まだまだ続くオースティンまでの道のり☆
去年の11月にテキサス州オースティンへ友達が旅立ち、その後に彼女から聞いた話。
「ダラスってなんか変なんだよぉー。ダラス空港ついたら、車椅子に乗せられそうになって、
『私はそんなもの要らない』って言ったのに、『いいから乗って乗って』とか言われたの。隣の席の人が
『彼女は歩けるんだからそんなもの必要ないのよ』と大笑いしたら、『そうなの?』とか・・・なんかさ、
訳わからないのぉ。」
飛行機を降りた所で迎えの人が車椅子持ってきたのを見て、そんな話を思い出した。
キャシーと写真を撮ったあと、彼女に手を振り、目を止める車椅子・・・やっぱり噂どおりだね。 「ねぇ、これ、どうしよう?」とお隣の席だった女の子(以降は”友達”)に相談すると、 「ダラスの空港は広いし、乗ってたほうが楽らしいよ」との答え。・・・うーーーーん、まっ、いいか。
仕方なく車椅子に乗せられ、ダラスの空港の中を移動。ずっと車椅子で運ばれ、ああ、ボディチェックだけは さすがに降りてゲートをくぐりましたけど。うん、確かに広い敷地内で、随分な距離だったのかもしれないけど、 荷物チェックの時も車椅子で運ばれ・・何だか自分が荷物になってる気分。友達は割と近くに居たけど、 入国審査の時は違うカウンターに並んだみたい。あたしが通った所のおじさんは、少し怖そうで 「目的は何?」「えと・・」とっさに「Sightseeing」と答えられなくて、「I GO TO MY FRIEND HOME」とか答えてしまった。もう何件か質問があったけど、さっぱり意味が 分からなくて困ってたけど、あきれ果てたか、「このバカ」と思ったのかは分からないけど、その後、 通してくれました。向こうのカウンターの明るそうな声の男の人の所が良かったよぉー。
飛行機の中でお隣の席の友達が「ダラスの空港は結構ひろいの。私は乗ったことないけど、
ハンディキャップの人用のカートがあるんだよ」と教えてくれました。「じゃあ、今回はあたしと
一緒だから、それに乗れるね」と答えたあたしでした。その待望(!?)のカートは、ちゃんと
用意されていました。何人ぐらい乗れるのかは、よくわからないけど・・・8人ぐらいは乗れたのでしょうか。
とりあえず、あたしの乗りかえる飛行機のゲートまでLET’S GO!!
途中に何度か止まるので、「ねえ、何?」と聞くと、「行き先が同じ人が歩いてると、ついでに乗るかを
聞いてるみたい」と友達が教えてくれました。おおーっ、さすがアメリカっ。ハンディキャップを
持つ人のためのカートでも出してしまえば、2人乗せるも8人乗せるのも一緒、って考えかな?
「はぁーい、乗ってかない?」というノリなんだろうね、ちょっと気に入ったよ。何人かめに声を
かけたおじさんが乗りこんできた。英語人のはずなのに、日本語ぺらぺらのおじさんが乗ってから
降りるまでずーっと、喋ってる。何だか日本にいて、どことか新聞や何とかに原稿を書いてる人で、
あたしの目の病気にも興味を示したらしいけど、絶好調で喋り始める前におじさんの目的ゲートに
ついた。何だか少しいかさまそうなおじさんでした。(ゴメンおじさん)
友達のフライトはあたしよりも、さらに2時間遅いらしかったので、あたしが飛行機に乗りこむ まで、彼女が一緒に居てくれました。ほんと心強かったです。 友達は旅なれてるだけあって、よく気転がききました。まわりを見まわしていたかと思ったら、 いなくなり、ちょっと心細くなったら、戻ってきた。「今ね、同じ飛行機に乗る日本人の人みつけたの。 聞いたら席は遠いのだけど、オースティンに着いて、サッちゃんの友達が居たら気をつけておいてくれるって。」 「ありがとう」・・・この子に出会えて良かった・・・不安が軽くなるね。 友達はあたしの為に「友達を探しています。彼女は盲導犬を連れています。」と英語で紙に書いてくれた。 見つからなかったら、その紙を見せて、まわりに探してもらえるように・・ほんとに良い人に巡り合ったものです。 あたしの飛行機は確か17時すぎぐらいだったのですが、 彼女と並んで座ってると「機械トラブルの為に遅れます」とのアナウンスが丁度フライト時間近くにありました。 やっぱ、外国って時間がルーズなんだなぁー。友達は航空会社の担当の人に聞きに行ってくれて、 「搭乗が始まったら一番に乗せてくれるって」といいました。結局、搭乗が始まったのは、オースティン 到着予定だった時間。しかも誰か呼びに来てくれるはずが誰も来ないうちに飛行機の搭乗客が列を 並んでました。「忘れてたらしいよ、とりあえず、ここで待っておこうね」・・・ああ、良かった 友達と一緒で。
トータルで待ち時間は1時間もっと・・結構あったと思います。その間、彼女に点字を書いて
みせると「へぇー」と感心してました。その子の名前を点字で書いてあげたら喜んでました。
やがて、迎えの人が来て彼女との別れ。「メールするねぇー」「うん、またね」
今度はいつ会えるか分からないけど、一応、ナンパしといたし、また日本でも会えることもあるでしょう。
ありがとう、貴方に出逢えて良かったよ。
飛行機が遅れていたので乗る人がいっきに並んで、その列が少なくなった頃に飛行機に入る形に
なりました。あたしを連れてる女の人は「EXCUSE US!!」と結構するどめに注意を促して、
その声に振り向く乗客の男の人は「あ、すみません」みたいな感じで道をあけてくれる。それは白杖の
効力なのか知らん?機内に入るとやっぱり、トイレを教えてくれ、トイレからまた席を数えて座る席を
教えてくれるのです。ああ、こういう風に教えるとかいうマニュアルがあるのかしらん?座ると
「エマージェンシー」の時のことが点字で書いてある冊子を手渡された・・・ウーン、あたしは
アルファベットの点字はまだ覚えていないんだよねぇー、読んでるふりをしておこう。白杖は「あずかっとくわ」と
スチュワーデスさんが持っていってしまった・・・あれ、折りたためるのに。手元にないと心細いよぉ。
席について離陸までに少しおなかが痛くなってきました。ダラスの空港で待ってるころから少し調子が悪くて・・・きっと緊張がゆるんだのでしょうね。「トイレ行きたいのですが」
「もう少ししてからね」そんな感じでした。とりあえず、離陸して・・少し待っても誰も来てくれない。
ああ、白杖を預かられてしまったのは誤算だわ。も一度、ドリンク配ってる人に「I WANT GO TO TOILET」
と主張してみたら、やっとオーケーが出た。
フライトは約1時間。きっとオースティンで待つ友達は心配してるだろうね。
でも、いよいよ会えるんだぁー☆
オースティンに着いた後、一人のスチュワーデスさんが来て、「後でケーンを持ってきてあげるから 待ってて」みたいなことを言って、また戻っていった。「ケーン」が白杖のことらしい。 お客さんがどんどん降りていく、少し経った時に人並みの向こうから「もう少し待ってて。貴方を忘れてないから」 きっとそんな意味のことをさっきの人が大声で言ってくれた。うん、少し心細くなりかけてたんだ。 ありがとう、そのお心使い。でもね、それからもどんどん、どんどん・・・えぇー、この飛行機、いったいどれぐらいの 人たちが乗ってたんだろう。いつまで経っても人の列がなくならないよ。友達まってるだろうなぁ。 やっと、迎えに来てくれた白杖を持ってきてくれたスチュワーデスさん。でもね、「A FEW MINUTE」って、 日本では「2、3分」とか「少しの間」って習ったんだけど、随分と待ちましたよ。 やっと飛行機の出口に行ったら「君の友達はもう来ているよ」とパーサーの人に言われた。
あたしを連れて出てくれたのは男の人だっけ?とりあえず、その後はスムーズに友達に 会えたような気がします。そう、随分ときがすぎてしまったので、あまりよくは覚えていないけど。 友達は一人でボーッと待ってると「友達はついたよ」と知らない男の人が英語で話し掛けてきて、 びっくりしたそうです。きっと飛行機会社の人だったのかなぁ?とにかく無事にあたしたちは再会。
その後はあんまり覚えてないけど、「シャトルに乗るの」と友達はカウンターに行き予約します。 タクシーみたいなものかな?ワゴンがやってきて、それホントは乗合ワゴンみたいなのらしいけど、 その時はあたしたちだけ。外は小雨だったかな? そうそう、オースティンは予定では午後6時何分かに到着予定でしたが、7時よりも遅くなってましたね。 でも、不思議だね、出国が3月8日の午後6時。アメリカ到着3月8日6時すぎ(予定)。 何だか得した気分です。友達の住んでる「テキサス盲学校」のゲストハウスに辿り着き、その夜は 友達がシーフードおじやを作ってくれました。ひろいひろいお家です。天井高くて・・まだはっきりまわりは わからないけど、これからしばらく、ここに住むのです。何だかワクワク。とにかく無事に着いて良かったよぉ。
さて、これからのお話はまだまだ沢山☆毎日毎日がいろんなできごとに恵まれ、アクシデントも 続出!! もう半年以上たってるから、はっきり思い出せるかは分かりませんが、こうご期待です。 あたしたちの珍道中はこ・れ・か・ら☆
( 2001年11月 3日著 )