以下の文章は所謂「女性向け」ファンフィクションです。やおい、BLといった分野に興味のない方の閲覧はお止め下さい。


 
 
荒野に吹く風(後編)
 
 

長い年月、俺の時間は止まったままだった。旧世界が音もなく崩壊を始めた時から、俺の意識、心は少しずつ傷付き、汚れ、壊れていった。恐怖と混乱の中で人々は狂気に取り付かれ、暴力だけが生き残るための手段となった。良識や善意は死を呼び寄せるだけだった。他の誰もと同じように、俺は正気と理性を失った。自分だけが生き残るために、弱いものから奪い、獣のような本能に支配されて――あるいはそれに頼って――狂乱の中、俺は出会った人間を手当たり次第に殺した。そうしなければ俺の方が死んでいたし、それができた人間だけが生き残ったのだ。俺はかつて大切にしていた全てのものを失い、名前すら失くして、何の目的も望みもないまま、誰もいない荒れ果てた世界を亡霊のように彷徨っていた。

今から思い出しても悪夢のようだった混迷の時期が過ぎると、世界には曲がりなりにも新しい秩序が生まれ始めた。圧倒的な武力を持ちながら、言葉で人を動かすカリスマ性を持った独裁者が現れ、人々を纏めることに成功していた。放浪の果てに偶然その場面に居合わせた俺は、どういう訳か、イモータン・ジョーと名乗るその独裁者に認められ、軍事部門で重用されて、彼の築いた帝国で支配階級の一角を占める存在となった。

彼の実子スクロタスが無事成人し、ガスタウンとその周辺地域の支配を任されると、俺は彼の領地を守る砦の1つに送り込まれた。その場所で俺は、無力で貧しい住人たちにスクロタスの威信を見せ付けたり、境界線を超えて侵入を試みる南方の集団と戦ったりしながら、依然として狂気によって生かされている自分を他人事のように眺めていた。

粗暴で野蛮な支配者を演じるのは楽だった。躾の行き届いた犬のように従順なウォーボーイの献身を受けながら、俺は何日も、何ヶ月も、何年も、守る意味も価値も解らない砦の上に立ち、荒野を吹き抜ける乾いた風の音を聞いていた。それは恐ろしく空虚な時間だった。何も考えずに済むのは有難かった。

俺の時間が再び動き出したのは、死ぬほどの大怪我を負って倒れ、何日もの間、高熱に魘された後、その熱が引き始めた時だった。砂に埋まった貝殻が、引き波によって再び姿を現すように、長い年月埋もれていた俺の中の何かが、スタンプ・グラインダーという瓦礫の中から這い出そうとしていた。

性器という物理的な手段を失ったことで、俺は長年振り回されてきた野蛮極まりない性衝動から解放された。何十年か振りに心に理性と穏やかさが戻ったのを感じた。ずっと忘れていた遠い過去の記憶が少しずつ蘇ってきた。家、妻、子供、仕事、故郷、美しかった世界。そして悪夢のような現実――そうだ、俺は何を誤解していた? 喜びも希望もなく、信じるものも、愛も、心すら失って、死を恐れるという本能だけに突き動かされ、ただ永らえているだけのこの状況は、まさに悪夢だ。目覚めという救いはない。俺は生きている限り、この悪夢からは決して逃れられない。

俺の精神は改めて絶望と狂気に捕らわれそうになった。

急に思いついて、俺は傍仕えの青年を呼んだ。彼はウェイストランドで生まれた、旧世界を知らない新しい世代の人間だ。孤児であったり人身売買によって幼い内に集められた子供たちは、ジョーを頂点とするごく少数の支配者たちにとって都合の良い教育を受け、閉鎖された社会で育てられる。限りなく信仰に近い信念に縛られて、お伽話の来世を信じ、喜んで死に向かう哀れな兵士だ。俺は俺の息子よりも歳若い子供を奴隷のように使い、獣じみた欲望の捌け口にしていた。

俺が彼を見つけたのは偶然だった。定例の軍事会議――などと大層なものではなかったが――のためにガスタウンへ赴いた際、たまたま整備場ですれ違ったのだ。偶発した戦闘で破壊された車両を修理するために集まってきたウォーボーイの内の一人だった。幼い頃からの訓練で鍛えられた健康そうな上半身と、引きずった片足のアンバランスが俺の目を引いた。気が付くと俺は彼を捕まえ、食い入るようにその顔を見ていた。

彼は俺の姿を見て驚き、大いに戸惑っていた。見上げるような大男に突然腕を掴まれて、乱暴な扱いを受けたのだから当然だ。しかし彼はウォーボーイ特有の純粋さと歪んだ教育の結果として、支配階級に属する俺を崇拝の眼差しで仰ぎ見ていた。暴力が多くの事柄を解決するこの世界において、強い戦士であることはそれだけで尊敬と畏怖の対象となる。それは単に大きな体で生まれたとか、物理的に力が強いとか、極めて単純な基準で計られるものだ。彼らにとって、俺のように大柄な野蛮人は理想的な英雄像だった。

戦闘で死んでしまった前任者の替わりにするため、俺は彼を医務局へ送った。病気持ちでないことを確かめ、最低限の拡張訓練を施すためだ。”生体メカニック”と呼ばれる医者連中は人の体が実験材料にしか見えていないような変態ばかりだったが、こういった面倒を任せられるのは有難かった。ウォーボーイたちは自分たちを消耗品だと思い込んでいるようだが、子供は無尽蔵にいるわけではない。消毒薬さえ手に入らない野蛮な世界で、無闇に怪我人を作りたくはなかった。

お陰で初めて挿れた時にも流血を見ることなく、俺は快適に彼のアヌスを楽しんだ。彼はヴァージンだったが、俺に対する忠誠心からか、何をされても抵抗する素振りを見せなかった。むしろ俺に関心を向けられ、体を奪われることを喜んでいるように見えた。その懸命で哀れな姿に罪悪感を覚えることもなく、俺は衝動の続く限り彼を犯した。

望めば女を侍らせることもできた。価値ある女はイモータン・ジョーに独占されていたが、ガスタウンやその支配圏内には多くの難民がおり、その中には当然女も含まれていた。俺のような支配階級の庇護を期待して、自ら進んでその身を差し出そうとする者も少なくなかったが、それでも俺が”専属”に選ぶのは男だけだった。閉鎖された生活空間である砦に一人だけ女を入れることは、あらゆる意味で問題にしかならなかった。

少年ばかりで育てられたウォーボーイの多くは、女と接した経験がない。それに性教育など行われないから、女がどのような役割を持った存在であるかも知らない。しかし知識として知らずとも、実際に同じ空間で生活することになれば、彼らは本能的に女の匂いに惹かれ、若い肉体は興奮を掻き立てられるだろう。女が俺のものである以上、彼らの間で奪い合いが起こる心配はないが、狭く、穴だらけの壁しかない砦の中では、行為の声など筒抜けだ。決して手を出すことができない主人の女に焦がれ、彼ら自身にもその理由が解らぬまま、心と体を乱され続けるだろう。仲間同士で代償行為に及ぶ者もあるだろうが――実際、年長者の多くは自然に性行為を覚え、人目を忍んでするようになる――、歳若い男にとっては残酷な話だ。

そういう訳で、性については幼児レベルの知識しかないウォーボーイとの性行為は、およそセックスと呼べるものではなかった。むしろ手篭めにするとか、乱暴するとかいった一方的な表現が適切だった。俺はただ肉欲にいきり立ったものを無抵抗なアヌスに捻じ込み、思うまま蹂躙して、傍若無人に精液をぶちまけるだけだった。彼らのことは、抱き人形どころか、温かく快適な穴としか考えていなかった。

しかし、今回新しく連れてきた”専属”の青年は、今までの者たちとは何かが違っていた。俺を見るその目があまりに無垢だったからだろうか。それとも、不具のために戦士の本懐を遂げる見込みのなくなった彼に、俺が憐れみを抱いたからだろうか。俺はかつてないほど興奮して彼を抱いた。

理不尽な目に遭わされているにも関わらず、それと知らないまま、彼は懸命に俺に仕えた。使命感とは別に、俺を全面的に信頼し、俺の全てを受け入れようと努力しているようだった。彼は俺の野蛮な行為からけなげに感覚を拾い上げ、彼自身の快感に変えていた。元から素質があったのか、彼は最初の晩からオーガズムに達した。じきに泣いて善がるようになり、終わった後には、まるで幸せを感じているかのような微笑みを俺に寄越した。

そんな彼の様子を目にする度、俺の頭の中では何かの音がするようになった。それについて深く考えるべきかどうか、俺には判断ができなかった。俺の頭は依然として狂気と虚無に委ねられ、まともな思考など何年もの間働いていなかったからだ。しかし正体の判らぬその感覚に駆り立てられるように、俺は3日と日を開けずに彼を抱いた。

そんな幸運を屈辱的な方法で失った俺は、喪失感と怒り、そして捌け口をなくした強い性欲のために憤死しそうだった。彼とのセックスで俺は過去に失った何かを取り戻そうとしていたのに、運命は無慈悲にも微かな希望を取り上げたのだった。

激しい苦しみは何日もの間俺を苛んだが、それは高熱と共にいつの間にか俺の中から消え去っていた。そしてその代わりに忍び寄ってきた恐怖から目を逸らすために、俺は彼を呼んだのだった。





部屋の隅で物入れを整理していた彼は、俺の声を聞くと転がるようにやってきた。寝台に身を乗り出し、俺の顔をじっと見て言葉を待っている。その表情には期待と不安が入り混じっていた。

背中の後ろにクッションを宛てがい、上体を起こした腹の辺りに跨るように促すと、彼は驚いて体を強張らせた。

「でもボス、傷が……」

彼の腕を掴んで引き寄せる代わりに、俺は忍耐強く繰り返した。

「いいから、乗れ。そこはもう塞がった。」

彼は恐る恐るといった様子で俺の腹を跨ぎ、そうっと尻を降ろした。衣服越しにじんわりと体温が伝わってくる。冷たい夜の空気の中で、他人の温度が快く感じられた。

俺は習慣で彼の太腿に手を這わせた。何度も触れた着衣の下の肌の滑らかな手触りと、その奥で息を潜めている彼のアヌスを想像する。しかし以前のように体が突き動かされるような性衝動を感じることはなかった。やはり俺は性器と一緒に性欲も失ってしまったようだ。だが俺はその事実を残念には思わなかった。俺の気持ちは安らいでいて、目の前の彼を一個の人として、落ち着いて見ることができた。

彼は不安そうに俺の様子をじっと伺っていた。俺が何をしようとしているのか判らないのだろう。俺自身にも判らなかった。俺はただ、目の前に突きつけられた、救いようのない現実に打ちのめされそうになり、救いを求めて手近にあった温もりに縋っただけだ。手を伸ばして温かい彼の素肌に触れ、繰り返し愛撫する内に、俺の心に巣食った恐怖は消えていった。

しばらくして、彼がもぞりと身じろぎした。気が付いてみれば彼の体は随分と熱くなり、頬は上気して、落ち着かない様子だ。呼吸も浅く、喘ぎを抑えるように不規則になっている。俺が考えなしに愛撫したせいで、今までのセックスを思い出して興奮してしまったようだ。

俄然、俺は彼が可愛くなり、なんらかの行為を通して彼を喜ばせてやりたいと思った。

俺は彼の唇にキスした。二・三度軽く吸い付けると、彼の方から求めるようにぴったりと唇を合わせてきた。両腕で俺の頭を抱き込んで、官能的に舌を絡めてくる。舌を突っ込んで上顎の辺りを擽ってやると、んん、と艶かしい喘ぎが漏れた。挨拶のキスも知らなかった子供に、随分といかがわしい行為を覚えさせてしまったものだ。以前と違って興奮はさほど感じなかったが、思いの篭った触れ合いは気持ちがよかった。

一旦唇を離し、彼の喉から肩、胸と順にキスして愛撫する。身を屈めて小さな乳首をしゃぶってやると、びくっと体を震わせた。

「ああっ、」

背を反らし、胸を突き出す格好で喘ぐ彼を抱いて捕まえ、尚も唇と舌で愛撫する。戸惑う様子を見せながらも、彼は俺の腕の中で快感に流されようとしている。素直で健気な態度に愛しさが募った。

頃合いと見て、俺は彼の衣服を脱がしにかかった。彼に限らず、ウォーボーイが身に着けているのはパンツとその下着、それにブーツだけだ。簡単に剥ぎ取ると、すっかり興奮した彼のペニスが目に入った。

まともにそれを愛撫してやるのは初めてだった。俺が満足して彼を解放するまでの間に、彼は射精したりしなかったりしたし、それは彼にとってさほど重要ではないようだった。そもそも以前の俺は、彼が俺とのセックスを楽しんでいるかどうか、などということに興味がなかった。

俺は片手で彼のペニスを軽く絞り上げるように、繰り返し愛撫した。

「あっ、あっ……」

柔らかい響きの喘ぎと共に、それは時折びくっと震えた。先走りでぬるぬるしてきた鈴口を親指でくりっと刺激してやると、彼は身を捩らせて悶えた。

彼の息がすっかり上がり、絶頂が近付いてきたと判断すると、俺は愛撫の手を止めた。彼が呆けている間に、彼の股座に片手を差し入れてアヌスを探る。指の腹で軽く押したり、周囲をそっと揉むように動かすと、彼は涙の浮かんだ目を開け、おろおろして俺の顔を見た。ペニスのない俺が一体何をするつもりなのかと訝しんでいることだろう。

彼の唇にキスして、俺はアヌスに指を含ませ、ゆっくり押し込んだ。滑らかで温かい感触が俺の気分を良くした。

「ん、んっ……」

案外浅い部分に性感帯があることは知っている。ペニスを挿れるのとは違うだろうが、指先の感覚を頼りに丹念に刺激すると、彼はびくびくと体を震わせて反応した。思わずといった様子で甘い喘ぎが漏れるのを見て北叟笑む。なんとも彼が可愛く思えて、俺はまた彼の唇にキスした。

彼は緩慢な動きで俺の首に両腕を回し、縋るように抱き付いてきた。耳元で喘ぐ声が心地よく頭に響く。

「あっ、ああ……っ!」

愛撫に応えるように腰が跳ねる。尚も愛撫を続けると、彼はひっと息を飲んで背を反らせた。がくがくと膝が震え、痙攣したように繰り返し全身に力が入る。悲鳴のような嬌声が途切れ途切れに上がった。数分もそれを続けると、彼は終いにぐったりとしてしまった。

心配になって少し体を離し、様子を伺ってみる。彼は完全に放心状態だった。涙に潤んだ目は虚ろで、時折ぴくりと下肢を跳ねさせて、今だ快感の渦中にいるようだ。半ば立ち上がったペニスは涎のように精液を垂らし、実に扇情的な眺めを作っている。

俺は彼がとても愛しく思えた。彼の顔をそっと撫で、そこここにキスする。彼は大人しく口付けを受け、気持ち良さそうに息を吐いた。そして焦点の戻った目でじっと俺を見詰め、微笑んだ。

その満ち足りた微笑みに俺の心は揺さぶられた。俺は彼に受け入れられているだけでなく、彼に愛されているのではないかと錯覚した。俺の頭の中に遠い過去の記憶が――妻と交わし合った愛の記憶が――稲妻のように瞬いた。

俺は突然理解した。俺が求めていたのは単に性欲に基いた行為としてのセックスではなく、それを通じて俺自身の価値を証明することだった。人を殺し、ただ生き延びるだけの存在ではなく、今もなお、何かを生み出すことができる存在であることを。過去の亡霊ではなく、人を愛する能力を備えた”人間”であることを。

たった今、長い眠りから目覚めた人のように、俺は自分の周囲を見回した。自分がどこに居るのかすぐに理解することができなかった。廃屋と見紛う荒れ果てた部屋、不潔なベッド、隙間の開いた壁、擦り切れた衣服に、片輪の子供。なんと酷い有様だろうか。ずっとその中で暮らしてきたはずなのに、俺は今初めてそれらを目にしたような気分だった。

呆然とする俺を心配そうに見ていた彼の手を取り、俺は彼の体を胸に抱いた。俺と比べて随分と小柄なのは、幼い時からの慢性的な栄養不足のせいだ。この時代の人間は皆がそうだった。その中でも俺たち――イモータン・ジョーのファミリーとして、彼の支配と庇護を受けた兵士――はましな方だった。腹一杯とはいかないまでも、生きるのに充分な量の食料が毎日支給され、渇きに苦しむこともない。栽培された穀物や貴重な野菜、荒野を移動するために欠かせない車両を整備するための部品や燃料、武器弾薬も全て、ガスタウンやシタデルからの補給物資で賄われていた。万一その補給線が途絶えることがあれば、その時点でこの砦は終わりだ。多くのウェイストランダーと同様に、俺たちは嵐の吹き荒れる荒野を当てなく彷徨うことになるだろう。

かつての美しく豊かな世界は失われた。それについて、俺には何の責任もない。だが、俺たちの世代には間違いなくその責任がある。故に俺は贖罪のため、命を賭してこの子供を――そして他の子供たちを守らねばならない。





次第に雲行きが怪しくなってきた。スクロタス領内のあちこちで、何者かによる酷い襲撃事件が頻繁に起こるようになったのだ。それはロードキルやバザード、南方勢力といった今までの敵とは異なっていた。敵はたった一台の車両で移動する少人数――あるいは単独犯――で、どこの勢力にも属していないと思われた。その男は黒い革の服を着て、黒くペイントされた車に乗っていることから、スクロタス軍の間では”黒い放浪者”と呼ばれて恐れられた。

その放浪者が現れた直後に、陥落しかけていたジートの砦が急激に勢力を盛り返したため、狡猾なジートは奴と手を組んだのではないかと噂されたが、どうもそうではないようだった。奴は一箇所に長く留まることなく、各地の反スクロタス勢力の間を渡り歩いているようだった。

その謎めいた放浪者の目的はまるで解らなかった。俺は最初、奴の目的はスクロタス軍を攻撃して勢力を削ぐことなのかと思った。しかし奴は俺たちのものだけでなく、ロードキルやバザードの拠点までもを片っ端から襲い、その構成員を殺し、物資を奪っていた。まるで無差別攻撃だった。嵐のように襲い、通り過ぎて行く放浪者を突き動かしているものは一体何だろうか。俺はまだ見ぬ放浪者の精神に、狂気あるいは憤怒を感じていた。

多大な努力と試みにも関わらず、誰も奴を止めることはできなかった。神出鬼没の奴に数々のキャンプや貴重な油井が破壊され、炎上する施設から立ち上る黒煙はこのグレートウォッチャーからも見られるようになった。

俺は砦の見張りを増やし、子供たちによく注意するよう言い聞かせて領内のパトロールを強化した。情報収集のために他の砦やガスタウンに使いを遣り、俺自身もしばしば行き来するようになった。しかし、事態は急速に悪化していった。ある晩の定時連絡に対してガスタウンからの返事がなかったのだ。

その日はガスタウンで恒例のビッグ・レースが開催されているはずだった。ガスタウンだけでなく周辺地域からも多くの観客が集まる、一年に一度の大イベントだ。このような荒んだ時代にあっても、優勝者はその勇気と技術を賞賛され、また賞品として他では決して手に入らないような貴重な品が与えられる。人々に力を誇示するため、スクロタスもこのイベントを重視し、毎回子飼いの部下を参加させていた。

去年もその前も、優勝したのはスクロタスの腹心の部下、スタンク・ガムだった。今年もそのはずだ――想定外の事態が起こったりしなければ。だがそれが起きたのだとしたら?

試しにブラック・モーズの砦に信号を送ってみたが、こちらも返事がなかった。何かが起きているのは間違いない。すぐに部隊を編成してガスタウンに向かうべきだろうか? もしもスクロタスに危機が迫っているのなら、自分は援軍として彼を助けに行くべきかもしれない。しかし、イモータン・ジョーから受けた命令はこの砦を死守することだ。自分が留守にしている間にこの砦が敵に奪われては元も子もない。それにブラック・モーズが落ちたのであれば、尚更この砦は守らなければならないはずだ。

俺はこの砦を守ることの価値を考えた。この砦が位置するのは中央から遠く離れた辺境であり、外敵を監視し、その侵入を防ぐ防波堤の役割を担っている。常に30人余の熟練兵が駐屯する守備の要だ。一方で、オイルポンプのような重要な施設がある訳ではなく、貴重な資源を守っている訳でもない。必要最低限の物資は備蓄されているにしろ、それを目当てに労を賭して襲撃する価値があるとは思えなかった。すでにウェイストランドで生活し、事情を知る者にとっては、この砦との衝突は避け、できれば無視して通り過ぎたい所だろう。現にロードキルも近頃は全く手出しをしてこなかった。だとすれば、この非常時に、この砦を守ることに拘る必要はあるだろうか?

考えても答えは出なかった。判断するには情報が少な過ぎた。本当は俺自身が赴いて状況を確かめたかったが、俺がこの砦を離れる訳にはいかない。仕方なく、最も目端が利く者をリーダーとして偵察班を編成し、ガスタウンに向かわせた。

恐ろしく長く感じられた一夜が明け、日が昇り始めた頃、彼らは無事に帰還した。息せき切って走ってきた彼らは酷く混乱しており、またガスタウンで目にしたものについて彼ら自身が半信半疑であるようだった。

「その、ボス、スタンク・ガムがやられたらしいです。レースは例の、黒い放浪者が勝って……それからすごい騒ぎになって、スクロタスがいなくなったらしいです。」

「騒ぎとは? 戦闘があったのか。」

「そう、そうです。スクロタスの戦士が何人も死んでるのを見ました。あの野郎にやられたって……」

「まさか、スクロタスも例の放浪者に殺されたのか?」

「わかりません。でも、スクロタスの車両部隊はいなかったです。」

それなら、スクロタスは例の放浪者と戦った後、彼の部隊を連れてガスタウンから逃げたということだろう。それにしても、あの放浪者は信じられないほど腕の立つ奴だ。以前スクロタスの頭に槍をぶっ差した奴と同一人物に違いない。一度ならず二度もスクロタスと戦って彼を退けるとは、人間離れした強さだ。もしも自分が奴と対峙することになったら、万に一つも勝ち目はないだろう。

「ガスタウンの様子はどうだった。住民が反乱を起こしたりしていなかったか。」

「そんな様子はなかったです。兄弟たちは困ってましたけど、製油所はちゃんと動いてたし、住民たちは大人しいもんでした。」

俺が懸念したのは、支配者であったスクロタスの敗走によってガスタウンの秩序が失われることだったが、今のところその心配はないようだ。ガスタウンには人々が生きるのに必要な仕事と食料、それに安全がある。スクロタスが過酷な圧政を敷いて人々を虐げていたのならともかく、そうでなければ生命を賭して革命を起こすほど大きな不満を抱えた人間は多くないはずだ。

いずれスクロタスは例の放浪者に復讐を果たし、ガスタウンに戻るだろう。それまでの間、俺は注意深く状況を伺い緊急の事態に備える必要がある。それに目下の優先課題は、グレートウォッチャーの砦を維持し守ること――つまり補給線の確保だ。全ての物資はガスタウンを経由して送られて来る。それを途切れさせることは絶対に避けなければならなかった。

二日後、今度はスクロタスが死んだという情報が入った。俄かには信じがたかったが、彼を殺したのが例の黒い放浪者だと聞いて納得した。

俺は砦の防御を固めて子供たちを残し、少数の兵士を伴ってガスタウンへ急行した。

混乱を最小限に留めるため、イモータン・ジョーはすぐに、スクロタスに代わる新しい支配者をガスタウンに据えるだろう。そして彼の領土を守る6つの砦を再編成するはずだ。その場面には居合わせる必要がある。俺と配下のウォーボーイズの忠誠心は今もジョーの下にあると知らせねばならない。

ガスタウンへ着いた俺は思わぬ歓迎を受けた。驚いたことに、ガスタウンはまだ支配者不在のままだった。製油所の管理者や、町の日常業務を取り仕切る監督者は無事で、ガスタウンの運営はつつがなく行われていたが、軍部の司令官でありガスタウンの意思決定を行う指揮官が誰もいなかったのだ。

数人のウォーボーイに取り囲まれて懇願され、俺は渋々指令本部へと赴いた。指令部など俺の柄ではない。下手に指示でも出して、ガスタウンを乗っ取ろうとしたなどとジョーに受け取られては困る。だが、命令系統の上位に位置する指揮官クラスの人間が本当に俺しかいないのであれば、無視する訳にはいかなかった。

「シタデルへの連絡は? ジョーはスクロタスが敗れたことを知っているのか。」

「連絡はしました。シタデルからは、”待機”って指示が来ただけです。」

「それなら、じきにジョーが来るだろう。待つ他ない。」

「でも、もう半日も経つんです。偉大なるジョーはいつ来てくれるでしょうか?」

「俺には判らん。だが、必ず来る。それまで、この町を守るのがお前たちの仕事だ。いいな。」

「は、はい。」

「ジョーが来るまでは、お前がここの指揮を執れ。俺は帰る。」

「そんな! グレートウォッチャーに戻られるんですか?!」

「それこそが偉大なるジョーに与えられた俺の使命だ。」

俺はきっぱりと突き放した。スクロタスが死んだと聞きつけ、支配者不在の隙を狙ってガスタウンを奪おうと攻撃してくる輩がいないとは限らないが、今もガスタウンには多くのウォーボーイがいる。町の周囲は高い金属の壁に囲まれ、狙撃手やランチャーによって厳重に警備されている。この町を襲おうなどと考える無謀な勢力が存在するとはとても思えなかった。

心配することなど何もないと思われたが、ウォーボーイの泣きそうな顔を見て、俺は溜息を吐いた。

「問題が起きたら俺に連絡しろ。すぐに来てやる。」

「ありがとうございます!」

「とにかく、グレートウォッチャーは今もジョーの使命を果たしていることを忘れるな。」

俺はついでにいくらかの情報を仕入れ、砦へ持ち帰る補給品を確保して本部を出た。

それから、俺は砦とガスタウンを行ったり来たりして忙しく過ごした。ガスタウンにはジョーの代理人が到着し、一時の混乱はすぐに収まった。しかし時間が経つに連れ、恐ろしい現状が次々と明らかになっていった。驚くべきことに、すでに6つの砦の内4つが例の放浪者に襲われて壊滅したという。駐留していたスクロタス軍の犠牲者は多く、生き残った者は散り散りになって近隣の拠点やガスタウンに逃れていた。

グレートウォッチャーの管理地域内にも数人のウォーボーイが命辛々辿り着き、口々に恐怖の体験を語った。

離れた場所で彼らの話をそれとなしに耳に入れながら思案し、俺は一つの結論に至った。例の放浪者の目的は復讐だ。奴の目的はスクロタス軍に属する人間を残らず殺し、スクロタスの財産を破壊し尽すことだ。となれば奴がこの砦に現れるのは時間の問題だろう。そしてその時こそが俺の最期だ。

俺はイモータン・ジョーの配下としてウォーボーイたちの上に立ち、グレートウォッチャーの指揮官としてこの土地に君臨してきた。多くの人間を殺し、そしてそれよりももっと多くの人間を利用して、今まで自らの生命を永らえてきた。その対価を支払う時が来たのだ。

俺は死ぬだろう。それは避けられない事実だ。今となってはそれから逃れようという気も起こらなかったし、死を恐れてもいなかった。しかし、彼らを――ウォーボーイたちを道連れにしたくはなかった。彼らはジョーの帝国の中で最も巧妙に利用され、搾取されてきた被害者だ。できることなら彼らを助けたかった。なんとかして砦から逃がし、ガスタウンへ、そして頼みの綱であるシタデルへ辿り着くよう手を尽くそうと決意した。

「ボス、どうしたんですか。」

ふいに掛けられた声に、俺は顔を上げた。いつものように一人で遅い夕食を摂った後、食堂の傾いたテーブルでそのまま思索に耽っていた俺を、”専属”の彼が心配そうに見ていた。

他のウォーボーイは広場に集まってずっと騒いでいる。そこから抜け出して来たようだ。

誤魔化すように一つ咳払いして、俺は椅子の上で背を伸ばした。

「いや、何でもない。」

立ち上がって部屋に戻ろうとした俺の腕に、彼の手が触れた。

「あ、あの、皆あんなこと言ってますけど、あの野郎が来たら、俺たち絶対に負けません。死んでもあの野郎をぶっ殺してみせます!」

俺の腕に両手で縋るようにして、彼は必死な顔で訴えた。恐ろしい”黒い放浪者”の話を聞いて兄弟たちが怖気づいたのではないかと、俺が疑っているとでも思ったのだろう。

俺は少し笑った。「そんな心配はしていない。」

一度奴が現れれば、子供たちは俺に命令されずとも勇敢に戦い、それこそ最後の一人になっても奴に挑みかかって行くだろう。俺はむしろ、厄災のごとき放浪者からどうやって彼らを遠ざけ、死ぬ前に一人でも多くこの砦から叩き出そうかと苦慮しているのだった。

彼の頬に手を這わせ、そっと撫でた。俺は彼を助けてやりたかった。首尾よくシタデルへ辿り着いたとしても、片輪の彼が上手く生きて行けるかどうかは分からない。だが嘘で塗り固められた信仰に殉じ、この砦と共に朽ち果てるのは無意味だ。勇壮な死の果てに楽園などない。この世で生きてこそ意味がある。しかし今、彼にそう言ってやることはできなかった。俺が死に、もしも彼が行き残ったとすれば、ずっと後に彼は真実を知ることになるだろう。彼は彼を欺いていた偉大なるジョーを、そして俺を心の底から恨むだろう。

すまなかった、と生きている内に彼に謝っておきたかった。しかしそれもできなかった。俺にはイモータン・ジョーの一味として、スタンプ・グラインダーとして死ぬ義務がある。

俺は彼の背を抱き、口付けた。彼はおずおずと俺の胴体に腕を回してきた。彼がこうして俺を抱き返すようになったのは最近のことだ。それまでは、命令されていないことを勝手にしてはいけないと思っていたのか、それとも単に俺を怖れていたのか、自ら俺に働きかけるような行為をあまりしなかった。俺がすることには決して逆らわなかったが、彼が俺に何かを求めるということはなかった。それに気付いた時、俺が感じたのは一抹の寂しさだった。しかしそれも当然と思い直した。俺は彼に、決して彼が望んだのではない行為を強いているのだから。

それももうじき終わる。だから今しばらくは我慢して欲しい。俺は身勝手にそう願った。

しんとした食堂の隅で、恥知らずにも俺は彼の媚態を求めた。口の中を舌で探り、体の奥を指で暴いて、彼を淫らに喘がせる。脚が震えて崩れ落ちそうになる彼が、俺の肩に縋り付いてくるのを、彼に求められていると錯覚した。

「あっ、ああっ、」

指で輪を作ってペニスを通し、力加減を変えながら繰り返し扱き上げる。亀頭の辺りを念入りに構ってやると、次々と漏れ出す先走りでぬるぬるになった。射精する前に手を緩めて焦らしては、前後を同時に愛撫すると、彼は堪らなく感じるようだった。鼻にかかった甘い喘ぎが俺の耳をくすぐった。下腹が幾度も波打ち、アヌスは呼吸するようにきゅうきゅうと二本の指を締め付ける。

「ん……んっ、」

口の端から垂れた唾液を舐め上げて、ついでに深く口付ける。彼はそれどころではないようで、キスには僅かな反応があるだけだったが、俺は充分に楽しかった。腕の中で官能に溺れる彼の姿を見ることで、俺は満足した。





それから僅か数週間後、イモータン・ジョーが死んだ。

信じられなかった。俺がようやく腹を括ってグレートウォッチャーで”黒い放浪者”を待っている間に、奴はとっくにガスタウン領を離れ、遠くシタデルの地で、スクロタスの父親でありウェイストランドの皇帝であるイモータン・ジョーその人へと狙いを定めていたのだ。

見通しが甘かった。あの恐るべき破壊者がグレートウォッチャーを無視して通り過ぎた理由は判らない。戦略的に価値がないと見たか、それか単に虱潰しの襲撃が面倒になったのかもしれない。いずれにせよ、事実として俺の砦は残り、イモータン・ジョーの帝国は崩壊してしまった。

黒い放浪者の襲撃、スクロタスの死、そしてジョーの死。それらは全て俺の目の前で起こっていた。にも拘らず、俺は何ひとつ阻止することができなかった。結果として、スタンプ・グラインダーは何の役割をも果たさなかった。俺の存在は無意味だった。

ガスタウン経由で掴んだ情報によれば、ジョーの子飼いの部下の一人が”黒い放浪者”と共にクーデターを起こしてジョーを殺し、シタデルを掌握したという。そいつはウォーボーイの人望も篤く、シタデルの周辺住民の強い支持を受けて、平和裏にシタデルを支配下に置いたということだ。放浪者の行方は分からなかった。

俺は必死で考えを巡らせた。もしもそいつが単にイモータン・ジョーに成り代わり、彼の帝国と支配体制を引き継ぐのであれば、そいつは引き続きウォーボーイの軍隊を――俺たちを必要とするだろう。だが今までの体制を放棄し、社会構造を一新するつもりであれば、安心してはいられない。ウォーボーイの軍隊は解体され、同時に指揮官クラスの人間は粛清されるだろう。

シタデルで一体何が起こっているのか、俺には知る由もなかった。今まさにシタデルのウォーボーイは危機に瀕し、俺たちの助けを必要としているかもしれない。しかし、状況が判明するまでは、シタデルに近付くのはあまりに危険だ――巨大なシタデルに対抗して、たった数十人の部隊で一体何ができるだろうか。みすみす子供たちの命を危険に曝すことはできない。そしてその一方で、俺たちはウェイストランドの只中で孤立している。しかも、この砦には取引に使えるような資源はない。

今度こそ絶体絶命だ。今すぐグレートウォッチャーを放棄し、ガスタウンまで後退するべきかもしれない。迷っている時間はなかった。すぐに行動を起こさなければ。しかし判断材料が少なすぎる。俺は焦りを感じた。途方もない試練の大きさに、冷たい汗が背を流れ落ちた。全てを投げ出して逃げたくなった。

俺は考えるのを中断した。視線を上げると、知らせを持って来た子供がまだ俺の前に突っ立っていた。彼はおろおろして、縋るような目で俺の決断を待っている。俺は自分の不甲斐なさを呪った。痩せて汚れた野良犬のようなウォーボーイ――彼らは今も自分を頼り、統率と庇護を必要としている。彼らの命運は俺の手腕にかかっているのだ。弱気になっている場合ではない。

このウェイストランドで神にも等しい存在であったジョーは死んだ。俺は厳しすぎる現実から目を背けるため、盲目的に彼を信じ、彼の力に依存しすぎていた。しかし俺はもう、他の誰にも頼るつもりはない。安易な死に逃げ、誰かに俺の子供たちの命運を託すつもりもない。

俺は子供たちに新しい教育を施し、そして彼らと共に、新しく変化する世界に対応して生きていく。それは彼らをよく知り、そして変貌する世界を生き延びてきた自分にしかできない。自分の価値の証明だ。





(エピローグへ)







ウォーボーイが見ている世界と、グラインダーが見ている世界との
違いみたいなものが伝われば幸いです。