今日は家賃を振りこみに銀行へ行った。本当は毎月入れに行くのが大変なので変わりに入れてくれるはずの人が居たのだが、
トラブルがあり、結局、毎月自分で振りこみに行くハメになっている。このことが、結構あたし的には負担な作業なのだ。
去年の始めに家賃を払いこみに行き始めた頃はセンター街の入り口の
かどっこの銀行へ入れに行っていた。でも、ものすごい人が並んでいる上に銀行の人が全然気がきかないっ。お客さんの方が親切じゃん?って思った。何度目以降かに駅前の銀行へ振りこみに行くことにした。次の銀行は、始めに行ってた
トコよりは、人の並びが少なかったので、それからは駅前が定番になった。
機械を使っての振りこみは見えないものにとっては、どうしたって太刀打ちできない。だから、いつも銀行の案内で立っているような人にお願いするのだ。
でも、前月に振りこみに行った時のこと。エスカレーターをあがって、きっと銀行の人らしいおじさんに
「すみません、振込みしたいのですが、手伝っていただけますか?」森島が珍しく(!?)丁寧にお願いしたのに、
おじさんは無愛想に「そこの列に並んでください」と答えた。いつもは温和なはずの森島なのだが、
自分のコンプレックスにひっかかると、泣きたい気持ちで暴れたくなる。あたしの目はいわゆる「見えている人の目」と
おんなじなので、視力があるのに注意力散漫な人にとっては、「何、この人??見えてるくせに変な人」って思われがちなのだ。
その感じが伝わってくると、「あたしよりもはっきり見えてるはずなのに白杖が見えてないなんて、どういうことー??使わないならあたしに目をくれっ!!」そんなふうにストレスを感じいつもそんな時は泣きたくなる。
たとえ、光が見えなくなるほど完全失明したとしても、あたしは一生、「見えている人の目」だから、
「すみません、目が見えないんで」と自分の口から出さなければならないことのめんどくささ。
白杖を持つことで、その面倒な作業がだいぶ楽になったはずなのに、これからも死ぬまでこのコンプレックスをひきずって生きていかなければならないのだろおうか?
気持ちが元気でない時はいつも、このことが心にひっかかる。
そんな前月の振りこみの一幕を思い出し、「今日もどうせ、期待できんわなあー」と
開き直り、目を閉じて歩くことにした。今のあたしの目の状態では、開けていても光の散乱が
目に痛いだけなので、閉じていた方が目に優しいのかもしれない。目を閉じて白杖ついて歩いていて、
それを見ても、あたしの目に気づかない人がいたとしたら、それはそれで諦めもつくだろうし。そんな
気持ちで銀行へ突入。さすがに怪しかったのか(?)、今回はわりとすぐに銀行のおばちゃんが気が付いた。
不思議なもので、目を閉じているといつもはイライラすることでも、あまり感じなくなることもあるようだ。
普通、目を閉じると感覚が研ぎ澄まされることもあるのに、今回のあたしはもしかして多感な心を閉じて
しまってたのかもしれない。でも、この方が楽かもしれない?ささいなことに心を波立たせなくて済むものねっ。
銀行を終え、区役所の1階の福祉事務所に手続きに向かった。めんどくさいので、全て目を閉じて歩いて行くが、
これがなかなかうまく進めるのだ。明るい暗いも感じられなくなったら、もっとしんどいだろうと、今はまだ少し思っているあたしだが、
案外、目を閉じている方がうまくいくこともあるのかしらん?なーんて思いながら用事を済ませた。
お腹がすいたから、ポートライナーの改札の横にあるお気に入りのお店で一休み。このお店は3,4年前に毎週
ライブハウスに通ってた時に、行く前に腹ごしらえするのによく利用してた。その頃の店員の女の子が
まだ働いているらしく、最近、時々行くと、「お久しぶりですっ」って声をかけてくれる。今日もその子が
帰りに声をかけてくれたし、そのお店にはチョコチョコ行くから、「見えている目」を見開いたまま、
注文しても、ちゃんと対応してくれるから、嬉しい♪そうっ、行き付けのお店を沢山、増やして行けばいいんだよねぇー。
そしたら、わずらわしいこと気にしなくても済むんだもん。
それでも当分は、面倒な時は目を閉じて歩いてしまいそうなあたし。だって、世間には、いろいろと、
心をささくれだたせる物事が多すぎるんだもん。いちいち腹を立ててるのもばかばかしいほどに!?
だから、静かな気持ちで安定した気持ちでいたいと思うあたしは、これからもチョコチョコ目を閉じるのだろう。
ほんとに文字通り、「嫌なことに目をつぶる」なのかもしれないっ!?