アラベスク

レッドハートライン

白鳥アラベスク

 幼い時、バレエのお稽古で、アラベスクが大好きでした。
足を後ろに思いっきり伸ばしてポーズをとると、身も心もすっきりしました。
少々ぐらついてもへたくそでも、あぁ私はバレエをやってるんだと、得意気で気持ちがよかったのを覚えています。
バレエといえば、腕5番のアン・オーで足はルルベのポーズとともに、アラベスクをイメージに浮かべる人も多いことと思います。
わたしは幼い頃、アラベスク イコール バレエ でした。
そして、白鳥,白い羽根,妖精,ピンクのトゥシューズ,チュチュ,王子様にお姫様・・・・・
なんとロマンティックで甘やかで幻想的なイメージがバレエにはあることでしょう!
白い羽根をまとった、清純でたおやかな美しいプリンセスには、ため息が出るほどの憧れを抱いてしまいます。
そこまでにいきつく為には、日々の厳しい訓練と、強靭な精神力が必要なことは、皆さんのほうがよくご存知ですよね。
今はバレエを観る側として、バレエファンの一社会人として素人として、バレエに関する雑話を、勝手な思い込みや、発想連想を交えながら綴っていくことにします。

このページの名称は、『アラベスク』に致しましょう。
                                    ・・・・・・・by Kaoru






INDEX
@なぜアラベスクって言うの? Aお稽古着について Bバレエは宙吊り仕掛け? Cバレエシューズと
ポアント
Dバレエはイタリア語? Eバレエ国フランス Fバレエは男性中心だった Gロマンチックチュチュとクラシックチュチュ
Hオペラとバレエは兄弟姉妹 Iクラシックバレエ
ロシアで花開く
J白いコールドバレエ Kディベルティスマンは
楽しい
Lコッペリアの元祖の話 Mチャイコフスキーの
3大バレエ
Nラ・シルフィードと
レ・シルフィード
Oバレエ・リュス
Pバレエな妖精達
壁紙by Flowersのpuuさん

HOMEへ


なぜアラベスクっていうの?

アラベスクを百科事典でひくと・・・
装飾模様の一種。<アラビアの><アラビア風>
優美な曲線を描き,部分的に直線になったり直角になったり,交差したり絡み合ったりするつる草のような線のなかに,葉あるいは花を暗示する様式化したモチーフ・・・云々・・・とあります。
洋楽では、アラビア模様のように華やかな装飾的な曲のこと。シューマンやドビュッシーのピアノ曲。
バレエのアラベスクは、1番から4番まで腕や足の置き換えによって、種々のアラベスクがあります。
15世紀のアラビアの建築装飾をみると、何となく曲線と直線の絡まり合い具合が、バレエの腕の曲線や脚の直線の優美さと似通っているといえばいえなくもないなぁ・・・と思いますが。
詳しくご存知の方は、教えてくださいね。







お稽古着について

私が通った法村友井バレエ団の大手前教室では、小さい子はブルーの小さいスカート付レオタード、年長は黒のレオタードで、ともにピンクのタイツとバレエシューズ着用でした。タイツは脚の真後ろに、1本の線がお尻の上までずっと伸びて付いていたものもあったと記憶します。
ブルーのレオタードは綿製品だったのか、洗濯のたびに色がはげて白くなってゆき、したがって白に近いレオタードの子ほど年数も長くて上手だってことで、早く白くしたくて友だちと競争していました(笑)。発表会のパレードの時、濃いブルーほど新しい子で、白に近かったらカッコヨカッタんですよ。親心とすれば新しいレオタードを着せたいでしょうにね。そのうち、だんだんとお姉さん達の着る黒いレオタードに憧れてゆくのでした。

18世紀のフランスで、現在のように上演されるバレエが始まりました。
その時の舞台衣裳は、床まで届くような長いスカートで、シューズもバレエシューズやポアント(トゥシューズ)ではなくてかかとの付いた靴だったようです。だから、お稽古のときも普段着でも充分だったようです。
19世紀になると、「ジゼル」や「ラ・シルフィード」でお馴染みのロマンティック・チュチュが生まれます。
お稽古着も、襞のついた長い釣鐘形のスカートと胴着を着用したようです。以前よりはスカート丈が短くなったものの、胴着はコルセットで締め付けてるし、とても今では考えられないくらい不自由ですね。
20世紀初頭になると、モダンダンスで着用する衣裳や稽古着で、薄い布のゆったりしたものがすぐにバレエにも取り入れられました。モダンダンス創始者イサドラ・ダンカン考案のものです。
1920年代になってようやくレオタードが登場します。
フランスのサーカスの曲芸師ジュール・レオタールの考案によるもので、首から足先まですっぽり包む総タイツです。最初の頃は舞台衣装としてのみ使われていました。レオタードの名前の由来はこの人だったのですね。
今では,レオタードの種類も形も色もすごく豊富になりました。
バレエ以外にも、種々のエクササイズの流行により、レオタードは今や誰もが必ず1度くらいは着用したことがあるくらいに身近なものとなりました。レオタードチックなシャツやスパッツなど、ファッションとして普段も街で見かけるようにもなりました。





TOP






バレエは宙吊り仕掛け?

19世紀頃のロマンティック・バレエには、精霊や死霊、悪霊などこの世のものではないものが、たくさん登場します。そのような舞台効果のために、空中を飛翔するような仕掛けが流行していました。バレリーナをロープで吊り上げたり、舞台裏で滑るような仕掛けの上に載せたり、精霊や悪霊が飛んで見えるように工夫していました。現在のコンサートやスーパー歌舞伎、紅白歌合戦の男性歌手のように・・・。
このような仕掛けは、演出効果を充分に盛り上げ、観客の驚きやため息を誘っていたようです。
バレエ史上初めてロープで吊る仕掛けをしたのは、1795年「ゼフィールとフロール」(ロンドンキングス劇場上演)でストックホルム生まれのフランス人ディドロによるものでした。以後、宙に飛ぶ仕掛けは「ジゼル」などに盛んに使われるようになりました。
このようにして、宙に浮く瞬間の爪先立ちから、ポアントが考案されたと考えられています。




トゥシューズ

バレエシューズとポアント(トゥシューズ)について

19世紀はじめ、貴婦人達が夜会にはいていたサテン地の柔らかいスリッパのような室内履きが、バレエシューズのルーツだそうです。
ポアントが考案されたのは、前述したように宙に浮いている感じを出すためだったようです。ポアントで立つ技術の始まりは、1810〜1820年頃からだといわれています。が、当時はまだ瞬間的なものだったようです。
ポアントを使いこなす技術で一世を風靡したのは、マリー・タリオーニ(1804年ストックホルム生〜1884年没)です。この頃のトゥシューズは、今と違って先がとんがってて、どうやって立っていたのでしょうか。
20世紀初頭、「瀕死の白鳥」のアンナ・パブロワ(1881年〜1931年)の頃になると、ようやく現在のトゥシューズの形に近いものになりました。先に詰め物をしたり、立つためのトレーニングを重ねてきたバレリーナたちによって、アクロバティックな技法からバレエのパに溶け込んだ、現在欠かすことの出来ない技術へと向上していったのです。ポアントのアイデアが生み出されてから180年余を経過してきているんですね,感慨無量です。

バレエシューズやトゥシューズには、左右の区別がありません。左右交互に履き替えたり、履きこなしているうちに次第になじんできて、自然と左右が決まってきます。
また、シューズの裏底の皮が普通の靴に比べてとても小さく作られています。底の皮は非常に頑丈に出来ており、その他の部分はとても柔らかく出来ています。これは、履いたとき靴底からはみ出した柔らかい部分を利用して踊り、また固い底の皮は立ったときの土踏まずをしっかり支えるために、という具合に工夫して作られているのです。バレーシューズ
最近のバレエシューズでは、裏皮が二つに分かれた、スプリットソールと呼ばれているものが人気です。柔らかい布の部分が多いので、足の裏で床を実感し、踊りやすくできているのが特徴です。
トゥシューズの紐の結び方などは、何度も使いこなして経験をつんで体得していきましょう。
それまでに、バレエシューズでしっかりと基礎を培っておくことが大切ですね。


TOP




「バレエ」はイタリア語?

『バレエ』は、世界の共通語で何処の国でも通じる言葉です。
その語源は、イタリア語の「踊る」ballareバッレーラから来ています。
「踊り」balloバッロ、ballettoバレットを経てルネッサンス期のイタリアから、フランス宮廷に渡りバレエballetとなりました。フランス宮廷でルイ14世の時代に、バレエは大きく花開きます。バレエ用語の殆んどがフランス語ですが、「バレリーナ」はイタリア語です。フランス語では、女性ダンサーはダンスーズ、男性ダンサーをダンスールといいます。



ベルサイユ宮の天井
バレエ国フランス

ルネッサンス期のイタリアからフランスに渡ったバレエは、舞踏劇,フランス宮廷バレエとして大きく花開きます。ルイ13世はバレエ音楽を作曲もし、ルイ14世は宮廷バレエの花形スターでした。ルイ14世が太陽王と呼ばれる由縁は、太陽の役アポロンを演じていたからです。また、バレエにひとかたならぬ関心を寄せバレエに興ずるだけでなく、先駆者を庇護し、パリ・オペラ座バレエの前身、王立舞踏アカデミーを1661年に設立し、後のバレエ界に多大な光を当てることになります。このバレエ愛好家ルイ14世王のお陰で,フランスバレエ界は世界を大きくリードするバレエ先進国となったのです。まさにバレエの太陽王ですね。


ばらベルサイユ




バレエは男性中心だった!?なら、女性進出は素晴らしい!!

以上のように、16,17世紀のヨーロッパ宮廷では、社交ダンスや舞踏劇のパーティが盛んに行われていました。宮廷内に限らず花や噴水や洞窟を背景とした豪華な舞台で、皆さんもツアーで訪れるであろうベルサイユ宮殿やその前庭でも、夜な夜な王や王妃や貴族達が舞踏劇に興じ自らも演じておりました。騎馬隊によるバレエもあったとか・・・。
なんて,きらびやかで豪華絢爛たるものだったのでしょう。

私たちもタイムマシンに乗って、やんごとなき舞台を観に行ってみたいものですね。
王侯貴族の楽しみである狩りの合間にも舞踏会は開かれ、森へ行く狩りの道具の中には鉄砲などと一緒に舞台衣装も持参するのがあたりまえのことだったのです。現在上演されるバレエの中にも、狩りの舞踏会の場面が登場しますね。
王立舞踏アカデミー設立の数年後、ルイ14世は舞踏家としては引退をします。その後次第にバレエのプロフェッショナル化がはじまり、職業舞踏家が出てきますが、すべて男性ダンサーばかりでした。男性が仮面をつけて女性の役を演じたり、またバレエ愛好家も圧倒的に男性が多かったということです。やがては、女性舞踏家達も現れて活躍しますが、スカート丈を短くしたり、大きく脚を上げたり、バッチュをしたりなんて、とんでもない!っていう時代だったのでしょうか。
1832年3月、振付師タリオーニは、娘のために初めて女性バレリーナを主役とした作品『ラ・シルフィード』(パリ・オペラ座初演)を作り、空前の大ヒットとなります。伝説の天才バレリーナ マリー・タリオーニの登場と相成るわけです。それまで、重要な役は全て男性バレリーノが演じていましたが、これを機に、こぞって女性バレリーナが主役に起用されるようになりました。
今日までのバレエの歴史は、女性解放の歴史でもあるわけですね。


TOP



ロマンティックチュチュ クラシックチュチュ
ロマンティック・チュチュとクラシック・チュチュはスカート丈の違いだけ?

 バレエの衣裳は、長いスカートのロマンティック・チュチュと短いクラシック・チュチュとに分けられます。

ロマンティック・チュチュの代表といえば、19世紀のロマンティック・バレエ「ジゼル」のウィリが着る白い衣裳で、やはり憧れの的でしょう。フランスのデザイナー、ウラジェーヌ・ラミが考案し、マリー・タリオーニが1832年「ラ・シルフィード」で着用し、ヨーロッパ中に広まりました。白いふわりふわりと宙を舞うイメージのスカートは、精霊や妖精、超自然界の存在を象徴するものです。暗い舞台の上で照明に浮かぶ白いチュチュ、体重が無いかのように軽がると舞う様は幻想の世界へといざなってくれます。

クラシック・チュチュは、「白鳥の湖」「ドン・キホーテ」「眠れる森の美女」・・・お姫様,白鳥,妖精,村娘等などいろんな作品に使われており、ロマンティック・チュチュほどイメージが特定されていません。ピルエットや高く上がる脚やその美しさなど、テクニックをアピールするために、ロマンティック・チュチュの丈をだんだん短くしてきたものです。19世紀後半、ロシアにバレエ王国を築き上げた、踊りの美しいフォームを生み出す天才マリウス・プティパ(フランス人)は、バレエのドラマ性よりも踊りを絶対的最重視し、衣裳は題材にかかわらずクラシック・チュチュが用いられました。

ロマンティック・チュチュはゆっくりとした動作を持つもの、クラシック・チュチュは快活,軽快な動きにといったイメージでも分けられます。また、古典的には,ロマンティック・チュチュはメイクは濃い目に、クラシックではやや薄めになんてことも言われているそうです。最近ではあまりこだわっていないようですね。
TOP


ジゼル



オペラとバレエは、兄弟姉妹

 17〜18世紀のバレエは、歌や芝居と一緒になっていて、オペラの重要な部分でした。
バレエが独立したかたちになるのは、18世紀後半くらいからです。
上演形態は、
@オペラの一場面としてバレエが挿入されている
Aオペラの内容と無関係な間奏曲としてのバレエ 
Bオペラ上演の直後に同じ舞台装置で同内容をバレエで表現する
C関連の無い多種多様な小品集(ディベルティスマン)としてのバレエ 
D多幕物の独立したバレエ劇 で、
@〜Bがオペラに、CDがバレエのジャンルに入るとされています。
Dは、18世紀後半から19世紀に主流となるロマンティック・バレエで、ロマンティック・チュチュで踊る『ラ・シルフィード』『ジゼル』は代表作です。感動的なドラマティックなバレエの演出によって、演技力が重視され、優れた女優,俳優=ダンサーが出現します。
 やがてロシアで、プティパにの出現により、ドラマ性よりも踊りの美しさを重点に置いたクラシック様式が完成されます。



  バチルドとジゼル



クラシック・バレエ ロシアで花開く

 マリウス・プティパ(フランス人1818〜1919年)は、1847年にロシアにやって来て、バレエの黄金時代を築き上げました。ルネッサンス期のイタリアで生まれフランスを中心とした西欧で発達したバレエを、18世紀で移入し始めたロシアでは、19世紀後半までバレエ界に君臨するのは殆んどが西欧のバレエマスター(振付兼指導者)でした。
演劇と結びついたドラマティックなロマンティック・バレエは、ロシアにおいても大きな飛躍を遂げ、イストーミナ他、西欧と肩を並べる優れた女優・俳優=ダンサーが出現します。
その後、物語の内容よりも踊りの美しさやテクニックで見せる豪華なバレエへと変貌を遂げるのです。
プティパは、チャイコフスキーとの共同制作で、古典の物語を彼の理想のクラシック様式に仕立て上げます。『白鳥の湖』『眠れる森の美女』などバレエの代名詞となる作品は、ロシアのバレエ王国としての名を世界にとどろかせました。テクニックをアピールするため主にクラシック・チュチュが用いられ、物語の筋の一貫性よりも踊りを重視し、グラン・パ・ド・ドゥやグラン・パ・ド・トロワが作品の重要な位置を占めるクラシック様式を完成させました。
マイム、準主役級の踊り、コールド・バレエ、民族舞踊など娯楽性を盛り込んだ一大スペクタクルバレエは、今なお不動の人気を保っています。
他にも、『ラ・バヤデール』『海賊』『ドン・キホーテ』など、現在上演され続けている古典作品の殆んどが、プティパによるものです。

TOP


白鳥の湖





ミルタと精霊ウィリ達

白いコール・ド・バレエ 

 コール・ド・バレエ(群舞)を観るのがとても好きです。
列を作ったり、円になったり、組になったり、左右対称になったり、隊形を変化させながら、作品にふさわしい雰囲気を盛り上げてゆく、白い妖精たち。20〜30人の女性の美しく揃った踊りは、まるで万華鏡をみるようでうっとりとしてしまいます。
『ジゼル』の精霊ウィリや『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』の雪の精たちは、どれも白い衣裳で「白いバレエ」バレエ・ブランと呼ばれています。
クラシック・バレエには欠かすことの出来ない大切な踊りの場面です。コール・ドの動きが揃わなかったり未熟だと、観ている方のまぶたの緞帳が下りてしまいそうになりますが(笑)。
いくら主役が上手でも、コール・ド・バレエの水準が高いものでなければ、物語の持つ雰囲気をかもしだせずに終わってしまいます。コール・ド・バレエは、グラン・パ・ド・ドゥに決して劣らない見せ場を創りだしているのです。






ブルーバード
サービス精神たっぷりのディベルティスマンは楽しい♪

 クラシック・バレエの楽しみ要因の一つには,これもあげられるでしょう。
『眠れる森の美女』では、6人の妖精たちが舞うパ・ド・シス、宝石の踊り、青い鳥とフロリナ姫のパ・ド・ドゥ、赤ずきんちゃんと狼、長靴をはいた猫と白い猫・・・等々、物語りの展開とはあまり関係のない踊りもたくさんでてきます。これがまた、私たち観客の目を楽しませてくれるのです。踊り手それぞれのテクニックを華麗に披露する演出は、直接ストーリーとは関わらずとも、物語中において絶妙なバランスを保ち、観る側を夢心地にさせてくれます。
また、踊り手たちにとってもこの場は、とてもおいしい(なんて言っては失礼かな?)サービスシーンになるに違いありません。




コッペリア

『コッペリア』の元祖は怖いお話

 『コッペリア』は、『くるみ割り人形』の原作者でもあるドイツの作家E・T・A・ホフマンが書いた「砂男」というお話が元になっています。砂男とは、子どもの目に砂をかけて取ってしまうという昔話に出てくるもの。原作は、コッペリウスという神出鬼没な気味の悪い老人にだまされ、人形に恋をしてしまい、あげくの果てに気がふれて自殺してしまう若者の話です。
こんな恐ろしい話が元になっているのに、バレエでは、とても楽しく、明るく、ユーモラスなロマンティックコメディ風ですね。
ロマンティック・バレエもだんだんと衰退しかかった頃、1870年パリ・オペラ座で『コッペリア』は誕生しました。この作品は、サン=レオンとシャルル・ニュイッテルの共同で喜劇的な台本にされ、レオ・ドリーブの素晴らしい音楽と、民族舞踊のマズルカなどのおり込みや、人形の振りのおもしろさなど、新しい発想で観客の目を惹きました。この作品までが、ロマンティック・バレエの時代であるとされています。
現在も、ローラン・プティはじめ様々の改訂版があり、観客を楽しませています。

TOP



チャイコフスキーの3大バレエ

 皆様もよくご存知、『白鳥の湖』(1877年初演)『眠れる森の美女』(1890年)『くるみ割り人形』(1892年)は、クラシック・バレエの代名詞ともなっています。
チャイコフスキーはバレエが大好きな人でした。バレエ音楽の大ベストセラー作曲家となりました。
              白鳥の湖
 『白鳥の湖』の初演は不評で(チャイコフスキーは落胆、でも踊り手や舞台装置,演出の問題もあったという)、後の1895年にプティパとイワノフによる改訂版で大ヒットとなりました。チャイコフスキーの没後2年、初演から8年が経過していました。
このとき、黒鳥オディールの適役踊り手が見つからず、やむを得ず白鳥オデット役のバレリーナが二役することになったという、まったくの偶然が大成功をおさめました。
白と黒、善と悪、清純と妖艶、白鳥オデットと黒鳥オディールを全く別のものとするか、2面性ととらえるのか・・・、解釈の仕方によってとても深い物語です。
白鳥と黒鳥の高度に磨かれたテクニックの見せ場はもちろんのこと、王子と姫との叙情的な踊り、大きな白鳥の踊り、4羽の白鳥の踊り、舞踏会シーンでの各国の踊りの華やかさ、そして白鳥達によるコール・ド(哀しみや美しさを白鳥で表現するバレエの素晴らしさったら!)、そして悪魔との戦い等等・・・。この物語の中には、踊りの素晴らしさはもちろんのこと、ドラマ性や情味、バレエのもつあらゆる美しさがぎっしり詰まっています。
『白鳥の湖』には、クラシック・バレエの全てがあるといっても過言ではありません。
            
                   オーロラ姫と王子
 政治的行き詰まりを見せはじめた帝政ロシアにおいて、マリインスキー劇場の支配人ウセヴォロジスキーは、皇帝のための豪華なバレエを作るようプティパに勧めます。プティパはチャイコフスキーとの共同制作により、ルイ14世のフランス宮廷バレエを彷彿とさせるような『眠れる森の美女』を誕生させました。
オーロラ姫に求婚する貴公子たちとの踊り「ローズ・アダジオ」では、4人に次々と手を預ける間ずっとポアントで立ったままの姫、大きな見せ場です。正義と善の象徴であるリラの精(妖精のリーダー格)は、そのテーマ曲も美しく、薄紫のクラシック・チュチュで気高く踊ります。悪の妖精カラボスは老女ということですが、男性がドラマティックにコミカルな味をプラスして演じ踊ることもあります。6人の妖精の個性あふれるパ・ド・シス,松,桜,カーネーション,トネリコ,歌鳥,リラ(ミィスタジオでは、優しさ,元気,無邪気,勇気,歌声の精,リラの精)や、赤ずきんと狼,青い鳥とフロリナ姫,長靴をはいた猫,時には親指小僧や青ひげとその妻達といった、様々な物語のキャラクター達によるディベルティスマン(小品集としての踊り)、金,銀,サファイア,ダイアモンドの宝石の踊りなど華やかに繰り広げられます。最後は、王子とオーロラ姫の最もコージャスなパ・ド・ドゥで締めくくられます。ピルエット後に女性がまっ逆さまになったところを男性が支える、跳ねた「魚」のような(パ・ド・ポワソン)、思わずはっとするようなテクニックの見せ場です。オーロラ役は、美しさ愛らしさとテクニックのほか、華やかなスター性も必要とされます。あとにも先にも、これほどまでに豪華絢爛たるバレエがあるでしょうか!                   


                  くるみ割りのコロンビーヌ人形
 世界中のおとなや子ども達に愛されている、クリスマスの夢『くるみ割り人形』。
チャイコフスキーのバレエ音楽の中でも最も優れた作品だといわれています。パリで見つけた「チェレスタ」という楽器を使い、金平糖の精の踊りでは、とても幻想的な響きをかもし出しています。最初はプティパによるものでしたが途中病に倒れたため、イワノフが振付を引き継ぎました。
クリスマスイブの夜、ドロッセルマイヤーにプレゼントされたくるみ割り人形がねずみに襲われているのを助けたクララは、お礼に王子に変身したくるみ割り人形と一緒に、お菓子の(おとぎの)国へと誘われます。途中に出会う雪の精達のワルツも、白く甘く幻想的で有名な場面です。お菓子の国では、歓迎の各国の民族舞踊が人形達によって踊られます。ミィスタジオでは、スペインのチョコレート,アラビアのコーヒー,ロシアのケーキ,フランスのボンボン,中国のお茶,花のワルツはデコレーション・・・という風にお菓子をイメージしたディベルティスマンです。最後に王子と金平糖の精によるグラン・パ・ド・ドゥ(クララと王子が踊ることもある)。一転してクララの部屋。楽しいお菓子の国での宴は、クララがクリスマスに見たとても楽しい夢でした。・・・・というのが、一般的なストーリーですが、他にもいろいろな振付や解釈、改訂版があり、未だ振付の決定版というものがないともいわれています。
クリスマスを少女マーシャ(クララのことでマリーという名前のこともある)の誕生日として演出し、おとぎの国ではなく、バレエの世界へと案内され、ドロッセルマイヤー(彼は若き宮廷舞踊の振付家という設定)によって、バレエ公演のできる過程を見せてもらい華やかな舞台フィナーレで夢から覚めます。お人形遊びの少女期から、おとなの女性へと憧れてゆく・・・にポイントを置いているようです。
古典の物語を元に様々な演出ができるのはたいへん興味深いことです。でもクリスマスの夜,雪,聖夜,奇跡といったイメージには、やはりバレエはピッタリはまります。『くるみ割り人形』生まれるべくして生まれたバレエ物語だと感じます。
                 


TOP




シルフィード
『ラ・シルフィード』と『レ・シルフィード』

 「シルフィード」は、「空気の精」のことで、ヨーロッパに伝わる4大精霊のうちの1つです。
(ちなみにあとの3つは、火の精サラマンダー、水の精オンディーヌ、土の精ノームです。)
「シルフィード」の前に付く「ラ」は単数で、「レ」は複数形です。

 『ラ・シルフィード』は、1832年パリ・オペラ座で父親振付の元、マリー・タリオーニがロマンティック・チュチュを着て、初のポアント技術を駆使し、一世を風靡した作品です。タリオーニの振付は残念ながら残っていません。よく知られているものは、デンマークで初演されたブルノンヴィル版です。
 農夫ジェームズは、エフィとの結婚式当日に空気の精シルフィードに魅せられてしまいます。シルフィードは彼以外の人には見えません。森の中まで追いかけますが、捕まえようとしてもスルリと腕をすり抜けてしまします。魔女にもらったスカーフで包むと自分のものになると騙され、呪いのかかったスカーフでシルフィードを包みますが、羽根がポロリととれて息絶えてしまいます。妖精たちに守られてシルフィードは昇天してゆき、遠くでジェームズの婚約者だったエフィと友人の結婚式の音楽が聞こえてきます・・・。
                  
 『レ・シルフィード』は、20世紀に入り、ミハイル・フォーキン(ロシア1880〜1942年)の名を高めた作品です。ショパンの小曲集から成りストーリー性は希薄で、ロシアでは『ショパニアーナ』と呼ばれています。
フォーキンは、幻想と現実の入り混じるロマンティック・バレエのスタイルで、マイムを排斥し説明書きの要らないバレエを目指しました。夢見ごこちの若者の前に、白いチュチュの空気の精達が現れては消えゆく、不確実な手からすり抜け捕まえどころのない夢の象徴です。
「観客のために踊ったり、自分を見せようとしたりしてはいけない。逆に自分を囲むシルフィードに目をやり、うっとりと眺め、それに惹かれてゆくように・・・」フォーキンがダンサーに言った言葉です。観客に向かってアピールする、高度な技術を誇示する19世紀後半のプティパのバレエと対局する、詩的なバレエ、新しい解釈のバレエを生み出しました。


TOP



モダンイメージ



バレエ・リュス

 ロシアのバレエ興行師、セルゲイ・ディアギレフ率いる「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)は、1909年、芸術の都パリの人々を驚かせました。『イーゴリ公』フォーキン振付の作品でした。「バレエ・リュス」は、プティパによるクラシックに対する、モダン・バレエの時代をもたらしました。
20世紀初頭になると、バレエは踊りだけでなく、音楽、美術、絵画、照明など、構成する様々なジャンルの芸術が同等の力で結集した総合芸術であるという概念が生まれてきます。
バレエ音楽はシンフォニー化され、舞台美術にも、アレクサンドル・ベヌアフ、レフ・バクストなど当時最先端を行く芸術家たちが参加し始めます。
また、18世紀から国を挙げてのダンサー育成に力を注いだロシアには、アンナ・パブロワ、タマサ・カルサーヴィナなどのバレリーナや、フォーキン、ニジンスキーをはじめとする才能あふれる男性ダンサー達も数多くいたのです。
このように総合芸術としてのバレエ作品と、天才的ダンサーやコリオグラファーが所属するバレエ・リュスは、西欧で一大センセーションを巻き起こしたのです。
バレエ・リュス主宰のディアギレフは、初期の頃は、ロシアの芸術家たちにより、東方的なロシア民族性を取り入れていましたが、次第にパリに住む前衛美術家や音楽家に注目するようになります。美術にピカソやマチス、ローランサンを、音楽をサティやラヴェルに作らせる、といったふうに。
バレエ・リュスは1929年に解散されますが、その後もメンバーは(ジョージ・バランシンのアメリカバレエ界における活躍など)、世界各国でバレエを発展させているのです。


TOP


創作バレエ




黄妖精

バレエな妖精達

 バレエ物語には『白鳥の湖』の白鳥、『眠れる森の美女』の妖精、『ジゼル』の精霊ウィリ、『くるみ割り人形』のお菓子の精、『ラ・シルフィード』の空気の精、『オンディーヌ』水の精など、たくさんの妖精や魔法使いが出て来ます。
現実社会に生きながらも、私は時折、神秘的な、超自然界の妖精たちに心惹かれたりします。
古代アイルランドの人々は妖精の存在を信じていて、ケルト文化として今でもたくさんの妖精物語が語り継がれています。イギリスをはじめ、ヨーロッパでは、妖精に関心をもち、神話や英雄物語とともに妖精物語は、民族の重要な文化遺産となっています。
ドイツの自然哲学者パラケルスス(1494〜1541)は、医学者でもあり精霊についての研究でも業績を残しています。大気の精、水の精、火の精、地の精を4大精霊としました。空気、水、火、土の4元素です。(こんな風な説明だと、学校の化学の時間も楽しいでしょうにね)精霊たちは、この4元素に適したように出来ているということです。

 バレエ物語『ジゼル』の元ともなった、ハイネの『精霊物語』より妖精たちのお話を少々抜粋します・・・

 <ヴィリス>
 ヴィリスは結婚式を挙げる前に死んだ花嫁達である。この可哀想な若い女たちは墓の中でじっと眠っていることが出来ない。彼女たちの死せる心の中に、死せる足に、生前自分で十分満足させることが出来なかったあのダンスの楽しみが今なお生き続けている。そして夜中に地上で群れなして集まる。そんなところへ出くわした若い男はヴィリたちと踊らなければならない。彼は休む暇もなく、彼女らと踊りに踊りぬいて終いには死んでしまう。彼女らは雪のように真っ白ではあるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするような明るい声で笑い、冒涜的なまでに愛くるしい・・・
人生の花咲くさなかに死んでゆく花嫁を見た民衆は、青春と美がまっ逆さまに破滅に陥ることに納得できず、花嫁が手に入れるはずだった喜びを死んでからも求めるのだという信仰が生み出されたのです。

 <エルフェ>人間の身近なところ、家の中、空気、森、山などに住む小さな精霊。人間に対しては親切で味方になることも多いが、たまには悪意を持つ。キリスト教の伝播とともに魔法的存在とされてしまった。
 デンマーク民謡に、空気の精の性格をもつエルフェ伝説がある。眠り込んでしまった若者の夢に現れた幻影を歌っている。刀に寄りかかっている若者の周りにエルフェたちが輪になって踊りまわり、愛撫したり結婚の約束をしたりして、一緒に踊りの輪に入るように誘おうとする。優しく歌を歌ったりほほを撫ぜたり、呪文を教えてあげるとささやくが、若者は誘惑を退ける。腹を立てた乙女達は短い短刀を抜きあわやというときに、幸運にもからすが鳴いた。そしてこの夢見る若者は無傷で目を覚ましたということである。

 <ニクセ>ゲルマン民族の信仰によれば、水中に住む精霊。
 ニクセはエルフェと非常に似ているところがある。かれらは両方とも誘惑的で、挑発的でダンスを好む。エルフェは沼地や森、緑の草原で踊るが、最も好むのは樫の木の下である。
ニクセは池や川のそばで踊る。溺死者が出る前夜にその水の上で踊るのもよく見受けられた。さらにニクセは人間の踊り場へ現れることもしばしばあって、私たちと全く同じように人間と踊った。

・・・いかがですか?ちょっと怖いお話ですね。

恐ろしい出来事が、婚礼や祝宴の時訪れるのは、民間伝説の特徴ともいえます。朗らかで楽しい心弾ませる雰囲気に対して、突然の戦慄,恐怖はけわしい対照をなして強調的です。バレエ物語でもこの場面はよくでてきます。

妖精は、人間のような魂を持たないということです。だから、悪さをするようです。
人間と結婚をして魂を持った妖精は、おとなしく優しくなるといわれています。(フーケ『ウンディーネ』より)
でも、妖精たちは、人間に親切だったり、助けてくれたり、悪い人を罰したりもします。
また、散らかっているものをかたづけてくれたり、かたづいてるのに散らかしたりしちゃうとか。あなたのお家にもこんな妖精さんがいるのでは?

それにしても、妖精たちは皆ダンス好きですね。
バレエな妖精たち
かれらは非常に精気的性質なので、体重さえなく、軽々としてひじょうにやわらかく、私たちのように普通に地上を歩き回るはずがないのに、夜毎、輪舞をする芝生などにはいくつかの足跡が残っているそうです。この輪の跡はエルフェの輪と呼ばれています。
また、私たちの踊りの中に入ってきて同じように踊っても、高貴で優美で神秘的で、白い衣裳の裾がいつも濡れてたりするのは、水の精だと思ってまず間違いないでしょう。
騎士の結婚式にに呼ばれたら気をつけてください。婚礼の間では、ふと目を上げると、白い小さなかわいらしい足が、天井からしゅるしゅると降りてくることがあるそうです。
なんだか、ユーモラスで可愛らしいですね。

森や草原で、木や植物の茂みの輪になってる部分を見かけたら、そっとしておいてあげてください。妖精の国への入口だといわれています。
木漏れ日さす葉陰や、自然の中でじっと心を澄ましてみましょう。風や水や花の精たちのささやき声が聞こえてくるかもしれません。
フェアリー


TOP



ホームへ