43日間の壮絶な闘い!  そして逝く・・・
“粉雪の空に流星墜つ”皮肉にも関係者の悲願であったテンポイント活字の内容はこのような言葉だった。 テンポイントの負った骨折は、普通ならば即安楽死処分がとられる重傷でした。 予後不良か、延命治療を施すか。 助命嘆願は止まず、オーナーの高田さんは、 すぐには踏み切れず「明日の朝まで待って下さい」と関係者にお願いしました。 二者択一の選択肢しかない状況下において、選ばれたのは後者の方だった。 もし治療がうまくいけば、種牡馬への道もある。一縷の望みを託し、競走馬としては異例の大手術が始まります。 獣医33人で結成された治療体制は前代未聞の出来事です。 全身麻酔の後、4本のボルトがテンポイントの脚に入りました。そして、闘病の日々が始まります。 その闘病生活を毎日の様に報道する新聞。3本の脚では体は支えきれないためベルトで体を吊す。 獣医の懸命な治療と、身の回りの世話をする山田厩務員と共にテンポイントは苦痛と戦い、 一進一退を繰り返す毎日でした。
 だが、馬にとって動けないのは何よりのストレスになる。 あとでテンポイントをこの上なく愛する杉本アナが栗東の小川厩舎へ様子を見に行くと、 山田厩務員の案内で立入禁止のところを特別に入れてもらえることになった。 そこで見たテンポイントの姿は、まるで別の馬のように元気がなく痩せていた。 「杉本さん、見たって。えらい痩せたやろ?」山田厩務員が杉本アナに言う。杉本アナにはもう堪えられなかった。 500キロあった馬体は380キロ近くまで落ちた。更には致命的とも言える蹄葉炎の発症… 頑張れ! テンポイント! 生きてくれ!ファンの作った千羽鶴や、ニンジンなどが連日、 テンポイントの厩舎に届けられました。
どうしても頑張ってほしいとの願いと同じく、「このまま安楽死させた方がいいのでは・・・?」との声もありました。
「人間を信じ、痛がるのを懸命に堪えるテンポイントを見るたび辛い・・・」とオーナーは苦悩します。 結局、治療の甲斐もなく、テンポイントは絶命した。 レースから43日後の3月5日午前8時40分 テンポイント逝く。病名は全身衰弱による心不全。 テンポイントの遺体はフェリーで生まれ故郷の北海道・吉田牧場に運ばれそして、葬儀がとり行われました。 「あの晩は大変な寒さだったのに、沢山の方が来て頂いて嬉しかったですよ」 「獣医さんが、脚のホータイをほどく時には辛かったですねえ」と牧場主は語ります。 テンポイントを見るとき、人間のエゴと、競走馬の儚さを感じる。 しかし、馬主の高田氏は、「テンポイントは、競馬が夢であり、ロマンであることを実証した馬だ」と。 テンポイントの死から何年が経ったんだろう? 今も、日本全国から、この牧場を訪れる人は絶たない。 現役時代を知る者だけではなく、知らない人間までもが、彼の生涯に触れつき動かされるようにして、墓に手を合わせます。 その後、レースにおける斤量体系が大幅に見直され、極端な酷量が科されるようなことはなくなった。
テンポイントの悲劇は、二度と繰り返されてはならないという願いのこもった改革でもあった。 栗毛の貴公子のテンポイントの肉体は滅びても魂はしっかりと受け継がれている。 ワカスズランはオキワカ(母:ワカクモ)とコントライトとの間に産まれた牝馬。 その産駒・フジヤマケンザンは日本で走っていた競走馬として初めて海外の重賞レース(香港国際カップ・GU)を制覇した。 そのフジヤマケンザンは現在種牡馬となりテンポイントの血を後世に伝えている。 また、オキワカの仔ワカオライデンも種牡馬として着実にその血を伝えている。