1963年 3月30日(なんとファンセント・ファン・ゴッホ、エリック・クラプトンと同じ日)に、
オキナワ・コザ市に
「ウーマク・カマデー・ターチマチャー」*1として誕生。
幼少の頃は、
「赤影」や「鉄腕アトム」に夢中になりながらも、
「ジミ・ヘンドリックス」*2などのサイケデリック・ロックに目覚め、
ギターを食い散らかす日々を過ごす。
↓
1969年 オキナワ市立諸見小学校入学
ほぼ入学と同時期に
あの「手塚治虫」*3師と出会い、漫画家を志す。
3年生の頃には、初の月刊誌「少年ローリー」を発行。
しかも画期的だったのは、
県内初付録付き月刊誌*4
という快挙だったのだ!
その作品の内容と言えば、
あまりにも硬派な男一匹もの、
その頃の彼は、
「本宮ひろし」に夢中だったのだ。
なお、この少年ローリーは、
無理やり売りつけたため、購買者が親にチクリ
職員会議にかけられ、あえなく廃刊!
ローリーの漫画人生は、
沖縄復帰、沖縄海洋博、シーモンキー事件*5
などのあおりもあり、
9才という若さ故幕を閉じてしまうのだった。
しかし、
その後落ち込んだローリーの目の前に
救世主現わる。
「フィンガー5」であ~る。
あまりにも斬新な和製R&B、
ソウルフルな晃のハイトーンヴォイス、
妙子ちゃんのアーシーなハモンドオルガン
それになんと言っても、
「県出身」*6という登場の仕方が
心踊らずにはいられなかった。
「どちらもどちらも大好きよ」と歌う、
妙子ちゃんのパートには、
「それじゃ~困るのだ!どっちかに決めてくれぇ~い」と、
全国の妙子ちゃんファン同様
眠れぬ夜を過ごすローリーであった。
またその頃ローリーは、
初のフィンガー5沖縄公演で妙子ちゃんと出会い、
帰沖の都度、
密会*7してる事も当時話題になっていた(まぁ~でよ!)
例のごとく、
二度目の職員会議が開かれ、悲しき居残りの日々を過ごす。
妙子ちゃんとの恋にも終止符をうち、
すりきれる夜を乗り越えて・・・・
1975年 沖縄市立コザ中学校入学
漫画を捨て、妙子もすて、
傷心のローリーはサッカー道を走り出す。
現在のローリーの
強靱な肉体と精神は、
この時代に蓄積されたものだったのだ。
この頃の日本に、
プロサッカーの存在があったのならば、
ローリーはきっと、
中田やカズにカチャーシー*8の1つでも
伝授したろーに。
が! しか~し、
毎日グランドを駆け回るローリーは、
またしても恋におちてしまう。
ソフトボール部のさっちゃん*9に・・・
まったく恋多きスキャンダラスな男子なのだ・・・
しかし、さっちゃん家は厳格な家柄故、
父様曰く
「そんな公園にボヤを起こすような奴と、娘はつき合わせない!」
だった。
あっけない幕切れだった。
そのショックのはけ口は、
赤ワイン*10へと向かっていた(?)
この多感な青春時代を
彼は、サッカーボールと赤ワイン片手(?)に
軽やかに駆け抜けてゆく。
1978年 コザ中学校卒業と同時に「魂の旅」と称し、
アメリカ南部ホーボーの旅にでる。
テキサスの熱い夏、ステファニーと恋におち、
凍えそうなシカゴの冬、クリスティーニと寄り添い、
あーそうさ、いつも恋におちてたさ!
アメリカ3年目の夏、
ミシシッピー川の辺で
ウイリー・ブラウンの名をもつ老ブルースマンと出会う。
ウイリーは少年にこう呟いた。
いいかいボウズ、
恋とは・・・
いつかは消えてゆく「人中」*11のようなものなのさ
と説き、
少年ローリーはこの頃から
ギターを奏で、不思議な光を見るようになった。
終わった恋は歌に生まれ変わり、
消えそうな人中を押えてた18の夏だった。
1986年 長くて厳しいホーボーの旅から帰沖。
アメリカで神の啓示を受けた少年ローリーは、
同年2月10日「THE WALTZ」なる
ロックンロールバンドを結成。
TV・CMにも起用され、
お茶の間の人気者に至るまで、
そう時間もかからなかった。
その一方では
メンバーのスキャンダラスな事件や、
その直情的な作品*12が
マスコミを賑わせていたのも、この時期だ。
街のチンピラバンドが駆け昇ってゆく、
そのサクセスストーリー(?)は痛快きわまりなく、
街の不良少年達の羨望の的であった。
89年に自主制作の
「I LOVE YOU KOZA」
95年には、初のフルアルバム
「WOO-TOO-TOO-」を発表。
THE WALTZ以外での活動も精力的になり
98年にはソロアルバム「永遠の詩」を発表。
ソロ活動を期に、
全国各地、足取りも軽やかに回っている。
2000年 ジョン・レノンからロックンロール卒業証書を受け、
ロックンロールを無事卒業。
そして同年9月、「ローリー・ロール・バンド」を
強い意志のもと結成!
2000年11月1日には、ジョンお墨付き2ndアルバム
「ROLLY'S BEACH!」をリリース。
モンパチ大旋風!
沖縄サミット海の撮影はお断りですよ事件!
を乗り越え
2001年4月 南風原はわんぱく家の子供達と4曲入りミニアルバム
ROLLY with わんぱく家「天然のプ~ゥ」を力いっぱいリリース
レコーディング時間3時間という荒技はプロトゥールス及び
DingiDesign社を唸らせたという
2001年8月 初の本格的海外ライブ
2日だけの特別な夏
高円寺JIROKICHI 2DAYS
2002年12月 遂に幼少の頃から夢に描いてた
フルのオリジナル・クリスマスアルバム
「okinawan christmas」を
周囲の弾圧を押しきって強行発売!
そのあまりのクリスマス好きに関係者は
もっと売れる曲を作った方が・・・と嘆いたらしい
2003年6月 満を持して再び東京へ。
渋谷club asia(キジムナイト)
新宿D・O・M
2003年10月 なまけ者のプチツアー2003秋…
渋谷club asia(キジムナイト参加)
赤坂MOVE
大阪
バナナホール
神戸ハンター坂アムズ

2004年1月 勇気の友への西方ツアー 2004
小倉 ケイトミュージック
大分 CANTALOOP2
広島 OTIS!


2004年3月 勇気の友への二都ツアー
京都 磔磔
TOKUZO

2004年7月 THE WALTZは
初台Doorsで初の東京公演を大成功させる
「週末はA&Wで」では何故かまさかの涙の大合唱が起こり
泣いてた殆どの人が 本土ファンという
象徴的なニュースとして記憶されている

また同年11月 大阪バナナホールに
THE WALTZ
初上陸!
大阪の中心で愛を叫ぶつもりが
外人パブで愛を吸い取られたが男ひとり
大阪ラプソディー事件とはこのこと

2005年3月 勇気の友への西方ツアー 2005
佐世保 地球屋
大分 CANTALOOP2
広島 OTIS!
小倉 ケイトミュージック

2005年 ローリーは突如”ローリー・クック”と改名
神の思し召しか
はたまた単なる話題作りか
沖縄物流界を騒然とさせる
そして同年6月「月とギターとベランダ」をリリース
初の2枚組アルバムは
なぜか玄人ウケという本人の意図しない無惨な結果に陥る
がその「月とギターとベランダ」の
レコ発ライヴにて強力ユニット
”Rolly Cooke with Lazybones”を結成!
フリーキーでスペイシー、
そしてレイジーでキンキーなステージを繰り広げている
2006年2月 THE WALTZが結成20周年を迎え
無事 琉米ロックの殿堂入りを果たした
4時間ノンストップ
伝説のSoul Revueはオキナワチャンプルー文化の
是非を投げつけた
同年
7月 三鷹BAYOU GATE 初ソロライヴ

同年
9月 LIVE2006 勇気の友と情熱の橋へ
大阪 COMMON CAFE
名古屋 OKINAWA A-SIGN BAR KOZA
原宿ルイード
ローリーロール・バンド ワンマンライヴ
ノーズ・ウォーターズの協力を得て行われた

同年
11月 新宿LOFT 30th Anniversaryに参加
三鷹BAYOU GATE ソロライヴ
2007年3月 沖縄市園田の”うどんのちくりん”にて
月1ライヴ(毎月第1土曜日)がスタート
不況のうどん屋を救う一種のボランティア活動だっ!
同年5月 RBC放送にて「おきなわのホームソング」開始
その第二回目の曲として
作詞 玉城千春(kiroro)作曲 ローリーの作品
”ユンタクハンタク”がオンエアされる
因にこの曲に対するアンサーソングとなる
”イタレリツクセリ”という曲が
密かにライヴで歌われ 関係者をヘキエキとさせている
がこの年6月には まだ記憶に新しい
初の骨折ロックンロール事件が勃発

周囲にあきれかえる世界を見せつける
原因は”ギネスの飲み過ぎ”という説もあるが
長沢まさみのポスターに見とれてた
という噂がないわけでもない
同年
12月23日 Rolly Cooke with Lazybones
美浜Mod'sにてOKINAWAN CHRISTMAS SHOW
を開催
クリスマス好きは健在である!!
2008年3月 ローリー・マストと行くオキナワ~石垣島3days
プチツアー”蕾”2008を決行!
コブクロの”蕾ブーム”にあやかって、このタイムリー?なタイトルを付ける
因に”さくら”というタイトルもあったが却下になる
石垣島のある地区ではRORRYと呼ばれる羽目になる
そして遂に同年5月17日 念願の”オフィス・ローリー”を設立
業界を震え上がらせる
と同時に「遅っ!」と関係者から突っ込まれる
六本木に東京本社 沖縄に支社とセレブ振りを見せつけ
”丸く尖る”
六本木ヒルズと仲良く肩を並んべるオフィス・ローリーTokyo(左)
うるま市の海中道路内に建設されたオフィス・ローリーOkinawa(右)
同年6月21日 オフィス・ローリー設立記念第一弾
シングル”カメジロー”リリース
そのパワーポップなジャケットが話題になる事はないが
裏ジャケの合成写真は奇妙だと賞賛される

それを奇妙ととるか ドリフととるかは
あ な た 次 第
現在コザ在住(当然だ!)
ゲート通りからBC通り、
くすの木通りからプラザハウスまで
シンディー*13で駆け回り、
夜のパトロールに勤しむ毎日が今なお続いている。