一覧へ戻る ちよだ No.3 昭和55年4月1日(1980)発行
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青梅マラソン体験
 参加された方に下記について答えてもらった。
@ 参加回数 A順位、記録 B練習内容 C青梅対策 D要望 E感想(氏名敬称略)
〈中村和夫〉@30k4回 A3900番2:27’12” B平日(3キロ)日曜(20キロ) C上り坂に対する練習 D人数をもう少し減らしてほしい E当日は風邪気味で、しかもスタート順位が最後位に近く、今一つ気分が乗れなかったが、しかし結果的には前半折返しまではセーブし、後半のスパートがきいた。今度の申し込みは早めにして新聞にでるようがんばりたい。
〈星 穣〉@30k3回 A49年2:18’、53年2:41’、54年2:48’ B皇居又は青山外苑5k・10k、日曜20k Cレース参加前に30kを3回ぐらい D30kをボストンマラソンと同じくフルマラソンに、他に20k、10k。スタート時間、フルマラソン11時、20k11時15分、10k11時半
〈堂山和一〉@10k1回、30k5回 B平日3〜4k、周2回(土日10k)早朝軽くジョグ程度 C特にないが11月〜12月日曜日10k〜15k走るよう心掛け、1月20k程度を楽に走れるように距離を伸ばしている(日曜日のみ)D別になし、記録は二の次です E健康マラソンに心がけ極端な疲労が残らぬよう。
〈太田隆司〉@10k2回、30k2回 A3:18’45” B大会に関係ない時は毎日5キロのみ C12月後半から毎日10kを目標にし、休日に15k走り込む。1月に227キロ走った。しかし、まだ足りなかった D今年参加出来なかった人が多かったようですが、申込書を早目に手配していただきたいと思います。今年初めてやりましたが、青梅の試走がとても楽しかったので、もっと参加者があれば良いと思いました E青梅の楽しみはその後の思い出です。苦しいことは全然覚えてないから不思議です。今年ははたせなかた3時間以内を来年も目標にして今から走っています
〈高石真太郎〉@7回 A400番台1:57’ BC走り込み、インターバル E今年は急用ができ、試走の後おもうように練習ができず、20kすぎより歩いたり走ったりで2:23’8”(3131番)、目標を2:30’においたのでまあまあです
〈奥野精一〉@10k1回、30k A7205番 2:58’ B1月青梅コース30kジョグ、皇居30kジョグ、2月3日皇居20kジョグ、2月10日15kジョグ、其の他毎日5kジョグ D月に1回皇居で30kジョグをしてもらいたい、自由に走りたいのです E初めから最後迄マイペースで走り楽しく走れました。夏から秋にかけて北の丸公園の芝生で毎朝足を鍛えたのが良かったと思う。診断書を出さず、子供の名前ででたのは自分の健康状態をよく知っていた。絶対無理しないと自分にいいきかせました。
〈佐竹嘉雄〉@8回 A2:30以後 B毎朝 Dボストンと提携しているのでフルマラソンにして欲しい E一年毎に青梅市の方々の関心が高くなっているのが身にしみる。たとえば沿道で人々の湯菓の接待其の他等
〈川島聴一〉@3回 A831位、2:03’25” B朝マラソン通勤、夜マラソン教室参加 6:30-8:30 (月)10キロトラック(木)200mインターバル15-20本、他日国立競技場、日曜皇居8:00-9:00、国立競技場5:00-6:00 Cゆっくりでいいから長い距離を走ることを心がけ、2月に入ってからは有楽町より競技場迄走って行くようにし、トラック中心からロード中心に移動させ、時間走をやるよう努めた D15000人という範囲をもうけなければならないことが残念だ。これを打破するにはゼッケン番号を記録順に若い番号を与えていくようにしたら、少しは安全性の面から見て無用な競争心をあおりたてることがなくなるんではないか。ボストンマラソンの如く走った後の会食パーティーのようなものを青梅市が中心になってやったら楽しいだとうと思います。青梅マラソン・スナップ・コンテスト、走っているものにとって大会の写真は何ものにもかえがたい宝物、ネガも一緒に提出させるようにし希望者に良心的値段で売買する。関連してではあるが主催者側で青梅マラソン展みたいなものをやるようにする。E今年はトレーニングセンターに入り練習の量は豊富になったので、一気に2時間をきるのを目標においたが、やっぱり入れ込みすぎたかな?無芸大食で頭痛の時でも胃薬で直るといわれている程(つまり頭から胃まであるということ)食べる量では人後に落ちない、その僕が食事法をやり出したのが運のつき、前夜腹をこわし、小食がたたったのかかと思った次第、失敗でした。 いろいろな意見ありがとうございました。
 会員の中にも二通りの参加の方があるが、青梅マラソンの練習は充分でしたか・・・
 自分の体は自分で責任をもつこと、好きなことをやって死ねば本望というが、心臓の苦しみは大変なもの、自分だけではなく、関係者の方にも迷惑がかかり、防げるものは防ぐ努力を怠りなく。
 みんなが青梅マラソンを楽しみにしているのがよく解りました。
 会で受け付けをしなかったため、参加できなかった方、申訳ありません。みんなが楽しみにしているだけに、青梅マラソンが大衆マラソンとして自信もっていえるようになってもたいたいものです。                                           中原

提案二つ
その一
毎月一回会員のタイムを備え付けの記録簿に記載し、公開保存しては如何でしょうか、今も一応タイムは測っていますが、その場限りのものですから、大した効果は期待出来ません。5人でも10人でも希望者があれば早速実施したいと思います。
その二
谷地で催しされるマラソン大会に出場された方々の御芳名帳を用意しました。どうぞ御記名下さい。                                         編集部


只今、中国より帰って参りました。
皆様の暖かい声援にこたえて親善の役目を果たす事が出来て感激です。
親善第一という事だったし、気候等の状況がかわったという事もあって納得行く成績ではありませんが、素晴らしい経験が出来た事は皆様のおかげと思い、厚く御礼申し上げます。
2月24日   深井 富久

 北京より帰って来られた深井さんをインタビューし北京市春節マラソンの事や中国の事を伺いました。

まずスタートのもようからお話して下さい
「天安門広場の前の方に線(ライン)が引いてあるのです、そこえおおぜいの選手がスクラムをくんだりして、ゆっくりあるいて行くんです。そして先頭の選手がそのラインに達した時スタートするんですが、それがなんともすごい迫力なんですね、今思い出しても昂奮するような感じです」
それはみものですね、走路はどうでしたか
「行く前に北京は雪が少ないときいていたのに、その朝たまたま雪がふったんですね、気温はマイナス7度でしたが、それほど寒く感じませんでした、だけど困った事に道路が凍っているので、今迄そういうところを走った経験がないので、3回位ころびそうになっちゃったんです、けってもすべっちゃうし良い経験になったと思います」
靴はどんなものをもっていったんですか
「私はナイロンシューズ1足しかもって行かなかったんです、ほかの荷物が多いし、北京は乾燥していて雪が少ないときいていたので、寒さ対策だけ考えてナイロンのシューズにしたんだけど、運悪く雪がふってしまったので、アップしているうちにシューズがビショビショになっちゃったんです、本当に困ったわ、そんな悪条件が重なって自分で思ったほどの成績を上げられなかったんですね。やはりシューズはあらゆる条件を考えて出来るだけ用意した方が良いという事を今度の大会で体験しました」
それは良い教訓ですね、ところで大会の雰囲気はどんなものでしたか
「むこうの人達は皆友好ムードで大観衆の熱烈応援が気持良いですね。ゴール付近は特に人が多くやっと通れる位でした。男子の方の加藤さんなんか、先導車の後をついて走らなければゴールに入れない位だったとか、兎に角すごいんですよ。
私達は目的が親善ということだったので、始めはその気で走っていたのですが、向こうの人達が夢中で走っているので、こちらも負けずに走ろうとしたのですが、何せ道路やシューズの悪条件で思うように走れないのでくやしーいですね」
どんな女性が優勝しましたか
「若い女子学生でした、その人がゴールした時は半ば失神状態だったとか、後できいたら、優勝者には三年間の奨学制度があるんですって、その女学生はあまり恵まれてない家庭の娘だとか、涙を流してコーチの先生と喜び合っているのを見て実に感激的でした」
それは良い話しだ、日本だって優勝者にはスポーツ留学をさせるとか奨学制度があるとすれば、若い人がもっと沢山、一生懸命走るんじゃないかしら
「それはたしかに良い案だと思うけれどアマチュアリズムのきびしい日本ではとても実現しそうもないわね」
中国訪問の日程は (北代)
「14日の夕方東京を立って、北京についたのは10時頃かしら」
飛行機の旅というのはどうですか (北代)
「とても快適です、空港についても税関の検査などなくて、すべてフリーパスなのよ」
では宿舎はどんなところに… (北代)
「国賓なみの待遇でホテルも中国一といわれる北京飯店にとまったのよ、二人一部屋で。暖房など設備がよくととのっていて、とても気持ちが良かったわ」
歓迎会や交歓パーティなどやりましたか (北代)
「広い会場で、いくつもテーブルがあるのよ、一つのテーブルに10人位座るんですが、何しろ通訳が少ないわけ、仕方がないからメモ用紙をくばって、漢字を書いて筆訳するの、それでもどうにか意味は通じますものね、とても楽しかったわ!」
アメリカに行った時はどうしてたか (田中)
「何処へいってもスポーツをやる人は単語をならべるだけでも意味は通じるものね」
深井さんアメリカにも行ったんですか (北代)
なんだ北代君はしらなかったのか、認識不足だナ。報知新聞にも出ていたけれど、深井さんはアメリカと中国で走った始めての人だって (田中)
どこか見物に行きましたか (北代)
「15日に万里の長城を見に行ったの、そしたらね、どでかいっていうのか、長いっていうのか、ものすごいのよね、ビックリしたわ。昔から中国では白髪三千丈とかいうたとえがあるけれど、万里の長城というのは、その表現ピッタリね、これが人の力で出来たなんて信じられなかったりして!?」。18日は試合のあとで北京動物園に行ってパンダを見てきたけど、やっぱり本場中国のパンダは生き生きとして、かわゆいといった感じ! 19日は飛行機で杭州に行きました。そこでは「白蛇伝」の伝説で有名な西湖に行ったの、北京では大会以外あまり走っている人を見なかったけど、ここでは一般大衆が随分走っているのね、私たちも記念に西湖を1周して来ました」
1周どの位… (北代)
「1周15キロ位かな、中の道を通れば10キロ位なんだけど…」
そのほか どこへ… (北代)
「今度は杭州から汽車にのって上海に行ったわ。中国は広いというのかなんというか、日本では汽車旅のように山なんか見えないのよね、ただ広い農地が果てしなくつづいていたり、広い川にアヒルがのんびりおよいでいたり、これが大陸的風景というのかしら、そんなわけでやっと上海についたんですが、丁度昼休み時で大勢の人があるいているんですが、それがとても多いんですよね、北京ほど道が広くないという事もあるけど、歩道にあふれ車道まで歩いているんですよ。丁度日曜日に新宿の歩行者天国を人が一様に歩いているといった感じよりも一枚上!」
国も広いけど人口も9億とか、全くすごいんだなー(へんなところで感心したりして)
服装はやはり工人服が多いんですか (田中)
「そうね、やはり工人服が眼につきますね、北京では黒とか紺とか地味な感じが多かったけど、上海ではかなりカラフルでジーパンなどはいている人もかなりいるのが眼につきました」
週刊誌で見たけどワンピースやスカートに着がえて公園で彼氏とデートするんだってね (田中)
本場の中国料理の味は違いますか (北代)
「全般的にはそれほどかわらないけど、北京と上海とでは寒さのちがいか、油の量が多いとか少ないという事はありますね、それにつれて塩味もちがうのかなと感じます」
主食は日本と同じですか (田中)
「むこうでもお米は食べるんですが、朝はおかゆです、そのおかゆがとてもおいしいのよ、昼と夜はまんとうが主食です」
値段はどうですか (北代)
「食べるものは中国の方が安いんぢゃないかしら、ホテルで食べるとアイスクリームやケーキは150円から200円位ですが、公園に行って売店で月餅のようなものを20ケ買ったらケーキ1ケの値段で買えちゃったのよ、だからホテルで買ったり土産品の市場で買ったりすると、あまり安くは買えないようよ」
自転車は大分高いと聞いていますが
「自転車の値段は2万円位だから日本感覚では高いといえないが、一般大衆の給料が6、7千円だから給料の3ヶ月分位にあたるわけね。一生懸命貯金して買うものだから、皆大事に大事につかってピカピカにみがいているのよ」
日本では一般消費財が手軽に買えるので、つい物を粗末にしてしまうが、これは考えなけりやけない事だな (田中)
深井さん 今度はどこの大会え行くの (北代)
「ハワイでも行ってみたいんだけど まだ分からない」
今年の東京国際女子マラソンには出られるんでしょう (田中)
「出たいと思っています。自分の体調や練習のことを考えて今度勤めをかえようと思って今さがしているところなんです」
自分の健康のことを考えて無理をせず長くランニングをつづけてください。
 本日はどうもありがとうございました (田中)

こんな事を書くと蛇足になりますが、私の老爺心から 深井さんのために良い職場をさがしてあげたいと思います。彼女のために良い職場があったら御紹介ください、或いは、それよりも永久就職の方が良いのではないかと愚考します。

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