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僧ケ岳=そうがたけ(1855m) 駒ケ岳=こまがたけ(2003m)

富山県 2007.09.09 実弟 マイカー 地図 宇奈月南東 僧ケ岳 二等三角点
駒ケ岳 三等三角点
コース 長野自宅(2.00)---標高1280m登山口(5.00-5.15)---休憩(6.10-6.15)---宇奈月尾根コース合流(6.20)---前僧ケ岳(7.05-7.15)---僧ケ岳(7.40-7.50)---北駒ケ岳(8.50-8.55)---駒ケ岳(9.30-10.10)---北駒ケ岳(10.50-10.55)---コル付近休憩(11.10-11.20)---僧ケ岳(11.50-12.20)---前僧ケ岳(12.45)---宇奈月尾根コース分岐(13.15)---休憩(13.35-40)---標高1280m登山口(14.15)
僧ケ岳には2001年9月に登ったことがある。イヤな話だがオウム真理教によって殺害された坂本弁護士一家の都子さんが埋められていたのが、この僧ケ岳付近であり、それが報道されて僧ケ岳という山をはじめて知った人も多いと思われる。私もその一人である。

私がはじめて僧ケ岳へ登ったときは、ちょうど僧ケ岳~駒ケ岳間の登山道が地元関係者の努力で切り拓かれ、その作業が最終段階に入っていた。そのことを知らずに登ったために駒ケ岳山頂まで足を延ばすことはせずに引き返した。以来いつか駒ケ岳へ登りたいと思いつつ時が過ぎてしまった。登頂願望理由のもうひとつは、日本300名山踏破を振り返ると、なんと言っても最高の緊張感で登ったのが駒ケ岳と対峙する位置にある毛勝山である。その姿を駒ケ岳から眺めてみたいという思いを抱きつづけてきた。


駒ケ岳山頂
実弟がかねてより全国の駒ケ岳を登っていた。最後となったのがこの宇奈月にある駒ケ岳、その登頂に同行することで、私の長年の願いも叶うといういいチャンスだった。好天予報の日を選び、二人で出かけた。

2001年に僧ケ岳へ登ったときは、林道は標高1043メートル地点までしか入れず、その先は工事中だった。場合によっては同じ1043メートルからのスタートとなることも考えていた。夜明け前の宇奈月温泉街から僧ケ岳への道標に導かれて林道へと入る。1043メートル地点は格好の展望台で、曙光のさし始めた中に後立山連峰のシルエットが素晴らしい。予報通りの快晴。
林道はその先もきれいに舗装され、標高1280メートル地点まで問題もなく入ることができた。ただし落石がかなり散在しているので、その点だけは注意した方がよさそうだ。数台分の駐車スペースのほか、路肩などを利用すれば付近にかなりの数の駐車が可能だ。登山口の表示もある。

右が僧ケ岳、左奥が駒ケ岳
5時15分、歩くのに支障のない明るさとなったところで出発。ガイド地図を見ると駒ケ岳山頂まで約5時間、行程はかなり長い。しかし持ち時間は十分、ゆっくりしたペースで僧ケ岳をめざす。登山道の整備は良好、ブナの若木など、落葉樹の中を緩急織り交ぜながら1時間歩いたところで小休止。この登りの尾根を烏帽子尾根というようだ。

一服してリンドウやアキノキリンソの咲くトラバース気味の気分いい平坦道を進むと、すぐに宇奈月尾根コースが合流した。この先もしばらく平坦な散歩気分の道を行くと、コースは二又に分かれる。どっちを取るか迷ったが、よく踏まれたほうの右手を選択して勾配の増してきた坂をゆっくり登りきると、『僧ケ岳本流コース山開き法要』の標柱が立つ小ピークに登りつく。ここが前僧ケ岳と呼ばれる1775メートルピークである。ここまで来ると僧ケ岳までは近い。標柱から少し先へ行ってみると展望が開けて、毛勝山や遠く後立山連峰の眺めが目を惹きつける。小さく下ると高原状の空間が広がる。仏ケ平と呼ばれている。マツムシソウが朝風に揺れ、秋の花ウメバチソウがひっそりと咲いている。僧ケ岳から駒ケ岳へとつづく稜線も明瞭に見える。

仏ケ原からもう一度登りかえすと、6年ぶりの僧ケ岳山頂だった。見覚えのある御影石で出来た立派な山頂標石もそのままきれいに保たれてた。ここは二等三角点、土が流されて本来地中にあるべき標石基部がすっかり浮き上がっていた。暑さを覚悟してきたが、今朝は肌寒いほどのそよ風に汗の量も少なく、多めに用意してきた飲料水もほとんど手づかずだ。
堂々とした毛勝山の眺め
あのとき登山道開鑿のために建てられていた山頂の小屋も、今は撤去されてあとかたもない。見渡すと堂々とした毛勝山、その背後には剣岳が顔をのぞかせている。駒ケ岳への長い稜線も明瞭にのぞめる。ここから歩程2時間となっているが、歩いてみればそれほどのことはないだろう。一服してから駒ケ岳へと向かう。

目ざすピークを視界に入れながら、大きくコルへと向かって下っていく気分は、毎度のことながら『もったいない』の一語、100メートル余の標高差を下りきると、あとは小さなアップダウンを繰り返しながら北駒ケ岳への登りを行く。右手には深い谷を挟んで骨格たくましく図体の大きい毛勝山の姿が迫力満点だ。
コルから高低差100数十メートルの登り返しで北駒ケ岳のピーク、展望がよくゴールの駒ケ岳はもう目の前だ。

一服してから小さく下り、最後の登りにかかる。大きな岩が立ちはだかるように見える。ここには何本かの固定ロープが垂らされ、これで確保しながら慎重に通過。もう一度100メートルほどの高低差を登りきると待望の駒ケ岳山頂だった。
新しく拓かれた登山道はまだ日も浅く、歩きにくいところが多少はあるものの、一般登山道に準ずる程度には整備されていて不安はなかった。

小さく刈り開かれた山頂には、僧ケ岳にあったのと同じくらいの大きな御影石の山名標石、それと三等三角点がある。
爺、鹿島槍、五竜、唐松岳とつづく後立山連峰
弟にとってはこつこつ登ってきた全国の駒ケ岳最後の頂、達成感をかみしめた瞬間だった。
居合わせた先着者に『駒ケ岳17座登頂記念』と書いてきたポスターを持ち、写真を撮ってもらう。

展望は三角点から20メートルほど先へ行ったところがいい。絶好の好天に恵まれてひとつひとつ山名を指呼していった。何と言っても毛勝山の迫力ある図体はみごとだ。その右手奥は大日岳方面、左奥は恐竜の背のような剣岳、そして針ノ木岳あたりから爺、鹿島槍、五竜、唐松、白馬三山、雪倉、朝日岳へとつづく後立山連峰、なつかしい初雪山らしい姿も確認することができた。

山頂で満足の40分間を過ごしてから下山にかかる。今日は宇奈月温泉の旅館泊まり、急ぐ必要はまったくない。のんびりした足取りでコルへと下って行く。北駒ケ岳を過ぎたあたりで振り返ると、急に雲がひろがりはじめて、毛勝山のいただき付近にもガスが流れている。まもなく谷からガスが吹き上がってきて、行く手の僧ケ岳もガスに見え隠れするようになっていた。われわれの下山のときを待っていたかのようだ。

僧ケ岳で一服しながら食事をしていると、雨がポツリポツリと落ちてきた。あとは登山口へ向けての下り一方、心配する必要はない。雨はたいしたことなく、時間を気にせずにゆっくりと登山口へ足をを運んだ。
2001年9月の僧ケ岳はこちら
≪参考≫
駒ケ岳友好連峰会議(2007年3月解散)によれば、『駒ケ岳』という山は全国に以下記載の15座、ほかに赤城山の中に駒ケ岳と呼ばれるピーク、富士山頂八峰のひとつに駒ケ岳、そして若狭駒ケ岳などがあるそうです。
また栗駒山や新潟県の駒形山が駒ケ岳とも呼ばれるそうです。(赤字は私も登ったことのある山です)    
高さ 所在地 別名
駒ケ岳 1131 北海道 渡島駒ケ岳
大駒ケ岳 1144 青森県 大岳
駒ケ岳 1158 秋田県 藤里駒ケ岳
秋田駒ケ岳 1637 秋田県
駒ケ岳 1130 岩手県 (下油温泉付近)
駒ケ岳 1067 山形県 (米沢市付近)
会津駒ケ岳 2132 福島県
駒ケ岳 1327 神奈川 (箱根)
駒ケ岳 776 新潟県 (朝日村)
越後駒ケ岳 2003 新潟県
駒ケ岳 1487 新潟県 (糸魚川市)
駒ケ岳 2003 富山県 (宇奈月)
甲斐駒ケ岳 2967 山梨・長野 東駒
木曾駒ケ岳 2958 長野 西駒
南駒ケ岳 2841 長野県
このほかに『駒』のつく山は駒ケ峰、生駒山など23座ほどあるようです