![]() 武田博士之横顔より ![]() ![]()
星野総四朗 旧新潟県議会議事堂(新潟市)
明治16年 新潟県政記念舘
中栄徹朗 東京大學建築学科 明治33年卒
伊東忠太 東京大學建築学科教授・工学博士 (1867-1954)
本願寺伝導院(京都市指定文化財) 祇園閣(登録有形文化財)
真言信徒生命保険会社の社屋として 京都市東山区・大蔵喜八朗が設計
明治45年に伊藤忠太の設計により を依頼した。
建築された。
長野宇平治 慶応3年(1867)新潟県に生まれる。
帝国大學工学大學造家学科卒。(1867−1937)
野口孫市 明治2年(1869)4月23日兵庫県に生まれる。
東京帝国大学工科大学造形学科卒・工学博士(1869−1915)
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松室重光 明治10年(1878年)京都府京都市生まれ。
東京帝国大学卒
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あとがき・・・・・・・・
武田五一(明治29年梅屋にて)のスケッチの中で描かれた諸氏は、全て当代の日本の
建築界を背負って立った人物像です。後世その建築作品は高く評価されるに到るが
此れは建築という固有の物体である所以であります。
しかし、その図面は学術的な価値は別にして、今風に言う美術的価値を認められず
多数の建築家の図面は現在残っていません。それはその時々の時代背景及び
環境も在りますが・・・。
非常にハングリーな環境の中で時代が変わり明治維新に入っていくのです。
其の平均寿命は今では考えられんほど短く、現在の物質豊な時代と、
正反対の時代を論じなければ成りません・・・・・・・。
これらの図面は最高学府の大學の中ですら残されていません。
それは古文書や高名な小説家や画家のように、どこかに保管されたり、
個人の収集家や寺院に今も残り高く売買されていたものでもありません。
建築物はたしかに今実在し保護されている物もありますが、それは色々な条件の
中で最後まで残った運のよい建築物と思われます。
しかしながら、其の元になる図面はほとんど残っていません。
時代が流れるにつれ遺族によって廃棄されたり、戦災で行方不明になったりして
姿を消していった・・と思われます。
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