以下の文章は所謂「女性向け」ファンフィクションです。やおい、BLといった分野に興味のない方の閲覧はお止め下さい。




Desert Rose





 入日は遥か遠くに見える山の稜線に消えようとしていた。堅牢な要塞の周囲を二重に取り囲む高い城壁の上に立って、メガザラックはその光景をじっと見詰めていた。夕方になって吹き始めた弱い西風が、湿気と共に眼下に広がる深い森の匂いを運んでくる。

 中庭から彼を呼ぶ声がして、メガザラックは体を半分だけ回して振り向いた。

「メガザラック殿、そんな所で一体何をなさっているのですか」と、丁寧に声をかけ、見上げていたのはロードバスターだった。

「別に」と、メガザラックはそっけなく応えた。その声は低く抑えられ、その顔と同じように無表情だった。嫌悪を表しているのではなかったが、好意的でもなかった。

 メガザラックはまた遠くの景色に目を戻した。実の所、彼は自分のことをあれこれ詮索されるのが嫌だったし、ロードバスターと打ち解けてお喋りする気もなかった。彼はその場を離れる訳にはいかなかったので、背を向けることで会話を打ち切ろうとした。

 自分を見かける度にこうして話しかけてくるロードバスターにメガザラックは煩わしさを感じ、彼を敬遠していた。ロードバスターは彼のそうした願いに気付いていないのか、それとも知っていてわざとしているのか、何度気のない応対を受けてもしつこく食い下がっていた。

 ロードバスターはいつも頼みもしないのにやって来て、訊かれてもいないことをぺらぺらと喋りまくった。彼がこの砦に駐屯している雇われ部隊に志願して二年前にやってきたこと、七つある歩兵小隊の隊長の一人であること、それを彼自身が大変誇りをもって務めていること、砦の司令官を心から尊敬していること…その他諸々のことを、メガザラックは知りたくもなかったにも関わらず、何度も繰り返し聞かされたために覚えてしまっていた。

 今日もロードバスターは、背丈四つ分の段差にもめげず喋っていた。相手がろくに話を聞いていないと知っているだろうに、それとも単に何かを喋りさえすれば気が済むのか、彼はメガザラックの立つ城壁の地際に凭れて、昨日彼が当直だった折に発電室でボヤ騒ぎがあったということ、そしてその時に思いがけない同僚の特技を見て大層驚いたこと、その他諸々のできごとを興奮冷めやらぬ様子でまくし立てた。メガザラックは興味のない話に相槌も打たず、努めて彼を無視しようとしていたが、彼の話がこの砦の司令官であるグランドコンボイの事柄に至ると、前方に目を向けたままで、思わず耳を傾けた。

 メガザラックがグランドコンボイについて知ることはほんの僅かだった。その知識の殆どがこの煩くつきまとう下士官の話によってもたらされた物である事は否定しようのない事実で、だからこそメガザラックは不承不承ながらも彼の長話に付き合っているのだった。グランドコンボイを盲信しているらしいロードバスターの話に一体どれだけの客観的な真実が含まれているか、考えるのも空しかったが、それでも全くないよりはましだ。もしこのロードバスターがいなければ、その少なく、美化された情報すらメガザラックの手には入らないのだ。部外者である彼が砦を守る歩哨に話しかけ、グランドコンボイについて尋ねたところで、有用な回答が得られると期待する程、メガザラックは楽観的ではなかった。彼は結局ロードバスターに頼るしかなかった。そうまでして彼がグランドコンボイに関する情報を求める理由はただ一つ、ガルバトロンが彼の人にぞっこん惚れている、それだけだった。

 中庭に面した砦正面の扉が大きく軋んだ音を立てて開き、中から歩いてガルバトロン、そして彼に続いてグランドコンボイが現れた。メガザラックは城壁から中庭に飛び降り、驚いているロードバスターには目もくれず、主人の元に早足で歩み寄った。彼は、足を止めてグランドコンボイに向き直ったガルバトロンから数歩の距離の、邪魔にならない場所に控えた。

 ガルバトロンは見送りに来たグランドコンボイに頷いて見せた。「また会おう、グランドコンボイ。」

「ああ、待っているぞ」と、柔らかい声が応えた。顔面の半分を覆い隠すマスクのせいで傍目にはわかり難いが、声の調子からグランドコンボイは笑ったようだった。彼はメガザラックに向き直った。「君もご苦労だったな、メガザラック。」

 メガザラックは返事をする代わりに、無言のまま丁寧にお辞儀をした。常に言葉の少ない彼のこうした態度に慣れているグランドコンボイは、気を悪くする様子もなかった。

「帰るぞ、メガザラック」と、言いながらガルバトロンは踵を返し、変形すると同時に爆音を立てて離陸した。もうもうとした砂塵を地面に残し、あっと言う間に遠くなっていく彼に遅れないよう、しかし主人の友人であるグランドコンボイに遠慮して、メガザラックは城壁を越えた辺りまで飛んでから変形し、ジェットエンジンに点火した。彼の眼下で、深い森に囲まれた岩山の砦はみるみる内に小さくなり、宵の闇の中に溶けて見えなくなった。





 ガルバトロンの居城に帰ってまずメガザラックがするべき仕事は、主人の体に付着した、この地域のやっかいな砂嵐のために装甲の隙間に入り込み、関節に噛んでしまう砂粒や、他の雑多な有機物の細かい破片が内部機構に吹き溜まり、その極めて精密に組み上げられた機能を傷害する前に、プールに溜めた特製の溶剤と清浄な水を使ってそれらを取り除く作業――平たく言えば、主人を風呂に入れる、ということだ。風呂好きなガルバトロンを満足させるために、メガザラックは僅かな手落ちもないように毎日入念な準備を整える。

 彼らがその金属の体に受けた細かな傷は、その妨げとなる不純物を取り除けば、自己再生機能によって跡形もなく消え去ってしまう。エネルゴンを十二分に供給されるプールに浸かっているとあらば、そのスピードは驚異的だ。痛ましく傷を受けた主人の真っ白な装甲が、自分の甲斐甲斐しい世話の助けを借りて、元通りの輝きを取り戻すのを間近で見られるこの仕事は、メガザラックにとって、彼が決して手を抜かない他の多くの仕事と同じように重要だったが、ほんの少しだけ、彼はこの手間のかかる日課が特別に好きだった。

 メガザラックは主人に対して個人的な親近感や深い情愛を持っているわけではなかった。彼にとってガルバトロンは尊敬と忠誠の対象であり、自分の上にその主として絶対的に君臨する存在だった。彼こそはメガザラックにとっての全てであり、文字通り基準であるという点で神に近かった。その従僕である自分が彼に個人的な想いを抱くことはまったく考えられないことであり、まして自分が主人と同じ世界に生きているとは露ほども思っていなかった。メガザラックが考えるに、ガルバトロンの内心を詮索することは己の分を越えていた。彼がグランドコンボイに想いを寄せていることは、メガザラックにとっては、他のことと同じように、何かの疑問や異論を感じるという類の話ではなく、特別な感情を呼び起こすものではなかった。彼は自分がガルバトロンに仕えることを自然の摂理とみなした。主人の意志に逆らうことなど考えもせず、またそれが導く結果についても自分自身が評価を下すこと、感想を抱くことは筋違いであると思っていた。自分は当然彼に従うのであり、それは少しも特別なことではないのだった。

 こういったメガザラックの、主人と自身の間にはっきりと一線を画す冷静な心持ちは、ガルバトロンの従僕として彼の間近に仕える役目に大変都合が良かった。ガルバトロンは生来大らかな気質であったが、一方で決して気の長い性質でもなかった。メガザラックは他の多くの部下と違って主人を恐れなかったし、彼の癇癪が一過性のものであり、その最中でも彼の内では冷静な計算がされていることも知っていたので、彼に対する尊敬を失うこともなかった。そういう風にして、彼はガルバトロンの全てを受け入れることが――あるいは別の見方をすれば、受け流すことが――できた。超然としたその態度は、ある日、主人の休息の支度を全て整え、控えの間に下がろうとしていたメガザラックの腕をガルバトロンが掴み、ベッドに引っ張り込んだ時にも変わらなかった。

 メガザラックは自分がそういう対象として使われる可能性があることを知らず、従って何の備えもないことを主人に詫びた。ガルバトロンは文句も言わず、それなら勝手にやらせてもらうと言って彼に覆い被さった。メガザラックは、近くとも遠い存在であった主人との濃密な身体的接触に、頭脳回路が焼き切れるような精神的衝撃を受けた。最初から最後まで、彼はほとんどまともに物を考えることができなかった。そんな状態のまま、熱に浮かされたような時間が終わると、このような体たらくで自分は主人に対する義務を果たすことができたのだろうかと、彼は大いに不安を感じたのだった。

 ガルバトロンの一時の気紛れかと思われたそれは、メガザラックの予想に反して半年以上の間続いた。自分を抱いている間、ガルバトロンはどこか遠くを見ているようで、その視線の先にはきっとグランドコンボイがいるのだろうとメガザラックは感じた。ガルバトロンは執拗にメガザラックの体を求めながら、一方でその物理的な快感にのめり込む様子はなかった。冷静な思考を失わないようと努めるメガザラック以上にガルバトロンは淡々とことを運んだ。ガルバトロンは従順な僕に対して乱暴な扱いをすることはなかったが、優しい言葉や愛情のある態度を見せることもなかった。

 それを事実として、メガザラックは何とも思わなかった。ガルバトロンがグランドコンボイを想い、何かの理由のために果たすことができず、行き場を失っているものが自分に向けられたのなら、それを受けることには少しの躊躇もなかった。メガザラックは、不慣れな自分の体がガルバトロンのもたらす大きな快感に、必要以上に過剰な反応を示すことが気まずかった。しかしそれも、心ここにあらずといった風情の主人が自分の反応に無頓着なのを見る内に、独り相撲が馬鹿馬鹿しくなり、昂った彼の体、そして気持ちも徐々に熱を失っていくのだった。





 十年前だったか二十年前だったか、ともかく彼らにとってはあまり遠くない昔、ガルバトロンの治める領土の南の果てに位置する広大な砂漠には、異種族の古い王国が存在し、その支配権を主張していた。小さな石の砦がひっそりと佇むごく狭い荒地を除き、残りは不毛の砂漠と見えたその土地は、しかし地下に膨大なエネルギー資源を隠し持っていた。ガルバトロンは領土拡大の次なる標的をその土地に定め、侵攻する彼の兵力とそれを撃退しようとする既存の支配者との間に激しい戦いが起こった。

 寂れた古城は地上への出入り口に過ぎず、それを辿った先には巨大な地下要塞が存在していた。ガルバトロンの猛攻に、彼らを適当にあしらい追い払おうとした敵の思惑は諦められ、その代わりに鉄壁の守りを固めた篭城が始まった。

 小康状態は一月以上続き、埒の明かない攻撃に業を煮やしたガルバトロンは一計を案じた。彼は放棄された要塞の連絡路を通じて、ダムに一杯集めた爆発性の液体を流し込み、閉鎖空間で爆発させた。頭上を厚く覆っていた表土ごと上層部を吹き飛ばされた要塞を攻略するのは簡単だった。規格外れの爆発による被害は甚大で、ガルバトロンに対抗できる兵力は殆ど残っていなかった。下層部に逃れていた敵の族長を見つけ出して殺し、要塞を制圧したとしてその剣を収めたガルバトロンが、足元のそれに気付いたのは偶然だった。

 爆発とその後に続いた超高温の電離気体の炎流によって要塞の金属壁は焼き尽くされ、脆くなって崩れ落ちた残骸が足の踏み場をなくしていた。建材の残骸と区別がつかないほどに埋もれていた金属の塊、それは低く地面を這う虫の姿をしたテラーコン――ガルバトロンにはそう言い切る自信がなかったが――それらしき異形のロボットの半身だった。

 ガルバトロンの視線を受けて、ショックフリートがよいしょと瓦礫を押し除けた。それは周囲に散在する多くの死骸と同様、先の爆発の犠牲者だった。片方の腕がなく、脚に当たる無限軌道の駆動輪もちぎれて飛んでしまっている。残った胴体には瓦礫の破片が貫通し、焼け焦げて無残な姿を晒しているが、まだ生きているようだった。

「テラーコンですな。この城で飼われていたものでしょう」と、自明の事柄を興味なさそうに言うショックフリートの声に同情や哀れみの色はない。が、彼が特に冷酷という訳ではなかった。苛烈な戦闘が過ぎ去ったばかりの焼け野原で敵方の兵士が死にかけているのを見付けたところで彼らに同情する余裕はなかったし、あったとしてもそれは偽善と紙一重に違いない。ましてそれがテラーコンとあらば尚更で、彼らはどの道、用を成さなくなれば瓦礫と一緒に掃いて捨てられる運命だ。ごく普通の感覚の持ち主にとって、テラーコンはただの道具であり、最大限に好意的な見方をしても、言葉も通じない野蛮な存在である彼らの命を惜しむことは酔狂以外の何物でもない。

 テラーコンには個体毎の区別がなく個別の精神も持たない集合的な生き物である。潤沢なエネルギーによって彼らはいくらでもその数を増やし、あっという間に蔓延るのだ。弱く、人畜無害な彼らはしかるべき様式に則った命令に容易に服従するために、有史以前から被支配階級に甘んじている。

「私はどうにもこの、虫というやつが苦手でして…何とも不恰好というか、醜いというか。ほら、この、殺しても死なないようなところも気味が悪い。」

「誰が貴様の好みを訊いているか。」ガルバトロンが不機嫌な声で一喝すると、ショックフリートは飛び上がって横へ退いた。

 ガルバトロンはテラーコンの上に身を屈めた。それは確かに見慣れない形をしていた。瓦礫の下になっていた体の塗装面は半分近くが炎に焼かれ、塵にまみれて全く本来の輝きをなくしていたが、それでもなお、複雑な造りの体を部分ごとに塗り分けた、それぞれに深みの異なるグリーンを、ガルバトロンは一目見て気に入った。彼は無意識に手を伸ばしたが、その手がテラーコンの潰れた肩に触れ、弱々しい痙攣のような反射を示したのを見ると、彼は手を引っ込めた。そして視線はテラーコンから離さないままこう言った。「こいつを連れて帰る。」

「今、何と?」ショックフリートはきょとんとした。

「聞こえなかったのか? こいつを連れて帰ると言ったのだ、ショックフリート」

「えっ、ええ、しかし、こいつは…」

 向き直ったガルバトロンの周りに不穏な空気が漂った。「何か文句があるのか?」

「あ、いえ、まさか」

「上の輸送艇を回せ。城へ戻る。」

「只今、ガルバトロン様!」今にも再び剣を抜きそうな主人の殺気立った気配に、ショックフリートは急ぎ足で立ち去った。

 頭の上で交わされる遣り取りをどこか遠くのことのように聞いていたテラーコンは、信じられない思いで、僅かに残った視覚で声の主を見ようとしたが、それは叶わなかった。

 配下に対する厳しい態度はなりを潜め、ガルバトロンはテラーコンの頭に軽く触れるようにかざした手指で、その傷ついた装甲を静かに撫でた。

「メガザラック。」と、ガルバトロンは呟いた。「メガザラック、覚えておけよ。今からお前はわしの物だ。」





 メガザラックは淡い光の中で目を覚ました。彼の体は浅いプールに張られた水に浸かっており、その水が仄かに燐光を発していた。破壊された体はすっかり復元しており、何の苦痛もなかった。

 彼は大きな尻尾を左右に使って滑らかに水面を渡り、プールの淵を乗り越えて床に上がると、注意深く周囲を見回した。彼の体から滴り落ちた水滴が床に淡い光を残して消えた。発光するプールの他に光源はなく、部屋は暗かった。壁はすぐ近くにあったが、頭上に広がる空間はぽっかりと高く、天井は遠すぎてその存在が感じられなかった。途切れる前の記憶に間違いがなければ、ここは――

「目が覚めたか、メガザラック?」

 聞き覚えのある声が彼を呼んだ。そうだ、それが自分に与えられた新しい名前だ。目の前のこの男は新しい主人で、確かガルバトロンと呼ばれていた。そしてこの建物は彼の所有物で、おそらくは彼の領地にあるのだろう。メガザラックは前触れなく人の姿にトランスフォームし、服従の意志を示すために片膝を突いて恭しく礼をした。

「これは、驚いたな」と、数瞬の沈黙の後で、ガルバトロンが唸った。そういえば、テラーコンにも変形するものがいるのだったか、と彼は不意を突かれてバラバラになった威厳ある態度を繕いつつ言った。「メガザラック?」

「はい、ガルバトロン様」と、メガザラックが応えた。深く、落ち着いた彼の声音はガルバトロンの聴覚に心地良く響いたが、少々抑制が強すぎるように彼には感じられた。

 名乗った記憶のない名前を当然のように呼ばれて、ガルバトロンは心の中で再び唸った。すぐに彼が自分とショックフリートの会話を聞いていたのだろうと思い当たったが、その抜け目のなさ、注意力を彼はしっかりと心に留めた。

 ともかく、このテラーコンには何も説明してやる必要がないらしい。見ず知らずの場所に連れて来られて狼狽しているであろう彼に言い聞かせるために準備していた言葉は宙に浮いてしまい、おまけに自分が名乗る機会までなくなってしまった。何と面倒のない奴だろうか。その物分りの良さと落ち着き振りに、ガルバトロンは拍子抜けしてしまった。

 これも言う必要はないかも知れないが、と思いながらも、口に出す必要性を認めて彼は言った。

「いかにも、わしはガルバトロン、この地方を治める領主だ。お前にはこれからわしに仕えてもらう、今までの主人のことはきれいさっぱり忘れてな。」

「心得ております。何なりとお命じを、ガルバトロン様」と、丁寧に返したメガザラックの声には、その外見と同様に、僅かな感情も表れていなかった。

 ガルバトロンは鷹揚に頷きながら、メガザラックの内心を探ろうと油断なく観察の目を光らせていたが、しかしどんなに注意を払っても、彼から不穏な気配を感じ取ることはできなかった。それどころか、彼は自分が何者かの下に仕えることを当然のこととしているらしい、とガルバトロンは感じた。それをテラーコンとしての運命と思っているのか、長年の間に何かをすっかり諦めたような、悟りきったその態度にガルバトロンは違和感を覚えた。彼は踵を返し、廊下へと通じる扉を開けた。

「わしの部下共にお前を紹介せねばな。ついて来い、メガザラック。」





 新たに召し抱えられた臣下として、異形のテラーコンを見せられたガルバトロンの部下達の間から、驚きのざわめきが起こった。側近としての立場を彼に追われる形になり、声高に不満を訴えたショックフリートに、ガルバトロンは容赦なく雷を落とした。

「何度も言わせるな! こ奴をわしの従僕とする。良いか、わし以外の者が直接こ奴に命令することは許さん。無論、こ奴に手を上げることもだ。わかったな。」

 今度は誰も異を唱える者はなかった。

 メガザラックは表情ひとつ変えず、目の前の騒ぎを他人事のように眺めていたが、しかしこの宣言によって、彼は自分がおよそ普通では考えられないような安全を約束されたことに気付いた。テラーコンが、彼ら以外の種族と対等の立場での扱いを受けることはそれ自体が破格の待遇に違いない。否、対等どころか、メガザラックに対する実力行使が禁止され、一方で彼には何の制限も課せられていないのだから、実際は圧倒的に彼が優位だった。彼はその特権を濫用することに何の魅力も感じなかったが、謂れのない暴力や虐待に煩わされる心配をしないで済むのは都合が良いと思った。

 部下を解散させて、ガルバトロンは一人傍らに残ったメガザラックに話しかけた。

「ショックフリートのことは気にしないで良い。どの道、奴は臨時の供だ」と、彼は簡単に説明した。長年彼の従者を務めてきた腹心の部下には、今は別の重要な拠点を維持管理する仕事を任せているのだという。

「奴がいなくなってからこの方、不便にうんざりしていたところだ。わしの身の回りの雑事は全てお前に任せる。好きなようにやれ。」

「畏まりました。」

「この城にあるものは、エネルゴンだろうと何だろうと、わしに断りなく使って良い。さて、気の利いた世話を期待しているぞ。」

「お心のままに、ガルバトロン様」と、抑揚の小さい一本調子で返し、メガザラックは深々と頭を下げた。彼にとっては、誰が自分の主人であっても同じことだった。長年仕えた砂漠の王が死んだことは聞かされたが、何の感慨もなかった。

 それにしても――ガルバトロンがその言葉通り、不便に耐えかねていた時に都合よく見つけた道具を拾ったのだとして、それが例え気紛れや戯れによるものだとしても、かつては敵対勢力の配下にあった自分を、過酷な運命の手からいとも簡単に引き離してしまった彼に対して、メガザラックは驚きを禁じえなかった。追って、手厚い治療を施され、かの土地では絶大な権力を誇る領主その人に極めて寛大な扱いをされたことを思い返すと、ようやく彼の胸の中に、ある種の感情が染み渡った。

「有り難うございます、ガルバトロン様。」

 それが具体的に何に対する礼だったのか、メガザラックにはよく分からなかったが、ガルバトロンもそれを追求することはなかった。ガルバトロンは何でもないように鷹揚に頷き、もう下がるようにと手振りで合図した。メガザラックは、主人のそのあっさりとした態度の中に、微かな満足が込められていたような気がした。





 それから半月余りが過ぎた頃、ガルバトロンは久方ぶつかった記憶のない厄介な問題に頭を悩ませていた。メガザラックに用事を言いつけて追い払い、一人になったガルバトロンは、玉座に深く身を沈め、視界を閉じて沈黙の中に解決策を探っていた。

 彼は最初に感じた、手がかからず便利この上ない相手であるという、メガザラックに対する認識を改めなければならなかった。否、命令にはよく従い、何事も器用にこなすメガザラックは今も確かに手のかからない部下であるということには変わりがない。しかし別の意味では彼はまったく手に負えない難物だった。

 いや、恐らく、彼が悪いのではない。彼が過去に置かれていた立場、テラーコンとして受けてきた扱いが、必然的結果として今の彼を作り上げたのだ。彫像のように動かない表情、主人の命令以外のどんなことにも興味を示さない好奇心のなさ、自分に向けられた侮蔑の言葉に対する無反応、身体的な苦痛に対する不感応。まるで柱に縛り付けられ、目隠しをされたまま何年も放置された囚人のようだ――瑞々しい感受性と活発な動きを持った心があっては、彼は生き延びられなかったのだろう。

 ガルバトロンは他人を己の足下に跪かせ、思い通りに従わせることにある種の満足を覚えるという、支配者たりえる天賦の素質を備えていたが、彼は魂のない人形の王になりたいとは決して思わなかった。彼は自分に課するのと同じように、他人に対しても、志とか信念とか、そういう精神的な厳しさや美しさを常に求めていた。

 ガルバトロンはメガザラックの精神をこんな風に潰してしまった、かつての彼を取り巻いていた環境を憎悪すると同時に、絶対にこの可哀相な生き物の心を無慈悲な神から奪い返してやろうと、生来の正義感と反抗心でもって決意した。

 ガルバトロンは君主として常に領民の上に君臨し、同時に、この狭い大地の分配を巡る近隣諸侯との戦いに鎬を削っていた。その中で、彼は常にメガザラックを目の届く場所に置き、あれこれ手を尽くして彼の心を再び生き返らせようとした。事ある毎に声をかけ、彼の前で怒ったり笑ったりして見せ、幾度となくその手際の良さを多少大袈裟に褒めてやり、何か面白い事柄が起こればメガザラックにも感想を求め、いつも彼の自意識を育てるように手間を惜しまず世話を焼いた。傍から見れば、随分と口やかましく威厳のない領主だと思われただろうが、彼は外聞など気にしなかった。彼はメガザラックに対する働きかけが徒労に終わるとは少しも考えなかった。

 彼の決意から数年が過ぎ、辛抱強く続けられた努力の甲斐あって、とうとうある日、目覚しい成果が実った――何だったか、ガルバトロンの発した言葉に、メガザラックが嬉しそうな表情を見せたのだ。それはともすれば困惑の表情とも取れる曖昧な物だったが、ガルバトロンにとっては――そして彼が願うに、メガザラックにとっても――とてつもなく大きな意味を持っていた。実際、その日を境に、メガザラックは少しずつ、普通の心の動きを取り戻していった。彼を知る誰もがその変化に驚きを隠せなかった。

 ガルバトロンは一時の爆発力に於いては核融合をも凌ぐ勢いがあったが、その反面、残念ながら地道な努力を積み重ねることができるタイプではなかった。心の動きとその表現という、目に見える成果を獲得したせいか、彼の情熱的な試みはかつての勢いを失って随分とおざなりになった。その内に、彼にとっては全く思いがけない、旧知の友人グランドコンボイとの再会という事件があって、メガザラックに対する心配は、ガルバトロンの意識からすっかり抜け落ちはしないものの、ひっそりと片隅に追いやられてしまったのだった。





 メガザラックが再びガルバトロンの寝所から遠ざけられるようになって、十日余りが過ぎた。控えの間で、隣のガルバトロンの居室に、眠りに就いた彼のいつもより静かな気配を感じながら、メガザラックは、とうとう主人が自分を抱くことに飽きたのだろうかとぼんやり考えた。それともやはり、不慣れな自分では十分な役に立たなかったのだろうか。メガザラックが感じたのは喪失感、そしてその陰に隠れた一抹の寂しさだった。それは自分の至らなさに対する失望から来るものだったろうか。メガザラックには分からなかった。

 ここ数日の間、ガルバトロンは毎日のようにグランドコンボイの元に通っていた。彼の表情はいつものように自信に満ち、快活だったが、メガザラックにはある種の焦燥が彼を忙しく駆り立てているのが見えた。ガルバトロンは今、何かの壁にぶつかっているか、すでに何かの大勝負に出ようとしているに違いない。メガザラックは二人の間にある事情を知らなかったが、ガルバトロンの態度からそう読み取っていた。いずれにしても、とメガザラックは思った。いずれにしても、己のため、領民のために絶え間ない戦いに明け暮れる中で、ガルバトロンが望みを叶え、その孤高の支配者たる精神の拠り所、安らぎとなる存在を手に入れることは、メガザラックにとっても大事な願いだった。

 メガザラックは自分が祈るような気持ちになっていることに気付いて愕然とした。ガルバトロンは自分に心配されるまでもなく、彼自身の力によって望みを叶えるだろうし、それ以前に、自分のような従僕ごときが、ありもしない主人の成功や失敗を案じ、心を乱すなどとは思い上がりも甚だしいではないか。いつから自分はそんなに偉くなったのだ? 己の立場を弁え、決して一線を越えず、主人の意に従って尽くすことが己の忠義ではなかったのか。この彼を想う気持ちが従僕としてのそれを遥かに越えているのなら、自分の――待て、今何と言った――自分の、想いだって?

 メガザラックの息が止まった。背徳心が罪の意識を猛烈に煽り立てた。主人に向けたこの想いは――とんでもない、自分が彼を、いや、そんなことがあって良いはずがない。だが自覚してしまったからには、認めないわけにはいかなかった。ガルバトロンはかつて、いつも自分に言って聞かせたではないか、心が動くのを感じろと。そして動いた時には、それに名前をつけるのだと。

 メガザラックは視界を閉じ、心の中でじっと考えた。そして彼にしか聞こえない小さな声で、愛していますと短い言葉を呟いた。再び視界を開いた時、メガザラックは自分が泣いているのに気付いた。





 一度自覚した気持ちは、日を追って強くなるばかりだった。そして微かな後悔と共に決まって思い出されるのは、ガルバトロンと過ごした幾日もの夜のことだった。

 それはもうずっと遠い昔の話のようにも思えたが、メガザラックは今もその感覚をありありと思い出すことができた。以前は努めて意識の外に追いやっていた細かな感触を、自分を根こそぎ押し流した怒涛を形作っていたそれぞれの細い支流を、あえて見ないようにしていた――今となってそう思える――太陽の下で見るそれとは異なる主人の小さな仕草、その表情の一つ一つを、彼は無意識の記憶を頼りに詳細に再現しようと試みた。そうして彼が発見したのは、自分を抱くガルバトロンの、表情を殺した、やりきれない痛ましい姿だった。あの時どうして、自分は彼の体を受け入れながら、その背を優しく抱き締めることをしなかったのだろう。メガザラックは不甲斐ない自分を呪いながら、かつてその身を焼いた快感に熱い溜め息を漏らした。

 いっそ、この記憶は身の程知らずの想いと共に、永久に消し去ってしまうのが良いかもしれない。だがメガザラックはその考えを振り払い、決意した。恐らくこの先、主人に抱かれることは二度とないだろう。この終わってしまった関係は、例え僅かな間でも、この自分に甘美な夢を見せてくれたものだ。愚かにも、その時の自分はその貴重さに気付くことができなかったが、今こうして、完全な手遅れになる前に気付くことができたではないか。これは素晴らしい幸運に違いないのだ。だから大事にしよう。彼を愛する気持ちと共に、自分の心の中だけで大切に保っていこう。自分は決して、主人にこの気持ちを悟られる真似はしまい。この想いは、否、どんな種類のものであっても、下僕である自分が心に抱く思いは、主人を煩わせるだけだ。幸い、自分は命尽きるまで彼に仕えることが定められた身、この先ずっと、お傍にいることができる。この気持ちは隠し通し、今までと何の変わりもなくお仕えしよう。それで充分、否、身に余る幸せだ。

 玉座に身を沈め、頬杖をついたガルバトロンの横顔に浮かんだ憂いの表情を見る度に、メガザラックの胸はかき乱された。主人に触れて優しく慰めることのできる腕を自分が持っていたらどんなに良いだろう。しかし、それができるのは自分ではなく、グランドコンボイただ一人。メガザラックはともすれば鎖を断ち切って暴走を始めようとする熱情を、持てる理性を総動員して抑え付けなければならなかった。心に渦巻く激流に反して、メガザラックは恐ろしい程のポーカーフェイスを保ち、気配も冷静そのものだった。ガルバトロンは彼自身が取り付かれた悩みのために、行き場のない恋慕に身を焦がす従僕の内心に気付くことはなかった。





 太陽が天頂を過ぎ、慣例となったガルバトロンの出発の時間を前にして、メガザラックはその準備に手抜かりはないかと周囲を見回した。玉座から立ち上がった主人が自分の目前を横切る際に、その惚れ惚れするような体躯が少しの曇りもない輝きに彩られていることを見てささやかな満足を覚える。メガザラックはガルバトロンの後に従った。

 広間を抜け、大きく解放された窓からベランダに踏み出そうという時、ガルバトロンが突然足を止めた。メガザラックも反射的に立ち止まる。

「お前は来ないで良い」と、ガルバトロンはメガザラックに背を向けたまま言った。メガザラックは声こそ上げなかったものの、否、驚きの余り声を失い、その場に凍りついた。ガルバトロンはメガザラックの返事を待たず、変形して飛び去った。彼の残して行った旋風が微風となって消え、その熱さが感じられなくなってからも、メガザラックは爪の一つも動かすことができなかった。

 その晩、ガルバトロンは戻って来なかった。メガザラックは窓辺で主人の帰りを待っていたが、日が沈み、夜半を過ぎたところで、与えられた控えの間に戻った。そして寝床の端に腰掛け、頭を抱えた。

 昼間、主人の言葉に対して自分が起こした反応に、彼は殆ど恐怖を感じていた。何の返事も返さなかった自分に、主人は間違いなく気付いたはずだ。それを彼が不審に思うかどうかは別として、メガザラックは不意打ちの衝撃によって簡単に崩れてしまった自分の意志――自分の恋慕を決して主人に悟られまいとする決意――の弱さを知った。ガルバトロンが共を連れず、一人で逢瀬に出かけることに一体何の不都合があろうか。この城とグランドコンボイの要塞の間を隔てるものは、誰もいない砂漠だけで、今や彼に危険を及ぼす物など何一つ存在しない。通い慣れた航程に於いて、あるいはその先で彼を待つ大切な時間を過ごすに当たって、ガルバトロンが自分の存在を邪魔に――少なくとも、何らかの負担をかける存在として――思ったのだということが、メガザラックの心を打ちのめしたのだった。

 メガザラックは頭を振った。グランドコンボイを愛し、幸福の内に彼と結ばれた主人を、自分はその傍で密かに想い続けようと決めたではないか。

 メガザラックの目に、小さな四角い天窓から差し込む光が白く映った。ガルバトロンは遂に帰ってこなかった、その事実が意味するものを悟った彼の頬を伝ったのは涙だった。メガザラックは半ば絶望の気持ちで考えた。これは祝福の涙なのか。そうでなくてならないはずだ。主人の幸せを願うことが、自分の幸せのはずなのだから――いや、違う。認めよう、これは自分が彼を手に入れるという微かな可能性、元々ありもしない機会を永遠に失った悲しみの涙だ。

 メガザラックはもう自分の気持ちから目を逸らすことを諦めていた。そして、それでも尚、彼はそれを決して主人に打ち明けることはしまいと誓った。そしてずっと傍に仕える、そんな辛い事ができるだろうか? ――できる。何故なら彼はガルバトロンを心から愛しているからだ。どんなに苦しくとも、何も言わずに身を引くことが、僕である彼が主人に与えることのできるただ一つの愛の形だった。だから彼にはこの先のどんな苦しみにも耐えてみせようという覚悟があった。自分は彼を愛し続けよう。だから、ずっとお傍に――

 メガザラックは微笑んだ。穏やかに満たされた気持ちで、彼は主人の帰りを迎える準備に取りかかった。





 すっかり日が高くなった頃、ガルバトロンは城に戻ってきた。

「お帰りなさいませ」と、落ち着き払って彼を出向かえたメガザラックに、ガルバトロンは頷きを返した。

「留守番ご苦労。変わりないか。」

「はい、何も。」

 大股で颯爽と廊下を渡って行くガルバトロンの後に着いて歩きながら、メガザラックは内心でほっと胸を撫で下ろした。いつもの主人に戻っている。彼がこの城を離れた遠くの空の下に拠るべき場所を定めたのだとしても、こうして夜が明ければ彼の城に、彼を待つ僕の元に帰って来てくれるのなら、自分には一体何の不幸せがあるだろうか?

「沐浴の支度が整っております、ガルバトロン様」と、広間でふと足を止めたガルバトロンに向かって、メガザラックは控えめに言った。

「そうだな」と、ガルバトロンは頷いたが、そこで彼はくるりとメガザラックを振り返った。「その前に、お前に話がある、メガザラック。」

「ガルバトロン様?」と、メガザラックの声がつい問いかけるような調子になったのは、ガルバトロンの改まった様子に、言いようのない不吉な予感を覚えたからだった。第一、従僕である自分に主人から折り入って話があるとはおかしなことだ。絶対服従の誓いを破ったことのないメガザラックの行動規則を変えるには、どんなことでも、一言の命令で事足りるのだから。

 有り難くないことに、メガザラックの不安は的中した。

「従僕としてのお前の任を解く」と、ガルバトロンはメガザラックを見据えてはっきりと告げた。

 メガザラックは最初、何を言われたのか解らなかった。頭の中でその言葉を反芻する内に、徐々にその文字の羅列が意味をなし、氷の刃となってメガザラックの胸を刺し貫いた。

 何故、という呟きは声にならず、微かに唇が震えただけだった。彼はその場に崩れることもできなかった。

 メガザラックは自分の生命の火が立ち消えるのを感じた。彼はガルバトロンに拾われ、その下で時間を過ごしたことで、初めて感情らしい感情を持ち、それを発達させてきたのだった。彼が生まれてからずっと置かれていた環境は極めて苛酷だったために、そういうものを持つことは自分自身を苦しめる役にしか立たなかった。その結果として、メガザラックは単純に好悪を感じる心もなくしていたのだ。ガルバトロンの庇護の下で、彼が見せる手本を真似する内に、彼は徐々に自分周囲の世界に感覚を伸ばす――ただ警戒するのではなく――ことを覚えた。それは新しい驚くべき発見を次々と彼にもたらした。他人に対する無関心や無頓着、そして無感動という防御手段は次第になりを潜め、その代わりに好奇心や興味という活き活きとした感覚を手に入れるに至った。そしてその次にやって来たのは好意とか尊敬とか、他人に向かう心の働きで、ガルバトロンを対象としたそれは急速に大きくなっていったのだ。そして今その存在の一切を傍らから奪われるということは、はっきりとメガザラックの精神的な死を意味した。

 涙は出なかった。心を失った者が、悲しみの涙を流すことはないのだから。





 音もなく崩壊を始めたメガザラックの精神を今一度繋ぎ止めたのは、ガルバトロンの必死の呼びかけだった。メザラックの驚愕に強張った顔が、一転して表情を失っていくことに、それが全くの無言の内に進行していくことに、彼は恐怖に近い焦燥を感じた。メガザラックが以前の、出会ったばかりの頃の彼に戻ろうとしているのを、彼はこの地上に存在するどんな物よりも強く恐れた。

「待て! 待て、メガザラック! お前を捨てようと言うのではない!」

 ガルバトロンは自分の話し方の拙さ、迂闊さを呪った。何の事情も知らないメガザラックが――しかも彼はこの自分を心の拠り所としている――形式的な宣告だけを先に聞かされれば、その内容を誤解するであろうことは火を見るより明らかだった。ガルバトロンは自分の声が既に届いていないことを見て取ると、どうしていいかわからず、メガザラックをひったくるように強く引き寄せ、両腕の中にかき抱いた。

「メガザラック、愛している。メガザラック…!」

 その心の衝動のまま、ガルバトロンはメガザラックに口付けた。腕の中でメガザラックの体がびくりと跳ねた。その顔に驚きの表情が戻っているのにガルバトロンは気付いたが、彼はそのまま何度も深く口付け、名前を呼び、愛していると繰り返した。

「メガザラック、もうわしの命令通りに生きることはない。お前の意志で、わしの傍にいることを選んでくれ。」

 ガルバトロンが見守る内に、メガザラックは萎れるように項垂れた。

「…できません、ガルバトロン様」と、ガルバトロンの強い腕に囲われたまま、メガザラックは左右に首を振り、弱々しい抵抗を示した。

「何故だ。どうしてそんなことを思う?」と、ガルバトロンは悲しみに満ちた声で言った。

「私は――私はただ、ずっとガルバトロン様のお傍に…それだけで…」

「それならば、わしの伴侶として、一生添い遂げてくれぬか。」

 メガザラックは尚も頭を振った。「この命はガルバトロン様にお仕えする為に救われた物、その使命を失くして、どうして生き永らえることができましょう。」

「メガザラック、そんな事を言うのではない、メガザラック…」

 しばし途方に暮れた後、ガルバトロンはふと思い当たった考えにがっくりと肩の力が抜けるのを感じた。

 冷静に考えてみれば、先程から沈痛な面持ちで首を振り続けるメガザラックは結局の所、自分を拒んでいるのではない。要するにメガザラックは今まで忙しく立ち回っていた仕事を全て取り上げられた後の自分が、何をして日々の時間を過ごせば良いのか想像することができずに竦んでいるだけだ。そして驚くべきはそれだけではない、メガザラックは主人であるこの自分の言葉を撥ね付け、その意志に抵抗しようとしているではないか!

 ガルバトロンは嬉しくなった。最初は壊れた人形のようだったメガザラックが、今や立派に自我を手に入れ、その感情と忠誠心との板ばさみに遭って――つまりはその両者を天秤にかけているのだ――涙を流すまでに至ったのだ。

 これを満足と言わずして何としようか。ガルバトロンは心の底から湧き上がる満足の笑いを抑えることができなかったが、腕の中のメガザラックにそれと悟らないよう、声を出さないようににんまりと笑うに留めた。彼はメガザラックが無意識とはいえ主人に逆らっている事実を指摘して、彼の態度を再び絶望的に硬化させる危険を冒すつもりはなかった。

 ガルバトロンはやっと安楽な気持ちと共に落ち着きと自信を取り戻し、ふうと溜息を一つ作って吐いて見せた。「連れないことよな…わしは、一目見てお前に惚れたというのに。」

 狼狽しきったメガザラックの顔を指先で愛でつつ、ガルバトロンは少々芝居がかった態度で続けた。「そこまで言うのなら、メガザラック、わしの身の回りの世話は今まで通りお前に任せよう。それでどうだ?」

 メガザラックはうろうろと視線を彷徨わせた。「ガルバトロン様、私は…」

「わしが嫌いか? メガザラック。」

「まさか!」と、思わず声を上げてから、メガザラックはしまったというように口をつぐんだ。「ですが…ですが、私は…」

 ガルバトロンはメガザラックを見詰めて微笑んだ。「愛している、メガザラック。」

 メガザラックは弾かれたように顔を上げ、泣きそうに顔を歪めると、慌ててそれを隠すようにまた俯いた。「私は…ガルバトロン様、私はテラーコンです。」

「それがどうした。わしはそんなこと気にもしない。」

「ガルバトロン様、お願いです…私には…身に余ります。どうか…」

 語尾は震えてかき消えるようだった。もう一押しだ、とガルバトロンは睨んだ。ようやく諦めたかと思えたメガザラックは、最後に掠れた声で問うた。「ガルバトロン様…グランドコンボイ殿の、ことは」

 ああ、とガルバトロンは天井を仰いだ。「奴とは何もない。」

「ですが…ガルバトロン様、」

「心配するな。確かに、事情を知らぬお前が誤解するのも無理はない…奴とは古い付き合いでな、確かに昔は色々あったが、それもお前がここに来るずっと以前の話だ。今ではそれぞれが落ち着く所に落ち着いたというべきだな。だから、お前が心配するようなことは何もないぞ。」

 訴えるような視線を向けたメガザラックの為に、ガルバトロンは少し笑って付け足した。「奴は人材育成を人生の楽しみとして見出したそうだ。そしてわしはお前を見つけたというわけだ。これでどうだ?」

 メガザラックの頬を優しく拭い、ガルバトロンは再度彼に口付けた。メガザラックがありったけ積み重ねた拒絶――否、恐れと逃げの態度とは裏腹に、彼はガルバトロンの唇を柔らかく受け、探るように滑り込ませられた舌を拒みはしなかった。メガザラックがその両腕を彼の背に回してしがみつき、息を乱して深くなった口付けに応えたことに、ガルバトロンは大変気を良くした。

 いつの日か、すっかり懐いて遠慮を忘れ、態度を大きくした愛すべきこの生き物が、我侭放題に自分を振り回してくれることもあるだろうかと、ガルバトロンはささやかな期待を抱いた。ようやく手中に収めた恋人に、ガルバトロンは改めて計り知れない大きな愛情を感じたのだった。





The End







ザラックさん好きに捧ぐ with love

 この話と「His Master's Voice」、実はまだスパリンのアニメが放送されていた頃にネタとしてメモっていたという(そしてずっとほったらかしになっていたという)、納豆もびっくりの熟成期間を経て遂に日の目を見ることになりました。まあ面白かったかなと思って頂ければ、書いた甲斐があったというものです。

 そうやって長々と叩いたり延ばしたりしている内に、何だか同じような話が二つできてしまい、それがどうにも一つにまとめることができず、かと言ってどちらも捨てるには未練があったので結局両方完成させることになりました。

 舞台設定の補足…最初の話→世紀末救世主伝説 後の話→封建時代ヨーロッパ みたいな感じで想像して頂くと簡単です。

 これらの話の主役はメガザラックでありテラーコンな訳ですが、共に原作中では踏んだり蹴ったりの目に遭っているのを見て、動物好きな私としては面白いはずがなく、何でこんな小っさくて(メガザラックは小っさくないが)罪もないロボ達がこんな酷い目に遭わなけりゃいかんのだ! サイバトロンもデストロンも貴様ら鬼だろっていうかそもそもテラーコンって何? みたいな感じで、問題提起っぽく無責任に設定を捏造してみました。

 まあ何にせよ共通する作者の思いはただ一つ。

 ザラックさん、頼むから幸せになってくれ!


2006.6.21webサイトで公開
2006.10.22初版発行
2012.2.23改




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