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  牛窪考(増補版)

 

A5判縦書1,980P

目次

概要

上製本70,000(4分冊)

電子書籍版5,000 電子書籍版購入頁

 

上製本取扱店

菊屋書店 0533-86-2650 豊川市牛久保町大手54−1

豊川堂 0532-54-6688 豊橋市呉服町40

 

注文があってから印刷・製本するため納品までに10日ほどかかります。

電子書籍版の購入頁に上製本の画像を掲載してあります。

 

上製本所蔵機関

愛知大学綜合郷土研究所 豊橋市町畑町1−1

豊橋市中央図書館 豊橋市羽根井町48

豊川市中央図書館 豊川市諏訪1丁目63

 

  牛窪考(増補版) 〈目次〉

 

はしがき 12

 第一章 牛久保の地名由来譚と牧野氏 30

 第二章 古名・常寒 36

 第三章 若宮殿建立と常荒 43

 第四章 牧野氏の出自 52

 第五章 牛窪と八尻 58

 (拾遺一) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」 63

   「うなごうじ祭」は「蛆虫祭」ではない(64) 豊川流域の「笹踊」と朝鮮通信使(116) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と寶永の大地震(122)

  (補遺一)「うなごうじ祭」名称考 129

    平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観(129)

     反骨を貫く若宮殿の縁起(131) 国学の核心は中華思想にあり(133) わが国本来の神祭とは乖離した国学思想(146) 上若の唄う「梅が枝節」も異国起源(176) 遠州灘近海にも多くの外国船が航行(180)

    田中緑紅主宰『土趣味』の功罪(189)

     地面に寝転ぶ姿態からの連想には疑問(204) 稻垣豆人著『三河引馬神社の奇祭』の本当の著作者は誰か(215) 引馬天王社の「出し豆腐」(228) 稻垣豆人が「出し豆腐」以上に興味を示した「七福神踊」(251) 『牛久保私談』『東三河に於ける御神事笹踊』等の地元近時代資料の検討(292)

    大正一〇年の「若葉祭」(310)

     『下中祭礼青年記録集』が記す「祭礼紛擾の件」(310) 「祭礼紛擾の件」が緑紅に与えた影響(319)

    「うなごうじ祭」という通称についての仮説(325)

     梅村則義著『奇祭 牛久保のうなごうじまつり』の「虫封じ説」の検証(329) 卯月八日の「紙下げ虫」と『救民妙藥』の「小兒舌胎」(337)『牛窪密談記』等に見る「若葉祭」の由来(352) 縄文に由来する灰塚野の祭りが「うなごうじ」の語源(362) 「うなひ髪」由来は疑問(378)

  (補遺二)豊川流域の特殊神事「笹踊」の考察 389

    豊川流域に分布する「笹踊」の概要 389

      「笹踊」に関する先行研究の概略(389)

      「笹踊歌」をテーマとする研究の限界(392) 間宮照子著『三河の笹踊り』の功績(462)

     豊川流域の「笹踊」の分布と天王社(481)

      間宮照子著『三河の笹踊り』収録以外の社で「笹踊」が行われていた可能性(481) 天王信仰と「笹踊」発生の直接の関係は疑問(498)

      「笹踊」の所作及び囃子方他(524)

      「笹踊」の特徴及び「笹踊」と呼べる芸能の範疇(524) 豊川流域の「笹踊」の類型(531) 囃子方の役割等及び過去においての踊り手の選考(551)

      「笹踊」の起源に関する諸説の検討(562)

    豊川流域の各社に奉納される「笹踊」の個別検討 594

     吉田神社(594) 牛久保八幡社(629) 三谷八剱神社(642) 新城富永神社(652) 豊川進雄神社(659) 御馬引馬神社(680) 菟足神社(702) 当古進雄神社(719) 大木進雄神社(749) 上千両神社(758) 富岡天王社(762) 式内石座神社(766) 上長山(白鳥・素盞嗚・若宮)(775) 豊津神社(787) 伊奈若宮八幡社(794) 老津神社(808) 大村八所神社(815) 石原石座神社(824) 各笹踊の具体的起源と伝播(838)

    各社の「笹踊歌」の歌詞(補遺二参考資料) 852

     伊奈若宮八幡社(852) 石座神社(岡崎市石原)(853) 石座神社(新城市大宮)(854) 牛久保八幡社(854) 菟足神社(857) 老津神社(858) 大木進雄神社(859) 大村八所神社(861) 御馬引馬神社(862) 上千両神社(863) 上長山白鳥神社(865) 上長山素盞嗚神社(865) 上長山若宮八幡社(866) 当古進雄神社(866) 豊川進雄神社(867) 豊津神社(869) 富岡天王社(870) 富永神社(871) 三谷八剱神社(872) 吉田神社(874)

  (補遺三)「隠れ太鼓」考 877

      「隠れ太鼓」が奉納される祭礼(877) 「隠れ太鼓」とは(882) 「三つ車」の詳細と「若葉祭」の大山車の役割等(923)

    『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隠れ太鼓」(947)

     機関童子と「駱駝の葬禮」(964) 歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隠れ太鼓」(971)

    「若葉祭」の「隠れ太鼓」と尾張の山車からくり(983)

     東三河の山車からくりと三谷祭の山車の概略(983) 東照宮祭に始まる尾張山車からくり(998) 「若葉祭」の「隠れ太鼓」は、山車からくりの「人形振り」か(1007)

    豊川下流域の大山車と尾張型山車(1023)

     山車と屋台はどう違う(1023) 尾張型山車の分類と伝播(1062) 昼間から提灯が飾られる東三河の囃子車と遠州の屋台(1082) 尾張の「大山」及び「車楽」と豊川下流域の大山車(1096)

    豊川下流域の大山車の起源とその亜型 1105

     「若葉祭」大山車の「再興」が意味するもの(1105) 車輪に識語が刻まれた小坂井の大山車は西若組の旧車(1146) 「豊川庄屋文書」に載る山車は大山車ではない(1161) 吉田天王社の大山車と「隠れ太鼓」(1173) 三谷祭の山車の原型は「若葉祭」にあった(1217)

    化政期の寄席芸能が「隠れ太鼓」に与えた影響(1260)

     豊川流域の「笹踊」と豊川下流域の大山車の祭礼における位置付け(1261) 「若葉祭」の「隠れ太鼓」が「人形振り」になったのは大山車再興の際か(1292) コレラの流行と張子の虎、首振り人形の起源も文政期(1345) 「隠れ太鼓」の起源の検討(1348)

 (拾遺二) 牛久保と山本勘助 1361

   勘助は実在したか(1361) 『牛久保古城図』の描く山本勘助養家・大林勘左ヱ門屋敷(1366) 遺髪塚は養父・大林勘左衞門の屋敷に建てられた(1373)

 (拾遺三) 『牛久保古城図』考 1381

   聖圓寺はいつ廃寺になったか(1382) 善光庵の建立時期と移転再建(1392) 光輝庵が牛久保に移転したのはいつか(1397) 養樹寺の創建はいつか(1400) 大聖寺の移転と牛久保城築城の関わり(1403) 淨福寺の移転と西三河の一向一揆(1406) 長谷寺の再建と移転時期(1409) 上善寺と載る矛盾(1417) 東勝寺を載せる矛盾(1422) 了圓寺が古城図に見えない理由(1428) 榊原澁右衞門の出奔と法信寺の建立(1440) 庚申寺の建立、及び『牛久保古城図』の作成経緯(1445)

 (拾遺四) 善光庵の創建と再建 1451

   善光庵の創建と善光寺如来 1451

    古記に見える善光寺如来の由来(1452) 善光寺如来が上善寺に安置された経緯(1458) 善光寺池と善光寺川(1461)

   善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」 1463

    『大成經』とは(1464) 潮音道海と『大成經』(1468) 長野采女と京極内藏之助(1476) 「伊雑宮事件」(1486) 忌部澹齋と『大成經』(1489) 長野采女と廣田丹斎(忌部澹齋)(1499) 高野本と山鹿素行(1503) 高野本と鷦鷯本の関係(1506) その後の潮音道海(1511)

 (拾遺五) 検証 東三河の徐福伝説 1515

    山本紀綱著『日本に生きる徐福の伝承』が独り歩きした小坂井の徐福伝説(1515)

     徐福伝説とは――伝説の定義を中心に(1524) 徐福と始皇帝――徐福の姓・始皇帝の姓(1539) 徐福の子孫が秦氏を名乗るのか――徐福伝説成立の下地(1541) 秦氏と徐福――弓月君と百濟の国姓(1549)

    菟足神社の徐福伝説説明板を検証する(1554)

     日色野と秦氏――淵源は、銅鐸埋納地を秦氏関連とする大口喜六か(1555) 『牛窪記』等に載る徐氏古座侍郎――長山熊野権現神主・神保氏の本姓は惟宗(1560) 菟足神社を創設したという秦石勝について――姓氏家系の大家・太田亮氏の著作から(1611) 生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事(1618)

    山本紀綱に小坂井の徐福伝説を紹介した近藤信彦と渥美郡の幡多ク(1652)

     橋本山龍運寺と船町文庫――大口喜六、近藤信彦は、幡太ク比定地の住人(1661) 羽田八幡宮と幡太ク――近藤信彦と羽田野敬雄(1670) 蓬來島と築嶋弁天社――山田宗偏により秦御厨に造園された蓬來島(1680) 御衣祭と上佐脇の八社八苗字――『大神宮諸雜事記』と日下部姓波多野氏(1686)

  (補遺)非農耕民はなぜ秦氏の裔を称するのか 1707

    非農耕民と秦氏――東三河を中心に(1708)

     彈左衞門家と渥美郡出身の車善七――側近を三河出身者で固めた家康(1713) 彈左衞門と伊奈本多家――臨川山本龍寺の開基を巡って(1718) 牧野氏と鶴姫伝説――信長の世に廃寺となった豐川村東光寺(1726) 車善七の敗訴と大岡忠相――豐川村矢作と彈左衞門(1747) 牛頭天王の本地と播磨、そして秦氏――祇園感神院及『野馬臺詩』が記す日本の国姓(1754)

    ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者(1779)

     ひょうすべと椀貸伝説――三河大伴を例にして(1787) ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天満宮(1796) 三島神と鳶澤甚内――火明命を中心とした海人の世界(1805)

  附録一 相撲雑話 1832

    序 『穂国幻史考』での野見宿禰 1832

    第一章 節會時代の相撲 1861

    第二章 神事から見た相撲 1872

    第三章 吉田追風家と弓術吉田流 1897

    終章 私と相撲、そして弓 1919

  附録二 三州吉田の怪猫騒動 1925

    はじめに 1925

    吉田城沿革 1928

    天球院の怪猫退治 1933

    結びにかえて 1940

あとがき 1941

主要参考文献 1970

 

 

概要

 

 第一章から第五章は、『米百俵』の越後長岡藩主・牧野氏の故地でもある牛久保を題材に、地元・牛久保で生まれ育った著者が単なる地域史に留まらず、日本史全体を視野に入れ幅広い読者を対象とした論稿である。

 拾遺一では、愛知県指定無形民俗民俗文化財「若葉祭」を採り上げ、補遺一は、拾遺一「「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」」の最初の見出し「「うなごうじ祭」は「蛆虫祭」ではない」をさらに詳細に検討したものであり、愛知県指定無形民俗文化財「若葉祭」の俗称「うなごうじ祭」の「うなごうじ」は「蛆虫」である、との根拠のない妄説についてその成立経緯等を検証したものである。

 また補遺二は、拾遺一「「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」」の二つ目の見出し「豊川流域の「笹踊」と朝鮮通信使」を詳述したものであり、前半では豊川流域で奉納される特殊神事「笹踊」の概要について述べ、後半では、豊川流域で奉納される「笹踊」を個別に検討している。

 補遺三は、豊川下流域の祭礼で奉納される神事芸能「隠れ太鼓」について考察したものである。中で、「若葉祭」の「隠れ太鼓」は、荒俣宏著『帝都物語外伝機関童子』のモチーフとされたからくり人形に見紛うばかりのアクロバットを含む少年の人形舞である。子供のころにこの人形舞を経験し、成人した後、囃子方とし二十年近く携わった筆者ならではの視点から「隠れ太鼓」について検討する。「豊川下流域の大山車と尾張型山車」では、「隠れ太鼓」が演ぜられる大山車を位置付ける。またそれに続く「豊川下流域の大山車の起源とその亜型」では、海中渡御で有名な三谷の山車を含めた東三河の二層の山車と「隠れ太鼓」の成立を検討する。

 拾遺二は、二〇〇七年度「大河ドラマ」の主人公・山本勘助を、拾遺三は牧野家菩提寺光輝院所蔵の古地図を、拾遺四では大成經弾圧事件を採り上げた。

 拾遺五は、四半世紀前、突如現れた東三河の徐福伝説というある種の都市伝説の形成過程を考察したものである。「伝説」とは、言い伝えの中の昔話を除いたものをいう。昔話と「伝説」の違いは、昔話では「いつ」「どこで」は特定されず、登場人物は固有名詞で語られることはないのに対し、「伝説」では「いつ」「どこで」は特定され、主人公も歴史上特定できる人物をあてて語られるところにある。こうした「伝説」の定義を踏まえ、東三河の徐福伝説を紐解く。

 拾遺五の補遺は、非農耕民と秦氏についての論考である。周囲を三河出身者で固めた家康。武士のみならず、賎民の頭についても三河出身者を登用している。ところが、穢多頭の彈左衞門のみが三河出身でない。この謎に東三河在住の筆者が挑んだのが、補遺の前半。そして後半から附録一は、その彈左衞門の信仰と深くかかわる牛頭天王に隠された謎から、河童と相撲へと話を展開し、国技相撲の概念を覆す。

 最後の、附録二では牧野氏が出城として築いた吉田城について採り上げた。

 

 

牛窪考(増補版) 著者・柴田晴廣