[D] Manichäismus, der (マニヒェイ
スムス), [E] Manichaeism
マニが三世紀半ば、ササン朝ペルシアにて創始し
た宗教で、イラン型グノーシス主義思想の最高体系。ペルシアの伝統的宗教であ
るゾロアスター教の光と闇の二元論を基調にしつつ、グノーシス思想の原理であ
る、「反宇宙的二元論」構造を持つ。宗教的構成において、ユダヤ教、キリスト
教、ゾロアスター教、更に、仏教等の要素を取り入れ、仏陀、ゾロアスター、イ
エズスを自分に先行する「この世からの救済者」と認め、マニ自身は第四の救世
者・真実開示者で、最終の真理の啓示者(預言者の印璽)を称した。
シリア・エジプト型グノーシス主義が、マルキオーンのキリスト教的グノー
シス主義を例外として、すべて密教的性格を帯びていたのに対し、マニ教は「顕
教」として公同に普遍的に伝道され、キリスト教にとっては、ローマ帝国による
公認を得て、ミトラス教に打ち勝った後は、地中海世界での世界宗教として最大
のライヴァルであった。古代ユーラシアの世界宗教の一つであり、第二千年期中
葉、15世紀頃まで、なお、その信徒勢力は存在した。十世紀頃ブルガリアで勢
力のあった「ボゴミル派」、また南フランスのラングドック地方を中心に、13
世紀半ばまで、広範囲に栄えた「カタリ派」は、マニ教のキリスト教的分派であ
るとの解釈も可能である。
(しかし、ボゴミル派もカタリ派も、マニを宗祖と認めていないことも事実
であり、この点からは、それらはマニ教の分派とは言い難い。中世のカトリック
教会等の伝統では、「マニ教徒である」という告発は、「異端である」という断
罪と同義であった。キリスト教においても、イスラム教、ゾロアスター教におい
ても、「マニ教的」とは「異端」の言い換えでもあった)。
その最盛期には、東は西域・中国、西は北アフリカ・イベリア半島まで、多
数の信徒を擁した世界宗教のマニ教は、歴史から今日消え去ってしまった。何故
マニ教が消滅したのか一つの謎であるが、古代イランの世界宗教であり、やがて
ササン朝ペルシアのもと民族宗教となったゾロアスター教もまた、かつての勢力
は現在見る影もなく、かろうじて少数の信徒が閉鎖的な信仰を維持している状況
を鑑みれば、マニ教の消滅も、必ずしも不思議なことではないのかも知れない。
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