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光岳(2591m)・易老岳(2354m)・イザルケ岳(2540m)
◆◆1989.10.21 畑薙ダムからの光岳はこちら◆◆

 

長野・静岡 2015.07.30~31 М氏同行  光 岳 三等三角点
 易老岳 三等三角点
コース 【1日目】 ロッジ下栗の里(3.25)==車===易老渡(4.20)---面平(6.20-6.25)---NO.20付近休憩10分---三角点(9.05)---易老岳(9.50-10.05)---三吉ガレ(10.25)---三吉平(10.45-10.55)---三吉水---光小屋(12.05
 (小屋で1時間ほど休んでから光岳山頂と光石を遊歩気分で往復 約1時間)
【2日目】 光岳小屋(5.05)---イザルガ岳ピークを往復---三吉平(6.15)---三吉ガレ(6.50-7.00)---易老岳(7.30-7.40)---3回ほど各10分ほどの休憩をとって易老渡へ下山(11.10
 所要時間・含む休憩    1日目 7時間40分    2日目 6時間5分

М氏 記念ボード

М氏は信州百名山99座までをクリアした後、最後に残された光岳登頂へのタイミングを計っていたが、ようやくその日が巡って来た。その瞬間には是非とも立ち会いたいとの願いが叶って同行することとなった。そして100座目の山頂で共にカメラに収まる光栄に浴した。

私の信州百名山完登は1996年秋のことだった。100座目の山は異なっていても、感ずる思いはМ氏も同様だったにちがいない。思いか起こせば、ロングコースを選び、畑薙ダムからの往復、稜線は霙(みぞれ)と寒さ、疲労との戦いだった。今回は快適な登山を願って天気予報との睨めっこの末の決行。展望不芳、暑さには参ったが、記念に値する良い登山となった。



前夜は秘境「天空の里」として知られる遠山郷下栗地区(http://www.shimoguri.com/)のロッジに宿泊。

【一日目】

光岳山頂

翌朝未明、М氏の車で登山口易老渡へ向かう。暗い林道を50分近く、駐車スペースはほぼ満車状態、この林道をさらに進めは聖岳登山口の便ケ島に至る。

身支度を整えて易老渡を4時40分スタート、足下に灯りは必要ない。遠山川にかかる鉄橋を渡って山道へ入る。易老岳まで1500mの高低差、ひたすら辛抱の登りだ。正確度は疑問なるも、易老岳までを30等分した番号表示が、1番から30番まで、道案内のように取り付けられ、良い励みになる。

地形図の等高線でもわかるが、急登が延々とつづく。1500mを単純に30で割ると表示一番ごとに50mの高度を上げて行くことなる。
登山道はよく整備され、かつ明瞭。ルートの心配はいっさい無用。第一ポイントの10番付近にある面平、この付近までは落葉樹林で里山の雰囲気。面平で最初の休憩。コースタイム2時間のところ、1時間40分で到達。出足好調。

長休みは体がだらけるので10分の休憩で出発。勾配がこれまでより急になり、険しくなった気がする。多分感じの問題だろう。脚は順調に動いている。滑りやすい所、張り出した木の根、石ころなどに気をつけながら順調に高度を上げて行く。高度が上がっても涼しさは感じない。私としては汗が多いようだ。

 樹相が原始林を思わせるシラビソなど黒木針葉林に変わってきた。腐った倒木が多いのは、50数年前の伊勢湾台風被害の痕跡だろう。脚を止めて、天に向かって直立した大木を仰ぐ。その隙間から青空がうかがえる。樹林帯は展望ゼロだが、稜線に出たら思い切り眺望が楽しめますように・・・・。

易老岳(いろうだけ)

三角点標石を通過、点名は「易老岳」だが、地図上の易老岳はさらに高度100mほど上った稜線にある。あと一息で稜線。長い急登は間もなく終了する。

登り着いた稜線は登山道の三叉路で、われわれの登って来たルート、茶臼岳からのルート、光岳からのルート。針葉樹林に囲まれた小広い山頂で、腰を下ろして休憩。20年前とは似ても似つかぬ立派な道標もある。当時、この先光小屋まで、一部コース不明瞭で戸惑う個所もあったが、今はその心配は皆無となっていた。

易老岳からは歩いたことのある道、稜線を伝って光小屋を目指す。300mほど下って、また同じくらい登り返さなくてはならない。その間に小さなアップダウンもある。
高山植物が目につくようになる。
シナノオトギリソウ、ミヤマトリカブト、ミネウスユキソウ?、ゴゼンタチバナ、ハクサンフウロ、ミツバオーレン、ムカゴトラノオ、ミヤマミミナグサ、ウサギギク、クモマニガナ、イワギキョウ、・・・・

光石・遠くから見ると白く光って見える

最後の登りは、涸れ沢状の岩のゴロゴロした歩きにくい急登、花を見ては立ち止まり、カメラを構え、疲れてきた脚をだましだまし登りきったところが静高平、昔の静岡高校に由来していると聞いた記憶がある。この先もう急な登りは残っていない。

木道の敷かれたセンジガ原には喉を潤す冷たい水、20年前とは様変わりした光岳小屋も指呼の先に見える。ハイマツ帯を縫うように進む。このあたりが日本最南のハイマツ生育地と言われる。
以前見たときの掘っ立て小屋同然の山小屋は、見ちがえるような立派な建物に様変わりしていた。受付を済ませ、庭のベンチで一服。初対面の登山者たちと談笑したりした後、光岳・展望台・光石へカメラ片手に遊歩気分で訪れる。

光岳と表示された立派な標柱の前で、『信州百名山達成』のパネルを持ったМ氏と記念撮影。展望台からは霧の絡んだ西方の山影が少しうかがえるだけ。池口岳、鶏冠山、黒沢山方面だろうか、残念ながら、目ぼしい展望を得ることは出来なかった。指呼の先に見える光石へ足を延ばす。光岳という名前の由来となった岩だ。足がすくみそうな花崗岩のてっぺんで、居合わせた人としばらく談笑してから小屋へ戻る。

小屋での夕食時、私の口から、「同行のМ氏が本日信州百名山踏破が成った」ことを話題にすると、たまたま前に座っていた女性が、「私はこの光岳で日本百名山を達成できました」・・・そこで食堂の全員による大きな祝福の拍手が沸き起こった。山小屋からは両人に記念のバッジが贈られ、良い思い出になったことでしょう。

2日目】

霧のイザルケ岳山頂

昨夜は隣の男性の大イビキに悩まされ、2、3時間とほどしか眠られなかった。それも原因したのか、身体の切れが良くない。霧でご来光も見えず、展望も無い。イザルガ岳をピストンしてから下山にかかる。ルートは昨日のコースを戻るだけ。易老岳まで戻ったころ、どうも足が重い。いつもの軽易感が失われている。ここまでМ氏が前を歩いていたが、易老渡への下りは私が前に出る。かなり抑えたペースで下っていく。こんなに急だったのか・・・と疑いたくなるほどの急勾配、よく登って来たなあ・・・とひたすら感心する。裏返せばコンディションは良くないということだろう。それでも易老岳までの登りに要した時間4時間10分(含む休憩)に対して下りは3時間20分。ふだんなんら2時間半あれば十分下れるはず、脚の調子がイマイチだった。

易老渡まで下り着き、ようやく安堵感に浸る。いつもより汗が多かったのは、気温のせいか、あるいは体調のせいかわからない。昨夜の寝不足も関係しているかもしれない。どっちにしても加齢が影響していることは間違いないだろう。М氏の記念すべき山行に、迷惑をかけずに同行出来たことで良しとした。

ハクサンフウロ ミヤマトリカブト  イワギキョウ シナノオトギリ ミヤマコウゾリナ

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