『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第4章 天狗神

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▼04-13「神奈川・箱根大雄山の天狗」

【略文】

箱根・大雄山最乗寺は曹洞宗の名刹。室町時代、僧了庵が創建した
ものという。その弟子の道了は怪力の持ち主。寺の完成後、師の了
庵が亡くなると、道了は寺を永久に守護するため、天狗の姿になっ
て空中に舞い上がり明星ヶ岳に飛び立ったという。
・神奈川県南足柄市大雄町

▼04-13「神奈川・箱根大雄山の天狗」

【本文】
箱根の外輪山である明神ヶ岳は、小田原市の真西にあり、夕方にな
るとこの山の上に宵の明星が輝くため、明星ヶ岳の名があるといわ
れます。一名大文字山とも呼ばれ、京都東山の大文字焼きを参考に、
この山でも大正10(1921)年から毎年8月16日に大文字焼きが行わ
れていて、当日は見物客で強羅は大変なにぎわいをみせるという。

その北ろくにある大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ・曹洞
宗)は、室町時代初期に建てられたという歴史をもち、川崎大師、
大山不動とともに神奈川県の三大名刹のひとつです。伊豆箱根鉄道
の関本駅から続く道路の終点に道了尊(どうりょうそん)というバ
ス停があり、そこからわずかで大雄山最乗寺につきます。

このお寺は天狗が名物で、鉄の赤い天狗下駄がならび、入口階段わ
きに大天狗・小天狗がおっかない顔をしてにらんでいます。寺のま
わりは杉の巨木がならび、いかにも天狗が住んでいそうな感じです。
バス停の名は、ここに住んでいることになっている天狗・道了薩?
(どうりょうさった・本名道了坊妙覚)のことで、近郊の人たちが
親しみを込めて道了尊と呼んでいます。

そもそも天狗には大天狗、中天狗、小天狗、からす天狗、木の葉天
狗、白狼天狗などがいますが、なかでも鼻の高い大物の大天狗、そ
のなかでも名前のある天狗は超大物で、勝手気ままな有象無象の小
わっぱ天狗どもをとり仕切っているといいます。ところが、最乗寺
の道了薩?は鼻が高くなく、くちばしがあり、肩に羽が生え背中に
炎を背負って、キツネに乗っています。

これは、長野県飯縄山(いいづなやま)の飯綱三郎(いづなのさぶ
ろう)天狗の系列で、荼吉尼天(だきにてん)の姿をしています。
東京都の高尾山(599m)や群馬県の迦葉山(かしょうざん)の天
狗も同じ系列です。JR中央線高尾駅や迦葉山の弥勒寺(みろくじ)
などには、鼻の高い天狗の面を飾ってありますが、本尊は荼吉尼天
天狗です。

道了天狗はもと滋賀県大津の有名な三井寺の大行者でしたが、同郷
の了庵慧明(りょうあんけいめい)禅師が箱根に最乗寺を建てると
いうことを聞き「人容忽然トシテ天狗ニ変ジ、西窓ヲ開キ、飛ビ立
チ金堂前ノ大杉ノ頂ニ移リ、東面ニ向ヒ飛ビ去ル」と三井寺の古い
記録「園城寺学頭代北林院日記」にあります。

こうして箱根に飛んで来た道了は、了庵の弟子になってお寺の建設
を手伝い、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げ砕いて協力。
たちまちのうちに大雄山最乗寺を完成させたという。17年後の応永
18(1411)年、師匠の了庵が75歳でこの世を去ると、道了天狗は「も
はやわが使命は終わった」として、寺を永久に守護するため、5つ
の誓願を唱え、虚空に舞い上がりました。

そして右手に降魔の輪杖を持ち、左手に縛魔の剛縄を握り、両羽翼
を生じ、全身を大火炎に包まれ、法衣を着て白狐にまたがった天狗
の姿になって、向かいの峰の大樹のしたにに天降ったという。その
時大地震動して、全山が鳴動したと「大雄山誌」に記録されていま
す。そして明星ヶ岳に棲みつき、いまも時々最乗寺の大杉に舞い降
りては寺を守っているという。

5つの誓願とは、(1)「常に三宝をおそれ、言直和順の心を以て我
を念ずる者には、八苦の抜済を獲せむべし」。(2)「常に四恩をお
それ、慈悲心を以て我を念ずる者には、七難悉く除きて、武勇の術
を獲せむべし」。(3)「常に父母師長をおそれ、平等心を以て我を
念ずる者には、衆々の悪病消滅を獲せしむべし」。(4)「常に自賛
毀(き・そしる)他の意をおそれ、正道心を以て我を念ずる者には、
衆人の敬愛を得せしむべし」。(5)「常に作業の事をおそれ、初め
より間断なき心を以て我を念ずる者には、福徳円満を獲せしむべし」
の5項目。

このできごとに、一山の大衆はあまりの不思議さに、ただ礼拝して
いるなか、その姿はどこかへ消え去っていったという。そのためそ
の姿を模写し、道了が降り立ったところに一宇を建て、影像を安置
し道了大権現と崇めたという(『図聚天狗列伝・東日本編』知切光
歳著)。

いま最乗寺で発行されている道了尊の影符は、みんな羽根がない像
になっています。この羽根を落とした時期について『道了大薩?伝』
には「延宝4年(1676)、輪住二百十四世、※べつ山正雪和尚の代
に、薩?(道了)は両羽翼を脱落せられた奇端の事実がある。爾り
しより薩?の姿に羽翼なく、之を羽がい落ちの影像と称している」
とある。つまり徳川4代の家綱の延宝のころまでは、背中に翼を生
やしたカラス天狗型でしたが、翼を落として大天狗に昇格したのは
いまから300年前ということになります。

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編相模風土記稿・第一巻』巻之二十 村里部 足柄上郡巻之
九 苅野庄:大日本地誌大系・19(雄山閣)1984年(昭和59)
・『図聚天狗列伝・西日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』(平凡社)1984年(昭和
59)

 

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