★ 2001年アメリカ旅
☆イントロダクション ★

(2001年 3月下旬 著)

ただいまぁーっ☆
24日の夕方の飛行機で無事に日本に帰ってきました。3月8日に日本を出発した時は、とっても寒くて雪が降っていたのに、帰ってきたら蒸し暑くて驚きました。テキサス州オースティンは、いつもの年よりは涼しいということでしたが、日本よりは暑いだろうと思っていたのに、帰ってきたら日本の方が暑かったかも。

長いような短いような2週間でした。アクシデント続き満載の旅でしたが、それでも「何とかなるんだなぁ」とも思わせてくれる旅でもありました。

アメリカの春休みは盲学校でも敷地内には誰一人居なくなります。そんな敷地の中のゲストハウスが友達の住まいでした。歩いて30分ぐらいの所にスーパーがあり、公衆電話なんてどこにあるか判らない! バスも何時来るか判らない!! そんなオースティンには電車がなく、車がないのならバスが唯一の交通手段。

そんなところで電話が通じなくなり、一時期、電気も止められ、広い土地の中、盲導犬を連れている友達とふたりぼっちになってしまったりもしました。そんな時でも結構、のん気に見える友達に感心したりもしました。(本人は一応、おちこんでいたらしいですが・・。)

電話が通じなくなって4日ぐらいめに、ある家族の所に泊めてもらいました。友達が冬休みに誰からかの紹介で泊めてもらったことのある家です。奥さんはテキサス大学の先生で、その生徒さんから日本語でインタビューを受けました。旦那さんは翻訳の仕事をしている人で9歳の女の子がいる日本人の家族でした。もう18年もアメリカで暮らしている人でした。その人たちに出会えたことはあたしにとっては大きな収穫でした。夜明けまでお父さんと語り合いました。

次なるアクシデントはこの家族で車で出かけた時、途中でボンネットから煙が出てきて「早く出て!!」という騒ぎ。あの時は本気でびびりました。

それから友達がダラスへ仕事で出かけるのにも付いて行きました。バスで3時間移動の予定がそのバスが事故を起こして警察まで出てきて…。おかげでダラスまで5時間以上掛かりました。

そして友達の仕事の都合で 急に場所を移動してとったホテルが、フロントから車に乗って移動しなければたどり着かない所だったのです!?外から進入されたらオシマイ状態の部屋だと知った時は、さすがののん気モノの友達も「どうしよう、どうしよう」と困っていました。電話が通じなくなったりなどのアクシデントを経験ずみのあたしたちは、何かあったら、ヤバイと身に迫って思ったのでしょう。あたしは返ってサメテ諦め気分でしたが。その時、乗ってたタクシーのおじさんがホテルの人を本気で怒ってくれて、こっちも強く出てたおかげで何とか、比較的フロントに近い部屋にしてはもらえました。

最後のアクシデントは友達が仕事で出かけて一人になった時に起こりました。親切なタクシーのおじさんが、迎えに来てくれるはずなのに 全然、時間が過ぎても来る気配がない! 飛行機にのれなければ、日本に帰ることができない!! …あの時、初めて英語を必死で乱列してフロントの人に訴えましたよぉー。

そして、何とか無事に帰国することができました。いろいろあったけど、でも楽しかったですよぉ★

スーパーで食料品買ったり、バスを乗り換えて迷いながら、ウロウロさまよったり。ダラスのバスの事務所で白杖の女の人がかっこよく仕事していました。りんとしてて、ほんとかっこよかった!
 友達が視覚障害を持つ子供を教える先生の事務所に交渉して見学をさせてもらうのに付いていって、いろいろ勉強になりました。そのSpecial Educationセンターの先生たちがとても親切で心地よかったです。アメリカでは個人に合わせて教育する体制で日本のように障害があるからといって隔離なんてしない。日本では普通にほっとかれる程度の目の悪い子供でもその子にあった勉強方法で教えている印象でした。
 もし、あたしがアメリカで育ってたら、今までのようなコンプレックスを抱えずに楽に生きられたのでしょうか?

アメリカに行く前にある人の「アメリカのいろいろな所を 見てきてください」という言葉があったので、いろいろ感じられた事、多かったかもしれません。
 まだ日記は追いついていなくて整理ができていませんが、覚えてるうちにいろいろ書いておかなきゃ、と思っています。

もともとは、これからの完全に見えなくなる自分に自信がなくなってきたのがキッカケの旅です。見えているうちに外国を見ておこう。そう思って決心したのが去年、友達が渡米したあとでした。でも、これから先の自分に自信がなくなってきて、「英語もわからないで、ほとんど見えなくなってきたあたしが、友達に会いに、一人でアメリカまで行けて何とかなれば、これから先の人生だって何とかなるだろう」その気持ちを付けるためにも思い切りました。アクシデント続きは、そんなあたしの為だったのでしょうか?

今回の旅で出会った人や出来事を自分の中でしっかりと書き留めておかなきゃいけないな、と思っています。今書いている文章は、あたしの旅の、ほんのイントロダクションにすぎないのですから。


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