第弐九巻 

  その85 その地のやり方 

  都会の煩さに疲れ果て、鬼怒川に癒されにやってきた。

  鬼が怒った様に流れる川ゆえ゛鬼怒川゛と呼ばれるらしいが、実にクールに私を迎えてくれた。
  高温の湯にじっくりと浸かり、湯上がり牛乳を貪り飲む。
  本日のメインは那須牛のシャブシャブだ。

  霜降りの赤々とした肉をサッと昆布だしに潜らせ、上等なポンズで頂く。
  不味い訳がない。
  不味い訳がないのだが、合わせる゛七井゛が、しけった駄菓子の味がして、銘柄牛が台無しである。
  地酒と地肴は絶対に合うという法則が、脆くも崩れ去った。

  グラスを牛鍋に沈め、燗にしたら、七井が感心する程旨くなり、栃木酒の底力を思い知った。
 


  その86 (魚)神かけて

 サラリーマンの人影が全く見えぬ週末に、ポツンと一件、営業している串焼き屋がある。

 カウンターの中で焼き台と向き合うお爺さんが、ドリンクも会計も一人でこなしている。
 麦酒を飲み干し、福徳長の燗を啜る頃、やっとハタハタ塩焼きが出てきた。
 淡泊な身は燗酒にぴったりで、彼女も美味しそうに頬張っている。

 新しく学生風の団体客がやってきて、一気に手詰まりのお爺さん。
 しかし、全く焦る事はせず、ひたすらマイペースを決め込む彼の図太さに脱帽し、
 早く帰らなきゃと気遣わずにはいられない。

 綺麗に食べ終えた二匹の鰰の口と口を合わせ、彼女との永遠の愛を誓い店を後にした。
 


 その87 思い出も一杯。

 友人宅に遅く迄おじゃまし、直ぐに帰ればいいものを、珍しくラーメン屋に立ち寄った。

 6、7年前に毎週通っていた深夜のラーメン屋に、よく話に付き合ってくれたマスターが今も働いていた。
 不精髭を蓄えた肉付きのよい大男は、一見ヤクザっぽく、シロートには近寄りがたい存在感がある。

 当時の私は、ふぐの調理を怒鳴られながら教わっていて、仕事後、彼に何度も勇気づけられたっけ‥。
 こってこての脂の浮いたスープは、さほど旨くないのだが、
 辛かった日々を笑い話にさせてくれたマスターの情熱のスープなのだから、残す訳にはいかない。

 グラスビールと味噌ラーメン。心もお腹も一杯になった。
 


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barcy-ishibashi  2003