御嶽山清水寺本坊再建設計図
清水寺の登録文化財(平成11年6月7日登録)
根本中堂 大講堂 鐘楼 本坊 客殿

兵庫県加東郡社町平木1194番地
西国第25番零場

清水寺のホームページにリンクします。
http://www.bankiyo.com

かつて難所と呼ばれた霊場も現在は門前まで車道が通っている。
御嶽山の山上近くに立つ境内は、度重なる火災や落雷により、  
この1世紀で古い伽藍をほとんど焼失したが再建を果たした。
建築家武田五一によって大正6年再建される。           


                           正面図      古谷三代吉 設計図面       
   
        西国三十三ヵ所第25番  清水が涌出する山岳信仰の霊場。       
    みたけさん きよみずでら 
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現在の清水寺本坊 平成13年10月9日撮影


建築家 武田五一 の意匠デザイン


御嶽山清水寺・探訪
古谷三代吉氏の画いた本坊再建設計図面のルーツを探しに平成13年10月9日
播州清水寺を見に行きました。住職清水谷善英氏には大変にお世話になり、又
直々に案内をしていただき、本坊では一般には入れない所まで見せていただき
写真をたくさん写すことが出来ました。又清水寺再建に関するお話をお聞きし、
当時の貴重な資料をいただきました。

古谷三代吉氏の画いた図面のことが段々と解ってきました。         
住職にいただいた資料は大正3年11月14日に、根本堂、大講堂、本坊その他
再建寄付金募集ノ件許可ス 文部省兵宗54号。、
(大正4年9月10日 文部大臣法学博士 高田早苗)
という内容の清水寺再建之栞の中で三代吉の画いた図面がありました。三代吉
は根本堂、大講堂、本坊と図面を画いたと思われます。三代吉は大正元年には
京都市営繕課の建築技師を退職し古谷工務所を設立しています。看板には製図
設計、施工・・其の他とあるように時の建築家武田五一博士に依頼され清水寺の
製図図面を画いたと思います。参考までに・・印刷者 井出時秀
印刷所 六条活版製造所  何れも京都市在住です。

古谷三代吉氏は京都寺町仏光寺に実在した浄土宗の法然寺というお寺の本堂
の新築工事を時の住職、中瀬良道氏より請け負っています。契約書に拠ると
大正元年12月13日に、 金四千四百五拾円也但シ是ハ工事請負契約金高也。
とあります。しかし法然寺は今現地になく嵯峨に移転し当時の写真、建築図面、
資料等消息はつかめません。昭和20年代に移転したと聞いております。ご存知
の方があればお知らせください。

HAZEの小林敦男様、円満字建築事務所の円満字洋介様、清水寺住職清水谷善英様
古谷三代吉氏の残した資料、図面等観ていただき又適切なアドバイス感謝します。

御嶽山/播州・清水寺のホームページにリンクします
ご覧ください。
http://www.bankiyo.com


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