第参七巻 

  その109 グラスの摩天楼-1

 こんなに豊かな気持ちにさせてもらったのは初めてかも知れない。
 居酒屋の帰り道、つくづくそう思った。

 梅錦の地ビールから始まり、武蔵臥龍、宝剣、鳥海山、最上川、鷹長‥
 お酒を注文する度に奥様がエピソードを語ってくれて、何回「へぇ〜」と頷いたか分からない。
 カリッと揚げた自家製厚揚げを噛りながら、次は何を注文しようか考えた。

 ふと、テーブルを見渡すと、使用済みのグラスが沢山並んでいる事に気付いた。
 アレ?こんなに呑んだっけ‥。

 色とりどりの切子がずらりと並ぶと、上空から眺めるマンハッタンの夜景の様で、
 ただただ見惚れ、女性のようにウットリしてしまった。
 


  その110 グラスの摩天楼-2

 目の前からマンハッタンが消えると、スマートなワイングラスを差し出された。
  高級なリーデル社のグラスは、奥様が一つしか持っていない宝物。
  けれど「使ってみて」と笑顔で勧めてくれた。

  酸味が素敵な池月が、香りが立ちこめゴージャスな酒に変貌した。
  味の変化にも感心したが、むしろ奥様の母親のような愛に感動してしまった。
  最後に肝臓に気遣う貝のスープ、美しい切子グラスのプレゼントまで頂き、店を後にした。

  少し歩いた所でお店を振り返ると、遠くから深くお辞儀をしてくれてる奥様が立っていた。
  人様にこんなにも親切にされた事があっただろうか‥。
  居酒屋は‥温かい!
 


 その111 こりゃ満点!

 親方は車で颯爽と現れ、少し遅れて調理場に立つ。

 前掛けをギュッと絞め、看板メニューの天麩羅に早速取り掛かった。
 衣を光速で作り、活車海老を手際良く調理する。
 カウンターごしに「頭ごと食べてね」と言う姿が自信に溢れ、格好いい。
 美味い!

 挨拶代わりの激ウマ海老天の奇襲にやられ、客なのに親方のしもべ化してしまいそうだ。
 ゛笑゛は旨口系で、主張をしないできた女房。
 親方があまりに男臭いので、肴にも親方にも合う酒である。

 新筍、小鮎、フキノトウ‥次々と粋な天麩羅が並び、塩やら天だしやらで食べ比べる。
 いろいろ試すが、結局どう食べても美味いものは美味いのだ。
 


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barcy-ishibashi  2003