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関東百山・関東百名山 武尊山=ほたかさん(2158m)
登頂年月 1995.10.14 天候 快晴 単独 マイカー 一等三等三角点
東京(3.15)===山口登山口(6.55)−−−名倉のオキ(8.25)−−−避難小屋(8.55)−−−武尊山(10.05)−−−中ノ岳で大休憩−−−武尊山(13.00)−−−避難小屋(13.50-14.00)−−−名倉のオキ(14.25)−−−山口登山口(15.10)

中岳から沖武尊をのぞむ

“上の原山の家”の先でカーブを曲がるところに武尊山への登山口があった。自動車から外へ出ると、寒気に身震いするほどだった。新潟三条市から来た夫婦が出発していった。

登山口付近は一面ススキの原で、穂が朝風になびいている。ゆっくりと支度をしてから、三条の夫婦を追うように出発した。林道歩きが30分ほどつづく。朝陽はまだ届かない沢沿いの登りとなり、しばらくすると休憩している夫婦に追いついた。蜜柑を半分、おすそ分けにあずかる。
高度が上がるにつれて、いくらかづつ紅葉の色ずきが鮮やかになっていく。
この武尊山は日本百名山の最初のころ、6月の梅雨の日、まだ山慣れない不安を抱いて今日とは反対の川場側『旭小屋』から往復したことがある。小雨の降る中、人っ子一人会わない心細さに、途中で何回も引き返そうとしながら、それでもようやく山頂を踏んだ。あのときは全く展望もなく、いつかもう一度と願ってきたが、その願いを果たすべく今日は絶好の登山日和となった。雲ひとつない紺碧の秋空が広がっている。

潅木の黄葉を目にしながらトマの尾根に登り着くと、重なり合う山の先に燧ケ岳が見えて来た。西武尊山のピークが逆光の中に黒い陰となって聳えている。沖武尊山は少しだけピークを見せている。
登り下りを繰り返しながら尾根を南に進むと、避難小屋が左下の沢に見える。このあたりから紅葉が一層美しくなって目を引くようになっる。赤色は少なく、黄色が主体である。

2カ所鎖場を攀じるところがある。最初の鎖場はほとんど鎖に頼る必要はない。二つ目も高度感はあるが問題なく通過する。
色づいた山を鑑賞しながら樹林帯を抜け出ると、頭上に大きな青空が広がった。山頂が目の先にある。眺望を楽しみに、最後のきつい登りを終ると、武尊山の最高峰『沖武尊』のピークだった。
快晴、絶好の展望
期待どおりの大展望。
至仏、燧、朝日岳、一ノ倉、谷川岳、仙の倉、横手、四阿、浅間、奥秩父、妙義、榛名、赤城、袈裟丸、皇海、 男体、奥白根、八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、頭城山塊・・・・関東から上越国境、遠く信越、頚城など、まことに快哉の山頂展望は飽きることがなかった。
私と同じコースを登って来た人、反対の旭小屋からの人、山頂はたちまち賑やかになって、ゆっくりとくつろぐ雰囲気はなくなってしまった。もう一つ先に見えるピーク(中の岳=籠川山)まで行って休むことにした。
沖武尊から一旦下って、湿原状の小さな沼の(以前来たときは、ここはまだ雪田であった)縁を通り抜けてから、中の岳への登路を探すが、そのピークヘの道がない。仕方なく強引 に笹を分け、潅木にしがみついて攀じ登り、ピークへ立つと、予想どおりここには人影はなく、私だけの絶好の休憩場所になった。
山頂には石祠もあり、かすかな踏み跡が残っているのを見ると、以前はコースが通じていたようだ。ハイマツの幹に『中の 岳(籠川山)』と書かれた小さなブリキのプレートがかけられていた。沖武尊同様の展望を楽しみながら、スケッチをしたり写真を撮ったり、静かな一人の時間を過ごした。
眠りたくなるような小春日和のうららかさに、3時間も過ごしたのは、私には記録的な長居であった。

再び沖武尊まで戻り、もう一度展望を目に焼きつけてから同じ道を下山した。
登山口のススキが、傾いた午後の陽光に銀色に光っているのが印象的だった。
少し寄り道をして、念願の宝川温泉へ入浴する。1500円は高かったが、確かに大きな露天風呂だった。しかし静寂な山の湯という雰囲気には乏しく、完全に観光化していた。
水上ICまでの途中、谷川岳ロープウェイ方面からの合流点で車が渋滞し、明日登頂予定の迦葉山登山口弥勒寺に着いたときには午後7時、日はとっぶりと暮れ、すでに夜の帳に包まれていた。
1988.06.29旭小屋からの登頂記録はこちら


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