第参拾巻 

  その88 神が舞い降りた 

  九州・門司の住宅街に、凄腕の料理人のお店がある。
  四年に一度の料理オリンピックの金メダリストで、
  和洋中すべてを網羅したキッチンマスターがそこにいた。

 カウンターに一人陣取り、緊張感みなぎる調理場のプレッシャーを感じながら料理を待つ。
 美しく盛り付けられた鰆の焼物の周りには、醤油ベースの生姜ソースがかけてあり、
 刻んだトマトや香草も乗っかっている。

 口に含むと、バターの香りが鼻を抜け、雲の中を散歩している様な幸せな気分になった。
 これぞ国境を越えた創作料理なり。
 「美味い」と絶賛するが、当然とばかりに涼しい顔をするマスター。
 瞳の奥に創作の神が宿っているのを確認した
 


  その89 いつもの顔が…1

 行きつけの安居酒屋の店長が入院した。

 無愛想な青白い顔をした従業員が、代わりにホールを切り盛りしている。
 が、客はいるのに活気がない。
 この店の看板メニューでもある野菜炒め、ツナサラダを注文すると、
 野菜が半分程しか盛り付けられておらず唖然とした。

 あの赤い顔をした店長の時は「これでもか!」ってぐらいに天高い荘厳なサラダが、
 定食屋のコロッケに添えられた野菜レベルにまで落ちぶれてしまっている。
 心なしか生ビールまでが不味く感じ、幼なじみを一人失ってしまった心境になった。

 また一つ、大森から心のオアシスが消えてしまうのだと、肩を落し家路についた。
 


 その90 いつもの顔が…2

 赤い顔をした店長がいなくなって、二週間が経った。
 彼はいったい何処へ‥なんて考えつつ、最後のチャンスをその居酒屋に与える事にした。

 また青白い無愛想男がいたら、或いはチンケなサラダがやってきたら二度と訪れまい。
 私は腹を括り、鬼の形相で扉を開けた。

 「いらっしゃ〜い!」

 長いカウンターの奥から、病み上がりの店長の元気な掛け声が響き渡った。
 ああ‥やっと帰ってきたんだね。居酒屋は人である。

 酒が良かろうが、つまみが良かろうが、要は人なんだ。
 以前より赤くなった顔で、必死に動き回る彼の姿を拝見し、
 私もこんな魅力的な店長になりたいと目を輝かせた。
 


 *TOP Page へ戻る* *第参一巻へ行く*

barcy-ishibashi  2003