ルクソールでファラオの呪い!?


6時半発のルクソール行きの飛行機。今日も機内食が出た。軽食である。
パンケーキとカップがプラスチックのケースに入ってきた。ケースには
ピラミッドとホルス神が浮き彫りになっている。このケースを気に入って
しまったので、「Can I keep this?」(Kさんに教えて貰った)とちゃんと
了解を得て鞄の中へ。その横で英語を教えてくれたKさんも一緒にケースを
しまっていた。Kさんも欲しかったのね。お腹ぴーの私はお茶だけもらい、
常時神経を腹部に集中しながら、なんとかルクソールに到着。


まずはホテルに荷物を置く。部屋には入れないが、30分ほどロビーなど
で休憩。トイレからもどるとKさんがホテルのボーイさんとなにやら話している。
覗きにいってみると英語で楽しげに話していた。私の理解できたところでは
「日本人は10人に2、3人しか英語を話さない。あなたはどこで
英語を勉強したのか?」「おしんを知っているか?おしんはとってもおもしろい」
と話していた気がする。「君はおしんか?おしんに似ているが名前はなんだ」
と言われた。名前を教えるとアラビア文字で書いてくれた。
しかし、どれがどの字に該当するか分からず(アラビア語は続け文字らしい)
首をひねっていると、どうにか一文字ずつ分けて書いてくれた。
分けて書くことはまずないのだろう。彼も首をひねりながら悪戦苦闘しながら
書いてくれた。お互いほのぼのと(私は聞いていただけだけど。名前はしっかり
書いて貰った)交流をはかっていたが、集合時間となってしまった。


午前中はファラオの眠っている「王家の谷」である。「王家の谷」は舟で渡った
対岸にある。観光客用のフェリーに乗って15分。途中、舟の操縦席にKぶっちゃんと
入れてもらい、操縦していたおじさんたちの帽子をかぶり(Kぶっちゃん帽子、私
ターバン)写真を取ってもらう。やっぱり、操縦室を出るときに「バクシーシ」と
言われた。う〜ん、さすがエジプト。操縦室のおじさんに「僕の娘はカイロ大学に
通っている。君(私)は娘に似ている」と言われてしまった。う〜ん、今日は
「〜に似ている」とよく言われるなぁ。


対岸に到着。バスにのって「王家の谷」へ。
その前に「メムノンの巨像」。この不思議な話に関心しながら目的地「王家の谷」へ
到着。


バスから降りると物売りが押し寄せてくる。谷の上は真っ青な空!ポカーンと口を
あけてしまうほどなんにもない、でも見たこともない青の空である。谷は緑の全く
ない白い石の谷である。この空にこの岩。この乾燥地があってミイラが出来上がる
のである。これから行くのは、そのミイラが眠っていたファラオのお墓である。


ラムセス6世、ラムセス3世の墓に入る。壁画(レリーフ)の色のすばらしいこと。
よく3千年以上もたってここまでのこっているものである。しかし、中は暑い。
外は肌を突き刺すような太陽光、しかし墓の中は通気性がないからか、ねっとり
した暑さ。ガブリさんが一所懸命説明してくれるのだが、頭には半分しか入らない。


お墓の外にでると墓入口の階段の影になっているところにツアー添乗員の大和さん
とガブリさんが涼んでいる。私もその後ろの段に座り、涼んだ。次々と「いいなぁ」
と言って後ろに座っていく。一列状態に階段の端に座っている私たちってどう写った
のかしら?きっとあやしい日本人だったに違いない。


さて、次は別料金を払って「ツタンカーメンの墓」へ。
ここにはガイドのガブリさんは入らないので、先に木陰で中の説明をしてくれた。
この木陰への移動中、「ツタンカーメン!ツタンカーメン!」と御機嫌の私は
小踊りしながら歩いていた。すると後ろでボトっとなにかの落ちた音がした。
振り替えると、、、、昨日から活躍していたパノラマのカメラが落ちているでは
ないか!しかも蓋が空いた状態で!!!うかつにもリュックを開けっぱなしで
いたようだ。これこそファラオの呪い!昨日撮った3つのピラミッド、スフィン
クス、舟で渡る前の王家の谷、すべてパァである。呪われるようなことはしてい
ないはずだが、きっとファラオの呪いなのだ。これでトラブル4つめだ。


おしゃかになったのは6枚なので、気を取り直してあたらしいフィルムを
入れ「ツタンカーメンの墓」へ。入場制限をしているらしく、しばらく入口
で待たされる。今までみてきた墓の内壁とはうってかわって何も描かれていない。
これはツタンカーメンの予期していなかった早期の死を表しているのだろう。
また、墓の規模も半分以下であろう。あまりの小ささに驚いた。しかし、
この狭い空間に3000点もの遺品が入っていたとは。墓を発見したカーターの
喜びははかりしれないものだったであろう。棺の部屋の壁には色彩豊かなレリーフ。
その中央に第一棺(3つの棺、4つの廟に覆われていた)が置いてある。この
中に本当にツタンカーメンが眠っているのだ。3000千年も前の人物が目の前
にいるというのも不思議なものだ。ま、彼にしてみれば死後、観光目的の的に
なるとは思いもしなかっただろうが。ここは遺跡保存のため撮影は禁止。
横たわっているツタンカーメンをカメラに収めてなにかうつっていたら嫌だけど、
でも記念に欲しい一枚であった。


さて、次に向かうは「ハトシェプスト女王葬祭殿」。バスに乗って谷の奥へと
進む。バスを降り歩きで葬祭殿へ。岩山の下にギリシャ風(私にはそう見えた)
の建物が見える。中央の女王も通ったであろう階段を登り葬祭殿の中へ。
トトメス3世の摂収を行なっていたハトシェプストはそれだけでは満足せず、
法を変えて自分がファラオとなる。初めての女王のファラオの誕生だ。
しかし、まわりがそう簡単に納得するわけがない。そのため、自分の力を
みせつける意味もあったのだろう、「ハトシェプスト女王葬祭殿」などを
建築した。また、歴代ファラオに近付こうと男装して、ファラオの印である
ツケヒゲなどをしたらしい。ないがしろにされたトトメス3世はハトシェプ
ストが生きている間は国境警備をさせられていた。ハトシェプスト死後、
ファラオの地位を得たトトメス3世はいままでの憎悪をハトシェプスト
建築物に向けた。ハトシェプストが建てたものをすべて壊してしまった。
しかし、彼も神の力は恐かったため、神に関する建物を取り壊すことは
出来ず、レリーフなどハトシェプストの部分をすべて削り取るという
方法に出た。そのためこの葬祭殿にはハトシェプスト以外のレリーフが
残されていた。ファラオの力強さより女性らしさをこの葬祭殿に感じた。


これでルクソール西岸の観光は終りである。この後アラバスター工場に
行く途中「早稲田ハウス」の近くを通る。この夏の時期は発掘はしていない。
ちょっと残念。しかし、しっかりとカメラにおさめたのであった。


アラバスター工場では作成過程を見せてくれた。昔ながらのやり方であるが、
よく気が遠くならないなぁ。すごいなぁ。中で飲みもののサービス。暑いので
冷たいものが飲みたいが、なんせ、お腹は昨日から不調である。
ガイドのガブリさんのまねをして紅茶を耐熱コップに入れ砂糖を2杯。
この砂糖が溶けきらない。いつもコーヒー紅茶に砂糖は入れないが、
「郷にいっては郷にしたがえ」で砂糖いっぱいの紅茶を飲んでみた。
これがおいしい!暑い中で飲む暑い紅茶がとてもおいしい。甘さが
体にしみわたりおいしいのである。お腹もぎゅるぎゅるいいながら
受け付けてくれたようだ。結局アラバスター工場でもなにも購入せず、
紅茶を2杯のんでバスに戻ったのであった。


ホテルに戻り、レストランで昼食。ホテルお決まりのビュッフェ。
パンをつまんでそうそうに引き上げる。外は一日で一番暑い時間だ。
3時まで休憩タイムとなった。部屋まで自分の荷物を運ぶこととなる。
柿沼さんとスーツケースを持って4階へとエレベータに乗り込むと、
朝、名前をアラビア語にしてくれたボーイさんが一緒に乗り込んで、
二人の荷物を持って部屋へ案内してくれた。ちなみに他の人は自分で
運んでいる。柿沼さんと「これはチップを渡さなきゃいけないね」と
言って、荷物を運んでくれてからチップを渡そうとすると受け取らない。
「あなたは僕の友達。だから運んだ。チップいらない。おしゃべりして
くれてうれしかった。僕たち友達。」と言っている。結局彼はチップを
取らず去っていった。こういう人と会えたのはとてもうれしい。
しかし、なんでもすぐにチップと思ってしまった自分が情けなく思える。
こういう区別はとても難しい。特にチップの習慣のない日本人としては
非常につかみにくいところである。


部屋のベランダに出ると目の前はナイル川。対岸は王家の谷である。
ベランダの椅子にこしかけ飲物片手にぼーっとすると気持ち良さそうだ。
しかし、この2、3日あまり寝ていなかったので少し横になった。


午後の観光の前に「カルトューシュ」屋につれていかれた。これは絶対に
買おうと目をつけていたもの。お店の人は日本語でまくしたてる。こちらの
日本語を理解しているのかわからない。一方的に話している。まず、自分の
名前をローマ字で書くと象形文字に直してくれた。これで作るのならほりこ
む台を決める。目の前に出されたのは3万のものであった。絶対これより
安いのあるはずだと「もっと安いのは?」と聞くとしぶしぶ出してきた。
15000〜30000円まで。どれにしようか悩んでいると、店のおじちゃんが
上を見ろという。みると山城しんごとおしんを演じた子の写真であった。
「君はおしんに似ているねぇ」といきなり言い出した。エジプトではおしんが
はやっているらしい。でもどうして私がおしんなの?たしかに髪をアップに
していたけどさ。おじちゃんは30000円を進めていたが(そりゃそうだよね)
清水の舞台から飛び降りて20000円に決めた。(30000なんてとんでもない)
出来上がったらホテルに届けてくれるらしい。楽しみである。


さぁ、ルクソール東岸の観光である。まずはカルナック神殿。
バスに乗り込むとガイドのガブリさんの服装が.......ガラベ
ーヤ(エジプト民族衣装)にターバン!そしていきなり英語で
しゃべりはじめた。「私はガイドのガブリの兄弟で、同じく
ガイドをしています。彼は日本語ガイドだが、私は英語です。
彼が体調を崩してホテルで寝ているので代わりに私がきました。
英語でのガイドになりますがいいですか?」という。これは
もちろん冗談。この人のユーモアセンスってすごい。


カルナック神殿に到着。3時すぎであるが、信じられないほ
ど暑い。薄い長袖に帽子にサングラス。これでも足りずに日傘
をさす。日傘を使ったのは初めてだが、この傘ひとつで全然楽
である。これからの旅行には必需品となるであろう。


ひつじのスフィンクスの並ぶ道から神殿の中へ。
入口の門の横に神殿の空中写真があり、英語で説明が書いて
ある。とにかく大きい。ガブリさんから「この神殿が完成する
まで何年くらいかかったか?」という問題が与えられた。「30年」
「ブー」、「100年」「ブー」、「150年?」「ブー、全然
だめ、もっともっと。何年かかったと思う?」と塩倉さんに。
彼の答えは「15年」。みんなこけてしまった。いいぞいいぞ!
そのボケいいぞ。しかし、彼はウケをねらっていたわけではないよう
だ。関根、塩倉コンビはいい味をだしている。これからもなにかやって
くれそうと期待してしまう。さて、問題の答であるが「1500年」
かかったそうだ。何代ものファラオによって増築、改築されてこの形に
なった。「ハトシェプスト女王のオベリスク」「大列柱」「スカラベ像」
などみどころはいっぱい。もちろん建築王のラムセス2世のものもあちら
こちらに。「大列柱」の一本の柱を何人でぐるっとかこめるかやってみた。
手をつなぎ柱をかこう。ガブリさんから「1、2、、」と番号。
「11」、これが最後の番号。一人150センチ(実際はもっとあるけど)
と考えて柱の周計16M50CMである。これが何十本、いや、百何十本と立って
いる。しかも一本一本レリーフが施されている。柱の上は真っ青な空。


3、4、5千年も前によくこれだけの建築技術があるものだ。神殿の奥へ
と進むとお守りとして大事にされていた「スカラベ」の像。スカラベとは
「ふんころがし」である。古代の人は「スカラベ」が砂の中から這いだし、
丸いふんをころがし、砂に潜る姿をみて、「太陽をも動かせてしまう偉大
な生き物(転がしているふんを太陽とみた)」としてあがめたという。
直径1Mはあろうかという大きな像である。なにかの本に「この像の回りを
3周すると幸せになれる」と書いてあったのを思いだし、吉村さんにそれを
話すと、「よし、3週しよう!」となった。回ろうとしたとき、ガブリさん
が「みんな一列になって5周回ってください」。「い〜ち、に〜、」と5周
回った。数かぞえながら一列でまわっている日本人。はたからみたら......。
回り終ってガブリさんの説明。「3周で幸せになります。4周で結婚出来ます。
5週で子ども出来ます。ははははは」。おぉっと、これはこれは独身の多い
このツアーでは危険だ。みんな気をつけようね。(何をいってんだか)


次はルクソール神殿である。
ここの見所はパリのコンコルド広場にあるオベリスクの対のもう一本の
オベリスクと「ツタンカーメンの座像」である。オベリスクは基本的に
2本の対で作られる。神殿の入口にこれは建っているのだが、右のオベ
リスクがフランスに贈呈された。この2本のオベリスクは長さが違った
ため遠くから見た時同じ高さに見えるように設置した場所が前後している。
遠近法を使ったのである。この知恵には脱帽。


神殿の奥に進むと若いファラオの座像がある。
この座像には「ラムセス2世」と入っているらしい。しかし、顔が全然ちがう。
顔がツタンカーメンである。発掘された当初物議をかもしだしたこの像は
「ツタンカーメンの座像にラムセス2世が自分の名前をほりこんだ」という
結論に達した。それにしてもおそるべしラムセス2世。


今日の観光はこれで終りである。ホテルに戻り、夕食。毎度毎度の
ビュッフェ。昨日とおなじようにOPで「カルナック神殿音と光のシ
ョー」があるが、お腹の調子も不調の上、寝不足なので部屋に戻った。
洗濯物を取り込みにベランダに出ると今まさに対岸の王家の谷に夕日が
落ちるところであった。すぐさまカメラを構えシャッターをきる。
2枚撮ったところで夕日が落ちてしまった。あっと言う間。
オレンジ色に染まった谷をしばし眺め、ふと他の部屋のベランダを見る
と鯉渕さんと根本さんが川を眺めながら歓談していた。何を話していた
のだろう?
疲れもたまってきているのでシャワーを浴びエアメールを数通書いて
寝てしまった。


お次は

  • ナイル川沿いをバスで行く