。宇宙進出も随分昔に果たしたものの、彼らの惑星は交通と交易の要所から大層外れた辺境にあったために、外部との交流も期待された程には発達しなかった。

 他にすることのなくなった政治家同士の派閥争いは酷くなるばかりで、多方、中央政権と地方の独立した自治体、そして他の雑多な勢力との折り合いは良いとは言えなかった。その中で、一地域の代表者に過ぎなかった自分が市民の支持を得、画策された議会の権力闘争に乗じて中央の実権を奪ったことは、余りに遠い昔の話だ。

 だがその不穏の気配も今はまだ感じられない。これから、かつて起こったそれと同じ戦渦がこの街を襲うのだろうか?

 メガトロンは視界を閉じ、微かに首を左右に振った。デストロンのリーダー・破壊大帝メガトロンはもういない。かつて自分を突き動かした信念は燃え尽き、夢見た世界の果てには何もない。人知れず守ろうとしていたものも全て失った。

 メガトロンは視界を復活させた。今は多くの失った物の代わりに、かつては気付くことのなかった、数多くの選択肢が自分の背後にあるのが見える。振り返ってそれを選び取りさえすれば、恐らくは全く違う未来が自分の前に展開するだろう。

 数人の技術者が忙しなく働く処置室の様子を、メガトロンはガラス張りの窓で区切られた隣室からずっと眺めていた。

 意識もなく作業台に横たわって治療を受けるスタースクリームは、テーブルから落としたガラスの人形のようにバラバラで、眠っているとわかっていなければ、死んでいるものと錯覚してしまう有様だった。生気のない頭部と体を繋いでいるのは数本のコードとパイプだけだ。

 不意にメガトロンは、スタースクリームを取り巻いているのが技術者ではなく、既に主のない体を分解し、まだ使える部品はないかと物色しているジャンク屋であるかのように見えた。だがそんなことはあるはずがない。彼は頭からその考えを振り払うのに数秒の努力を要した。





 二日後、細部の調整を終えたスタースクリームはメガトロンの前に漸く元気な姿を見せた。しかし再会を喜ぶ間もなく、彼と入れ違いに今度はメガトロンが処置室に押し込まれた。予め渡してあった設計図に従って新造された腕と背が破損したそれらと置き換えられる間、彼は感覚と意識を遮断しなければならなかった。全滅状態だった全身のサスペンションが交換され、その後でようやく表面的な軽度の損傷の修理が行われた。
 慎重に時間をかけた調整を済ませ、彼が戻って来ると、待ち構えていたスタースクリームが駆け寄った。

「メガトロン!」

 自分を呼んだ懐かしい声に、メガトロンは思わず微笑んで彼を迎えた。「アイアンハイド。見違えたぞ。」

「メガトロン、あ、あなたも酷い怪我をしていたなんて…私は全然気付いていなくて、」

 心配の余り泣き出しそうな表情で言い募るスタースクリームの肩に、メガトロンは肩手を置いて黙らせた。これしきの事で、スタースクリームが取り乱すことが彼には意外に思えた。

「儂は少し関節を痛めただけだ。お前は死にかけていたのだぞ。」

「でも…」

「喉も直ったのだな。」

「え、ええ、はい。この通り」

 メガトロンは満足そうに頷き、スタースクリームをエレベーターのある方向へ促した。「出るとしよう。」

 スタースクリームの体は完全に元通りという訳には行かなかった。何しろ彼はこの時代よりもずっと後に生み出されたロボットだ。技術者達が無事に彼の体を修理できたこと自体を幸運として喜ばねばなるまい。そして案の上、代替の利かない部分もあった――ウイングブレードだ。莫大なエネルギーを伝導して保持し、戦闘ロボットの強固な複層装甲を切り裂くという過激な用途に適した性質を持った合金が存在していなかったのだ。

 メガトロンは思案の後、ブレードを廃して彼の左翼を完全な形で形成させることにした。翼はスタースクリームの命を支え守るもの、あるいは命そのものだ。それを戦いの為に自ら毟り取る行為は、本来あるべき兵士の姿ではないだろう。

 そう判断を下した自らの感情を、メガトロンは臆病と蔑んだ。自分が彼からウイングブレードを取り上げようとするのは、そんなご立派な信念からではない。恐らく自分は恐れているのだろう、万に一つの確率で再び起こるかもしれない、取り返しの付かない事態を。そのほんの僅かな可能性すらも、自分は残しておきたくないのだろう。なんと愚かで、弱いことだろうか。





「メガトロン。」

 エネルゴン・キューブの小山を盛ったトレーを片手に、スタースクリームが書斎の戸口から控えめに顔を覗かせた。

 メガトロンは作業の手を止め、モニターからスタースクリームへと視線を移した。

「バンガードがこれを、私達にと。」トレーをパネルの脇に静かに置き、スタースクリームが言った。「どうぞ。」

 メガトロンはそれきりじっと彼を見るスタースクリームの顔を見返した。

「半分はお前のものだろう。」

「まず、あなたからどうぞ。一昨日から何も摂っていないでしょう。昨日も一日中出かけていたというのに。」彼は心配そうに言った。

 三日前にこのマンションに戻って以来、スタースクリームはこうして何くれとなくメガトロンの世話を焼くようになった。記憶は依然として戻っていないが、その事を彼はそれ程気に病んでいないようだった。

 気に病んでいるのはむしろ自分だ。メガトロンは小さなキューブを手に取りながら苦々しく思った。

 以前のスタースクリームは、このように自分に対して気安く近付いて話しかけたり、笑いかけたりはしなかった。しかしそれは無理もない当然のことだったし、そうでなくてはならなかったのだ。自分は数百万の兵を擁する巨大組織の長であり、彼はその命令系統の下位に組み込まれた将官の一人に過ぎなかったのだから。

 そうだ。尤も目をかけていたのが彼だった。だが全ては終わったのだ。何の因果か再び眼前に現れた彼は、それを覚えてもいないではないか。

 メガトロンはスタースクリームが真剣な眼差しで自分を見ているのに気付いた。

「メガトロン、あなたの仕事を、私にも手伝わせて貰えませんか。」

「お前が?」メガトロンは何食わぬ顔で返した。時間稼ぎだ。

「今の私は確かに記憶もなくて、大した役には立てないかもしれない。でも、あなたのために何かしたい。」スタースクリームは必死の表情で訴えた。「手伝わせて下さい。あなたはずっとそうなのですか? 教えて下さい、あなたの傍で、以前の私は一体何をしていたんですか?」

 メガトロンはスタースクリームの顔をじっと見詰めた。何から何まで彼に本当のことを話すべきだろうか? 否、その必要はない。もう全て終わったことだ。

「お前は、儂にとって他の何にも代えられぬ存在だった。それは今も変わらぬ。」メガトロンは本気で言った。

「あなたは一人で何か大きな物を背負っている。それが何か、今の私には解からないけれど…」

 スタースクリームは椅子に腰掛けたメガトロンの膝に接するまで近付き、一瞬躊躇った後、膝の上に置かれていた彼の左手に触れた。「私では駄目ですか? 私は少しでも、あなたの役に立ちたいんです。今だけじゃない。前から、私はそう思っていた筈です。」

 熱っぽい訴えに、メガトロンは頭を殴られたような衝撃を受けた。何も知らない筈のスタースクリームが、どうしてこうも、全てを見透かしたような台詞を吐くのだろう。

『あなたのために』。そう言っていつも自分を助けた部下をメガトロンは一人知っている。彼は何度もあった昇進の機会を全て捨て、士官候補という低い身分のままずっとメガトロンの副官としてその傍らに留まった。それを意気地のなさと取った仲間から軽んじられ、馬鹿にされてもそれを気にせず、自分の言葉を大事な約束のように頑なに守り続けた彼は、スタースクリームではなかった。

 スタースクリームは少なくともそういう目的で自分の直属の配下となることを志願してきたのではない。メガトロンは信じていた。だが、それが隠された彼の望みだったと、この目の前にいる、スタースクリームの姿をしたロボットはそう言うのだろうか。そんな筈はない。

 メガトロンは頭がくらくらした。一時視覚を遮断し、再起動した光学センサーに、心配そうに覗き込むスタースクリームの顔が映った。彼は内心の動揺を押し殺して言った。

「アイアンハイド。明日は東の境界まで出かけるつもりだ。一緒に行くか?」

 スタースクリームはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに頷いた。「はい、勿論」

 アイアンハイド。アイアンハイドになりたかったのだろうか、あのスタースクリームが?





 その翌週、メガトロンは知己に請われて古い劇場へと向かった。中心に据えられた舞台を半円形の階段状に取り囲んだ広大な観客席を埋め尽くす人の数に、スタースクリームは驚いた様子を見せた。

「一体、何が始まるんですか?」

 メガトロンは曖昧に笑った。「儂は一応、これが本業でな。終わるまでここで待っていてくれ。」

 舞台をほぼ真下に見下ろすバルコニーにスタースクリームを残し、メガトロンは客席を後にした。

 やがて会場の照明が落とされ、対照的に眩しく浮かび上がった舞台に、拍手に迎えられて数人の人影が現れた。それぞれ手には金属製の複雑な器具を持っている。あれは楽器だ、とスタースクリームは気付いた。知識としては知っていても、実際に目にする機会は殆どないものだ。恐らく自分も初めて見たに違いない。

 彼らが所定の位置に落ち着いた後、最後の一人が一際大きな拍手に迎えられて、悠然と舞台の中央へと進み出た。メガトロンだ。

 彼は何も手にしていなかったが、その理由は直に知れた。

 拍手が吸い込まれるように消え、劇場は観客が全て消えたかのようにしんと静まり返った。無言の合図に従って、湧き上がるように音が流れ始める。そして彼が口を開いたその瞬間、全てが飲み込まれた。

声だ。ぞくりと、スタースクリームの全身を寒気にも似た感覚が駆け抜けた。

 低く、深く響くそれは電波に乗って届けられる信号とは違う、空間を満たす分子を震わす力の波だ。それはスタースクリームの音声センサーだけでなく、体表に散らばった無数の触覚センサーに圧倒的な力をもって働きかけた。

 神話の一節を朗々と歌い上げるメガトロンの姿から、一瞬たりともスタースクリームは目を逸らすことができなかった。珍しい楽器の音色も耳に入らない。

 戦闘用の厚い装甲板を貫いて、あるいは関節の隙間から体の中に染み込んだ音に、彼の体を構成する無数のパーツが共鳴を起こした。音が自分の頭の中からも発せられているようだ。呼吸が苦しい。溺れてしまう。スタースクリームは空気を求めるように小さく喘いだ。彼は自分が酷く震え、その場に倒れてしまうのではないかと感じたが、実際はメガトロンを凝視したまま微動だにできなかった。

 今や彼はこの空間の支配者だった。体だけでなく心まで鷲掴みにされるようだ。スタースクリームは悟った。逃れることはできない。メガトロンの声は、聞く者の心を奪い、従わせ、思いのままに支配する。

 支配。

 スタースクリームは叫んだ。圧倒的な周囲の音に飲み込まれ、彼自身、何と言ったのかはわからない。

 やがて演奏者が舞台から立ち去り、割れんばかりに鳴り響いた拍手と歓声とが漸く収まった後も、彼は身動き一つとることができなかった。

 メガトロンが戻ると、スタースクリームはその双眸に興奮の色を残しながらも憔悴した様子で彼を迎えた。

「待たせたな、アイアンハイド。これで戻るとしよう。」

「…はい…あの、」

 出口に向かおうとするメガトロンの背を、躊躇いがちな声が追った。

「メガトロン様。」

 メガトロンは慎重に振り向いた。「スタースクリームか。」

「はい。」と、彼は泣き笑いのような表情で答えた。





 彼らはメガトロンの滞在するマンションに戻り、それまでの数週間と同じように過ごした。呼び名は戻ったものの、それ以外の変化はまるでなかった。メガトロンはスタースクリームをそっとしておいた。

 ある日、メガトロンは近頃の日課になっていた遠乗りに、スタースクリームを連れて出かけた。市街地を離れて郊外を過ぎ、人工物の途絶えた何もない国境まで足を運んでは、地上と上空とから地形を読み、細部を記録する。記憶を失くしていた間の出来事を全て覚えていたスタースクリームは、戸惑いつつも支障なくそれまでと同じようにメガトロンを手伝った。

 展望の開けた丘に登り、遥か遠く地表に這って見える町の朧げな輪郭を辿りながら、スタースクリームが言った。

「静かですね、メガトロン様。」

「そうだな。」

 スタースクリームは耳を澄ませた。風の音しか聞こえない。「この星には戦争がないのですね。」

「ああ。大きな物はな。」

 今はまだ、とメガトロンは心の中で続け、それを打ち消した。この先のことなど何もわからない。

「メガトロン様、その図面ですが…」

 スタースクリームは最後まで言わなかったが、メガトロンは頷いた。「備えだ、戦争のためのな。」

「戦争…一体、誰が戦うのですか? その、つまり…」スタースクリームは口篭った。彼は思考の一番上にある単語を使う代わりに、別の言葉を探しているのだった。「――軍事力が存在するのですか? この都市にも。」

「お前のよく知る、常備軍と言える物はないがな、スタースクリーム。常にあっては商いをし、鉱脈を掘る者が、有事の際には手に武器を取り兵となる。そのような時代は長く続いたのだ。」

「戦争が起きた時だけ、一時的に軍隊が組織されるのですか。」

「そうだ。」

「それでは彼らは、町に居るロボットは皆、本当は兵士なのですか。」

「いいや。彼らはあくまで民間用で、戦いは彼らの本分ではない。体に武装を内蔵する者も、兵器に変形する者もおらぬのだ。」

「ではメガトロン様、いざ戦いとなったら、そんな素人の集まりを一体どのように掌握するのですか。訓練は必要ないのですか?」

 スタースクリームの熱心な追求に、メガトロンはふっと笑った。「スタースクリーム、お前は高度に組織化され、規律に縛られた軍隊と、戦争の為に開発された兵器を使った大戦しか知らぬから、そう心配するのも無理はない。だが、知っておくのだ、ここはお前の生まれた世界よりも一千万年以上も過去に遡った世界だ。ここには核融合砲も戦艦も、それに戦術書も幕僚会議もない。戦いはお前の想像するものとはかけ離れた素朴なものだ、驚く程にな。」

「そうですか…」

 スタースクリームは当惑し、考えているようだった。彼が生きていたそれとは余りに違う世界だ。直に理解するのは難しいだろう。そもそも彼には「平時」という概念が理解できないのではないだろうか。それをメガトロンは不憫に思わなかった。スタースクリームにとってはそれが普通で、この世界の方が異常なのだから。

 スタースクリームははっとして聞いた。

「もしも戦争が起こった時には、誰が彼らを率いるのですか。」

 メガトロンは頷いた。良い質問だ。

「その地域の住人の中で、日頃から実質的なリーダー役を務める者だ。地主や富豪のような有力者、あるいは何の権力も持たないが、決断力と人望に厚い者。そして戦いに秀でた者などだ。」

「では…この街では?」

 既に答えを察しているのだろう、しかしスタースクリームは訊ね、息を殺して答えを待っている。

 メガトロンは答えた。「儂だ。」





 別の日の帰り道、もう何度目になるかわからなかったが、スタースクリームは未舗装の荒地を進む高機動バギーを繰るメガトロンの横顔をそっと伺った。彼にとって、メガトロンがこうして何かの機械を操縦する姿を見るのは、長い記憶の中でこの数週間が初めてだった。余程慣れているのか、その動きには迷いも無駄もない。高い技量に余計な物を言わせることもなく、同乗者に加えて車両本体にも気を遣っているのがわかる。こんな姿は今までに見たことがなかった。

 今この姿だけではない。あの管理人、バンガードとかいう華奢なロボットに掛ける言葉は命令でなく、その声も毅然としていながら優しげに聞こえた。町中で気軽に彼に挨拶し、近寄って来る者達は決して彼を畏怖していない。彼らの間で自然に言葉を交わし、時に笑みさえ浮かべるメガトロンからは、かつて彼が常に周囲に漂わせていた威圧感は少しも感じられなかった。スタースクリームはようやく理解した。彼はこの町、この世界では、軍人として振舞っているのではないのだ。

 そのような砕けた態度は彼には似つかわしくないと思うのに、同時につい見惚れてしまう程、それは自然で様になっていた。スタースクリームは頭の隅がかっと熱くなるのを感じて、窓の向こうの景色に無理やり目を向けた。間もなく日が沈む――今はこんなことに気を取られている場合ではない。

 暫く躊躇ってから、決意を固めてスタースクリームは幾分小さな声で言った。

「あの…メガトロン様。」

「どうした、スタースクリーム。」

「あなたは何も聞かれないのですね。」

 来た、とメガトロンは内心で思った。表情を変えずに、彼はスタースクリームを一瞥し、また前方へと視線を戻した。

「ああ。」何を、とは訊かなかった。

「少し話を、聞いてもらえますか…?」

「お前が儂に言いたいことなら言うが良い。」

 スタースクリームは神妙に頷いた。

「私はあなたに、謝らなければならないことがたくさんあります。」

 メガトロンは静かに言った。「お前が詫びるようなことは何もない。」

「いいえ。」スタースクリームはきっぱりと返した。そしてまた声を落とした。「申し訳ありません…あなたを裏切ったこと。」

「謝る必要はないと言っただろう。お前はそれを後悔しているのか?」

 スタースクリームは首を振った。「後悔はしていません…でも、あなたに謝りたくて…許して欲しいと言うつもりはありません。ただ…メガトロン様、本当に…」

 語尾は掠れ、言葉は続かなかった。スタースクリームは顔を伏せた。

「あなたを裏切ろうなどという気はありませんでした。私は、あなたの気持ちを傷つけたり、失望させたいと思ったことなど一度もなかった…本当です。これだけは、どうか信じて下さい、メガトロン様…」

「お前はいつも、最善の道を選んできたのだろう、ならばその結果を悔いる必要はない。」

「…その時は、そうすることが正しいのだと思えたのです。でも、それは結果的にいつもあなたの心に反してしまった。あなたに楯突いては、その度に怒らせてしまって…それが悲しくて、私はいつも後になって後悔しました。自分の判断が正しかったのだとは、とても思えませんでした。」

「お前の決断を、お前自身が信じないでどうするのだ。お前は自分で、己の信念のため儂を倒すと言い切ったではないか。」

「でも私は怖かったのです…メガトロン様、あなたに嫌われるのが。」
 メガトロンは静かに車を止めた。滅多に人の通わない未舗装の原野には、寄せる路肩もない。車内は急にしんと静まり返った。メガトロンはバギーの電源を落とすと、スタースクリームに向き直り、真っ直ぐに彼の視線を捉えた。

「スタースクリーム。儂は好き嫌いで部下を選んだりはしない。」

 見詰められて、スタースクリームはおどおどと視線を逸らした。「…知っています、あなたはその点、恐ろしく公平な方だ。それでも私は…あなたが私に失望して、見放された時の事を思うと、不安でたまらなかった…」

「馬鹿なことを」言葉とは裏腹に、メガトロンは温かみのある声で言った。

「私は最後まであなたの期待に応えることができませんでした。あなたの期待を裏切りました。私には、あなたを超えようなどという、大きな野望を抱くことができなかった……あなたはいつも、私に次期デストロン総帥の座を目指せと言われた。でも私にはそんなことは最初から無理だったのです。私は結局…最後まで逃げてしまった。」

 気付けば随分と暗くなっていた車内に、俯いたスタースクリームの横顔が、一つしかない月の明かりに照らされて青白く浮かび上がって見えた。

「儂もお前に勝手な期待を押し付けたのだ。お前の気持ちも考えずにな。そしてお前には必要以上に厳しく当たってきた。」

「いいえ…それも、メガトロン様がデストロンの将来を思ってのこと。全て、私が悪いのです…私の弱さが。」

「言うな。もう全て終わったことだ。」

「私は…またあなたを失望させたでしょうか」自嘲の響きを込めて言い、彼は目を伏せた。「私にはあなたを裏切ることしかできない…今までも、そしてもしも未来があるのなら、私は永久にあなたを裏切り続け、あなたを失望させるに違いない。」

「儂はお前に失望などしていない、スタースクリーム。」

「…メガトロン様」

「お前は言ったな、儂に認めてもらいたかったと。儂がお前を認めていなかったと思うのか。儂が全く見込みのない部下を手間暇かけて鍛える程の物好きだとでも思うのか? そのようなことはしない。儂はお前を他の誰よりも高く買っていたのだぞ。とっくに認めておったと何故わからんのだ。」

「しかし…メガトロン様は決して私を…評価してくださらなかった。満足の言葉をかけて下さったこともなかった。」

「そうかも知れぬ。」メガトロンはあっさりと認めた。「儂はお前が儂を超える存在となるその時までは、決してお前に満足したくはなかったのだ。」

 スタースクリームは悲しげに首を振った。「しかし、メガトロン様、私はその重荷に耐えられる器ではなかったのです…」

「儂は今も、儂がお前にかけた期待が過剰であったとは思わぬ。いつか儂を倒し、デストロン軍を率いる者が現れるとすれば、それはお前以外には考えられなかったのだ。」

 スタースクリームは驚きに言葉を失い、双眸を瞬かせた。

「…メガトロン様…何と言ったらいいか…メガトロン様、もしも私がもっと強かったなら、私はそれを糧として成長できたはずです。しかし、私には、それがあなたから与えられた試練だとわからなかった。何も語られないあなたの真意に気付こうとせず、ただ、それが理不尽な仕打ちであるとしか思えなかった。あなたがどんなに、私に大きな期待をかけて下さっていたか…今になってようやくわかりました。申し訳ありません…本当に…私はあなたに会わせる顔がない…」

 スタースクリームは両手で顔を覆った。その震える肩に、メガトロンは片手を伸ばした。

「お前が悪いのではない。自分を責めてはならぬ、スタースクリーム。」

 責められるべきは彼ではなく自分の方だと、メガトロンは思った。デストロンの将来のためにしてきたことが、一方でこの青年の心をこんなにも苦しめ、嘆かせていたことに気付かずにいたとは、何と愚かだったのか。否、気付いていながら、それを当然の犠牲として抑え付けてきた自分は、きっとそれ以上に性質の悪い支配者だったのだ。誰もが自分と同じようにデストロンの為に身命を捧げて生きている訳ではない。それを知らぬ程、自分は無知だったのだ。最後にはやっと思い知った筈だったのに、また同じ過ちを繰り返している。救いようのなさに、メガトロンは頭を振り、知らず口に出して言った。「馬鹿は死んでも直らぬと言うが、この儂は正にそれだな。」

 スタースクリームが弾かれたように顔を上げた。「メガトロン様、今、何と?」

「何とは、何がだ。」

「死――死んだって。あなたが? どういう事ですか。」

 メガトロンは溜息を吐きたい気分になった。不用意に口を滑らせてしまった自分の迂闊さと、このような些事に目敏く食い付いてくるスタースクリームの両方に対して、もどかしさにも似た僅かな憤りを覚えた。

「言葉のあやだ、スタースクリーム。」

「メガトロン様!」

 尚も食い下がるスタースクリームに、メガトロンは起こってもいない頭痛を感じた。これが夢だとすれば、何と融通の利かぬ夢だろう。自分の夢に出てくる存在ならば、自分の知る全てを承知していて良い筈ではないか。何万年もの間デストロンの頂点にあった者のそれとしては随分とお粗末な最期だったと自覚するそれを、どうして今更、よりにもよってスタースクリームの姿をしたそれに話して聞かせてやらなければならないのか。

 否、今までにも、自分の認識と想像の範囲を遥かに超えた、予想のつかない出来事は充分にあった。この世界の主導権を握っているのはどうやら自分ではないようだ。そうであるなら、舞台裏にまで余計な気を回すことは止めた方が良いのかもしれない。

 答えないまま、彼は車を降りた。スタースクリームが慌てたように追って来る音がした。

 メガトロンは蒼い空を見上げた。月は高く、遥か頭上から彼らを見下ろしている。

「お前は知らぬだろうが、スタースクリーム、儂は死んだ。」

「何故、一体どうして!」スタースクリームは吠えるように言った。

「安心しろ、ユニクロンは倒れ、セイバートロンの住人は戦いを生き延びた。お前が望んだ通り、セイバートロンの全ての者が力を合わせ、死力を尽くして戦った結果だ。」

 スタースクリームは乱暴に首を振った。「そんなことより、あなたは…どうして、いつ…!」

「儂はユニクロンとの戦いの後、コンボイとの私闘に破れ、自ら死を選んだ。」

「私闘、ですって…あなたが? コンボイと?」

「何を驚くことがある。」

「…それではデストロンは…どうなったのですか? まさか」

「案ずるな、大部分は無事に残った。サイバトロンと同じようにな。」

「それでは彼らは今、あなたなしで…」

 メガトロンは溜息を吐いた。「デストロンは儂よりももっとリーダーに相応しい者が率いるだろう。」

「な、何を言っているんです、メガトロン様…」全く信じられないことを聞いたとでも言いたげな形相で、スタースクリームは捲し立てた。「あ、あなたに見捨てられたら、デストロンは一体どうしたら良いのですか!」

「捨てられたのは儂だ、スタースクリーム。時代は変わったのだ。デストロンはもう儂を必要としておらぬ。いつかお前が言った通りにな。」

「だ、だからあなたは自ら死を選んだというのですか!」

「儂は死ぬべきだったのだ。旧いデストロンと共に。」

「違います! あなたは新しい時代にだって生きられたはずだ! 新しい時代を作るのはいつもあなたなのだから!」

 自分の出した大きな声に煽られて余計に興奮したのか、スタースクリームは肩で息を吐いている。その彼とは対照的に、メガトロンは静かに首を振った。「儂は万能の神ではないのだ、スタースクリーム。」

「どうして、何故諦めるのですか! あなたがいなければ、我々は我々自身の行く先すらわからないのです。戦い以外は何一つ知らないのです。あなたが指し示し、切り拓いて進む道を未来と信じて、我々は戦い続けて来たのです。それを今、道半ばにして捨てるだなんて、無責任ではありませんか! そんなのあなたらしくない!」

 最後の方は悲痛な叫び声だった。自分の言葉が身勝手で理不尽な非難であると、スタースクリームには分かっていたが、彼は自分の口を止めることができなかった。そんな自分を叱責するでもなく、ただ見守るだけのメガトロンに、彼は怒りにも似た強い感情を抱いた。彼は縋るようにその腕を掴んだ。

「メガトロン様、どうして何も言ってくださらないのです! 何か言ってください…言い訳をしてください! あなたの言葉なら、私は何だって信じられるのに!」

 だが彼は、メガトロンが決して言い訳などしないことを知っていた。自分の考えなど及びもしない次元で、きっとメガトロンは葛藤し、苦悩しているに違いないのだ。いつだってそうだった。メガトロンは決して部下に対して言い訳をしなかった。自らの判断、決断の結果を、時に過ちによるその現実を直視し、正面から受け止め、黙って耐えてきたのだ。彼は他人にその心の内を打ち明けることはしないのだ。スタースクリームは絶望的な気分になった。

「泣くな…そのようにお前が嘆く必要はない。」

 メガトロンは俯いたスタースクリームの顎に指をかけた。彼は驚いて顔を上げた。

「スタースクリーム、目の前でお前に死なれた儂の悲しみ…お前には想像できまいな。」

「…メガトロン様…」

「儂とて部下を失えば悲しい。他でもない、スタースクリーム、お前は儂にとって、未来そのものだったのだからな。」

「私が…あなたの…」

「そうだ、スタースクリーム。」

 スタースクリームは驚愕の余り言葉を失った。メガトロンが初めて見せた心の片鱗に触れた喜びは、しかし内容を理解した次の瞬間、悲しみに変わった。

「嫌です、そんなのは嫌だ!」彼は乱暴に首を振った。「私はあなたの下で、あなたのために働き、あなたと共に生きたかっただけだ…あなたと一緒に! それを何故わかってくれないのですか、メガトロン様!」

「…スタースクリーム…」

「あなたさえいてくれたら、私は他に何もいらない!」

 少しの間、沈黙が降りた。メガトロンが見る内に、スタースクリームは体を離し、視線を逸らして立った。

「わかっていました…あなたが、私をあなたの後継者として扱っていたこと。でもそれは、あなたが究極的に、私ではなくデストロンを選んだということを意味していた。だから私は認めたくなかったのです。」

「スタースクリーム、儂はお前が可愛いのだ。本当に可愛いのだ。だからこそだと、わかってくれぬのか。」

 本当はわかり過ぎるぐらいわかっていたが、彼はじっと地面を見て言った。「わかりません…わかりたくもない。」

「スタースクリーム、儂がお前への個人的な特別の気持ちを認めることは、儂の治世の崩壊だけでなく、デストロンの破滅をも意味するのだ。」

「デストロンの総帥には、人情など不要だとおっしゃるのですか。」

「集団の中で特定の個人に向いた感情の存在は、リーダーとしての判断を狂わせる。私情に引きずられれば組織は腐敗する。情けを掛ければ敵に付け入れられる。公正を欠いた判断に従う者はない。お前も知っている筈だ。だが儂は忘れてはおらぬ、お前を二度も捨てたこと。それは――」
「もう充分です! あなたは決して、自分のためにそう選択したのではない! 全てはデストロンのためだ!」スタースクリームはメガトロンを睨み付けた。「あなたは…あなたは、それでいいのですか、メガトロン様! どうしてあなたがそんな孤独に耐えなければならないのです!」

「儂は選んだのだ、スタースクリーム。遠い昔に、情けを捨て、デストロンの総帥として生きることを。そして孤独でない支配者など、支配者の資格もない。」

「でも…あなたはそうした生き方に疲れていたのではありませんか? あなたはそれを終わらせてくれるものを待っていた、それがサイバトロンのコンボイであり――」

「お前だ、スタースクリーム。」

「やめてください!!」

「儂はデストロンのために生きると決めたのだ、遠い昔にな。」

「あなたは個人的な幸せを捨ててしまったというのですね。」スタースクリームは声を震わせた。「そして最後には、あなたはあなた自身をも捨てたんだ、デストロンのために!」

「儂の存在はデストロンの未来に対する障害になる。当然そうするしかあるまい。」

「でもそれはデストロンのためにはなりません、決して! デストロンにはあなたが、あなたこそが必要だったのに。あなたの居ないデストロンなど、デストロンではありません!」

 メガトロンは微苦笑と共に、必死に言い募る目の前の青年を見た。彼は知らないのだ。彼の死そのものが、メガトロンが自ら死を選んだ直接の原因であることを。デストロンの将来そのものと目した彼を失ったことで、メガトロンは自らの将来に対する希望をもまた失ったのだ。だがその事実を彼に知らせるつもりはないし、これからもその機会は永久にないだろう。

 メガトロンは空を仰いだ。「もう良い…じきに全て終わる。全て消える。」
 スタースクリームは信じられないことを聞いたというように彼を見た。彼はそれがメガトロンの口から出た台詞とは思えなかった。「どうして…そんなことをおっしゃるのです。」

「これは夢だ、現世に迷った儂の未練が作り出した…」

「…夢? なぜ、そう思うのですか、メガトロン様…」

 メガトロンは悲しげに微笑んだ。「お前が居る、スタースクリーム。」

 スタースクリームは一瞬口を噤み、次いでかっとなって叫んだ。

「あ…あなたがこれを夢だと言うのなら、それでもいい! それなら、少しくらい、私がおかしなことを言ったって構わないでしょう? 目覚めた時には、あなたは全てを忘れてしまうのだから!」

「…よさぬか、スタースクリーム」

「いいえ言わせてもらいます! メガトロン様、私はあなたを倒し、デストロンの総帥になろうと思ったことなど一度もない!」

 メガトロンは何も言えなかった。自分の言葉にメガトロンがショックを受けていることにショックを受け、スタースクリームの頭の中で何かが切れた。

「メガトロン様。私があの時…どうしてあなたに刃を向けたか知っていますか。」

「…サイバトロンとの戦いに固執する儂を諫め、代わりにユニクロンに向かわせるためだろう。」メガトロンは半ば自動的に言葉を返した。「でなければ、儂を倒し、デストロンの全権を握った上で、お前自らがサイバトロンとの同盟を結ぶつもりだと、お前はそう言ったな。」

「その通り。そしてそれだけではありません。あなたをデストロンから…そしてコンボイからも永遠に奪い取るためです。」

「…一体何を言っておる、スタースクリーム。」

「後継者である私が死ねば、あなたはデストロンを諦めると思った。そうすればあなたの意識はサイバトロンに向かわざるを得ないでしょう。」スタースクリームはメガトロンを正面から見詰め、挑戦的に言った。「デストロンの未来を潰すこと、これは一生をかけてデストロンを守ってきたあなたに対する裏切り行為だ。だから私は同時に死に場所を求めたのです。あなたを裏切ってなお生き永らえることなど私にはとても耐えられなかった。私はデストロンを道連れに死んでやろうと決めました。そうすれば、あなたは…あなたがデストロンのことを思い出す度、ほんの少しでも、哀れな愚か者の事も思い出して下さるでしょう?」

 スタースクリームはメガトロンから視線を逸らし、歩き始めた。近くで風が呼んでいるのを、彼の両翼が感じ取ったのだった。

「あなたはデストロンを失い、そしてあなたの手にかかって死ぬ私が、代わりにあなたを手に入れる。」

 メガトロンが少し後から付いて来るのを感じながら、スタースクリームは大きな独り言のように続けた。

「あの時…あなたを糾弾し、綺麗ごとを並べながら、結局私は、ただあなたを私のものにしたかっただけだったのです。あなたに反発し、デストロンを飛び出した私は、しかしサイバトロンになることもできなかった。なぜなら私は、ただデストロンが憎かっただけなのだから。」

 彼の目の前に、月光を照り返してぼんやりと光る地面を鋭く切り取る黒い亀裂が現れた。数時間前にこの手で記録した、廃坑に繋がる深い渓谷だ。彼は地面の端からその下を覗いてみた。暗過ぎて普通の目では底まで見通すことができなかった。

「本当に…済みません。私には他にどうしようもなかったのです。」

「スタースクリーム…馬鹿なことを…」

 絞り出すように言いながら、メガトロンはスタースクリームを崖の端から引き戻し、そのまま背後から彼を抱いた。スタースクリームはその腕に触れ、人間が涙を堪えるような仕草で空を仰いだ。

「こんなこと、あなたに言うつもりはなかったのに…。私は本当に愚かです。あなたがデストロンのために苦悩している間、ずっと私が、こんなに汚いことを思っていたなんて、想像もつかなかったでしょうね。」

 スタースクリームはメガトロンを見ないまま言った。もし彼に嫌悪の目を向けられたりすれば、自分はきっと狂ってしまうだろうと彼は思った。いや、既に充分狂っているのかもしれない。彼に軽蔑される前に、自分はさっさと消えてしまうべきだ。

 彼はただメガトロンの腕、体とその大きな気配を間近に感じるだけで幸せだった。内心を窺い知ることはできないけれども、こうして自分を繋ぎ止めようとする彼の思い遣りや、情け深さを感じるだけで充分に思えた。

 スタースクリームは優しい動作でメガトロンの腕を解いた。背後に冷たい風の吹き上がる断崖が彼を待っている。メガトロンが止める間もなく、彼は仰向けに倒れるように空中に身を投げた。

「さようなら、メガトロン様。」

 最後に目にした映像を記憶回路に刻み込むため、彼は光学センサーを遮断しようとした。しかしその寸前、視界に飛び込んできたのは文字通り目を疑う光景だった。メガトロンが落ちている。この自分を追って!

 スタースクリームは今までの人生の内でこれほど驚いたことはなかった。思考回路が停止し、メモリが真っ白になるとはこのことを言うのだろうと、彼は場違いに感心した。いや、現実逃避している場合ではない。三ミリ秒も経たぬ内に、彼は気を取り直した。

 自分などは死ねばよいのだが、メガトロンには生きていて貰わなければならないのだ。考えている時間はない。彼はジェットモードにトランスフォームして、メガトロンの真下に回り込んだ。重力に引かれて加速度を増しつつあった重量物と激しく接触して、スタースクリームは衝撃に一瞬意識を失いそうになった。しかし今は暢気に気絶している暇はない。彼は気力で持ち直した。当たり所は選んだつもりだ。狙い通りにメガトロンの体が上手く引っかかり、スタースクリームは垂直に機首を上げたままエンジンの出力を最大まで上昇させた。だが落下は止まらない。

「もっと崖に近寄れ、スタースクリーム。」落ち着いたメガトロンの声に、スタースクリームは迷いなく従った。

 メガトロンはスタースクリームと崖の間に入り、谷底に向かって傾斜した崖の岩肌に開いた方の腕を思い切り突き立てた。固い岩の壁が脆い砂糖細工のように削られ、次々と砕けて崩れ落ちる。スタースクリームは彼の腕か彼自身が弾き飛ばされやしないかと息を飲んだが、メガトロンはこの不安定な状況で神懸かり的な力のバランスを保っている。一体彼の頭の中ではどんな計算がなされているのだろうかとスタースクリームは思った。

 落下は尚も続き、スタースクリームはあと数秒しか自分の動力用エネルギーが保たないことに気付いた。それでも今出力を落とすことなど考えられない。駄目だった時はそれまで。彼は覚悟を固めた。

 息が詰まるような時間が経って、彼はふと自分の体にかかる負荷が軽くなって来ているのに気付いた。落下の勢いが目に見えて落ちている。もうすぐ止まる。彼がそう思った時、メガトロンが眼下を見た。

「もういい、スタースクリーム。」

 スタースクリームが返事をする前に、メガトロンが彼から手を離し、岩壁を蹴った。

「メ、メガトロン様っ!」

 スタースクリームの思考回路は再び停止した。重い荷物がなくなって、本来の推進力を取り戻した機体は一瞬の間に恐ろしく長い距離を上昇した。彼は無我夢中で反転し、メガトロンの後を追った。だが今度は間に合いそうにない。何かの奇跡が起きない限りは。

「メガトロン様!」

 彼は絶叫した。そのお陰で、彼はすぐ真下から聞こえた物音を聞き逃すところだった。

 それは大きな水音だった。驚く程に近い。彼は目前に迫った水面に激突する前に機首を起こし、垂直上昇した。改めて見ると、岩壁に左右を切り取られた狭い水面があり、幾重にも立った大きな波が次第に小さく消えていくところだった。

「メガトロン様?」

 数秒経って、暗い水面にゆっくりと上がってくる影があった。

「儂はここだ。」

 空中で静止できない我が身を恨みつつ、スタースクリームはトランスフォームした。メガトロンの傍らに水飛沫を上げて落下する。彼は夢中でメガトロンの頭に抱きついた。

「ご無事で、メガトロン様…!」

「ああ。お前のお陰でな。」

 メガトロンは穏やかに笑った。

「いいえ、違います…!」スタースクリームは必死で首を振った。体はがたがたと震えている。「わ、私は、勝手に死のうとしたのです! なのにどうしてあなたが! あなたまで死んでしまっては、私は…私は…」

 メガトロンはスタースクリームの横顔に宥めるように手を添えた。可哀相なスタースクリーム。想いに焦がれる余り、また素直で優しい心根のために、少しも疑うことを知らず、本心から取り乱している。だが彼もまた自分に対して酷い仕打ちをしているのだ。それを思い知らせてやるくらいは許されるだろうと、怒りを感じながらメガトロンは思った。

 彼は静かに言った。「お前は自分が死ぬところを、二度も儂に見せようというのか?」

 みるみる内にスタースクリームは蒼白になった。弁解の余地はなかった。言葉もなく、しょげ返った様子の彼を見て、メガトロンはささやかな復讐を果たしたと感じた。もう充分だ。

「お前の気持ち、よくわかった。そこまでお前が儂を欲していたこと、儂は想像もしておらなんだ。儂の貧しい了見がお前をそこまで追い詰め、命まで投げ出させた事実を知った今、儂は考えを変えることにする。」

「メガトロン様…」

「儂をお前にやろう、スタースクリーム。」

 突然の言葉に、スタースクリームは息を飲んだ。次の言葉を発するまでに、彼は数秒を要した。

「そ、それは…どういう意味ですか。」

「お前が望むまま、どのような意味にも取るが良い。」

「私が…あなたを愛していると言ったら…?」

「それもまたよかろう。」メガトロンは全く動じなかった。「お前の気持ち、儂には理解できん。だがその想いの強さ、認めぬ訳には行くまいて…こうなれば、とことん付き合ってやろうではないか。」

 メガトロンは不敵に笑った。

「儂からデストロンを奪った責任、取ってもらおうか、スタースクリーム?」
「メガトロン様…本気なのですか。」

「二言はない。」

 スタースクリームは我慢できず、しかし恐る恐る顔を近付けた。自分の呼吸が情けなく震えているのが分かる。間近で深紅の光が輝いている。その輝きの中に少しの迷いや後悔、そして侮蔑の色がないのを感じて、スタースクリームは磁力に引き付けられるように彼に口付けた。

 尾羽打ち枯らし、飢えて彷徨っていた兵士がやっと手にした安全とエネルギーを貪るように、スタースクリームは夢中でそれを味わった。メガトロンは全く動じていない――例え内心がどうあろうとも、それを表に出すことは決してない。

 やがて一時の激情は消え去り、代わって湧き上がってきた深い慈しみの感情を込めて、彼は控えめで優しいそれを繰り返した。

 そっと唇を離して、スタースクリームはもう一度メガトロンの双眸を覗き込んだ。先程と換わらない光で彼が見詰め返す。スタースクリームは彼をしっかと抱き締めた。未だ奇跡が自分の手に入ったことが信じられない。だがどんなことがあっても手放すつもりはなかった。

 メガトロンはスタースクリームの肩越しに頭上を見上げた。切り立った崖は遙か上方まで続き、遠くに細長い帯のように昼間の光が見える。

「助かったな、二人共。」

 彼は小さく笑ったが、内心ではスタースクリームの気持ちを利用した自分を嫌悪していた。彼の取った行動は一見、無謀な賭けだったが、メガトロンには絶対の勝算があったのだ。スタースクリームは彼自身を助けることはしなくとも、メガトロンを助けることはするだろう。その程度には、彼を理解しているつもりだった…今は。

 メガトロンには、目の前で身を投げたスタースクリームを助ける手段がなかった。だからスタースクリーム自身の手で彼の命を救わせるため、自分の命を餌にしたのだった。彼は簡単に罠にかかった。

 そのような心無い手段を簡単に思いつく自分を、彼は心底嫌に思った。そこまでして、彼の命を助けたいと思ったのは何故だろうかと、彼はぼんやりと考えた。

 メガトロンは自嘲の溜息を吐いた。彼は心の中でスタースクリームに謝罪し、労いの意味を込めて彼の頭をぽんと撫でた。

 その瞬間に全身に走った衝撃を、スタースクリームは何と形容すれば良いか知らなかった。





 その翌週、街の北方に位置する鉱山から急を伝える知らせが入り、メガトロンは武器を持って集まった市民と共に現場へ出向いた。古くからその所有権を巡って対立を繰り返し、今は勢力を失って辺境へと逃れていた一族が、再び戻って来たのだった。彼らが着いた時には既に流血の騒ぎに発展しており、彼らは負傷した仲間を救い出し、敵を退けるために戦った。

 敵はスタースクリームにとっては取るに足らない相手だったが、仲間の市民にとってはそうではなかった。彼は危機に瀕している仲間を手助けするために戦場を走り回った。そんな中で何度も彼の目を奪ったのは、人々を巧みに統率し、絶えず指示を出しながら、同時に彼らの勇気を鼓舞する、堂々としたメガトロンの姿だった。彼は自らの持ち物である優雅な長剣を抜いていたが、それは彼に向かって挑みかかってきた不運な相手を迎え撃つために振るわれていた。単身で敵陣に斬り込み、彼らを一蹴するのは彼にとっては造作もないことだろう。しかし彼はそうしなかった。彼は、熱意はあるが戦い方に疎い市民を立派に戦わせ、彼ら自身の手によって、数で勝る敵軍を圧倒していた。

 スタースクリームは魂が震えるのがわかった。やはりメガトロンは、政治家のように巧みな弁論や策略、そして信頼できる人柄や魅力的な美声によって人々を従わせるのではない。戦場において発揮される武勇こそが、多くの者の心を掴んで放さないのだ。

 半日にも満たない戦闘の末、彼らは再び鉱山の支配権を取り戻した。久々の戦いによって傷ついた者も少なくなかったが、自らの手で大事な施設を守りきったという達成感や満足感が彼らの間に満ちていた。

 その事件から数日後、メガトロンは中央政権の議会に席を置くある有力議員の私邸に招かれた。近頃目立った成果や武功を立て、そのために地元での有力者と目されるようになっている地方の諸侯を集め、今後の政治運営について話し合う機会を持つためだった。

 郊外の高台にある屋敷の中は、ひっそりと静まり返っていた。車を預け、外で待つためにスタースクリームが出て行こうとすると、メガトロンが彼を呼んだ。「今日はお前も一緒にこちらへ来てもらおう。」

 その声に少しも変わった所がなかったので、スタースクリームは自然に頷いた。「わかりました、メガトロン様。」

 豪華な調度品が設えられた待合室に通され、案内の者が扉を閉めて出て行くと、メガトロンはのんびりと長椅子に腰掛けた。スタースクリームが少し緊張してその傍に立ったまま部屋の周囲を視線だけで伺っていると、メガトロンは静かに言った。

「我々は今、岐路に立っておる。敵とみなす人々と手を取り、不足を分かち合って平和の礎を築くか、武力に物を言わせ自らの繁栄を求める、戦争の時代の幕開けとなるか…」

 近頃頻発する武力衝突はその前触れなのだろうか。それとも、そんな事態を防ぐ為に皆で力を尽くそうというのだろうか。全てはこれから行われる会議の行方にかかっているのかもしれないと、スタースクリームが考えていると、メガトロンが彼に向き直った。

「お前はどちらを望む? スタースクリーム。」

 スタースクリームは咄嗟に返答に窮した。

 彼の本能は戦いを欲していた。彼にとって戦いとは、息をするより簡単なことだった。生命を賭し、魂をすり減らす戦いを、その生命と魂それ自身が求めるのだ。だが同時に彼は知っている。一度メガトロンが戦いの中に身を投じれば、どこに居ようとも、どこに身を隠そうとも時代が彼を見つけ出すということを。その力と志を以って、力なき人々を導けと。彼は生まれ付いての英雄なのだから。今彼を慕い、頼る者の数は一都市を構成するにも満たないが、戦いが長引くに連れ、その数は爆発的に増加していくだろう。集団は組織化され、複雑化していき、やがて鉄の掟が支配する軍勢が出来上がる――デストロンの再来だ。スタースクリームはぶるっと体を震わせた。

「私は…」僅かの間葛藤があったが、スタースクリームは顔を上げた。「メガトロン様、私は、あなたさえいれば、戦いなどいらない。」

 スタースクリームは両方の拳を強く握り締めた。戦争のない世界は彼にとって未知であった。しかしアイアンハイドとして見聞きした経験が、実感として彼の決意を強く支えた。彼は闘いから遠く離れた世界、平和な日常を恐れてはいなかった。

 二人は暫くの間睨み合っていたが、先にメガトロンが視線を和らげた。

「お前の本意、疑おうとは思わぬ。」

 メガトロンは静かに立ち上がった。「だが時として、争いは決して避けられぬもの…」

 スタースクリームは視線で彼を追った。気が付けば、会見の時間はとっくに過ぎていた。広間に相手の姿はなく、代わりに武装した兵が柱の陰から現れた。控えの間に続く扉からも次々と現れ、その数を増していく。

「座して待てども、戦争は向こうからやってくるものよ。」

 メガトロンは自然な動作で帯剣の柄に手をかけ、音もなく鞘を抜き放った。周囲を取り捲く武装したロボット達に、油断なく鋭い視線を投げかける。

 スタースクリームは堂々と立つ彼の姿を食い入るように見詰めた。こうなることを知っていて、彼は自分を連れて来たのだろうか。議員共は最初から、この場に呼び集めた地方の有力者を残らず暗殺するつもりだったのだ。人民の支持を集める彼らが力を付け過ぎ、彼らにとっての脅威となる前に、潰しておくことが賢いと判断したのに違いない。己が利益と保身、そして支配権を巡る争いとは、何と非情で血生臭く、打算的なのだろう。こんな恐ろしい世界で、メガトロンは何万年も一人で戦っていたのだと、自分は少しも知らなかったのだ。

 わっという威嚇とも雄叫びとも取れる掛け声と共に突き出された長槍の穂先を、メガトロンは長剣で軽く打ち払った。闇雲に向かってくる集団を相手にしながら危なげない戦い振りにスタースクリームが思わず見惚れていると、メガトロンはふと振り返り、にやりと笑った。「儂一人に戦わせておいて、お前はただ見ているつもりか?」

 スタースクリームははっと我に返った。「す、すみません!」

 彼は乱闘の只中に躍り込み、メガトロンと彼を狙う敵の間に割って入った。向かって来る兵の剣をかわし、盾を蹴り上げて弾き飛ばす。怯んだ相手を仲間諸共蹴り倒し、ようやくメガトロンに並ぶ位置まで辿り着いた。

 メガトロンは徐に剣を引き、スタースクリームの目の前にそれを差し出した。

「この剣、お前に預けよう、スタースクリーム。」

 スタースクリームは目を見張った。メガトロンの剣。彼が振るい、彼の敵を倒し、彼自身を守る力。それを自分が受け取ることがどういうことか、俄かには信じ難かったが、スタースクリームは迷わずそれを両手で受け取った。

「有り難き、幸せ!」

 メガトロンが軽々と扱っていた細身の剣は、彼の手にずっしりとその頼り甲斐のある重さを伝えた。重過ぎるとは感じなかった。かつてない高揚と幸福がその身を満たすのを味わいながら、スタースクリームは高々と長剣を捧げ持った。かつて彼が崇拝し、敬愛した戦いの神は、今は目の前にいて、彼に向かって微笑んでいた。





End









後書き



 今回はアニメ終盤の展開の私的総括というか、主にスタースクリームの心情をあることないこと語ってみました。デストロンが興る以前の時代が舞台ということで、アニメに基づいていると言いながら、ユニクロンどころかデストロンとサイバトロンの戦いについて全く触れていません(笑)ていうかお気付きの方もあるかと思いますが、一連の会話をさせたかっただけなので、舞台設定の描写がいい加減ですすいませんごめんなさい許して。ていうかメガトロンが一度も変形していない… 

 メガトロンのイメージがアニメと全然違うじゃん、とお思いの向きもあるかもしれませんが、私は彼は本来こんな感じの人じゃないかなあと思っております。鷹揚で物事に動じず、言葉は少なめ。慎重で、決断力があり、じたばたしないが、押されれば引く。無欲。情に流されがち。やや内省的。そしてあの最終回の後なので、ちょっと投げやりです。

 大前提として、指揮官としてのメガトロンは超有能だったとしています。だってあんな宇宙規模に展開した大戦線を数万年も維持するなんて、並大抵の実力では絶対にできませんよ。色んな意味でのリーダーだった初代のメガトロンに比べると、職業軍人的なイメージが強いですが、同時に優秀な政治家でもあった筈です。初代の、本能に従って自分の道を突き進む、というのと違って、自分に求められる役割を果たし、やるべきことをやるべき時にやる、というのがM伝メガトロンの基本姿勢に見えます。彼の本音はラスト前にちょっと語られただけでした。

 今度アニメを見る機会があったら、どうか先入観を捨てて見てみてください。彼は自分のプライドや私欲を優先させたことはありませんし、部下に好き放題言っているように見える時も、結局自分でフォローしています。できないことをやれとも言いません。もっと頑張れとは言いますが。ヘタレな態度とのんびりした梁田さんの声に騙されがちですが、実際に彼が指示し、やっていることは合理的そのものです。そういう表面的な緩和がなければ、ものすごく恐ろしいキャラになっていたと思います。ただ先にも書いた通り、それが彼自身の本性なのではなくて、デストロンの指揮官としてそう行動することが求められていたから彼はそうしていたのだと思います。

 ていうか私ってばメガトロンに夢見過ぎ! 自覚していますです…あ、こういうことを、小説の中で書かなきゃいけないんだった…(だめじゃん) SSが戦士としてのメガトロンを崇拝してたってのは原作まんまです。

 探し方が悪いせいか、WEBではM伝の二次創作を殆ど見かけないので、とても寂しいです。誰かお友達になってください。ていうか誰かサイトでやって! それではこの辺で。



2007.10.11 女転信者



 都合で本の在庫を持つことができなくなったので、発行から3年経ったということもあり、WEBで公開することにしました。本を買って下さった方、どうもありがとうございました。当時のTFサイトを見るに、M伝メガスタはそれ程人気というか需要があるとは思えなかったのですが、予想以上の反響を頂き、実は好きな方がたくさんいたんだとわかって大変嬉しかったです。

 今もM伝メガさんはとても好きなんですが、書きたい事はこの話で全部書いてしまったので後が続いていません・・・うーんうーん




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