秘密
 クラブも終わり、これから電気を消して帰ろうというときだった。
 すっかり日は暮れて、多分この時間だと、残っている人はそうそういないだろうという時間。

 ……。紐緒さんなら残って、怪しい研究とかしてそうだが。

「あっ!」
 思わず声を出す。
 思わぬ人に出くわしたからだった。紐緒さんではない。
 その人は、俺の声に驚いて、びくっとしてしまい、俯いてしまった。
「あ、ごめん、脅かすつもりはなかったんだけど……」
 そう言っても、その人は俯いてもじもじやっているだけだった。
 クラブに行く前、その人とは出会って、俺はクラブに行くからといって別れた。
 そして、その人はクラブには入っていないので、帰った。当然帰ったはずだ。そう俺は思った。
「あ、あの…」
 俯いて、申し訳なさそうに口を開く。
「何?」
 そういうとその人はゆっくりと俺の顔を見て、
「忘れ物…。忘れ物をしたので……。それで……」
「ああ、なるほど。一度は帰ったけど、忘れ物をしたから戻ってきたってこと?」
 限りなくやさしい声でそういった。
「はい。そしたら、さんの部室の電気がついていたので、先に…」
「俺がいると思ったのね?」
 そうさらりと俺が言うと、その人は顔を真っ赤にして、こくっとうなずいた。
「で、忘れ物は?」
「あ、はい、これから……。先にこっちにきたので…」
「で、忘れ物はどこなの?」
「教室です」
 そう俯いたまま言う。
「そう、じゃぁ、一緒にいこうか、美樹原さん」
「え、あ、でも、…。さんはこれから帰るんですよね?だったら…。悪いし…」
「あ、いいよ、ほらほら。暗いし、学校にはこういう話はつきものだしね」
 そう言って、俺は両手をだらりとさせ幽霊の真似をした。
「出るんですか?」
「どうだろうね?学校にはその手の話ってつきものでしょう?誰もいない音楽室からピアノの音が流れてくるとか…」
「理科室の標本が勝手に動き出すとか、階段が増えてるとか」
 俺が話をしている途中で彼女は割り込んできた。いつもは控えめな彼女らしからぬ行為だった。
「そうそう。そういうのってどこでもあるよね」
「ありますね」
 どことなく嬉しそう?
「…もしかして、こういう話って美樹原さん好きだった?」
「え、あ、はい」
 そういうとまたいつもの美樹原さんに戻った。
「そうだったんだ…。知らなかったよ、俺」
「……さんは、嫌い…ですか?」

 その問にドキッとする。
 何気ない一言だけど。
 その裏にはとっても重いものがあるような。
 そして、軽率には答えられないような。
 美樹原さんには、きっとすごく重要な事のような。
 ……。考えすぎかな?
「あの?嫌い…。ですか?」
 もう一度、その問いかけを俺にする。

 さらに、重いものがのしかかってきたようなきがした。
 どう答えていいかわからない。
 ……。
 でも、美樹原さんの求めているのは『この手』の話が好きかどうかってことだ…。
「あの?…。さん?」
 
 黙ったままの俺に彼女は心配そうに名前を呼んだ。
「え?ああ、大丈夫。ごめん、ごめん。俺も嫌いじゃないよ。」
 まぁ、そういう話は結構好きなほうだったりする。
「そうですか、よかった…」
 ほっと胸をなでおろす美樹原さん。
「好きだよ」
 俺の心がドキッと大きくゆれる。
「え…?」
 俺のほうを直視する。
「あ、だから、その……」
 混乱する頭。隣には美樹原さんが俯いている。
「はい…」
「だ、だから、ほら、早く忘れ物を取りに行って、帰ろう?」
 話題を変えようと必死だった。
「はい」
 とだけ言うと、俺たちは無言でクラブ室を出て、美樹原さんの教室へ向かう。

 コツコツコツという二人の足音だけが響く。
 少し遅れて美樹原さんが歩いている。

 さっきのこと、美樹原さん、どうとらえたのかな…。
 そのことで頭はいっぱいだった。
 
 3年生の教室は3階にある。階段を上がって、美樹原さんの教室の前につく。
 その間、二人は無口で、足音だけが二人を包んでいた。
「あの、教室の前で待っていてもらっていいですか?」
「ああ、入っちゃダメってことね?」
「はい。すみません…。他人にはちょっと見せられないものなので…」
「ああ、いいよ」
 とは言ったものの、そういわれるとものすごく気になるのは人の心理。
 なんだろう…。
 なんだか、鶴の恩返しに出てくるおじいさんの気分だ。
 そして、美樹原さんは教室に入り電気をつけた。
 
 俺は教室のそとでぼーっと突っ立っている。
 美樹原さんが教室の出入り口まで閉めちゃったから、中で何を忘れ物をしたのかさえわからない。

 そう考えると、余計気になって気になってしょうがないのだ。

 しばらくして電気が消えて美樹原さんが教室から出てきた。
「ごめんなさい。待たせてしまって…」
 そう言ってぺこっと頭を下げた。
「うん、いいよ。忘れ物は見つかったの?」
「はい。ありました。これ忘れると明日詩織ちゃんに怒られちゃうから…」
 詩織に怒られる?ん?
「詩織に関係あるの?」
 何気なく、そう聞いてしまった。
「…あっ」
 しまったっ!という顔をして、俯く美樹原さん。
「あ、変なこと聞いちゃった?」
「いえ、……。あの…」
 すごく緊張した表情。
「どうしたの?」
「あの…。詩織ちゃんには言わないでくださいね?絶対…。あと、他の人にも…」
「うん」
「約束、出来ますか?」
「うん。こう見えても口は堅いほうだから。好雄とは違うから」
 くすっって笑う。好雄の口の軽さは天下一品だからなぁ…。
「忘れ物って、詩織ちゃんとの交換日記だったんです。今日は私の番だったから、それを忘れちゃって…」
「ああ、なるほど…」
「絶対秘密ですよ?本当に…。本当は詩織ちゃんと私だけのことだったんですから…」
「うん。わかった。誰にも言わないよ。それに何を忘れたかは俺、忘れるから…」
「ありがとうございます。でも、忘れなくてもいいです。ただ、絶対に、詩織ちゃんにも、他の人にも言わないでください」
「わかった…」
 そういうと胸をなでおろす。緊張がほぐれたってことか…。

 教室を後にしながら、美樹原さんは俺に話してくれた。
 詩織との関係。内気な美樹原さんの親友にして、俺の幼馴染。…それ以上でも以下でもないが。
 そして「二人だけの内緒ね」と詩織と美樹原さんの二人だけ、親友だから、できる絆。
 それがこの交換日記だったようだ。
 そんな重大なことを、そんな大切な絆に俺が触れちゃってもいいのだろうか?
 でも、校門を出たときにこういった。
さんだから、話せたんです。詩織ちゃんの親友だし…。それに…。私も………」
 最後のほうはよく聞こえない。
 なんだったんだろ?
さんを、信じます。秘密は守ってくださいね」
「わかった。そんな大切で、重いのは破れないよ。それに、もし、そんなことしたら詩織も裏切ることになりかねないしね」
 すごくほっとしたような安堵の表情。
 こんな顔の美樹原さん見るのってそうはない。
 いつもどこか出かけたときでも俯いたりしていたから。
「あの…」
「なに?」
「今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
「最後に、1つだけ、1つだけ聞いていいですか?」
「何?」
「詩織ちゃん、さんにとって、……」
「詩織?ただの幼馴染だよ?詩織にも聞いてみな?多分同じこと言うと思うよ?」

「……」
 何か言った?
「いえ。べ、別に…」
「さて、帰ろうか。送っていくよ、遅いし」
「いえ、大丈夫ですから…」
「んでも、もう、いい時間だよ。おばけ以外が出てきて女子高生一人歩きは危ないって…」
「え、でも…」
「あ、ほら、俺は別に平気だし、美樹原さんに何かあったら、詩織も心配するだろうから。ね?今日は送らせて?」
「やさしいんですね…」
 そう美樹原さんは言うと、「それじゃ、ぁお願いします」と頭を下げた。

 そして、二人、学校を後にした。
 月に照らされて。
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