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ヘレニク・グノーシス主義
[D] Hellenistischer Gnostizisumus


[D] Hellenistischer Gnostizisumus, der, [E] Hellenistic Gnosticism
[F] Gnosticismes Hellénistiques, le

  「ヘレニク・グノーシス主義」は、わたしたちの造語であり、一般的に このような言葉は存在しないと思える。このような言葉乃至概念を提唱するのは、 「グノーシス主義」において、その原型的思想形態が想定されるからである。こ の広義の原型的思想範型を「普遍グノーシス主義」と名付け、他方、歴史的に もっとも知名度の高い、紀元の最初の数世紀、地中海世界・ヘレニク世界に成 立したグノーシス主義、即ち、当時擡頭しつつあった原始キリスト教会が、 「異端」の烙印を押し、反駁書を記したグノーシス主義諸派を代表として、ヘ レニズム時代にあって、ヘレニク文化を背景に成立し流布したグノーシス主義 と云う意味で、「ヘレニク・グノーシス主義」と呼称するのである。

  グノーシス主義の普遍的原型とその本質定義については、1966年4月、 イタリアのメッシーナ大学で開催された、「グノーシス主義の起源に関する国 際コロキウム Le Colloque International sur les Origines du Gnosticisme」 における議論を通じ、研究者たちのあいだで、一応の共通認識が成立しており、 研究者によって解釈や判断の幅はあるものの、ここでわたしたちが云う「ヘレ ニク・グノーシス主義」が、グノーシス思想の現存在的姿勢(Daseinshaltung) と実存実践(Existentielle Praxis)の普遍原型の「一つの個別具体 例」であると云うことについては、確認がなされていると云ってよい。

  そこで、ヘレニク・グノーシス主義とは、どのようなものであるかは、そ の流布地域性や思想の類型・神話形態によって、大別、二つの大きな類に分か れると云える。一つは、「シリア・エジプト型グノーシス主義」で、いま一つ は、「イラン型グノーシス主義」である。この二つの類は、前者をその流布地 域より「西方グノーシス主義」と呼び、後者を「東方グノーシス主義」と呼ぶ 言い方も存在している。この二つのグノーシス主義の類を区別する特徴は :

  まず、シリア・エジプト型グノーシス主義は、善と悪、或いは光と闇の二元論 を教説する創造神話において、原初、光の一元論世界の存在を前提し、反宇宙 的二元論構造の成立については、光のなかに内在した何らかの瑕疵によって、 光の調和世界が破れ、そこから「闇と悪の世界」の萌芽が発出し、上位の世界 より下位の世界への垂直的「流出」創造が為され、それが「この世の起源」で あると説く。
  これに対し、イラン型グノーシス主義は、原初において、或いは、 創造神話の端緒において、「光の原理世界」と「闇の原理世界」の両者の既存 を認めており、何らかの事件において、「光に属する霊」が、闇の世界に紛れ 込み捕らわれ、その「光=霊の本来性」を喪失・忘却した状態が、「この世」 の現なるありようであるとする。

  イラン型グノーシス主義の具体例は、公教として広くユーラシアに流布し たマニ教グノーシス主義が、その代表として挙げられる。それに対し、シリア ・エジプト型グノーシス主義は、『ナグ・ハマディ写本』の諸文書を構成した 諸派がその例であり、それはまた、正統キリスト教の反異端教父たち、つまり グノーシス主義異端反駁論者たちと、この用語集では呼んでいる人々が、異端 として弾劾し、反駁を試みた「いわゆるグノーシス主義」の諸派とほぼ対応して いる。異端反駁論者たちが名付けた名前では、ヴァレンティノス派、プトレイ マイオス派、オピス派、バルベロ・グノーシス派等が、その例となる。現代の イランとイラクの国境近くに居住する人々の信仰する「マンダ教」と呼ばれる グノーシス主義宗教は、イラン型とシリア・エジプト型グノーシス主義の特徴 を併せ持っており、その中間形態であるとも云える。

  シリア・エジプト型グノーシス主義は、更に、ユダヤ教的、キリスト教的、 そしてヘルメス思想的と云うような、三つの類に分けて考えることが可能であ る。無論、実際のグノーシス主義の個々の派は、これらの下位分類のあいだで 流動しており、明確に三つの類に分けることができる訳ではないが、表層的な 用語法・固有名詞等を除けば、キリスト 教とはほぼ無縁と云えるグノーシス主義の類型が、ユダヤ教的グノーシス主義 として、例えば、『ナグ・ハマディ文書・アダムの黙示録』を構成した派の教 説に認められるのであり、この点よりも、いわゆる「グノーシス主義」を、キ リスト教の異端と考える見方は否定されるのである。シリア・エジプト型のキ リスト教的グノーシス主義が、「キリスト教の側から見て」、「異端」に映じ るとしても、我々は、そのような主張を認める訳にはいかないのである。端的 に、我々にとっては、「キリスト教は世界の中心ではない」からである。




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