特別編 いろいろな写真舘



Part T SADAのページのつづき

観世流謡曲

    sada sodeoka  石座神社奉賛会集会場 2002/4/29
 
戀重荷
 典ろは不明であるが、平判官康頼の寶物集に「天竺に網人あり衡婆迦といふ。
魚を持ちて王宮に至るに思はざる程に衡婆迦后を見奉りて、後煩悩の思ひ覺むる時なく、嘆き悲しみ病の床を起きず。衡婆迦が母この事を怪しみて故を問ひければ、衡婆迦隠すといへども、後に母に語る。是を聞きて思ひを止めん為に王宮に詣りて、向の方に佇みけるに、后怪しみて故を問ひ給ふに、網人が母事の次第を語り申す。
后是れを哀れと思し召して、五百輌の車を飾りて社頭へ参り、網人に逢はんと契り給ふ事なり」といふ談が記されている。
然し、世阿弥の能作書に、「戀重荷、昔綾の太鼓也」とあるから、本曲が古典の改作である事は明らかである。
「綾太鼓」といふのは、現在寛生・金剛の二流にある「綾鼓」であらうと思うが、現行の「綾鼓」が古典そのままであるか何うかは疑問である。



part U 木版画その壱

井堂雅夫の世界から・・・・・「祇園の雨」
 日本の美しい風景を木版画に描き、毎年の新作発表の数も群を抜く精力的に創作活動を続けています。
国内外を問わず多くのファンを魅了し続ける井堂雅夫。
"IDO GREEN" と呼ばれる独特の色使いは見る人の心に深い安らぎを与えます。


酒井輝子氏 所蔵

井堂雅夫プロフィール
1945年11月11日中国東北部にて生まれる。
1946年岩手県盛岡市へ移る
1959年上洛 1967年日展評議員・大坪重周に師事
1969年木版画製作を始める

賞・公募展
三軌会賞
日動版画グランプリ入選
日本版画協会展入選
出版物
木版の詩(京都書院)
日本之四季彩(NHK出版)
宮沢賢治・心象の風景(河出書房新社)
On the Forth Day of NarcissusMonth(サンマーク)
The Bears of Mt.Nametoko(サンマーク)

 この創作木版画「祇園の雨」は三田のオーナ
酒井輝子氏が版画家井堂雅夫氏に依頼して製
作されたものです。
京都の夜の祇園のムードがよく出ています。京
町屋の風情を体感して下さい。
 The Legacy of architects from japan's Meiji Period 管理人

P.S.
木版画「祇園の雨」は京都祇園の夜の社交場、クラブ三田がモデルです。
残念ながら2002年12月末をもって、23年の歴史の幕を閉じました。管理人

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Part V 富岡鐵齋の掛け軸
 
はじめに
この掛け軸は富岡鉄斎の作品の中でも異質の物です。
これは世紀を超えて始めて公開される作品です。勿論沢山あるとは思いますが現在富岡家から認知された作品ではありません。そうです箱書きがなされていません。絵は絹の上に描かれてありますが、世紀を超えても且つ保存状態は良好に、保たれています  管理人   


The Legacy of architects from Japan's Meiji Period   所蔵

鐵   齋
 鐵斎の書画は20歳の頃より89歳に至る70年間にわたり、作品の数も莫大なものになる。其の技法は所詮南画の伝統的な技法の上にたつとは言え、大和絵、浮世絵、大津絵等の技法駆使は言うまでもなく、西画に影響を受けた事も少なからずと自身でも言っているように多岐に渡っている。 この書画も鉄斎宅に出入りしていた京都洛北の農家の主人に世話になったお礼に、自身着ていた衣服の絹の裏地に即座に描いたものである。鉄斎晩年の作画、尚画いた正確な日時は不明である。 管理人

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Part W 九谷焼きの皿

上田清次郎所有の九谷焼きの皿の由来
 この皿の履歴は、確かなことは不明ですが、古谷三代吉と同時代の上田清次郎と言う人物が所蔵していた、三枚組みの一枚です。
 清次郎と言う人物像は、日露戦争の下士官ではありますが、旅順での攻防で金鵄勲章を授与された英雄です。・・・管理人は幼少の頃より清次郎の亡くなる、中学三年まで共に暮らしました。管理人にとっては忘れがたい人で多くの影響を受け終世忘れた事はありません。
 この九谷の皿は江戸時代より上田家に伝わり、大切に保管されていたと聞いています。一皿は清次郎の娘の嫁ぎ先、森、 某家に黒檀張りの箪笥長持ちと共に、遺産として渡され、残る二皿は管理人とその親族が保管しています。森家とは現在疎遠になり、皿の行方は不明です。
 京都の古美術商の老主人に鑑定を依頼した結果、九谷で焼かれた色絵磁器である可能性があると言う鑑定が出ました。ご覧下さい。


石川県九谷村で1655年頃から約50年の間だけ焼かれたという色絵磁器
古九谷の窯は加賀藩の支藩、大聖寺藩によって運営されたと伝わりますが、生地や実態については未だ謎が残ると言われている焼物です。

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