追想の山々1051  up-date 2001.06.28

 
  
  光岳(2591m)
 登頂日1989.10.21-22 曇り・みぞれ 単独
  畑薙ダムより

         ◆◆2015.7.30 易老渡からの光岳はこちら


●畑薙第一ダム(6.50)−−大吊橋(7.20)−−ウソッコ沢小屋(8.30)−−横窪沢小屋(9.45-10.00)−−茶臼小屋(11.50)
●茶臼小屋(5.20)−−希望峰(6.15)−−易老岳(6.55)−−光小屋(8.25)−−光岳た(8.40-50)−−イザルガ岳(9.10)−−易老岳(10.30)−−希望峰(11.50)−−茶臼岳(12.25)−−茶臼小屋(12.50-13.20)−−横窪沢小屋(14.10-25)−−ウソッコ沢小屋(15.10)−−大吊橋(16.20)−−第一タ゜ム(17.05)
所要時間  1日目 5時間 2日目 11時間45分
 寒さと疲労・不安 (52歳)
セカジガ原と光小屋。後ろが光岳
日本百名山完登を目標にしたとき、光岳は一つのハードルと考えていた。100座全部どころか、当初は生きられる可能のある 2、3年で30座も登れれば上出来と思って取り組んだ。
順調に数をこなして完登の可能性が出てきたとき、南アルプスの深奥遥かな光岳は確かに大きなハードルであった。つい2〜30年前までは一般登山者はなかなか近づき難い山だという。

今では深田百名山と して訪なう登山者も増え、それにつれて登山道整備も進み、シーズン適期であれば、比較的容易に登項が果たせる山となってきた。それでも案内書には<登路不明確のケ所も多い、山慣れたリーダーについて慎重な行動が必要 >との注意が書かれている。日本百名山を目指す人々の中でも、この山を最後の方に回してしまうケースが多いと聞く。私は76座目であった。  

時期が初冬にかかっていることが気になったが、完登へ向けてはやる気持ちを押さえがたく挑戦。予定は無人の山小屋1〜2泊。シュラフ、防寒具等で荷が重くなるのが気がかり。

【一日目】
マイカーは畑薙第一ダム堰堤からもう少し奥まで入れた。
6時50分、予定より1時間早くスタートすることがでた。満々と水を湛えた湖面、周囲を埋めつくす紅葉。これだけでも遠路来た甲斐がある。支尾根の張り出した岬をいくつか回って大吊橋が見えてきた。『茶臼岳』の道標で大吊橋を渡る。足元に目をやると、どれくらいの高さがあるのか目がくらみそうな高さ。
吊り橋を渡るとすぐにじぐざぐの急登が待っていた。高低差約200メー トで先ずはひと汗かいて送電線鉄塔に着く。さらに先のやれやれ峠で一服する。
そのふと、今まで稼いだ200メートルの高度をどうしてく れるんだ、と言いたい気持ちで河内沢まで下る。
沢を離れて山腹にとりつき、最初の小屋がウソッコ沢小屋、樹林に囲まれた静かな環境にひっそりと建っている。小屋の前でひと休みしてから鉄梯子を昇り、上河内沢を離れるといよいよ本格的な登りとなる。横窪沢小屋まで450メートルの登りだ。色の洪水さながらの満艦飾、みごとな紅葉を目にしながら緩急の登りを繰り返して横窪沢小屋に到着。

再び樹林の急坂をじぐざぐに攀じる。この登りはきつかった。展望もない尾根道をただ黙々と足もとに目を落として登って行く。小さな休憩回数が増えてくる。いつもは休憩もなく歩ききってしまうが、今日は思いのほか頑張りがきかず、快調とは言えない。30分に一回の休憩が20分、15分とインターバルが短くなる。横窪沢小屋から茶臼小屋までのコースタイムは3時間10分。そのタイムで行けたとしてもまだ1時間30分から2時間もかかる。力が萎えて行きそうだ。

ダケカンバの明るく開けた中に小屋が見えて来た。小屋前には奇麗な水が豊富に流れていた。二階建ての思ったより大きい建物だ。重い引戸を引き明けて中に入る。真っ暗で何も見えないず、誰もいないようだ。板の鎧戸を上げて明かりをとる。なるべく隙間風のあたらない入り口に近い隅を占める。ザックの荷物を全部並べ、マット、寝袋を広げて一段落する。寒暖計は 2℃度、上下の毛糸の下着を着て防寒に備える。
明朝未明の出発に備え、茶臼、上河内岳稜線分岐まで登ってコースを確認しておく。ガスのため展望は全くきかない。
 
茶臼小屋
小屋からは笊ケ岳、青薙山が望め、富士山が影絵のように淡く浮かんでいる。その後小屋にはだれも上がってこない。今夜は一人だけのようだ。夕刻小屋の周囲は完全にガスに閉じ込められていた。 風も出てきて小屋を打つ音に淋しさがかきたてられる。雨がトタン屋根を打ちだした。明日の天候が気になる。

遠いところで女性の話し声がする。妻に声のようでもある。おや、ネコの鳴き声?夢を見ているわけではない。疲れ過ぎての幻覚?疲れはしたが幻覚を見るほど疲れてはいない。雨はアラレに変わった。最悪だ。鼠が私の食べ物を狙っている音。食べ物だけ柱の釘にぶら下げる。
      

【二日目】
半分眠りの中をさまよいながら『窓の外が薄あかるいなぁ・・・・』
ぼんやりと外へ目をやる。雪明かり?はっとして跳び起きる。夜が明けていたのだ。時計は4時55分、しまった〜。4時に起床、食事を作り、遅くても5時には出発のつもりだった。寝袋、マット、その他光岳往復に必要なもの以外は誰か来てもいいようにきちんと整理して小屋の隅へ残し、朝食は途中でパンをかじることに して小屋を飛びだした。
5時20分、濃霧のために懐中電灯の明かりも目の先までしか届かない。幸い雨は止んで積雪もない。昨日稜線まで偵察しておいたおかげで、未明の濃霧の中でも出発できた。足元を探るようにして稜線の分岐まで登ると、伊那谷から強風が吹き上げている。気温は低い。寒かろ うと思って毛糸の下着を着たままで来たのがよかった。一晩休んだにしては足が重い。

稜線通しに茶臼岳へ向かう。遮るもののない砂礫の稜線は風が強い。 懐中電灯の明かりを頼りにハイマツの点在する中をルートを外さないよう慎重に歩く。『右茶臼岳、左仁田池巻き道』とある。巻き道を選んで仁田池に着く頃には、懐中電灯の必要もないほどに夜が白んできた。ここまでコースタイム50分のところを10分短縮しただけで、ペースが遅すぎる。これでは光岳往復は無理かもしれない。
あまり先へ進んでしまってから天侯が悪化すると、戻るのが難しくなる惧れもある。どこまで進むべきか自問自答を続けながら脚を運ぶ。

茶臼岳 易老岳
出発からほぼ1時間、希望峰2500メートルに着く。光岳は遥かに遠い。片道5時間を3時間でと考えていたが、それが不可能ということをさとる。
ここから先、予想を超える大きな起伏の連続に、著しく体力消耗を強いられることとなった。
手垢の付かない原始の樹林は、静寂過ぎて一人で歩いていると『怖さ』さえ感じる。遠くから鹿の細い鳴き声が聞こえてくる。柔らかい土に真新しい鹿の蹄の後が見える。

登り降りを繰り返ながら最低鞍部を過ぎると、今度は易老岳への登りが待っていた。倒木帯をいくつも通過していく。これは3〜40年も前の台風の時の被害の跡だろう。何とか登山道の整備が進んで、歩ける状態に復元されている。重くなった足をなだめて易老岳に立った。希望峰からコースタイム1時間30分を42分、足が重くペースも大幅に落ちていると心配したが、意外に時間を稼いでいた。

しかしこれでようやく半分をこなしただけだ。依然として光岳まで行ける可能性は五分五分。体力をかなり消耗しているのを自覚する。本調子でない証拠、無理だけはしないと自戒。雲の隙間から鯨の背のような恵那山が望見できた。  

再び倒木帯を下る。光岳からこちらに向かった足跡が真新しい。こんなに早い時間にもう光岳から下ってきた人がいるのだ。今朝この道を歩いた人がいるというだけで、なにかしら気持ちが落ち着く思いだ。そういえば昨日から一人の登山者にも会っていない。コースがいちばんわかりにくいと言われる易老岳から最低コルあたりにかけても、それほど迷うこともなく無事にコルに至った。

ここまで来ればもう光岳の頂上を踏むしかない。ようやく闘志が少しだけ湧いてきた。幸いにもまだ雨は落ちてこない。コルからは最後の急な長くて苦しい登りがはじまる。光岳まであと約400メートルの標高差だ。原生林の中の沢状の登りとなる。苔蒸す岩を踏んでゆっくりと休み休み登っていく。まだかまだか、今日はここでやめてまた出直そう、つい弱音が頭をかすめる。今日が駄目でも又来ればいいではないか・・幾度そう思ったことだろうか。  

話し声が聞こえてくる。立ち止まって耳を澄ます。間違いなく人の声だ。わくわくして待つと3人の男性パーティが降りてきた。思わず声をかける。それは、途中チェックポイントの三吉平もどこかわからず通過、根拠もなく残り行程の時間を推し計り、光小屋まではまだ1時間以上もこの登りを頑張らなくてはと予想していた矢先のことだった。言葉が弾む。 『もうすぐですよ。ぼくたちは小屋からここまで10分できましたから』という話しに、苦しみながらついに来た、ああよかったという安堵感が湧く。『その上に水場もありますよ』と教えられ、礼を言って別れる。彼らは昨夜光小屋に泊り、これから易老渡まで下るのだという。

教えられたとおり勾配がなだらかになって樹林を抜けると、水場があり澄んだ水が一筋の流れを作っていた。喉を潤し少し元気を回復するとともに勇気も出てきた。ここが静高平のようだ。そこからひと歩きすると目前が開けてセンジケ原だ。亀甲状土の草原は既に狐色に枯れていた。
『イザルケ岳へ往復15分』の道標があったが、そのまま原の先に見える光小屋へ急ぐ。急に雲が切れて小屋の上部に青空が広がる。振り返ると上河内岳だろうか、うっすらと雪化粧した岳が目に入った。天候回復への期待が広がったが、それはほんの一瞬のことだった。

光岳
小屋へは立ち寄らずに光岳をめざす。光岳まで30分とある。小屋前の原から樹林に入って、右に弧を描く感じで登って行くと、こんもりとした高みが目に入り、これが光岳の頂上だった。これまでこんなに苦しんで辿りついた頂はあまりない。嬉しい。よく頑張った。
頂上は黒木に囲まれ、光岳という標識もなく、 ただ登頂記念の手製プレートがいくつか木に打ち付けられているだけの寂しい頂だった。すぐ先にある岩頭とおぼしきところに立って見たが、ガスで展望は全くない。早々に帰途についた。  

時間と疲労は気になるがイザルケ岳へ立ち寄った。丈の低いカンバをく ぐるようにして行くと、項上はすぐだった。岩屑の堆積した円項は広々として、天気が良ければその眺望はさぞやと偲ばれる。小さなケルンが霧に濡れていた。  

往路の厳しかった上り下りを思うと、これから茶臼小屋まで気の重くなる帰路だ。疲れていてもとにかくそこまで行き着かなくてはならない。  
茶臼小屋から光岳往復コースタイムを10時間と思いこんでいたが、実は12時間を勘違いしていた。一歩一歩戻って行くより仕方がない。途方もなく長い帰り道であった。  
悪いことに易老岳への登りに喘ぐあたりで、ついに雨が降りだした。着ているものは既に汗でびっしょり。雨に濡れているのと大差ない。それでも体を冷やしてしまう危険を避けるために雨具を着る。小屋に戻っても乾いた着替えはない。2400メートルの寒い小屋で着替えもなく一晩泊まることは無理だ。畑薙ダムまで降りないまでも、せめて標高1200メートルのウソッコ沢小屋あたりまで下れば何とかなる。そこまでは降りよう。そう心に決めて頑張ることにする。  

イザルガ岳
雨はさらにみぞれへと変わった。急がないといけない。疲労と寒さは危険だ。疲れながらも易老岳まで2時間10分のところを50分短縮。疲れてこんなにゆっくりとしか歩けないのに、やはり私の足は速いのだ。更に希望峰まで何回立ち止まり、腰を下ろして休んだことか。ここも2時間20分コースを1時間16分で歩けた。  

仁田池からはどうしても茶臼岳のピークを踏みたくて、巻道を見送り疲れた足を引きずって砂礫から岩稜を越えて頂に立った。ここはハイマツと岩稜のアルペン的雰囲気があった。光岳よりずっとピークらしい貫禄がある。
往路では楽をしようと巻道に入ったが、歩いて見ると巻道より頂上を通るコースの方が余程楽だった。  

小屋近くまで戻ってきたところで、 ガスの中に三羽の雷鳥が出迎えてくれた。白い冬毛に生え変わっている。白い姿の雷鳥は始めてだった。疲れはしたが満ち足りた気持ちで小屋に戻った。  
かじかんだ指で不器用にガスコンロをつけ、茶漬けを作る。汗で濡れた体はどんどん冷えていく。着られるものは全部濡れてしまった。ここにじっとしているのは危険だ。大急ぎでザックに荷物を詰め込むが、指先が凍えてじんじんと痛み、紐を結んだりすることができない。手袋がうまくはめられない。  
横窪峠など2、3の起伏はあるものの、これからは殆ど下り一方。標高差1500メ ートルを下りに下るのみ。  
歩き始めると再び体は暖まり、余裕も出てきた。紅葉が美しい。陽光に映える紅葉もいいが、雨の下の紅葉もまた捨てがたい。足元に散り敷く錦の模様を、足下に踏んで行くのがためらわれる。
横窪沢小屋には男女二人のパーティが火を焚いて暖をとっていた。休憩してしばらくとりとめもなく話をする。ここまでコースタイム2時間の下りを53分で来た。これならウソッコ沢小屋に泊まらなくても、明るいうちに畑薙ダムまで下れそうだ。  
標高が下がると気温の方は上がってきたのがわかる。今度は暑くなってきた。ウソッコ沢小屋着3:15、順調だ。小屋に入って薄着になろうとしたが、登山者が一人寝袋に入って寝ていたので、外で毛糸のシャツだけ脱ぐ。

“やれやれ峠”への登りはきつかった。 枯れ枝を杖にして身を託しながら足を運ぶ。杖がこんなに頼りがいのあるものとは、今日初めて認識した。やれやれ峠に着いたときは、まさに『やれやれ』であった。眼下にダム湖の水面が見え隠れするようになって、ようやく安堵感に包まれた。

大吊橋を元気に渡って、後は駐車場までの林道歩きを残すのみだ。しかし最後のこの林道が疲れた足には意外に遠かった。あのカーブの先か、あの岬を回ったところだったか・・・・。薄暗くなりはじめたころ、工事関係者の宿泊施設の灯が目に入ったときは、フルマラソンでゴールラインが見えたあのときと同じだった。

結局、今日一日17時間のコースタイムの行程を、体調不良にもかかわらず12時間、たいした休憩もなく歩き詰めに歩いたのだ。私としては完全燃焼しつくした山歩きだった。  

着替えをしてすぐ東京への帰途についた。それにしてもこのコースを一泊で歩ききる人が何人あるだろうか。あまりに辛かったので、ついそんなことを思ってしまった。
        
       

2日目の行程(茶臼小屋→光岳→茶臼小屋→畑薙第一ダム)は昭文社・山と高原地図によると約18時間、私の場合は休憩込みで11時間45分でした。