一覧へ戻る ちよだ No.2 昭和55年1月1日(1980)発行
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初めてマラソン  ボストンマラソン回顧 深井 富久
 随分と年月がたっているので、当時の日記帳を読み返し、私としては初めて42.195キロを完走したボストンマラソンを思い出して書くことにした。
 当日、空は朝からどんよりと曇り、今にも降りだしそうな天気だった。私はいつもの通り昼食はレストランの定食、フルーツ、コーヒー、スクランブルエッグ、トーストなどを食べたが、餅、味噌汁、梅干などを食べた人もいた。9時頃、バスでスタート地点に向かった。
 間もなく雨が降り出した。スタート地点はもう人が一杯だった。トイレを待つ人の列は、青梅マラソンでも見られないほど長い、それでも皆苛立たしい顔もせずに待っている。
 バスを降りたところで着がえて、人混みをかき別け乍らゆっくり走って出発点に行った。ゼッケンの番号順に並ぶのだが、それには皆こだわってないように見えた。ヤット同じツアーの人を見付けて隣に並んだ。彼はツアーの添乗員で、しかもボストンマラソンを5回も走っているベテランであって、職業柄英語は達者なので、まわりの人に話しかけては通訳をして呉れた。おかげで、可成り緊張していた私もいくらか気がほぐれた。しかもまわりには日本では見られない面白い服装の人が沢山いるではないか。私の隣にいる外人は頭にパンツを冠り、手に沓下をはめ、上半身は裸である。
 みんな「これから42.195キロのフルマラソンを走るのだ」といった悲愴感はどの顔にも見られない。一寸ジョグして来ようかなと言いそうな感じで、私を非常にリラックスさせて呉れた。
 4月16日月曜日正午気温4度C。
 小雨の中、ウォーッという声で私たちはスタートした。スタート直後で快調に飛ばせた、オーバーペースのようだった。10キロ地点は40分台、少し腹が痛くなったのでペースを落として10マイル(約16キロ)を70分で通過した。
 腹痛はおさまったが、今度は足がつって来た。練習のせいなのかと、またペースを落とした。折返点の手前3キロあたりまで治らなかった。歩いて見ようかと思った。しかし、まだ半分も走ってないので、歩いている人は1人もいない。とんどん抜かれる。もう私の後には幾人もいないのではないかと思われる程多くの人に追い抜かれた。
 そのうちに足の爪をはがしたらしく、白いシューズの先が赤く染まって来た。ついてないなァと思い、もうタイムなんかどうでもよい。とにかく完走だけはしたい。足を前に出していればゴールは一歩一歩近付くのだから。そう腹をきめると気持ちが楽になり、折角アメリカまで来て、こんな素晴らしいコースを走るのだから、風景でも眺めるどころか、沿道の両側は見物人、応援者の山。
 走っている私でも寒いのに、雨の中に傘もささず、大声でランナーたちを声援して呉れるのだ。私のゼッケンと日の丸のマークを見ては「28」「ジャパン」と外人も口をそろえて応援して呉れ、「頑張って」と黄色い日本語の声援も耳にとび込んで来る。こんな、うれしい「頑張って」は今まで一度も味わったことのない感激であった。
 心臓破り丘に差し掛かって間もなく、沿道のラジオが、先頭のロジャースがゴールのテープを切ったと伝えた。歩いている人もふえて来た。しかし私からは歩きたいなどの弱気は全く消え去っていた。あと1時間も走ればゴールではないか。
 やがてブルーデンシアルビルが見えて来た。その前にゴールラインが引いてある。あと7キロ位だ。皇居1周して、更に英国大使館が見える所までの距離だ。もう先が見えたとなるとひとりでにペースはあがる。しばらく走ったと思うと、行手の右側にあと2マイルの標木に目に入る。
 ほんとうに、あと2マイルなのかなァと信ぜられないといった気持ちと、とうとう39キロを走り抜いたのだという喜びとが代る代る私の脳裡をかすめる。3時02分頃だった。
 ああ、これで目標の3時間半は切れる。こうなれば1分でも早くゴールインしたい。思い切ってペースをあげた。ゴールを目前に歩いている人が目につく。最後の2マイルで沢山の人を抜いた。いくつかの曲がり角を抜けて、遂にフィニッシュラインを踏んだ。
 黄色い幅のあるラインに「FINISH」と鮮かに書いてあった。われ知らず涙があふれてきた。
 「一寸その辺まで走って来るよ」と言いたげな顔をしていた人達も、ここでは「やった!やった!」とばかり見知らぬ人とも抱き合い、肩をたたき合っているではないか。なんと素晴らしいレースなのだろう。
おわり


編集後記 編集責任者 池畑 泉
「ちよだ」の創刊号は会員諸賢ばかりでなく各方面から予想外の高評を?したようです。マラソン同好会の会報として画期的なものとして、読売新聞社は早速大きく紙面をさいて広く社会に紹介して呉れました。
 第2号は皆さんのご協力で多くの原稿が集まりましたし、「ちよだ」の独り立ちができる目安もつき、八十年代の最初の年ですから特集号とし、思い切って版を大きくした上、増頁もしました。未熟者の集まりでやることで、決して満足できるものではありませんが、前号より少しはよいものをお手許に届けられるのではないかと思います。


定価200円
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