初音尋常小学校・閉校記念
古谷三代吉設計図面



 京都の明治2年創立以来、124年の歴史を持つ立誠・生祥・日彰初音)・本能の5校はその幕を閉じ閉校されました。そして平成5年に高倉西小学校、高倉東小学校となり平成7年4月より高倉小学校として開校されました。


御影拝載並びに校舎新築落成式   明治26年11月3日
(高倉御池ヨリ現在地ニ移転ス)

 左記の建物は旧校舎です。
大正より昭和初期まで。

 下記の平面図(総配置図)は当時の物です。


 三代吉は京都市営繕課で生祥尋常小学校と初音尋常小学校の校舎の設計図を描いています。


古谷三代吉設計図面  校舎平面図・総配置図200分の1
このページでは初音尋常小学校に付いて述べたいと思います。

三代吉は京都市営繕課で設計に係わった生祥尋常小学校及び初音尋常小学校の設計図面と資料群を残しています。

現在は高倉小学校になっていますが、その前進である立誠・生祥・日彰(初音)・明倫・本能の元5校はいずれも京都市の中心部に位置し、平安建都1200年の歴史の中で文化・産業の拠点、発信地としての役割を担ってきました。

京都市役所の南に位置する生祥日彰(初音)学区は、時代の変遷の中で公家や貴族の邸宅、武家屋敷が立ち並び、又天正年間に魚鳥市場として開設された錦市場のあることでも有名な地域です。


明治二年創立当時。 上京第26番組尋常小学校と呼ばれていました。


         木造校舎階段

       校舎南側の赤レンガの壁

             旧校舎講堂

P.S.
京都の中心にあった五校は明治2年創立以来の幕を閉じ、平成7年4月より高倉小学校となり斬新な設備と時代に相応した教育理念をもつ学校に受け継がれました。
高倉小学校はこの統合により、北は御池、三条通から南は四条通、東は鴨川西岸から西は堀川通という京都市中心部の大きな校区を持つことになった。

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