biography

1993年秋、マイク・コールと出会ったリチャード・パーフィットは、
大学生で高校の教師をしていたカール・ビヴァンを誘って、3ピースバンド「60ft Dolls」とし
て活動を開始した。当初は4人めのメンバー(担当パートは不明)を探していたというが、彼等
に合う人物に出会えなかったという。

等のプロフィールを簡単に紹介すると、3人ともサウスウェールズのニューポート出身、
ヴォーカルとギターを担当するリチャード(Richard John Parfitt)はバンドを始める前はトラッ
ク運転手をしていた。
ロックを聴き始めたのは10代の初め、お気に入りはデビッド・ボウイだった。
兄の使っていたドラムを叩きだしたのは13歳の頃、その後ベースを弾き始めたが、16歳でザ・
フーのピート・タウンゼントに影響を受けギターを手にするようになる。
10代の中頃はモッズだったという。音楽もザ・フーやソウルミュージック、R&Bを聴き、服装
もモッズしていたようだ。

彼が好きな音楽、影響を受けた音楽を紹介すると、
マーヴィン・ゲイなどのモータウン、
オーティス・レディング、
アレサ・フランクリン、
カーラ・トーマス、
ボブ・ディラン
ブルース・スプリングスティーン、
ザ・フー、
スモール・フェイセス、
ロッド・スチュアート、
ザ・ビートルズ 、
ザ・ローリング・ストーンズ 、
ヴァン・モリソン、
MC5、
AC/DC、
イギー・ポップ&ストゥージズ、
セックス・ピストルズ、
ザ・クラッシュなど。

ギタリストとしては、
ピート・タウンゼント、
ジミ・ヘンドリックス、
トム・ヴァーレイン、
ニール・ヤング、
ジョン・リー・フッカー、
アンディ・サマーズ、
アンガス・ヤングなどなど。

ースと自作曲ではヴォーカルもとるマイク(Mike Leonard Cole)の前職は製鉄所勤めだ
った。 8歳の頃からリトル・リチャードやビーチ・ボーイズを聴き始め、その後セックス・ピ
ストルズ、クラッシュなどのパンク・ロックやザ・スミス、コクトー・ツインズ、ピクシーズ
などを聴くようになったという。
60ft Dollsの前はエラスティカのドナとバンドを組んでいた。

ラムスを担当するカール(Carl James Bevan)はなかなかユニークな家庭環境で育ったよう
だ。父親は説教師。ただの説教師ではない。教会のなかでバンドとともに説教をする「ロック
する説教師」と呼ばれていた。(彼は97年にウェールズでのマリリン・マンソンのギグを「悪
魔的]と言って反対、対決姿勢をみせていた)。
カールも12歳の頃には教会の中でドラムを叩くようになっていた。
プレイヤーとしての影響はミッチ・ミッチルやキース・ムーンから影響を受けたという。
音楽はザ・ビートルズ、ソウルやジャズ、それからキッスやAC/DCも好んで聴いていた。
60ft Dollsの前はダブ・ウォーのメンバーとバンドを組んでいた。

ンド結成後は地元ニューポートのクラブを中心に活動、次第にウェールズ内外でライブ
を重ねてゆく。オアシス、エラスティカ、ダイナソーJr等のサポートし、徐々にその名が知れ
渡っていった。
1994年インディーズレーベルのタウンヒルからデビューシングル、「ハッピー・ショッパー」
をリリース、 1995年初めラフトレードと契約、2ndシングル「No.1ピュア・アルコール」をリ
リースするが、ラフトレードが倒産、インドレント・レコードと契約、同年3rdシングル「ピッ
グ・バレンタイン」をリリースした。 1996年には、4thシングル「ステイ」をリリース後、待
望の1stアルバム『ザ・ビッグ3』をリリース(日本盤は6月21日発売)、シングルカットは5th
「トーク・トゥ・ミー」、9月には初来日を果たし、4回のライブを行う。
このあと、「ハッピー・ショッパー」を6thシングルとしてリリース、7th「ヘアー」リリース
と1996年は怒涛のリリースラッシュだった。

今思えばこの年は幸せだった。レコードは次々店頭に並び、僕は行かなかったけれど来日公演
もあった。この年の終わりにはスモール・フェイシズのトリビュート盤にも参加した。
徐々にキャリアを積み重ね、大きな存在にバンドがなっていくのを僕は楽しみにしていた。

60ft Dollsは日本公演のあと、アメリカ全土を回るツアーに明け暮れていた。
アメリカで彼等のレコードはゲフィン・レコードから発売されていたが、イギリスでの大きな
ヒットもなく、ストレートなロックを演奏する彼等が、アメリカでの成功/チャート上昇をす
るには、じっくり、くまなく、長い間腰をすえてライブを重ねてゆくしかないと考えていたの
だろう。実に2年間のツアーだった。

1997年から1998年の初めまで、日本に彼等の情報はほどんど入ってこなかった。多くのバンド
が1年たてば新しいアルバムを発表していたのに、この間僕はインターネットのUKリリース情
報のサイトやインディバンドのサイトのニュース欄を見るだけだった。
それにしたってアメリカツアーをしているということ以外、たいした情報はなく、アルバムど
ころかシングルリリースの気配もなかった。

1998年になってついに新しいシングル「アリソンズ・ルーム」のリリース情報を見つけた。
やっと新しい曲が聴ける!レコードはUKのリリース日の数日後に日本に入ってきていた。
ある外資系CD店では「アリソンズ・ルーム」は大きなスペースを使ってディスプレイされ、
”当店いち押しのUKロックバンド”といった内容の紹介文とともにCD1とCD2が何枚も並んで
いた。
もはやアルバム発売まではそう期間は開くまいと思っていた僕はリリース情報をチェックし続
け、ついに6月3日に「ジョヤ・マジカ」というタイトルで2ndアルバムが日本発売される情報を
得たのだった。
しかしである。発売日が決まり、雑誌にインタビューやアルバムレビューまで載ったにもかか
わらず、なんと発売が中止になってしまったのだ!。

局、60ft Dollsは所属レコード会社のインドレントと揉めた上、飛び出してしまったのが
原因で「ジョヤ・マジカ」は発売ができなくなったということのようだ。
ある日ふらりと入ったレコード店で”S”の欄を見ていると、なーんとあるではないか!「ジ
ョヤ・マジカ」が。ん?Quattroレーベル?パルコか?というわけで日本のみ2ndアルバム「ジ
ョヤ・マジカ」が10月21日に発売されたのだった。
翌1999年の3月には2度目の来日公演を行った。

しかしイギリスでは、2ndアルバムのレコード会社と契約がきまらず、発売はないままだった。
あの2年のアメリカツアーの間、イギリスでの知名度は小さくなってしまったのではないだろ
うか?
1999年の夏が近付く頃、ニューポートの地元レーベルから2ndアルバムの発売が決まったとい
うニュースが入り、結局8月にHuge&Jollyというレーベルからリリースされた。何の事はない
バンドのマネージメント会社がレコード会社との契約がとれず自主レーベルを立ち上げリリ
ースにこぎつけた、というものだろう。
悲しい。

のあと現在にいたるまで60ft Dollsに関しての情報はまるでないといってよい。
1997年の時と同じように。
あの時はまだアメリカで頑張っていると思えたから少しは救われた。
しかし、今はバンドがどういう状態にあるのかもわからない。
リリースの情報も、レコーディングの情報もない。
1日でも早く新しい曲を聴かせて欲しいと願うばかりだ。

かし、1999年3月の来日公演後、しばらくして解散してしまった模様.....。
今後の各メンバーの活躍に期待したい。

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