古谷三代吉設計図面の行方



特別公開
古谷三代吉の設計図面の中の御嶽山清水寺本坊再建図と地方裁判所表門設計図が
戸田建設(株)の新聞広告「業界紙2誌」のイメージ図として(株)創美企画により制作され、
7月1日〔月〕新聞紙上に掲載されました。



この海外向け新聞広告の中で使われているパナマ太平洋万国博(1914〜1915)を
バックにした記念写真の中に当時の日本を代表する建築家が数名写っています



パナマ太平洋万国博の建築技術の最高顧問には、右下三人めグレーの背広の紳士、
武田五一博士が写っています。
そして博覧会場の裏門(帝室博物舘前)を入って左右両側に、高さ18メータ程の五基ずつの、
よくインドの大伽藍の前にあるような博覧会の旌旗柱(オベリスク)が建てられた。
これは東洋建築野権威、伊東忠太博士の得意とする異風の東洋式デザインで、
道行く人が仰ぎ視て奇異の感にうたれ絶賛したものであった。

(注) 伊東忠太博士は、目次のページ・成田町梅屋にて・・人物解析
を参照してください。(当時の最高の建築家の横顔です)

あとがき
古谷三代吉は武田博士とパナマ太平洋博に随行しこの写真の中に居たかもしれません。
明治の建築家ののこしたもの   管理人

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